奈倉有里のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
偉大で強大なロシア帝国の実現のために共産主義を利用したので、ソ連という国はこんなに不合理で歪んでいるのか?
ロシア・ウクライナ戦争がはじまってからロシアに関する本を続けて読んでいる。まるでロシアではソ連が今も続いているみたいだ。一時期はロシアでも民主主義が力を持ちつつあると、思えた時期もあったと思ったけど…
プーチンによる歴史修正によってソ連が復活してしまうのか?そんなことにはなってほしくない。
演習へ行くと言われて、戦争へ連れていかれた若い兵士たちの声がロシア・ウクライナ戦争がはじまった当初は多く聞かれた。
アフガニスタンへ兵士を派遣するときも、ソ連は開拓地へ行くようにと飛行機に乗せて、アフガニスタンへ連れていくということをしていたようだ。
「大騒ぎになった。恐怖とパニックでみんな動物みたいになって――妙におとなしくなったり、猛り狂ったりしてる。悔し涙を流す奴、硬直する奴、信じがたく卑怯な手で騙されて錯乱する奴。だからウォッカなんか持ってきやがったんだ。俺たちをなるべく簡単に、楽に丸め込むために。ウォッカを飲んで頭に酔いが回ると、逃げ出そうとする奴らや、将校に喧嘩をふっかける奴らも出てきた。でも陣営は自動小銃を持った兵士たちに包囲されていて、そいつらがみんなを飛行機のほうにじりじりと追いつめていく。そうしてまるで荷箱を放り込むみたいに、俺たちは空っぽの鉄機体の腹に詰め込まれた。
そんなふうにして俺たちはアフガニスタンに行ったんだ……。」p.53
「帰る前には政治将校たちに、帰還後に話してもいいことといけないことを教え込まれた。戦死した者について語ってはいけない、我々は強大な軍隊なのだから。新兵いじめについても広めてはいけない、我々は強大で模範的な軍隊なのだから。写真は破り捨てること。フィルムも破棄すること。ここで我々は銃撃戦もしていなければ、砲撃も毒殺も爆破もしていない。我々は強大で世界最良の軍隊である……。」p.87
そして帰ってくると、祖国は戦争に行く前の祖国では無くなっていた。正義と言われていた戦争は恥ずべき愚行となり、国の命令に従った兵士たちは人を殺すことしかできない怪物扱いで置き去りにされた。 -
Posted by ブクログ
ウクライナ人の作者(ロシア語話者)が、勃発したウクライナ戦争とそれをうけての避難の様子を、鉛筆一本で書き記した日記です。
「読み物」として整理されているわけではなく、事実を切り抜いた簡潔な文章と、ラフなスケッチで描かれる避難生活の日々が、戦争という大きな流れに翻弄されるリアリティを強調しています。
「非日常」が「日常」になってゆく様子、悲しみや不安を抱えながらも新しい生活に順応していく子供たちの様子を見ると、(少なくとも兵士たちや巻き込まれた市民たちは決して望んでいなかったのに)戦争が起きた、という事態の異常さに胸が痛みます。
日本が戦争を経験してからもうすぐ80年が経過しようとしています。当時のことを記憶している方々も多くが鬼籍に入られ、「戦争」という事態の異常さ・悲惨さはすでに他人事になってしまっています。
その中で、現代に再び起こった戦争について、遠く離れた異国「ニュース」ではなく、地球全体で止めなければならないことだと強く意識することが必要なのだと思います。
核兵器をはじめとする武力に裏付けられた「平和」は決して真の平和ではありません。非武装中立・非武装平和というのは絵空事かもしれませんが、それでも「理想を求めて何ができるのか」を考えることは決して無意味ではないと思います。 -
Posted by ブクログ
「戦争は女の顔をしていない」の著者であるスヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチ氏の著書『亜鉛の少年たち』を読みました。
1979年から1989年までの約9年間行われた、ソ連によるアフガニスタンへの軍事派兵。
この本は、アフガン侵攻に派兵されて帰還した兵士や看護師、そして彼・彼女らを送り出した母親たちの証言をもとにした「ドキュメンタリー小説」でした。
前線に送られ戦死した10代の少年たちの遺体は、密閉されて遺族も開けることが許されない「亜鉛の棺」に入れられて戻ってきたという。
そして、帰還することができた少年たちは、戦場での生活で心が凍りついてしまい、まるで金属のようになっていることがある、という意味も題名に含まれているのだとか。
「戦争は女の顔をしていない」と同様に、帰還兵や戦死した兵士の母親へのインタビューを淡々と並べたもの。リアルで生々しい戦場での出来事や、帰還してからの生きづらさや、息子を失った悲しみ、怒り、それらを、証言者の言葉として並べていく。
「戦争は女の顔をしていない」(第二次世界大戦中のドイツ侵攻から祖国を守った「大祖国戦争」の記録)と違っているのは、アフガニスタンへの派兵が、のちに国際社会から「政治的過失」と呼ばれる派兵であったこと。祖国を守るのではなく、他国に侵攻するものであったこと。
そして、もう1つの違いは、この書籍が、出版後に一部の証言者たちから訴えられ、裁判となったこと。
私が読んだ版(原書が2013年に出版されたもの?)には、その裁判記録が追加されていました。
アフガニスタン派兵が「国際友好の戦士」「アフガニスタンの地で道路や橋を建設し、人々から感謝されている」というふれ込み(刷り込み?)で戦地に送られ、そこでアフガンのパルチザンたちとの血生臭い戦闘を経験し、軍の中での新人いびりや差別があり、時には人道的ではない行動を強制され、戦死すれば亜鉛の棺に入れられて(遺体が入れられているとは限らないけど)、家族のもとに返される。「国際友好」とは名ばかりで、国際社会から「政治的過失」と見られる軍事行動であったことで、全てをなかったこととして処理される……。
祖国(ソ連)に「騙される」形で国際的犯罪に加担させられてしまった末端の兵士たち。著者のアレクシエーヴィッチ氏は、信頼関係を築いたうえで証言をしてもらい、それを文章にしたはずなのに、ソ連崩壊後に独立したベラルーシにおいて、何人かの証言者から裁判が起こされた。アフガン侵攻という記録があってはならないと考えた黒幕が証言者たちを、また「騙して」裁判を起こさせたのかも…。
兵士たち、母親たちの証言を読むのは辛いものでした。
きっと実生活では普通の感覚を持っていた少年が、過酷な生死を分ける戦場で感覚を失っていく。普段ならしない犯罪的行為もおこなってしまう。むしろ、犯罪的行為を「みんなで」行わなければ、その集団の仲間と認められないような状況。
これを読んでいる2022年。ロシアがウクライナに侵攻している。ロシア軍の去った後の村での惨状や、一般人や一般人に影響を与えるインフラを狙ったミサイル攻撃の報道が日々更新されている。多分、「亜鉛の少年たち」の中の少年たちのように、祖国に「騙されて」派兵され(私たちの感覚では)犯罪、と呼べる行為をしてしまう。
「俺はごく普通のソ連の若者だった。祖国は俺たちを裏切らない、祖国が俺たちを騙すわけがない!と思っていた。」
大義がどこにあるのか、政治的な駆け引きとして何が許されるのか、一般人の私には線引きはよくわからないけれど、「戦争」とか「侵攻」とか、そんな判断をすること自体が犯罪なのだと思う。一般の私たちは、この本を読めば、戦争、というものを起こしてはいけないんのだと気が付く。けれど、どこかの国とかどこかの国とかどこかの国とかのトップは、この本を読んでも何も感じないんだろう。
どこかの国のトップには、見えているものが違うんだろう。 -
Posted by ブクログ
本が登場するという話しが伝わって、興味を覚えていたが、出回り始めたことを知って入手した。入手して眼を通してみて善かったと思う。
「鉛筆1本で描いたウクライナのある家族の日々」と題名に在るが、戦禍の中で手近にスケッチブックやノートや鉛筆を持っていて、そこに描いた画と、綴った然程長くない言葉を折り重ねたという本である。
イラストレーター、絵本作家という活動を続けている著者であるが、“侵攻”の勃発でその身を案じていた人達が国外にも在り、韓国の出版関係の方がインスタグラムに出た鉛筆の画を見て接触し、ウクライナで事態が起こってから国外へ出る迄の様子を本にすることになったのだそうだ。日本を含む各国では、その本を下敷きに出版しているということになる。
著者、そして画を描いたオリガ・グレベンニクはハリコフ在住のロシア語話者だ。ロシア語話者にとって、“ハルキウ”は“ハリコフ”だ。巻末の解説によれば、著者自身が翻訳では「ハリコフ(ハルキウ)」という程度に標記して、“ハリコフ”を残して欲しいとしているそうだ。そういう「言葉の摩擦」のようなモノが、紛争の背景に見え隠れするような気もする。
本当に「極個人的な記録」という感じのモノが、国外で眼に留まって本になったという感じなのだと思う。著者は夫や子ども達と共に高層集合住宅の9階に住んで居た。戦禍がハリコフの街にやって来てしまった。訳も分からずにアパートの地下に避難した。訳も分からない中、スケッチブックに鉛筆で画を描き、何事かをメモするように綴って気を静めて、子ども達を護ろうとしていたのだ。やがてハリコフから脱出することを決断するが、駅へ向かうタクシーがやって来るまでの10分間程で慌ただしく準備して飛び出した。後から聴くと、戦禍の混乱で列車が停まったということも在ったらしいが、彼女達は西部のリヴォフ(リヴィウ)を経てポーランドのワルシャワに出た。そこからブルガリアに出て落ち着いたようだ。
本当に差し迫った中で、未だ幼い娘を見詰め、娘との何気ないやり取りを走り書きのように綴っている様子を見て、何か酷く心動かされた。砲弾が飛び交ったような戦禍の街に在り、更に訳も判らずに脱出をしていたという中、著者が「拠所」としたのは「子ども達の母であること」と、「画を描く表現者であること」であったのかもしれない。本書は非常に迫るものが在る。 -
Posted by ブクログ
1970年代末から80年代末にかけて行われたアフガニスタン侵攻の関係者たちによる証言集。奇妙なタイトルは戦死者たちが亜鉛で密封された棺に入れられて帰ってきたのにちなんでいる(密封されているから遺族は遺体と対面できなかった)。この戦争は当初政府が宣伝していたような国際友好では全然なく侵略戦争だった。犠牲者たちは各々にとっての真実を語る。戦闘中の悲惨な体験、息子や娘を亡くした悲しみ、帰国後の偏見への怒り、徒労感、虚無感。ある者はアフガニスタンを忘れたいと言い、ある者は戻りたいという。多種多様な声、声、声。読みながら何度も戦慄し、何度も同情の涙が出た。この部分だけでも優れたドキュメントだが、補足資料の裁判記録が文学者への政治的圧力、昔も今も権力者によって搾取される弱者、作家の社会的意義などを問う内容で、ドキュメンタリー文学の枠を超えた多義的な作品になっている。ロシアによるウクライナ侵攻が続く今、この証言者たちの声はどこに消えてしまったのだろう。
-
Posted by ブクログ
アフガニスタンから帰還した者たちが語る、現地で遭遇した女性たちのエピソードがいずれも衝撃的なので記しておく。
バグラム近郊で……集落によって、なにか食べさせてほしいと頼んだ。現地では、もしお腹を空かせた人が家に来たら、温かいナンをごちそうしなきゃいけないっていう風習がある。女たちは食卓に案内し、食べ物を出してくれた。でも俺たちが家を去ると、その女たちは子供もろとも村人たちに石や棒を投げつけられ、殺されてしまった。殺されるのをわかっていたのに、俺たちを追い払わなかったんだ。それなのに俺たちは自分たちの習慣を押し通して……帽子も取らずにモスクに入ったりしてた……。(p.67)
初めての手術の患者はアフガン人のおばあさんで、鎖骨下の動脈の負傷でした。でも医療用鉗子が見当たらない。足りてないんです。仕方ないから指でつまみました。それから縫合材を探して……絹糸を一巻き、二巻きと手にとったけど、どちらもぼろぼろに崩れてしまって。どうやら昔の、一九四一年の戦争のときからずっと倉庫にあったものだったみたい。
それでもその手術は成功したんです。夕方、外科医と一緒に病室を見にいきました。具合がどうなっているか知りたくて。おばあさんは目を開けたまま横になっていて、私たちを見ると……唇を動かして……きっと、なにか言いたいのだと思いました。お礼を言いたいのだろうと。でもそうじゃなく、私たちに唾を吐きかけようとしていたんです……。そのときはまだ、彼女に私たちを憎む道理があるなんて知らなくで。なぜだか愛されるはずだと思っていました。だから唖然として立ち尽くして──助けてあげたのに、この人はいったい、って……。
…………………………………………
考えてみれば……自分に訊きたいんだけど……どうして私は恐ろしいことばかり思い出すのかしら。友情も信頼もあったし、勇敢な行為もあったはずなのに。もしかして、あのアフガンのおばあさんが気になるせい? わからなくなるの。治療をしてあげた私たちに、唾を吐きかけようとした。あとになって知ったんだけど……あのおばあさんはソ連の特殊部隊(スペツナズ)に襲撃された集落から連れてこられたんです……。おばあさん以外は全員亡くなった。集落全体でたった一人の生き残りだった。でもその前に、その集落からの攻撃を受けてソ連のヘリが二機、撃墜されていて。焼け焦げた操縦士たちは熊手(フォーク)で刺されて……。だけどそれよりももっと前、最初の最初には……。でも私たちは、そんなに深くは考えなかった。どちらが先で、どちらが後かなんて。ただ味方を憐れむだけでした……。(p.244, 246)
「待て! みんな動くな!」少尉はそう呼びかけて、川辺にある小汚い包みを指さした。「地雷か?!」
先に立って進んでいた工兵が「地雷」の疑いのある包みを持ちあげようとすると、包みが泣き声をあげた。赤ん坊だったんだ。アフガンめ、恨んでやる!
どうしたらいいかって話になった。置いていくか、連れていくか。誰に言われたわけでもなく、少尉が自ら送る役を買ってでた──
「置いていくわけにはいかないな。飢え死にしてしまう。私が集落に連れていこう、近いし」
俺たちは一時間その場で待っていたが、集落へは車で二十分ほどで行って帰ってこれるはずだった。
少尉と運転手は……砂の上に倒れていた。集落の中で……。女たちに鍬で殺されたんだと……。(p.278)
幸運にも五体満足の状態で帰還した三人の証言者たちは、一様に現在の日常生活への適応不全を訴えている。
別の証言者の中には、機会があれば再度アフガニスタンへの派遣を望んでいる者さえある。行きたいから行くのではない。薄皮のように淡い約束事の重なりからなる日常に、一度戦場を経験した精神が堪え得なくなっていて、一刻も早くそこから逃れたがっているようなのだ。
考えてみれば、現地で人を殺すこともなく、一人の戦死者も出すことのなかったイラクに派遣された自衛隊員たちの何人かが、本国に戻ってから自殺したことが思い起こされる。その率は、異様な高さである。
日米同盟を盾にして派遣を決めた為政者は、国会での追及に窮して、自衛隊の行くところが安全地帯だと言い募った。
後にジャーナリストの布施祐仁による情報公開請求によって一部明らかになった当時の日報によれば、彼らの宿営地近くにも着弾があった、文字通りの「戦闘地域」だった。
証言者や、ほかならぬ本書の訳者のように、「ふざけるな!」といいたくなるのは私だけだろうか。「『安全地帯』というなら、お前のバカ息子をこの『セクシー』な場所に行かせて、一日体験させてはいかがか」と。
著者アレクシエーヴィチは、本書初版の出版により、証言者の何人かから精神的な損害賠償を求められ、あるいは名誉毀損で訴えられる。
本書のどこをどう読んでも、著者が帰還者たちを殺人者として非難したり、遺族たちを、身内を戦場に送り出した共犯者とみなしたりしている個所はない。
著者が直接言及しているわけではないが、年端もいかぬ彼らを戦場に送ったブレジネフからゴルバチョフに至る為政者たちへの、静かな怒りが嫌でも伝わってくる。
二代目の訳者奈倉有里の解説も、短いながら胸を打つ。 -
Posted by ブクログ
「赤い十字」に続いて、フィリペンコのデビュー作である本書を読む。
ベラルーシの現実に暗澹たる気持ちになる。
ルカシェンコ大統領の強権による虐殺、統制管理の残虐さは、同じ地球に生きていて申し訳ないと思うほど。
ツィスクの昏睡は民主主義のメタファーだ。ツィスクの目覚めを信じて語り続け励まし続ける祖母の最後の手紙で泣けた。肉親としての愛と、ベラルーシへの愛。
奈倉有里さんの訳もすばらしい。訳者後書きもまた。(これを読めばベラルーシの現状もこの本の読み方も全てわかる)
本屋大賞の「同志少女よ敵を撃て」のおかげで、ウクライナ侵攻の現状や歴史に、関心が移ってきた。奈倉有里さんと逢坂冬馬さんが姉弟だということにも驚きだが、多くの日本人がこの悲惨な戦争に関心を寄せることに貢献してくれた二人に感謝しかない。 -
Posted by ブクログ
ネタバレアルツハイマーを患っている91歳のタチヤーナの第二次世界大戦前後の話を、妻を失って越してきた30歳の青年サーシャが聞く話。
後書きで訳者が述べる通り、象徴の使い方や歌謡・赤十字の交信資料の引用が巧みで、ゆっくり読み解いたらもっといろんなものが見えると思う。
赤い十字は、タチヤーナがソ連外務省で翻訳してタイプしていた赤十字とのやりとりであり、タチヤーナの娘アーシャの埋葬地にタチヤーナが立てた錆びた鉄パイプの十字架であり、タチヤーナの出身地ロンドン・友人パーシカの出身地ジェノヴァの印でもあり、タチヤーナが埋葬され「安らかに眠らせてください」と刻まれた御影石の墓石でもある。人間ではどうしようもない苦しみの象徴としての十字架。ソ連が無視し続けても捕虜の情報を送り続ける赤十字に、それは何の意味があるのか、タチヤーナや同僚のレーナは疑問を投げかける。赤十字に宗教的な意味はない、とはいえ、そこには非人道的な戦争の中にあって人間の尊厳を救おうとするキリスト、みたいなものを感じた。神を目の敵にするようなタチヤーナだけれど、神に都合の悪いことを握っているからアルツハイマーにされたという発言と逆説的に、タチヤーナの話はサーシャやこの本の読者に引き継がれていく。
スターリンの姿を見たこともないのに、スターリンはすばらしいと偶像化されていき、すばらしいものはスターリンであるとすり替えられていく錯覚。何度壊されてもグロテスクに再生されていくスターリンの銅像。タチヤーナは捕虜名簿から夫パフコフの名前を消し、パフキンの名を2度書いたことを負い目にして生きてきた一方、タチヤーナの夫を密告して生き残ったパフキンは何の負い目も感じずスターリン像の雪かきをする。十字架を背負って生きてきたのはタチヤーナ側の人ばかり。 -
Posted by ブクログ
紫式部文学賞なんてのがあるんですね!
作者は 奈倉有里さん
お祖父さんお婆さんが 新潟の柏崎
お母さんが新潟の巻の出身
と新潟市西区に住む私には 身近な出身の方です。
ロシア文学研究者で ロシアの国立大学をでている。
先生も友だちも知り合いも ロシアに沢山いる。
奈倉さん ロシアにいると いろんな人から道を聞かれる。
いろんな人が 私の故郷の人だと思ったの
なんていう。話しかけてきたのは カザフスタン アルタイ シベリア 北ロシアの少数民族 アルメニア
DNA的に日本人と繋がっているんだろうか?
今回のロシアのウクライナ侵攻
やっぱり ロシアに住んでいる人たちにとっては
当たり前だけど 嫌でつらいことなんですね。
兵役の年齢も どんどんと上がって 50代後半の人にも 召集が来そう。
大学生だったけど 身体が弱く 一冬で10回も風邪をひく 身体の弱い子にも 召集がくる。
なんか日本にいると ロシアの人たちは 戦争に抵抗がないような気がしてたけど そんなわけはない!
大学の女性の先生が 源氏物語を訳している。
源氏物語のどの女性が好きですか?
と聞いたら 末摘花
と言われた。というので 私もへえー!
とおもった。
奈倉さんは 柏崎原発の近くの 海の見える 築90年の家を買う
原発のおかげで 家を安く手放さないといけなかった人 を思う。
ロシアと文学と柏崎が 繋がった本でした。
当たり前だけど ロシアの人もいい人が いっぱいです。プーチンの始めた殺し合いが早く終わりますように!
奈倉さんも ゆっくりとロシアの友だちに会いに行けますように!
と思いました。