【感想・ネタバレ】亜鉛の少年たち アフガン帰還兵の証言 増補版のレビュー

あらすじ

「国際友好の義務を果たす」という政府の方針でアフガニスタンへ送り出されたソ連の若者たち.やがて彼らは一人,また一人と,亜鉛の棺に納められ,人知れず家族のもとへ帰ってきた…….作家がみずからの目と耳で体験し書き留めた同時代の戦争の記録.作品発表後に巻き起こった裁判の顚末など大幅に増補した,最新の版に基づく新訳.

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Posted by ブクログ

偉大で強大なロシア帝国の実現のために共産主義を利用したので、ソ連という国はこんなに不合理で歪んでいるのか?
ロシア・ウクライナ戦争がはじまってからロシアに関する本を続けて読んでいる。まるでロシアではソ連が今も続いているみたいだ。一時期はロシアでも民主主義が力を持ちつつあると、思えた時期もあったと思ったけど…
プーチンによる歴史修正によってソ連が復活してしまうのか?そんなことにはなってほしくない。

演習へ行くと言われて、戦争へ連れていかれた若い兵士たちの声がロシア・ウクライナ戦争がはじまった当初は多く聞かれた。
アフガニスタンへ兵士を派遣するときも、ソ連は開拓地へ行くようにと飛行機に乗せて、アフガニスタンへ連れていくということをしていたようだ。

「大騒ぎになった。恐怖とパニックでみんな動物みたいになって――妙におとなしくなったり、猛り狂ったりしてる。悔し涙を流す奴、硬直する奴、信じがたく卑怯な手で騙されて錯乱する奴。だからウォッカなんか持ってきやがったんだ。俺たちをなるべく簡単に、楽に丸め込むために。ウォッカを飲んで頭に酔いが回ると、逃げ出そうとする奴らや、将校に喧嘩をふっかける奴らも出てきた。でも陣営は自動小銃を持った兵士たちに包囲されていて、そいつらがみんなを飛行機のほうにじりじりと追いつめていく。そうしてまるで荷箱を放り込むみたいに、俺たちは空っぽの鉄機体の腹に詰め込まれた。
そんなふうにして俺たちはアフガニスタンに行ったんだ……。」p.53

「帰る前には政治将校たちに、帰還後に話してもいいことといけないことを教え込まれた。戦死した者について語ってはいけない、我々は強大な軍隊なのだから。新兵いじめについても広めてはいけない、我々は強大で模範的な軍隊なのだから。写真は破り捨てること。フィルムも破棄すること。ここで我々は銃撃戦もしていなければ、砲撃も毒殺も爆破もしていない。我々は強大で世界最良の軍隊である……。」p.87

そして帰ってくると、祖国は戦争に行く前の祖国では無くなっていた。正義と言われていた戦争は恥ずべき愚行となり、国の命令に従った兵士たちは人を殺すことしかできない怪物扱いで置き去りにされた。

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2023年03月31日

Posted by ブクログ

兵士となり、戦闘に加わり、帰還した少年たちの叫び声
わたしたちは、彼らを目の前にした時、どういう言葉をかけられるのだろう
私にはわからない

こういうときだからこそ
no more war

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2024年09月06日

Posted by ブクログ

作者は、作中の元兵士や母親などに寄り添おうとしていると思う。
アフガニスタンの元兵士や母親たちの話を同様にまとめる必要があるだろう。

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2024年07月15日

Posted by ブクログ

社会人になってから、近くに置いておきたい本の1つ。

アフガンってこんなに悲惨やったんやというのと、よくもこれを出版したなというのが率直な感想。重い内容なのは間違いないのに、どんどんと引き込まれる。情景が鮮やかに浮かび情が湧きながらも、どこかでそれを冷静に落とし込みながら、アフガン帰還兵の証言と裁判に触れることができた。「戦争は女の顔をしていない」とはまた別の衝撃で、これは、本当に今のロシアがやっていることと見事に重なる。アレクシェーヴィチのようなインタビュアー・伝え手になりたい。自分の原点を思い出したような気持ちにもなって。さて、がんばるか。

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2023年11月30日

Posted by ブクログ

衝撃的なプロローグ、これから読もうとする全貌を示唆してくれる、著者の丹念な取材から得られた証言の数々、読めば読むほど絶望感しかない、可哀想な派遣され犠牲となった二十歳そこそこの少年たち、そして現実を受け入れきれない母たち、悲しすぎる。当時のソ連今のロシア何も基本変わってないのかもしれない。
この作品を語る言葉「透徹」に納得する。
以下に印象的な文を書き残す。
・九年もの間にソ連の製品はまったく進歩しなかった。包帯も然り、副木も然りだ。ソ連の兵士ってのは、いちばん安上がりなんだよ、なんにしても我慢を強いられ、文句も言えない。備品も与えられず、守られもしない、まさに消耗品さ。千九四一年もそうだったし、五十年度たっても変わらない。どうしてなんだ。(曹長)
・人間は戦地で変わるんじゃない、戦争から帰ってきてから変わる。現地で起きたことを見つめていたのと同じ目でここの物事を見つめた時に変わるんだ。現地であの生活を経験すると、伝えようのない感覚が残る。ひとつには死に対する軽視だ、死よりも重要な何かがあって、、、(狙撃兵)
・戦場では感情を殺す、冷静な頭脳、計算、銃こそが生命線だ、銃は体と一体化する、もう一本の腕みたいに(小隊長)
・これは俺たちが来るつもりだった戦争とは別物だと(大尉)
・すべては無駄だった(少佐)
・政治的過失だった、あの戦争は「ブレジネフの愚策」であり「犯罪」だった。この世界にうまく戻ってこれない、生きる事が、ただ生活を続ける事がここでは息苦しい(少佐)
・イスラム教は文明を前にして揺るぎなく強固だった。、、でも俺たちは祖国に対して潔白だ(歩兵)
・私たちは騙されたのだと気づき始めたのはまだ現地にいたところでした。悔しいのは、、まるで私たちが存在しなかったかのように消し去られてしまったことです、臼で碾かれたみたいに。もっとも不幸なことは、過去を差し押さえられてしまった(補助員)
・おふくろ、アフガニスタンってのはさ、俺たちがどうこうできるような場所じゃないんだ、あんなところは嫌だ行きたくない!俺は血にまみれてる、この手で人を殺したんだ、戦場から抜け出せない、俺は血まみれだ、なぁ戦死するのと生き残るのとどっちがいいんだろう、わからなくなっちまった、、(士官)
・今や世間は闇取引やマフィアに溢れ、みんなが無関心で、俺たちはまともな仕事には就かせてもらえない(軍曹)
・私たちは子供を亡くしたのに、彼女(著者)は名声を手にしているんです、、
・誰もソ連に来てほしいなんて思っていなかった、アフガンの人々にソ連の支援なんていらなかった、私たちは占領者だった。
・ベラルーシ共和国は共産主義国家の崩壊した後の世界においても共産主義の特別保護区であり続けるという悪評をもたらす、、、
・あの本にはアフガン戦争を企んだ大馬鹿どもによって犠牲なさせられた少年たちに対する愛がほとんど感じられない事だ。

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2023年07月11日

Posted by ブクログ

「戦争は女の顔をしていない」の著者であるスヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチ氏の著書『亜鉛の少年たち』を読みました。

1979年から1989年までの約9年間行われた、ソ連によるアフガニスタンへの軍事派兵。

この本は、アフガン侵攻に派兵されて帰還した兵士や看護師、そして彼・彼女らを送り出した母親たちの証言をもとにした「ドキュメンタリー小説」でした。

前線に送られ戦死した10代の少年たちの遺体は、密閉されて遺族も開けることが許されない「亜鉛の棺」に入れられて戻ってきたという。
そして、帰還することができた少年たちは、戦場での生活で心が凍りついてしまい、まるで金属のようになっていることがある、という意味も題名に含まれているのだとか。

「戦争は女の顔をしていない」と同様に、帰還兵や戦死した兵士の母親へのインタビューを淡々と並べたもの。リアルで生々しい戦場での出来事や、帰還してからの生きづらさや、息子を失った悲しみ、怒り、それらを、証言者の言葉として並べていく。

「戦争は女の顔をしていない」(第二次世界大戦中のドイツ侵攻から祖国を守った「大祖国戦争」の記録)と違っているのは、アフガニスタンへの派兵が、のちに国際社会から「政治的過失」と呼ばれる派兵であったこと。祖国を守るのではなく、他国に侵攻するものであったこと。

そして、もう1つの違いは、この書籍が、出版後に一部の証言者たちから訴えられ、裁判となったこと。

私が読んだ版(原書が2013年に出版されたもの?)には、その裁判記録が追加されていました。

アフガニスタン派兵が「国際友好の戦士」「アフガニスタンの地で道路や橋を建設し、人々から感謝されている」というふれ込み(刷り込み?)で戦地に送られ、そこでアフガンのパルチザンたちとの血生臭い戦闘を経験し、軍の中での新人いびりや差別があり、時には人道的ではない行動を強制され、戦死すれば亜鉛の棺に入れられて(遺体が入れられているとは限らないけど)、家族のもとに返される。「国際友好」とは名ばかりで、国際社会から「政治的過失」と見られる軍事行動であったことで、全てをなかったこととして処理される……。

祖国(ソ連)に「騙される」形で国際的犯罪に加担させられてしまった末端の兵士たち。著者のアレクシエーヴィッチ氏は、信頼関係を築いたうえで証言をしてもらい、それを文章にしたはずなのに、ソ連崩壊後に独立したベラルーシにおいて、何人かの証言者から裁判が起こされた。アフガン侵攻という記録があってはならないと考えた黒幕が証言者たちを、また「騙して」裁判を起こさせたのかも…。


兵士たち、母親たちの証言を読むのは辛いものでした。
きっと実生活では普通の感覚を持っていた少年が、過酷な生死を分ける戦場で感覚を失っていく。普段ならしない犯罪的行為もおこなってしまう。むしろ、犯罪的行為を「みんなで」行わなければ、その集団の仲間と認められないような状況。

これを読んでいる2022年。ロシアがウクライナに侵攻している。ロシア軍の去った後の村での惨状や、一般人や一般人に影響を与えるインフラを狙ったミサイル攻撃の報道が日々更新されている。多分、「亜鉛の少年たち」の中の少年たちのように、祖国に「騙されて」派兵され(私たちの感覚では)犯罪、と呼べる行為をしてしまう。

「俺はごく普通のソ連の若者だった。祖国は俺たちを裏切らない、祖国が俺たちを騙すわけがない!と思っていた。」



大義がどこにあるのか、政治的な駆け引きとして何が許されるのか、一般人の私には線引きはよくわからないけれど、「戦争」とか「侵攻」とか、そんな判断をすること自体が犯罪なのだと思う。一般の私たちは、この本を読めば、戦争、というものを起こしてはいけないんのだと気が付く。けれど、どこかの国とかどこかの国とかどこかの国とかのトップは、この本を読んでも何も感じないんだろう。

どこかの国のトップには、見えているものが違うんだろう。

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2022年11月27日

Posted by ブクログ

今、このタイミングで読んで良かった。新訳で付け加えられた裁判の記録が、戦争の真の悲劇をさらにえぐるように訴えてくる。

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2022年09月27日

Posted by ブクログ

1970年代末から80年代末にかけて行われたアフガニスタン侵攻の関係者たちによる証言集。奇妙なタイトルは戦死者たちが亜鉛で密封された棺に入れられて帰ってきたのにちなんでいる(密封されているから遺族は遺体と対面できなかった)。この戦争は当初政府が宣伝していたような国際友好では全然なく侵略戦争だった。犠牲者たちは各々にとっての真実を語る。戦闘中の悲惨な体験、息子や娘を亡くした悲しみ、帰国後の偏見への怒り、徒労感、虚無感。ある者はアフガニスタンを忘れたいと言い、ある者は戻りたいという。多種多様な声、声、声。読みながら何度も戦慄し、何度も同情の涙が出た。この部分だけでも優れたドキュメントだが、補足資料の裁判記録が文学者への政治的圧力、昔も今も権力者によって搾取される弱者、作家の社会的意義などを問う内容で、ドキュメンタリー文学の枠を超えた多義的な作品になっている。ロシアによるウクライナ侵攻が続く今、この証言者たちの声はどこに消えてしまったのだろう。

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2022年08月23日

Posted by ブクログ

アフガニスタンから帰還した者たちが語る、現地で遭遇した女性たちのエピソードがいずれも衝撃的なので記しておく。

バグラム近郊で……集落によって、なにか食べさせてほしいと頼んだ。現地では、もしお腹を空かせた人が家に来たら、温かいナンをごちそうしなきゃいけないっていう風習がある。女たちは食卓に案内し、食べ物を出してくれた。でも俺たちが家を去ると、その女たちは子供もろとも村人たちに石や棒を投げつけられ、殺されてしまった。殺されるのをわかっていたのに、俺たちを追い払わなかったんだ。それなのに俺たちは自分たちの習慣を押し通して……帽子も取らずにモスクに入ったりしてた……。(p.67)

初めての手術の患者はアフガン人のおばあさんで、鎖骨下の動脈の負傷でした。でも医療用鉗子が見当たらない。足りてないんです。仕方ないから指でつまみました。それから縫合材を探して……絹糸を一巻き、二巻きと手にとったけど、どちらもぼろぼろに崩れてしまって。どうやら昔の、一九四一年の戦争のときからずっと倉庫にあったものだったみたい。
それでもその手術は成功したんです。夕方、外科医と一緒に病室を見にいきました。具合がどうなっているか知りたくて。おばあさんは目を開けたまま横になっていて、私たちを見ると……唇を動かして……きっと、なにか言いたいのだと思いました。お礼を言いたいのだろうと。でもそうじゃなく、私たちに唾を吐きかけようとしていたんです……。そのときはまだ、彼女に私たちを憎む道理があるなんて知らなくで。なぜだか愛されるはずだと思っていました。だから唖然として立ち尽くして──助けてあげたのに、この人はいったい、って……。
  …………………………………………
考えてみれば……自分に訊きたいんだけど……どうして私は恐ろしいことばかり思い出すのかしら。友情も信頼もあったし、勇敢な行為もあったはずなのに。もしかして、あのアフガンのおばあさんが気になるせい? わからなくなるの。治療をしてあげた私たちに、唾を吐きかけようとした。あとになって知ったんだけど……あのおばあさんはソ連の特殊部隊(スペツナズ)に襲撃された集落から連れてこられたんです……。おばあさん以外は全員亡くなった。集落全体でたった一人の生き残りだった。でもその前に、その集落からの攻撃を受けてソ連のヘリが二機、撃墜されていて。焼け焦げた操縦士たちは熊手(フォーク)で刺されて……。だけどそれよりももっと前、最初の最初には……。でも私たちは、そんなに深くは考えなかった。どちらが先で、どちらが後かなんて。ただ味方を憐れむだけでした……。(p.244, 246)

「待て! みんな動くな!」少尉はそう呼びかけて、川辺にある小汚い包みを指さした。「地雷か?!」
先に立って進んでいた工兵が「地雷」の疑いのある包みを持ちあげようとすると、包みが泣き声をあげた。赤ん坊だったんだ。アフガンめ、恨んでやる!
どうしたらいいかって話になった。置いていくか、連れていくか。誰に言われたわけでもなく、少尉が自ら送る役を買ってでた──
「置いていくわけにはいかないな。飢え死にしてしまう。私が集落に連れていこう、近いし」
俺たちは一時間その場で待っていたが、集落へは車で二十分ほどで行って帰ってこれるはずだった。
少尉と運転手は……砂の上に倒れていた。集落の中で……。女たちに鍬で殺されたんだと……。(p.278)

幸運にも五体満足の状態で帰還した三人の証言者たちは、一様に現在の日常生活への適応不全を訴えている。
別の証言者の中には、機会があれば再度アフガニスタンへの派遣を望んでいる者さえある。行きたいから行くのではない。薄皮のように淡い約束事の重なりからなる日常に、一度戦場を経験した精神が堪え得なくなっていて、一刻も早くそこから逃れたがっているようなのだ。

考えてみれば、現地で人を殺すこともなく、一人の戦死者も出すことのなかったイラクに派遣された自衛隊員たちの何人かが、本国に戻ってから自殺したことが思い起こされる。その率は、異様な高さである。
日米同盟を盾にして派遣を決めた為政者は、国会での追及に窮して、自衛隊の行くところが安全地帯だと言い募った。
後にジャーナリストの布施祐仁による情報公開請求によって一部明らかになった当時の日報によれば、彼らの宿営地近くにも着弾があった、文字通りの「戦闘地域」だった。
証言者や、ほかならぬ本書の訳者のように、「ふざけるな!」といいたくなるのは私だけだろうか。「『安全地帯』というなら、お前のバカ息子をこの『セクシー』な場所に行かせて、一日体験させてはいかがか」と。

著者アレクシエーヴィチは、本書初版の出版により、証言者の何人かから精神的な損害賠償を求められ、あるいは名誉毀損で訴えられる。
本書のどこをどう読んでも、著者が帰還者たちを殺人者として非難したり、遺族たちを、身内を戦場に送り出した共犯者とみなしたりしている個所はない。
著者が直接言及しているわけではないが、年端もいかぬ彼らを戦場に送ったブレジネフからゴルバチョフに至る為政者たちへの、静かな怒りが嫌でも伝わってくる。

二代目の訳者奈倉有里の解説も、短いながら胸を打つ。

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2022年08月21日

Posted by ブクログ

プラトンが指摘する「高貴な嘘」。パウロが伝える「働かざるもの食うべからず」、それを勤労の美徳としたプロテスタンティズム。しかし、そこに転がっているのは強者に吸い尽くされた弱者の死体。本書では、それが亜鉛の棺に入れられてご帰還だ。帰還兵が持ち帰った土産品を奪い取り私物化する、強者としての税関が腹立たしい。

一点、私には判断がつかない。著者は多量なインタビューを基に原書を出版したが、内容に虚偽、創作があると訴えられた。ソ連兵の蛮行には罪が無いとは言わないが、他人に文書化されて客観的に見る自己には嫌悪感があるし僅かな差も気になるだろう。また、本来は忘れたい行為を記録される事で傷口が開く事だって。何より、軍を派遣したのは国家ではないか。薄給で命を使われた上に税関で奪われ、自国で邪険にされ、更に自分たちを売って名声を得た作者がいる。作者の本意ではなかろうとインタビュイーの「許せない」という感情は妥当だろう。

生き延びたものも搾り尽くされ、残された世界は同じ亜鉛の棺の中だった。この世界は、勤労に生きる大衆を棺の中に閉じ込めているのだ。まるでガラスの天井みたいに。戦場で死んでも、仮に生き延びても、日々の暮らしにしても、その中から出られるわけではない。戦場こそ其々に違えど、その囲いは、序列による指定席だ。

さて、ソ連のアフガニスタン侵攻(1979–1989)とアメリカのベトナム戦争(1955–1975)は、いくつかの点でアナロジーが成立する、というのが私の見方。そもそもが、代理戦争である。大国による軍事介入と泥沼化。アメリカもソ連も、冷戦下でイデオロギー的な対立(共産主義 vs. 資本主義・自由主義)の延長として軍事介入を行い、現地のゲリラ戦や長期化する紛争により泥沼化した。また、ベトナムでは、アメリカが南ベトナム政府を支援したが、ベトナム国民の多くは民族的統一を求めており、アメリカは「外国の侵略者」と見なされた。 アフガニスタンでも、ソ連は親ソ派の政権を支援したが、ムジャーヒディーン(イスラム義勇兵)や部族勢力の抵抗を受けた。ベトナムでは、南ベトナム解放民族戦線(ベトコン)が、北ベトナムや中国・ソ連の支援を受けた。アフガニスタンでは、ムジャーヒディーンが、アメリカ・パキスタン・サウジアラビアの支援を受けて戦った。

本書の範囲で言えば、国内世論の悪化というのが軍人の悲劇である。結局、アメリカでは、ベトナム戦争の長期化により国民の反戦運動が高まり、1973年に撤退。ソ連でも、アフガニスタンでの損耗が社会不安を引き起こし、1989年に撤退。

ー 著者スヴェトラーナ・アレクシェーヴィチ氏はかつて「戦争は女の顔をしていない」ことを世に知らしめた作家である。氏の著作『亜鉛の少年たち』は知られざるアフガン戦争についてドキュメンタリー形式で語る中編だが、これを読んで「許せない」という思いを抱いた読者にとっては、いまだにくすぶるアフガニスタンの戦火が、癒えない傷に障るのだろう。アレクシエーヴィチ氏は、アフガン帰還兵および戦死者の妻や母から提供された資料を故意に改変あるいは恣意的な抜粋をした嫌疑とともに、中傷、反愛国主義、名誉毀損の罪で提訴されている。本件が正式な法廷の場に進められるか、あるいは慰謝料の請求などにより裁判(公開裁判)には及ばないかは未だ定かではない。だが、これは警告とみてまず間違いないだろう。

ー ソ連崩壊の前夜に刊行された本書「亜鉛の少年たち」は、スヴェトラーナ・アレクシェーヴィチの著書のなかでもっとも「問題視された」小説である。無理もない。「戦争は女の顔をしていない」で扱った第二次世界大戦に比べても、一九七九年から八九年まで十年間も続いたアフガニスタン戦争はあまりに近いだけではなく、「国際友好」とは名ばかりでソ連側は侵略者であったという事実がじわじわと明らかになった。ついには世界中から厳しく批判されるなかで撤退し、九一年ソ連が崩壊したのである。

勤労とは。本来の意味と異なり、支配者に提供されるものとなった。軍役も然り。ならば本質的には、支配者の責任を問うべきだ。しかし、どこまでを〝巻き込まれた民“とするかは難しい。囲いから撃たれずに這い上がれ。出来はしない。そういう者たちに私刑が向くのは、地獄である。

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2025年02月09日

Posted by ブクログ

 アフガン戦争の真実。ソ連政権の巧みなプロパガンダにより徴兵された少年たちは、亜鉛の棺に入れられて帰還した。母親たちは、その棺を開けることは許されなかった。
 アフガン帰還兵、戦没者の母親たちへの多くのインタビューから、戦場で何が起こっていて、人間はどのように破壊されていくのかが明らかにされる。

 この著書が広く世界中で読まれているのは、アフガン戦争の真実を暴いた、ということよりも、「戦争」「戦場」の持つ普遍的な悍ましさ、戦争へ駆り立てる権力者の欺瞞もまた普遍的であることを暴いたと言うことだろう。どんな戦争も、ベトナム戦争も、今起こっているウクライナでの戦争も、そしてかつての太平洋戦争も、同じであろう。

 今回増補された、この著書を巡る裁判の顛末。権力の恐ろしさを実感する。

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2023年05月04日

Posted by ブクログ

ネタバレ

やはりすごい本だった。裁判の記録も有難い。
今回の戦争で,またこんな話がごろごろ生まれているんだろうなと思うと,気が重いというか本当に辛い。

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2023年02月16日

Posted by ブクログ

モスクワ五輪ボイコット。その原因となった侵攻。無事兵役から帰還した息子が起こす殺人事件。そこから物語は始まる。兵士、看護師、補助員という名目の女性、残された母。数々の証言で浮き彫りにする戦いの実態。何故か訴えられる著者。ドキュメンタリー小説とは?証言の持ち主は証言者その人ではない。それは創作であり事実である。戦争とは?侵略と防御。大義はあっても犠牲は伴う。圧勝、苦戦、敗走。程度の差こそあれ被害は被る。傷つくのは市民、身体だけでなく心も。平和憲法を抱く日本。戦わないはずの国で自分事として考えてみる。

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2023年01月15日

Posted by ブクログ

1979年-1989年のアフガン戦争に派遣され、心と身体に傷を負った帰還兵士(と言っても臨時に徴収された少年が多かったようだ)や、死亡した子どもたちの特に母親から聞き取った内容、見せてもらった日記や手紙などを元にまとめた本である。

傷の覚めやらない内でのものなので、その気持ちや行いに偽りはないだろう。
仲間内でのリンチ、命令に沿わなかった時の仲間への背後からの射撃、上官によるブーツや靴下を舐めさせる等のいじめ、新人工兵に対する地雷突破命令、罪もないアフガニスタン民間人の虐殺、強奪、強姦、これら凡そ人間的ではない日常を紛らわすために、麻薬を吸いウォッカをがぶ飲み、無ければ不凍液に手を出す。
そんな中でも、故郷の母親や恋人の想い出は、唯一人間らしさを取り戻す瞬間なのだろう。

著者のアレクシエーヴィチは戦争中から、実際に聞いた話を集めて本にした。ペレストロイカと共に言論の自由化が進み「亜鉛の少年たち」も新聞に一部掲載され、単行本も大部数で出版されている(日本語では1995年)。
しかし独立して間もないベラルーシで1993年に、証言してくれた人たちにより、6年も経過した後に名誉毀損等で提訴される。この事件の裏には原告ら個人の意思ではなく、明らかに彼らをけしかけた黒幕の存在があった。必要なのは国家と為政者の絶対的権威と権力なのだ。
この裁判の内容も記載されている。

現在進行中のロシアによるウクライナ侵略も同じ文脈だ。ロシア国内の多くは片寄った情報にしか接することが出来ず、プロパガンダを信じている。正義のためだと派遣された兵士も多いだろう。恐らくそこで目前にするのは、40年前の状況の再現だ。
彼らにも責任はあるだろうが、最も罪深い人は権威のトップに立つ人だ。

こうも歴史は繰り返されるのか、なぜこのような人間が出来上がるのかと、暗澹たる気持ちになってしまう。

ちなみに「亜鉛(メッキされた鋼板)」は、長時間を要する死体の保存と輸送性を考えて、棺の素材として使用されたようだ。完全に密閉され、故郷に帰っても家族すら開けることが許されなかった。
証言を見ると分かる。身体として見分けがつくようであればましな方で、肉片や崩れ、欠損した身体や頭部等を見ると、家族の反感はどれほどのものになるか、それを見越してのことだ。

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2022年12月12日

Posted by ブクログ

WW2のソ連軍の女性兵士のドキュメント書いた人がアフガニスタンでのソ連兵士にインタビューした本。インパールまではいかないけど凄まじく劣悪な状況。今のウクライナもこんな感じなのかしら。

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2022年10月06日

Posted by ブクログ

内容は貴重なもので、ここまでのリサーチは大変だったろうと思う。ただ、当然のことながら原書を読まずに言うのだが、すこし翻訳が読みづらかった。三点リーダの多用は、もうすこし控えられたのでは…。

そのせいというわけではないが、内容も相まって読んでて息苦しさを覚える。時折、著者はインタビュー相手から責められるのだが、その程度の混乱や攻撃性が芽生える程度なら充分ましに思える。

現在進行形のウクライナ侵攻と結びつくかどうかはわからないが、戦争について、ニュースで見るだけでは伝わらない部分も多いと思う。だからといって文字でなら伝わるというわけでもないだろうが、まだましだろう。

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2023年07月07日

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