奈倉有里のレビュー一覧
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自身のロシアの大学で文学を勉強した経験を書いた『夕暮れに夜明けの歌を』著者の名倉有里さんと、『同志少女よ、敵を撃て』の逢坂冬馬さんの姉弟対談。
彼らが姉弟だと知らずにそれぞれの著作に触れて感銘を受けた身としては、この2人の対談が読めるのはとても楽しみであったし、実際付箋を貼りながら夢中で読んだ。
2人の幼少期や家族の話、そして文学について、戦争や平和について語られる言葉はどれも深く、考えさせられた。
「本を読むことが、風を吹かせることにつながる」
「(本を読むことは)必ず世界が拡張する」
「どんな言葉を拾っていったら平和につながるんだろう」
言葉と文学と平和について、言語化している2 -
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読み終わるのが惜しいくらい久々の大ヒット。
「夕暮れに夜明けの歌を」のな奈倉有里と「同志少女よ、敵を撃て」の逢坂冬馬の姉弟が、忌憚のない意見をバンバン吐露してる貴重な対談本。互いに敬語を使うのに、(笑)、内容は忖度なしの言いたい放題で溜飲が下がること下がること!楽しい読書だった。
どうやったらこんな姉弟が育つのか、「夕暮れ〜」でも登場した両親がやはりキーパーソンのようだ。丁寧に愛情込めて育てられたのですね。理3の4人の子供を育てた佐藤亮子さんもかなり子どもの教育に関わってたけれど、彼女と違って、子どもに学歴よりも教養を身につけさせることにシフトしている姿勢が潔くて清々しい!価値観が真っ当で柔 -
Posted by ブクログ
衝撃的なプロローグ、これから読もうとする全貌を示唆してくれる、著者の丹念な取材から得られた証言の数々、読めば読むほど絶望感しかない、可哀想な派遣され犠牲となった二十歳そこそこの少年たち、そして現実を受け入れきれない母たち、悲しすぎる。当時のソ連今のロシア何も基本変わってないのかもしれない。
この作品を語る言葉「透徹」に納得する。
以下に印象的な文を書き残す。
・九年もの間にソ連の製品はまったく進歩しなかった。包帯も然り、副木も然りだ。ソ連の兵士ってのは、いちばん安上がりなんだよ、なんにしても我慢を強いられ、文句も言えない。備品も与えられず、守られもしない、まさに消耗品さ。千九四一年もそうだった -
Posted by ブクログ
偉大で強大なロシア帝国の実現のために共産主義を利用したので、ソ連という国はこんなに不合理で歪んでいるのか?
ロシア・ウクライナ戦争がはじまってからロシアに関する本を続けて読んでいる。まるでロシアではソ連が今も続いているみたいだ。一時期はロシアでも民主主義が力を持ちつつあると、思えた時期もあったと思ったけど…
プーチンによる歴史修正によってソ連が復活してしまうのか?そんなことにはなってほしくない。
演習へ行くと言われて、戦争へ連れていかれた若い兵士たちの声がロシア・ウクライナ戦争がはじまった当初は多く聞かれた。
アフガニスタンへ兵士を派遣するときも、ソ連は開拓地へ行くようにと飛行機に乗せて、ア -
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ウクライナ人の作者(ロシア語話者)が、勃発したウクライナ戦争とそれをうけての避難の様子を、鉛筆一本で書き記した日記です。
「読み物」として整理されているわけではなく、事実を切り抜いた簡潔な文章と、ラフなスケッチで描かれる避難生活の日々が、戦争という大きな流れに翻弄されるリアリティを強調しています。
「非日常」が「日常」になってゆく様子、悲しみや不安を抱えながらも新しい生活に順応していく子供たちの様子を見ると、(少なくとも兵士たちや巻き込まれた市民たちは決して望んでいなかったのに)戦争が起きた、という事態の異常さに胸が痛みます。
日本が戦争を経験してからもうすぐ80年が経過しようとしています -
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「戦争は女の顔をしていない」の著者であるスヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチ氏の著書『亜鉛の少年たち』を読みました。
1979年から1989年までの約9年間行われた、ソ連によるアフガニスタンへの軍事派兵。
この本は、アフガン侵攻に派兵されて帰還した兵士や看護師、そして彼・彼女らを送り出した母親たちの証言をもとにした「ドキュメンタリー小説」でした。
前線に送られ戦死した10代の少年たちの遺体は、密閉されて遺族も開けることが許されない「亜鉛の棺」に入れられて戻ってきたという。
そして、帰還することができた少年たちは、戦場での生活で心が凍りついてしまい、まるで金属のようになっていることがある、 -
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本が登場するという話しが伝わって、興味を覚えていたが、出回り始めたことを知って入手した。入手して眼を通してみて善かったと思う。
「鉛筆1本で描いたウクライナのある家族の日々」と題名に在るが、戦禍の中で手近にスケッチブックやノートや鉛筆を持っていて、そこに描いた画と、綴った然程長くない言葉を折り重ねたという本である。
イラストレーター、絵本作家という活動を続けている著者であるが、“侵攻”の勃発でその身を案じていた人達が国外にも在り、韓国の出版関係の方がインスタグラムに出た鉛筆の画を見て接触し、ウクライナで事態が起こってから国外へ出る迄の様子を本にすることになったのだそうだ。日本を含む各国では、そ -
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奈倉さんの訳という事で触れた当作。思った以上の素晴らしい内容、展開、心が打たれた。
読みながらも胸のビブラードがふるえ、サーシャの心中、タチヤーナの本懐がすれ違う様で、クロスして行くプロセスに、笑えない現実の重さを感じさせられた。
彼女が経験してきた人生航路の壮絶さは語りの軽やかさと反比例して居るだけに、圧倒されんばかりの熱が地中で迸っている・・静かなるマグマの様に。
ただでさえ「鉄のカーテン」が惹かれたソ連、外務省、翻訳という業務・・・そして捕虜名簿。
フィリペンコという冷たく熱い才能の作家を知れたことは幸い~「理不尽ゲーム」を是非読みたいと思った。
この数年、ロシアは遠くて未知の国と -
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1970年代末から80年代末にかけて行われたアフガニスタン侵攻の関係者たちによる証言集。奇妙なタイトルは戦死者たちが亜鉛で密封された棺に入れられて帰ってきたのにちなんでいる(密封されているから遺族は遺体と対面できなかった)。この戦争は当初政府が宣伝していたような国際友好では全然なく侵略戦争だった。犠牲者たちは各々にとっての真実を語る。戦闘中の悲惨な体験、息子や娘を亡くした悲しみ、帰国後の偏見への怒り、徒労感、虚無感。ある者はアフガニスタンを忘れたいと言い、ある者は戻りたいという。多種多様な声、声、声。読みながら何度も戦慄し、何度も同情の涙が出た。この部分だけでも優れたドキュメントだが、補足資料
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アフガニスタンから帰還した者たちが語る、現地で遭遇した女性たちのエピソードがいずれも衝撃的なので記しておく。
バグラム近郊で……集落によって、なにか食べさせてほしいと頼んだ。現地では、もしお腹を空かせた人が家に来たら、温かいナンをごちそうしなきゃいけないっていう風習がある。女たちは食卓に案内し、食べ物を出してくれた。でも俺たちが家を去ると、その女たちは子供もろとも村人たちに石や棒を投げつけられ、殺されてしまった。殺されるのをわかっていたのに、俺たちを追い払わなかったんだ。それなのに俺たちは自分たちの習慣を押し通して……帽子も取らずにモスクに入ったりしてた……。(p.67)
初めての手術の患 -
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ネタバレアルツハイマーを患っている91歳のタチヤーナの第二次世界大戦前後の話を、妻を失って越してきた30歳の青年サーシャが聞く話。
後書きで訳者が述べる通り、象徴の使い方や歌謡・赤十字の交信資料の引用が巧みで、ゆっくり読み解いたらもっといろんなものが見えると思う。
赤い十字は、タチヤーナがソ連外務省で翻訳してタイプしていた赤十字とのやりとりであり、タチヤーナの娘アーシャの埋葬地にタチヤーナが立てた錆びた鉄パイプの十字架であり、タチヤーナの出身地ロンドン・友人パーシカの出身地ジェノヴァの印でもあり、タチヤーナが埋葬され「安らかに眠らせてください」と刻まれた御影石の墓石でもある。人間ではどうしようもない苦