奈倉有里のレビュー一覧
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ロシアの迷信
鳥が家の中に入るとそのいえの誰かが死ぬ。もし入ってきてしまったらすぐに外に放った上で、その日はその家でない方が良いとも言われていると言う。
鳥が飛んで入ってきても不潔だと言うが、これにはロシア語で朝を意味するバーバチカがおばあちゃんを意味するバブーシカ似ているため、おばあちゃんの例が迎えに来たことを連想するからだと言う説がある。古代ギリシャ語で長であり魂でもある募集型の話が思い浮かぶが、実際飯の中には古代ギリシャ由来のものも多い。
忘れ物をして一旦家に戻るのが不吉というものがある家と外との境界線である色をまたぐことが何か決定的な行為でありその前後混同すると良くないと言う類の名称世界各地にありこの飯もその一つ見られているしかし忘れ物して家に戻れないと言うのも困るのでこれには幾つかその行いをなかったことにする方法が伝えられている。よく聞くのは、鏡に自分の姿を映して舌を出すと言う方法。鏡がない時は自分のことをパパと払って、その肩越しに後に向かって3回PePePeと唾を吐く真似をするのでも良い。あるいは道中の無事を願うおまじないで家消すと言う方法。出発前にみんなで少しの間腰掛けると言うものだが、これには家を出る人の無事を願う効果と、家に残された座敷わらしのような妖怪…もとい精霊であるともボーイに家を任せたぞと頼む効果もあると言われている。一説によるとどもボーイは心配性なので、そうやって行ってきま~すをつけないと家主についていってしまって、家を守るものがいなくなるらしい。なかなかいいやつなのだ。 -
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ベラルーシのミンスクで語り手であるサーシャと、彼に自分の生い立ちを語る老婆タチヤーナ。
タチヤーナの語る話は、第二次大戦前のソ連に生まれ、戦争に夫をとられ、夫がナチス・ドイツの捕虜となり、つまり、「虜囚の辱め」に甘んじた裏切り者となったため、反逆者の妻としてとらえられ、娘と引き離され、、、という重なる悲運に満ちた人生だった。
そのような悲惨なソ連の状況を生んだ張本人はヨシフ・スターリンなのだが、そのスターリンが死に、その悪行が明らかになっても、やがて時間が経つと、スターリンを持ち上げる人々が生まれてくるのだという予言が語られるが、タチヤーナの人生の最後にあっても、その亡霊の様に蘇るスターリンの影響が明らかになる。
ソ連という国の底の知れない恐ろしさのようなものを感じずにはいられない。
そして、戦前戦後の日本にも似たようなものを感じてしまう -
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翻訳の心得。クエスト形式で進んでいく読みやすい本。ただ言葉を置き換えるのではなく、背景とか、読んだ時の読書体験とか、それが読者に伝わるように訳す不断の努力を感じた。異文化の反対は自文化であって自国の文化ではなく、文化は国に属するものではなくて国民としてのアイデンティティを確立するものではむしろない、というのが印象に残った。本という文化において、異国の人ともむしろ友達になれる。純粋な文化、というのは存在しない。
あとは、「マーシャにサラファンを着せる」という『大尉の娘』の訳について。サラファンは農民の着物で、貴族の格好をしていると強奪の対象になるからあえて農民の着物を着せるという父親の判断なのだけど、それが自然と分かるようにシンプルに訳すにはどうしたらいいか、という話もよかった。サラファンは晴れ着で死装束だという訳註がついたこともあるというが、それは全く解釈違いで、権威ある翻訳のそうした間違いは影響大だなと思った。 -
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アフガン戦争の真実。ソ連政権の巧みなプロパガンダにより徴兵された少年たちは、亜鉛の棺に入れられて帰還した。母親たちは、その棺を開けることは許されなかった。
アフガン帰還兵、戦没者の母親たちへの多くのインタビューから、戦場で何が起こっていて、人間はどのように破壊されていくのかが明らかにされる。
この著書が広く世界中で読まれているのは、アフガン戦争の真実を暴いた、ということよりも、「戦争」「戦場」の持つ普遍的な悍ましさ、戦争へ駆り立てる権力者の欺瞞もまた普遍的であることを暴いたと言うことだろう。どんな戦争も、ベトナム戦争も、今起こっているウクライナでの戦争も、そしてかつての太平洋戦争も、同じであろう。
今回増補された、この著書を巡る裁判の顛末。権力の恐ろしさを実感する。 -
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ウクライナ信仰が起きた時、彼女はそこにいた。
画家、絵本作家であり、妻であり、母である作者。
彼女は、自分に起きたこと、家族に起きたこと、今あることを、えんぴつでスケッチして、日記に書いた。
それは今ライブで起きていること。
だから物語としてまとまっている話ではない。
しかし、それはリアルでライブ。
今、彼女はブルガリアに避難してきている。
愛犬と二人の子供と共に。
夫は、ウクライナ国内に残っている(全てのウクライナ男性は、国外に出られない)。
彼女の母親は、ウクライナ国内に残っている(老人、家族は身軽に動けない)。
それを知ること、それを感じることのために、本書を手に取った。 -
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ネタバレロシアからベラルーシのミンスクに引っ越してきたサーシャは同じフロアの91歳の老人・タチアーナの懐古話を聞く羽目になる。最初は嫌々だったものの段々と自ら彼女の人生を聞きに行くようになる。
恵まれていた子供時代、初恋、外務人民委員部での書類処理の仕事、恋愛結婚、そして開戦。
赤十字から送られる捕虜の扱いに関する手紙を処理する仕事の最中にタチアーナは捕虜リストの中に夫の名前を見つけ、彼女は大胆な行動を取る。1945年7月、夫の帰りを待っていた彼女は逮捕され娘を取り上げられた上、収容所へ送られてしまう。
ソ連の人間の尊厳を微塵も大切と思わないお粗末極まりない手段に辟易してしまう。現在の戦争にも通じるものだと感じた。
ロシアに近いベラルーシの作家の作品。とても読みやすい。新人作家さんがこうして台頭されてくるのは嬉しいですね。
あと、やはりロシアのことを知りたければロシア系の作家さんの作品を読むというのは近道であり必然と再認識しました。各国における「○○は△△のことを暗喩する」などは他国の人間は知識として知っていても情を込めて書くことは難しいんじゃないかと。その土地で暮らして生きている人間にしか書けないものがあるんじゃないかと思いました。 -
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1979年-1989年のアフガン戦争に派遣され、心と身体に傷を負った帰還兵士(と言っても臨時に徴収された少年が多かったようだ)や、死亡した子どもたちの特に母親から聞き取った内容、見せてもらった日記や手紙などを元にまとめた本である。
傷の覚めやらない内でのものなので、その気持ちや行いに偽りはないだろう。
仲間内でのリンチ、命令に沿わなかった時の仲間への背後からの射撃、上官によるブーツや靴下を舐めさせる等のいじめ、新人工兵に対する地雷突破命令、罪もないアフガニスタン民間人の虐殺、強奪、強姦、これら凡そ人間的ではない日常を紛らわすために、麻薬を吸いウォッカをがぶ飲み、無ければ不凍液に手を出す。
そんな中でも、故郷の母親や恋人の想い出は、唯一人間らしさを取り戻す瞬間なのだろう。
著者のアレクシエーヴィチは戦争中から、実際に聞いた話を集めて本にした。ペレストロイカと共に言論の自由化が進み「亜鉛の少年たち」も新聞に一部掲載され、単行本も大部数で出版されている(日本語では1995年)。
しかし独立して間もないベラルーシで1993年に、証言してくれた人たちにより、6年も経過した後に名誉毀損等で提訴される。この事件の裏には原告ら個人の意思ではなく、明らかに彼らをけしかけた黒幕の存在があった。必要なのは国家と為政者の絶対的権威と権力なのだ。
この裁判の内容も記載されている。
現在進行中のロシアによるウクライナ侵略も同じ文脈だ。ロシア国内の多くは片寄った情報にしか接することが出来ず、プロパガンダを信じている。正義のためだと派遣された兵士も多いだろう。恐らくそこで目前にするのは、40年前の状況の再現だ。
彼らにも責任はあるだろうが、最も罪深い人は権威のトップに立つ人だ。
こうも歴史は繰り返されるのか、なぜこのような人間が出来上がるのかと、暗澹たる気持ちになってしまう。
ちなみに「亜鉛(メッキされた鋼板)」は、長時間を要する死体の保存と輸送性を考えて、棺の素材として使用されたようだ。完全に密閉され、故郷に帰っても家族すら開けることが許されなかった。
証言を見ると分かる。身体として見分けがつくようであればましな方で、肉片や崩れ、欠損した身体や頭部等を見ると、家族の反感はどれほどのものになるか、それを見越してのことだ。
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ウクライナで戦争に巻き込まれた著者の生々しい絵日記。
鉛筆一本で描かれた殴り書きのような筆致が、すぐそばで爆発が起こり、地下シェルターに逃げる必要のある現実を突きつけてきます。
著者とは職種が違いますが、私も仕事で絵を描きます。
絵を描くことでの心の安定と、戦争下でも営まれる、人々の生活と会話や自分の思いを文字として書き留める記録としての意味合い。
戦争が早く終わり、終わった後にこそ、この本をどの立場の人にも手に取って読んでもらい、戦争がいかに愚かなことであるのか、同じ人間が、民族・言語・宗教・肌の色などで対立することが無意味であるかを学んでほしいと願うばかりです。 -
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2022年2月24日ロシアによるウクライナ侵攻
本書は、ウクライナ北東部のロシア国境にほど近い都市ハルキウ在住のアーティスト、オリガ•グレベンニクさんが、侵攻直後から2週間の自身の体験を綴ったものです。
オリガさんは、ハルキウでの数日の生活の後、ウクライナ西部のリヴィウ、そしてワルシャワ、ソフィアへ、幼い子ども2人と避難していきます。
本書では、オリガさんの当時の日記であり、その時の鉛筆による文章とスケッチがそのまま掲載されています。
その筆跡や文章、絵には直接的には過度に感情を揺さぶるような大げさなものはありません。
(絶望、と書かれた絵にすら、正直なところタイトルと文脈がなければ絶望を読み取ることは困難です。)
ただ、地下室生活、爆撃による街の破壊、親•祖父母らとの別れ、夫との別れなど、オリガさんの体験は事実として圧倒的です。
どうしたって伝わってくる不安、悲しみ、恐怖。
そして生まれ育った街、家族、子ども達への暖かな愛。
戦争反対と叫ぶことが本書の目的とオリガさんは言います。
そういう本はもちろんたくさんありますが、本書には他の同様の本と大きく違う点があります。
それは、誰かや何かを憎み悪くいう言葉や文章、表現が、本書では一言も、全く、存在しないということです。
文章量としてはおそらく文庫本10ページ分もないくらいですが、きっと多くの人の心に残る一冊になると思います。