岩明均のレビュー一覧
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カイロネイアに死神降臨。
アレクサンドロスとしては、その場で必要なことをただただ気負いもなく行っただけなんだろうけど、落ちたものを拾うかのような、何気ない様子で人を殺していくというのは、狂気にしか思えない。
武器が壊れたから、新しい武器を手に入れなきゃ。そこに落ちてるから、それ拾えばいいじゃん。
そういうことではない。文化が違う、とかいうレベルでない。
鉄火の戦場ではまだまだ傍観者でいられるエウネメスも、政治という戦場ではそうもいっていられない状況に。個人の感情・思惑を踏みつぶして回る車輪にいつの間にか組み込まれています。抜け出したい。それが困難なことは重々承知だけど、抜け出したい。それは子 -
購入済み
古いマンガだけど面白い
ストーリー展開は十分練っている。わずか4巻だけど,展開が予想できず引き込まれる。
岩明さんの絵は,特に人の顔の表情描写が変だけど,気には無くなる。
面白いマンガだと思う。 -
購入済み
昔読んで面白かった
未知の生物がいつ地球に現れるかのは誰にも分らないし、その能力が人よりはるかに強大だっが、その中で主人公らが色々悩みながらも精いっぱい戦う姿が面白い
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ネタバレ 購入済み
名作です。
命とはなにか、人間とはなにか、考えさせられます。寄生とは「寄り添って生きること」人間も地球に寄り添って生きているはずなのに。
グロい表現も多いですが、人間ほど多種多様な生き物で生かされている生物はいない。しみしじみします。 -
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「われわれはか弱い。それのみでは生きてゆけないただの細胞体だ。だからあまりいじめるな」。前巻で「田宮良子」が新一に言った言葉を受けて、本巻では人間がパラサイトに一気に攻撃を仕掛けることとなる。警察は「広川」市長がパラサイトであることを突き止め、自衛隊が市庁舎を包囲して、ひとりひとりパラサイトか確かめて殲滅する作戦を敢行するのである。
だが「広川」の正体がテーマを深化するとともに、「寄生獣」というタイトルが実は人間という「地球を蝕む寄生獣」のことを示していることが明かされる。寄生獣って人間のことだったんだ。
しかし「私が創りあげたか弱い『仲間』の1人ではあるが……無敵だ」と「田宮良子」の -
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圧倒的な「後藤」に対してミギーと新一は頭脳戦を仕掛けるが、間一髪でしくじり、新一は分離したミギーをその場に残して逃げ去るしかない。宿主から分離したパラサイトは早晩死ぬしかない。
パラサイト同士はある程度の距離に近づけば互いに相手の存在を感知する能力を持っており、それゆえに新一とミギーは「後藤」から隠れることができないのだが、ミギーを失った新一を「後藤」は探知できないのが唯一の救い。そこで新一は孤独な老婆に助けられる。
そのあと終盤までどんでん返しの連続といってもいいだろう。ミギーの力を失った新一には到底「後藤」に勝てる力はないのだが……。
前巻で人類こそが寄生獣だという指摘を受けて、 -
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自分のよく知っている人が密かに異星人に置き換わっているという話はジャック・フィニィ『盗まれた町』だが、『寄生獣』の寄生生物は宇宙から来たわけではないみたいだし、侵略者と戦う英米SFと違って、日本の作品は単純に敵味方と割り切れないぞ。
第7巻が戦闘のクライマックスなら、第8巻には情緒的なクライマックスがひとつ用意されている。新一の「胸の穴」である。母親に寄生したパラサイトによって穿たれた胸の穴はミギーのおかげで修復され瘢痕が残るだけなのだが、心理的な意味での「胸の穴」が物語の底流として問題となっているのだ。あるとき、手相見が新一を診断して、胸の穴を開けた相手に会わねばならないと占うのだが、 -
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新一は密かにパラサイトを一体一体倒していくことを考えている。しかしそれをミギーにいうことはできない。ミギーは自己の生存にのみ関心があり、降りかかった火の粉なら払うが、こちらから危険を冒してまでパラサイトを殺害に出かけるようなことはしないからである。
「広川」市長らパラサイト集団では、しかしパラサイトに対する殺傷能力を示した新一たちを危険視する意見が出される。興味深いサンプルとして観察継続を示唆する「田宮良子」に反して、新一に刺客を送り込むことになる。
第7巻は最後から2番目の戦闘クライマックスといえるだろう。
新一にとっては最後の戦いの前哨戦である。パラサイトは通常人間の頭部に置き換 -
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一般に寄生生物とは宿主の生物と生活を共にするのだが、『寄生獣』のパラサイトの場合、宿主の脳を喰ってしまうので、精神存在としての人間とは生活をともにしない。ところが新一と生活を共にするミギーは次第に人間のことを学習していく。
他方、人間の子を妊娠している「田宮良子」は人間社会の外から学習しようとする。圧倒的に強力だが、圧倒的に数の少ないパラサイトを人間から守るため。
新一のことに関心を持つ「田宮良子」によって新一を監視すべく彼の高校に送り込まれた「島田秀夫」は前巻で暴走し、1巻のパラサイトAのように学校で虐殺事件を起こしてしまう。おかげでパラサイトの存在が警察には知られるところとなっている -
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不良グループの女王的存在で、新一を含むパラサイトを感知してしまう超能力を示す加奈の存在は随分前のほうから伏線となっているが、その能力のために加奈は危機に陥り、新一は加奈を助けることができない。しかし加奈を襲ったパラサイトを新一とミギーは鮮やかに倒す。
そして「田宮良子」は「島田秀夫」に代わって新一の動向をうかがうために人間の探偵を雇う。人間を探るには人間を,という発想に「田宮良子」の深化が見られるのだが。この探偵がからんで、いよいよ新一の正体が世間にばれるのではないかという危機に陥るとともに、新一にはパラサイトたちを殲滅する戦いを起こさねばならないのではないかという決心が芽生えてくる。
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本能がおかしくなった人間と本能で生きるパラサイト、などと定式化してみたが、嘘である。人間にも本能がある。旧皮質のほうに。それを圧倒的な新皮質で抑圧しているのである。パラサイトも人間を喰えという本能があっても、知性がある以上はそれは様々な形で抑制される。本能の赴くまま腹がすけば人間を喰うだけの奴から、パラサイトとは何かという哲学的思考に深くはまっていく「田宮良子」までパラサイトの個性も多様である。そう言ってしまうとパラサイトも人間も変わらない。
違いは何かというと、当面は感情のようなのである。パラサイトにとって人間の感情は理解不能。それはパラサイトが生物らしい生物だからではない。恐らく、イヌ -
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パラサイトに脳を奪われていない「仲間」が登場するところも、『寄生獣』を新時代の『デビルマン』と思った部分である。
新一は右手から侵入され、腕を紐で必死に縛って脳への寄生を食い止めたが、下顎に寄生された宇田の場合、どうしてそうなったのかの説明がなるほどよく考えられている。
『デビルマン』のように仲間を集めてデビルマン軍団を結成して、というように話は進まないのだけれども。
そして敵が母親、というか、寄生されてしまった母親という残酷なストーリー展開は、新一とミギーの心のすれ違いを際立たせる。母親の姿をしたパラサイトを攻撃できず、致命傷を負う新一。新一が死ねば自身も死んでしまうミギーはその時 -
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実写映画化とアニメ化で話題の『寄生獣』である。
実写版は前田有一の「超映画批評」では早速「今週のダメダメ」になっている。なるほどもっともな批評であり、見る気も失せて原作を取り出す。
岩明均は遅筆である。足かけ8年の連載で、やきもきしつつ読んだのが、単行本にしてたったの10巻。これを一気読みできる今の読者は幸せなのか、どうなのか。
話はこうだ。宇宙から卵のようなものがたくさん落ちてくる。そこから出てきたのはカイチュウ類を思わせる生物で、これが人間の耳やら鼻から入って頭部を喰って、頭部に置き換わってしまう。首から下は人間だが、頭は自在に変形する寄生生物となっている。パラサイトの食べ物は人 -
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「超映画批評」で前田有一が実写版映画を批判しているところとは、ミギーはドラえもんのようにのび太を助けるお仲間ではないということだ。
生物として当たり前なのかも知れないが、ミギーは徹頭徹尾自分自身が生き残ることしか考えていないのである。自分が生き残るためなら,人間であろうと,他のパラサイトであろうと殺すことに容赦はない。新一と「運命共同体」となってしまったかぎりにおいて、ミギーは新一の味方となるに過ぎない。ただ、右手に寄生してしまったがために、自身の変形能力のほかに、人間の体である首から下を極限まで使用できる通常のパラサイトと比べて、ミギーは力が劣る。このためにミギーは新一を利用せざるを得な