奈倉有里のレビュー一覧
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「自分がふだん暮らしている世界とはまったく違う、はるか遠くに感じられるものごとにじかに触れるためには、いったいどうしたらいいのでしょう。この授業では、あなたという読者を主体とし、ロシア文学を素材として体験することによって、社会とは、愛とはなにかを考えます。」
(シラバスより)
本書は“ロシア文学”を学ぶ“教室”で、主人公のユーラ達が本を読むことで考えたり体験する話。
目次だけでも若者世代への簡潔な読書案内になっているのも素晴らしいが、本の世界が一瞬で現実になる演出(それも本の中だけど)も素晴らしい。
人生経験を積んだ世代ならではの発見もきっとあるはず。豆知識や覚えておきたい名台詞もあり紹介された本が読みたくなった。
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Posted by ブクログ
例えば、知人の前で本を手にしていて「何の本?」とでも尋ねられた時、「ロシア文学の関係の本で、これから読み始めようとしている」とでも応じたとする。こういう場合、十中八九は「多分…手にしないような種類の本だと思う」という反応が在ると思う。
実は、偶々ながら例示したような出来事が実際に在った本書である。新書で377頁と、少し厚めな感じがする一冊だ。が、読み易く、その厚さが気にならない。
雑誌連載を基礎に整理したということであるらしい本書だ。特段にその連載記事に触れた経過は無く、「ロシア文学を説く」ということに漠然と興味を覚えて手にした。そして「意表を突かれた」と思えるような叙述方式に少し引き込まれた。
全般に、大学を主要な舞台としている、少しファンタジーのような要素も入り込んでいて、或る学生と周辺の仲間達の物語という「小説」の体裁なのだ。最近の作家達の作品の文庫本等を好んで読む、中高生を含む若い世代の人達が好みそうな雰囲気になっていると思った。同時に、随分と以前に読んだ、当時のベストセラーでもあった、少年少女向けに“哲学”が論じようとしている内容を説こうとする『ソフィーの世界』を想起するような感もした。
大学で―一応、大学に学んだ経過も在る自身が知る昔の様子と、昨今は様子が大いに異なってはいる…―は、規定した回数の講義を確り開催することになっているので「前期に12回の講義」ということなのであれば、4月上旬から7月下旬の12週間で12回を確り開催する。本書―或いは「本作」という雰囲気が色濃い…―は、2022年4月から2022年7月という時期を想定した「12講」を核としている。ここに前段と後段が付されている。そして4月に新学年が始まった頃の様子から、梅雨時が過ぎて暑くなり、暑い盛りになって来た頃に予定の「12講」が閉幕するのである。
「12講」で扱われるのは、主に19世紀の作家達やその作品だ。ゴーゴリ、プーシキン、ドストエフスキー、ゲルツェン、レールモントフ、ゴンチャロフ、ツルゲーネフ、ネクラーソフ、チェーホフ、ゴーリキー、ガルシン、トルストイという名が並ぶ。本書には「ロシア文学」とでも言えば名前が出て来る人達が次々に登場する。
本書、または本作の主人公は、大学でロシア語やロシア文学を学んでいる「ユーラ」こと湯浦である。湯浦は、前期の12回の講義各回で、代表的な「ロシア文学」の作家の作品等について論じるという講義を受講することにした。「文学の世界を体験して頂く」と言い出す、少し風変わりな先生に導かれ、毎回の課題図書を確り読み、色々と考えながら学んでいくというように展開する。
本書は、作中世界の大学で展開される「12講」の物語で、全体的には「12篇から成る少し長い篇」という体裁だ。1篇ずつ読み進めることが基本であろうが、気になる作家や作品を扱う篇を気が向くままに、随意の順番で読む事も出来よう。そして、気に入った篇の再読というのも好いであろう。「多分…手にしないような?」と漠然と思う程度に敷居が高い「ロシア文学」に、少しカジュアルな感じで向き合う材料になりそうだ。
主に19世紀の作家達は、現在とは異なる背景の中で生き、そして「ロシア文学」なので外国に在った人達ということになる。が、本書の作中の講義での課題図書となっている彼らが綴った内容は、かなり普遍的なテーマ性を帯びている。人の人生について、個人と社会または社会の中の個人、愛や哀しみや憎悪というような人の情というようなことを考え、そうした想いを綴る「文学」は時空を超えて読者に近付いて来る筈だ。本書はそういうことに改めて気付かせてくれる。
極個人的には、挙がっている12人の作家達の作品等ということであれば、チェーホフに最も親しんでいると思う。チェーホフは振り返る過去、「こうしておけば…」という程度に思う場合も在る来し方というのは、簡単に取り戻す、やり直すことが叶うでもないのだから、眼前のことや現在の人生と確り向き合って生きるべきである人間というようなことを、数々の作品を通して語り続けていたのかもしれない。本書ではそういうように、数々の短篇を題材に論じていた。
更に言えば、社会の様子を謙虚に見詰め、自由な一個人として堂々とそれを論じられるような、「真に自由な個人」であることを目指して活動を続けたということでゲルツェンが取上げられていたが、これは個人的に興味深かった。
本書は「2022年4月から2022年7月」という時期という設定で小説仕立てになっている。ウクライナの戦禍に纏わる衝撃が大きかった時期で、主人公がそういう状況下で心揺らいだというような描写も在る。或いは、真摯にロシア語やロシア文学を学び続けた著者自身の当時の想いが大きく反映されているのであろうとも思いながら読んだ部分だ。
現在、ウクライナの戦禍というような重大事件迄起こってしまっている訳で、そういう中であるからこそ「所縁の地域の文物」に触れてみて考えるようなことも求められるのかもしれない。殊に「文学」となれば、普遍的なテーマ性を帯びている訳で、世界の混迷を遠目にモノを考える材料になり易いかもしれない筈だ。
本書のことを知り、入手して紐解いてみようと思い立ったのは、『夕暮れに夜明けの歌を 文学を探しにロシアに行く』という、著者の自伝的要素も色濃いエッセイ集を大変に興味深く読んだ経過が在ったからだった。そういうことで「アレの著者?!」と注目したのだ。本書に出くわして善かった。
細々と本署に在る内容を綴り過ぎるのも、未読な方の愉しみを妨げるばかりとなるので、これ以上は詳述しない。是非、本書を「体験」して頂きたいと思う。
序でに個人的な希望を申し上げておくと、是非とも本書で取上げていない20世紀の作家達に纏わるモノの登場にも期待したい。 -
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最近全然聞かなくなってしまった、高橋源一郎の飛ぶラジオで紹介された作者。ゲストで出演もされていた。それを聞いて以来読みたいと思いつつ一年くらいがすぎてしまって、やっと読んだ一冊。
作者がロシアに留学し、語学学校を経て、ゴーリキー文学大学で過ごした日々を綴ったエッセイ集だ。
作者は私と同じ82年生まれ。こんなにも言語・文学を探究し、愛し、体感した作者に一種の感動を覚えた。
素晴らしい先生や友人たちとの出会いを、自身の文学的な力にすることができたのは、紛れもなく、作者のあくなき探究心と好奇心と努力だ。
作者が愛したロシア文学とそこに住むさまざまな国から来た友人や同級生たち。敬愛する先生との出会いと別れ。変わりゆくロシアと悪化していくウクライナとの関係。それらが、揺るぎない文学への信頼に基づきながら語られる。
作者が執筆したときよりも、さらに世界情勢は悪化してしまった。だからこそ、筆者が綴った言葉を胸に刻みたい。作者が通った大学のある教室に掲げられたレフ・トルストイの言葉。「言葉は意外だ。…人と人をつなぐことができれば、分断することもできるからだ。…人を分断するような言葉には注意しなさい。」それを引用して筆者は、「どうしたら人は分断する言葉ではなく、つなぐ言葉を選んでいけるのか。その判断はそれぞのいかなる文脈の中で用いられてきたのかを学ぶことなしには下すことはできない」と語っている。
文学者ほどうまく言葉を扱えないにしても、日常的に使うもの。だからこそ言葉を「つなぐもの」にするために、学び続けることが必要なのだと感じた。
ロシア文学を読んだことがないので、これを機に少しずつ触れてみたい。 -
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『ことばの白地図を歩く』。若者向けにゲーム仕立てでおもしろく読みやすいけれど、内容は驚くほど専門的。書いたのはどんな人なんだろう?と気になって経歴をみると紫式部文学賞を受賞した『夕暮れに夜明けの歌を』の著者であり、あの『同志少女』『歌われなかった海賊へ』の逢坂冬馬さんと姉弟だと知り驚いたり納得したり。
「有里先生」と「逢坂さん」。3歳ちがいのおふたりは対談の中でお互いをこのように呼び合い、「文学」「作家という職業」、「戦争や武器」について、専門家同士としてリスペクトしつつ、存分に語り合う。ご両親のエピソードも紹介されるがこれがまた
言葉かけと言い距離感といい、「親の背を見て子は育つ」の諺どおり。さて、私達も感心してばかりではなく同じ時代に生きているものとして、こんな社会だからこそきちんと次世代に伝えていく努力をしていかなければ。 -
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ロシア、という言葉の先入観から、大国らしい描写もあるのかと思いきや、等身大の感覚で読み進めることができました。肩肘はらず、またリラックスしすぎず。学生時代の話は、想像を沸き立たせる描写がとても新鮮でした。むしろ、今の社会情勢から振り返ると、周囲の人たちとのエピソードが優しくて泣けるような感覚も。私はあまり表現が得意な方ではないですが、多くの文化や人の感性に触れてその感じ方や対処を学ばれたのだな、と感じました。だから紛争中の今が悲しくなります。
素敵な人たちが描かれています。おそらくこの本を通じてしか出会えないです。他の人が描いても異なる描写になるでしょう。 -
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社会人になってから、近くに置いておきたい本の1つ。
アフガンってこんなに悲惨やったんやというのと、よくもこれを出版したなというのが率直な感想。重い内容なのは間違いないのに、どんどんと引き込まれる。情景が鮮やかに浮かび情が湧きながらも、どこかでそれを冷静に落とし込みながら、アフガン帰還兵の証言と裁判に触れることができた。「戦争は女の顔をしていない」とはまた別の衝撃で、これは、本当に今のロシアがやっていることと見事に重なる。アレクシェーヴィチのようなインタビュアー・伝え手になりたい。自分の原点を思い出したような気持ちにもなって。さて、がんばるか。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ「同志少女よ、敵を撃て」→「文学キョーダイ!!」からたどり着いた。
ロシアの文学大学留学中をメインとした、エッセイ。当時の様々な背景を持つ人々との交流や文学への愛が大いに綴られている。
恋をする同級生や、ニーチェ本で卒倒する子。おかゆ文化、3人で教会へ行く話等もある。この大学は、日本人は奈倉先生1人。ロシア語で全てコミュニケーションを取り、ロシア語をフランス語に訳す授業もあったらしい。自分なら直ぐに帰国するので、純粋に凄いと思う。
ロシア内部の不穏な空気も描かれている。突然人が消えたり、警察が犯罪を平気で行ってたり。教授が「ロシア語よりウクライナ語より文学的で優れている」と言ったり。歴史で学ぶこととは異なり、現地の雰囲気が味わえた。
日本で行えば、即退場レベルなことが行われているが、居続けた奈倉先生は肝が据わっていると思う。
↓印象的だった言葉達
ある大教室の壁には、レフ・トルストイの言葉が掲げられていた―ー「言葉は偉大だ。なぜなら言葉は人と人をつなぐこともできれば、人と人を分断することもできるからだ。言葉は愛のためにも使え、敵意と憎しみのためにも使えるからだ。人と人を断するような言葉には注意しなさい」227ページ
「そうしてようやく、先生に出会ってからの「学び」がそれまでとどう違い、自分の身になにが起きたのかを知った。それは私にとって、少しずつ生まれ変わることだった。新しいことを知るたびに、それは単なる知識ではなく、細胞がひとつひとつ新しくなるような喜びだった。浮き輪につかまって海に入ったようなかつての心もとない学びではなく、いくらひとりでいても孤独ではない安心感があったーーだって、私はひとりではなかった。
そしてこの先もずっと、永久にひとりになることはない。いつのまにか、かつての自分といまの自分はまったくの別人というくらい、私の内面は変わっていた。私を変えた人はこれからもずっと、私を構成する最も重要な要素であり続けるだろう。」258ページ
エレーナ先生やアントーノフ先生との出会いが、奈倉先生の人生に大きく関わっていると思う。純粋に羨ましい。自分もそんな人達に出会えると良いな。
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「19世紀の伝統的なロシア詩では耳で聞いてわかりやすい、二拍子なら二拍子、三拍子なら三拍子で統一されたリズムの詩が多く、なかでも一行のなかで弱強格を四回繰り返す四脚ャンプが好まれました。」129ページ
↑これを体感したいため、某動画サイトで詩を読んでいる人を探したが、見つからなかった。ご存知の方がいらっしゃれば、教えてください! -
Posted by ブクログ
こんなにも没頭して読書し、勉強した留学生活……。
ただただすごい。
……という視点で読んでいたのだけど、終盤、アントーノフ先生との顛末がえがかれるに至って、涙をこらえながら読むことに。
文学への、詩への情熱を媒介に、アントーノフ先生とユリの間には、たしかに愛情が流れていたように思うけれど、それはやはり文学への愛情だったんだろうな。そしてアントーノフ先生を追いつめ、アルコール依存症へと駆り立てたものは、文学者らしい鋭敏な感覚で嗅ぎ取った時代の転換だったのかもしれない。
そうか……クリミア併合は2014年だったのか。ソチ五輪という言葉が出てきてどきっとしたけれど、ウクライナ侵攻も北京五輪の直後だった。五輪というものは、悲しいかな極度に政治的な道具になりうるのだ(泣)
本書が書かれたのは2021年で、今回の本格的なウクライナ侵攻はまだ始まっていなかったけれど、そこへ至る道筋も描かれていて胸が痛くなる。 -
Posted by ブクログ
読み終わるのが惜しいくらい久々の大ヒット。
「夕暮れに夜明けの歌を」のな奈倉有里と「同志少女よ、敵を撃て」の逢坂冬馬の姉弟が、忌憚のない意見をバンバン吐露してる貴重な対談本。互いに敬語を使うのに、(笑)、内容は忖度なしの言いたい放題で溜飲が下がること下がること!楽しい読書だった。
どうやったらこんな姉弟が育つのか、「夕暮れ〜」でも登場した両親がやはりキーパーソンのようだ。丁寧に愛情込めて育てられたのですね。理3の4人の子供を育てた佐藤亮子さんもかなり子どもの教育に関わってたけれど、彼女と違って、子どもに学歴よりも教養を身につけさせることにシフトしている姿勢が潔くて清々しい!価値観が真っ当で柔軟性もある本当に強いご両親だ。
逢坂さん曰く
「高等教育のありかたって、言ってみれば国家から独立した人間を育てる過程でもあるわけですよね。一元的な教育から離れて、知的に独立した人間を作るという。でも、知的に独立した人間を作るという発想そのものを憎悪している節が、現在の日本には見られるように思います。単なる利潤の追求や実学志向とも違う、知性の自立を恐れるという。もっと社会に従順で、経済を発展させる方向にだけ行きなさいと。」
まさしく!肘を打つ言葉。
逢坂さんは、「現代日本についてガンガン言っていく」行動する作家でいたいと宣言する。
プーチンをキャラクタナイズして茶化す風潮についての考えも慧眼だった。日本のオートバイ同好会がハーレーダビットソンに乗ったプーチンをもてはやしていたことに対して、安っぽいマッチョイズムの提示をしてプロパガンダをしているのに、それをまんま無邪気に受け取ってしまう現象に警鐘を鳴らしている。
こういう風潮は確かにあると思う。上から目線にもなれるし、すぐに冗談だと逃げることもできるし、どちら方向からの非難も交わすことができるずるいやり方だ。(私もよくやる)
つい最近、モディリアニ風に描かれたプーチンの絵画を見たので、あれはどうなんだろうと考えてしまった。風刺とキャラクタナイズとの線引きが難しとは思うが、「俺たちは本当はプーチンを崇拝しているわけではない」と言いつつ、プーチンの実際的な統治の方法には全く異論を唱えない、それを「冗談めかした迎合」として極めて危険な兆候だと逢坂さんは分析する。
パンとサーカスの例も出してくれていたが、政治的関心を失った民衆には食糧と娯楽さえ与えておけば支配はたやすい。抗う作家たちの登場に拍手です。
同じ土壌で育った二人だからこそ、何の遠慮もなく思ったままを開陳することができ、それを私たちは知ることができてラッキー。
ああ、こういう人たちが存在するのだ、と心を強くできる一冊でした。 -
Posted by ブクログ
衝撃的なプロローグ、これから読もうとする全貌を示唆してくれる、著者の丹念な取材から得られた証言の数々、読めば読むほど絶望感しかない、可哀想な派遣され犠牲となった二十歳そこそこの少年たち、そして現実を受け入れきれない母たち、悲しすぎる。当時のソ連今のロシア何も基本変わってないのかもしれない。
この作品を語る言葉「透徹」に納得する。
以下に印象的な文を書き残す。
・九年もの間にソ連の製品はまったく進歩しなかった。包帯も然り、副木も然りだ。ソ連の兵士ってのは、いちばん安上がりなんだよ、なんにしても我慢を強いられ、文句も言えない。備品も与えられず、守られもしない、まさに消耗品さ。千九四一年もそうだったし、五十年度たっても変わらない。どうしてなんだ。(曹長)
・人間は戦地で変わるんじゃない、戦争から帰ってきてから変わる。現地で起きたことを見つめていたのと同じ目でここの物事を見つめた時に変わるんだ。現地であの生活を経験すると、伝えようのない感覚が残る。ひとつには死に対する軽視だ、死よりも重要な何かがあって、、、(狙撃兵)
・戦場では感情を殺す、冷静な頭脳、計算、銃こそが生命線だ、銃は体と一体化する、もう一本の腕みたいに(小隊長)
・これは俺たちが来るつもりだった戦争とは別物だと(大尉)
・すべては無駄だった(少佐)
・政治的過失だった、あの戦争は「ブレジネフの愚策」であり「犯罪」だった。この世界にうまく戻ってこれない、生きる事が、ただ生活を続ける事がここでは息苦しい(少佐)
・イスラム教は文明を前にして揺るぎなく強固だった。、、でも俺たちは祖国に対して潔白だ(歩兵)
・私たちは騙されたのだと気づき始めたのはまだ現地にいたところでした。悔しいのは、、まるで私たちが存在しなかったかのように消し去られてしまったことです、臼で碾かれたみたいに。もっとも不幸なことは、過去を差し押さえられてしまった(補助員)
・おふくろ、アフガニスタンってのはさ、俺たちがどうこうできるような場所じゃないんだ、あんなところは嫌だ行きたくない!俺は血にまみれてる、この手で人を殺したんだ、戦場から抜け出せない、俺は血まみれだ、なぁ戦死するのと生き残るのとどっちがいいんだろう、わからなくなっちまった、、(士官)
・今や世間は闇取引やマフィアに溢れ、みんなが無関心で、俺たちはまともな仕事には就かせてもらえない(軍曹)
・私たちは子供を亡くしたのに、彼女(著者)は名声を手にしているんです、、
・誰もソ連に来てほしいなんて思っていなかった、アフガンの人々にソ連の支援なんていらなかった、私たちは占領者だった。
・ベラルーシ共和国は共産主義国家の崩壊した後の世界においても共産主義の特別保護区であり続けるという悪評をもたらす、、、
・あの本にはアフガン戦争を企んだ大馬鹿どもによって犠牲なさせられた少年たちに対する愛がほとんど感じられない事だ。