スヴェトラーナ・アレクシエーヴィチのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
二巻は真実を語るということの難しさに触れている。
一巻にも増して読み応えあり。
殊に
ニーナがインタビューで語ったことを否定した手紙を送ってきたくだり。
体験した抱えきれない出来事は、そのままの形で伝えられるわけではないということ。
「心の奥底で追いやられているその人の真実と現代の時代の精神の染みついた新聞の匂いのする他人の真実
第一の真実は二つ目の圧力に耐えきれない
話を聞く時に彼女のほかに身内や知り合い
ことに男性が居合わせると真心からの打ち解けた話が少なくなる
それはもう聞き手を意識した話になり
始終内側の堅い守りに突き当たったセルフコントロールに
しょっちゅう訂正しようとする
聞き手が多いほど話は無味乾燥で消毒済みになっていった
かくあるべしという話になった」 -
購入済み
戦場の外や戦後の苦しみもある
女性が戦場で大変な環境で戦ったという話だけでなく、戦場から日常に戻ってからの差別だったり、戦後何年も続くPTSDであったりとおそらくは正式な戦史には記録されていないことが生々しく描かれている。女性が多く戦場に出ていった特殊環境の話と、戦争そのものがいかに人間を壊すかの二つの側面で読んでいてつらい。
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購入済み
イデオロギー面での描写
一巻よりも戦場の描写が少なかったのか、全般的にイデオロギーを信じる人民としての生き方と、生活者としてのいわゆる普通の暮らしを望む生き方の対比が印象に残った。インタビューではおそらくは本音に近い生の声が聞けたはずなのに、著者が文字にした原稿に対しては話をした本人から人間味のあるエピソードを削除されてしまったのが印象的。
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購入済み
生々しく圧倒される
監修者の後書きにあるように、元のインタビューの一言を漫画に落としこむにあたって想像で絵にする部分も多かったのだろう。余白をある程度埋めてくれた漫画でも、展開の飛び方などで若干分かりにくいところもある。ただそれもインタビューされた人たちの生の声を紡いでいるからこその分かりにくさなのだろう。女性射撃手のことはこの本を読む前から聞いたことはあったが、それ以外の役割を担った女性たちの戦争の話も当時の戦争や女性の関わりを知る上で興味深い。下着や生理の話などは戦闘行為そのものではないが、戦争という異常事態に急遽女性が放り込まれたことによる当時のリアルを示す生々しい逸話だと思う。
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Posted by ブクログ
ロシアのウクライナ侵攻を機に、なぜか読みたくなった ※エピソードからのセリフ引用あり
一ヶ月前に、ロシアのウクライナ侵攻が始まった。
ロシアやソビエトの歴史をまったく知らず、何がどうしてこんなことになってしまったのか。それを知るために何か参考になる本はないものかと色々探した。
この本は私の希望に沿ったものではなかったけれども、どうしても目が話せなかった。読まないといけない気がした。
読んでいて、広島の平和記念公園を訪れた時と同じ気持ちを感じた。目を背けたくなるような戦時の話。狙撃手、機関士、医師、洗濯係など、あらゆるところに女性がいた。戦っている女性がいて、待っている女性がいて、戦争が終わったら隠そうとする女性がいて、まだ戦争は終わってないのだと思った。
「戦争が終わるまで生き延びられたら、戦争のあとの人々はどんなに幸せな人たちだろう!どんなにすばらしい生活が始まるんだろう!」と思っていた方のエピソードを読んで、まだ一つ戦争が始まったことがとても悔しくなった。 -
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ウクライナに生まれベラルーシで弾圧を受けながらも、国家の影に隠された人々に取材し、その生の声を届けるジャーナリスト スヴェトラーナ・アレクシエーヴィッチ。
ウクライナにあり、1986年4月26日に事故を起こし、隣国のベラルーシに深刻な放射能被害を及ぼしたチェルノブイリ原発事故。このチェルノブイリ原発事故の事故処理にあたった人々はソビエトにおいては国家の英雄として扱われたが、その事故の被害の真実は長く隠匿され、ベラルーシにおいてもそれは同じだった。
アレクシエーヴィッチはこのチェルノブイリの事故の処理にあたった人々、その事故処理による被曝で亡くなった人々の遺族、この事故のために住む村を追われた人々、事故後に重い障害や病を得て苦しむ子どもたちなど、様々な人々に取材し、国家が隠していた人々の苦しみ、悲しみをその人たちの言葉によって語らせる。
本を買ってからなかなか手がつかず、やっと読み始めたら、ロシアがウクライナに侵攻し、ベラルーシはロシア側に協力している。
チェルノブイリほかの原発についてもロシア軍が制圧していると聞く。戦争の中で、戦火による被害だけでなく、チェルノブイリの原子炉を覆うドームが破壊されて、放射能の被害が再度起きることがないように祈るばかりだ。
アレクシエーヴィッチはこの事態をどのように見ているのだろうか。
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Posted by ブクログ
第二巻。描かれる、彼女たちから語られる戦禍の惨状は、ますますの苛烈さを増したように感じた。多分読んで知ったことのエピソードが私の中に降り積もっているのだと思う。
長らく文通を続けていたというニーナさんに、インタビュー記事をまとめた原稿を送ったところ、訂正で埋め尽くされて戻ってきたという話が心に突き刺さる。
どうしても戦いたくて潜り込んだ本部で、軍服を貰えないからと合切袋をほどいてスカートにして穿いたこと、上官の冗談に騙されたり、大尉の名前を忘れておじさんと呼んでしまったり、"乙女の心は燃えている"と詩に書くような恋があったり。
お茶を飲みながら、親しく打ち解けて語ってくれたかけがえのない証言を記録したはずだった。
けれどニーナの言葉は今や、「私は息子にとって英雄です。神さまです。こんなのを読んだ後であの子がどう思うか」。
それを受けて「心の奥底に追いやられているそのひとの真実と、現代の時代の精神の染みついた、新聞の匂いのする他人の真実が。第一の真実は二つ目の圧力に耐えきれない」とアレクシエーヴィチは述べる。平和な場所で生きる蒙昧な私に言えるのは、でも決して新聞が読みたいのではないんだ、ということだけだ。 -
Posted by ブクログ
「戦争は女の顔をしていない」2巻。
ニーナ・ヤーコヴレブナ・ヴィシネフスカヤの第十一話が最も印象深いか。
取材後に届いた手紙で、語った内容を否定する言葉が綴られていたこと。
大祖国戦争に勝利した英雄と、戦争に参加した一兵士としての乖離。自分の心を殺して戦ってきた日々が終わり、戦後の日常に戻ってきても、自分自身の言葉で語ることができないというのは、心が休まる日がないのではないかと思う。
ニーナが語ったエピソードが、日常の冗談に溢れているので、余計にそう感じてしまいます。一方で、生き死にの境をくぐり抜けてきたエピソードもあり、彼女の日常と非日常の違いはどこにあったのだろう。
「でもあたしはここで生きているんじゃない。あたしは戦争の中で生きているの」
そこにいることを望んでいるのではなく、いることを強制させられている諦めの呟きに思えますが、仲間たちの記憶を失ってしまうことへの抵抗にも思えます。
後者の方が真実だと感じるのは、贔屓目に見ているからかもしれない。戦争が終わっても、宣伝のために使われているということへの反感が、自分は感じたから。
わからない。
きっと、ニーナ自身も確たるものがないのではないか。英雄として語ることを望まれてしまった自分と、一兵士として覚えておきたいことがある自分という二つに。
わからないから、記憶し続け、記録に残してほしいと思ったのではないだろうか。
語っている本人がわからないであろうことを、読み手がわかった気になるのもおかしなことで。帯コメントの螺旋人さんの「理解するためのものではありません。理解していないことを知るための本です」という言葉は忘れてはいけない。
たぶん、何かを理解したと思うことは、思考を止めてしまうことで、理解し続けることが、大事なのだと思います。 -
Posted by ブクログ
冒頭がちょっと衝撃的。
‘わたしたちは勝利の申し子 勝利国の子供たちなのだから’(p.4)
学校の図書室の本は半数が戦争についてだったという。
その内容は言及されていないが、おそらく、勇猛果敢に戦った男性兵士たちの勇姿と、勝ったという“正義”と“それ故の”共産主義の正当性を讃えるものだと想像する。
それは、このコミック原作の出版交渉での出版社側からの意見から想像に容易い。
「悲惨すぎる……生々しすぎる……」
「共産党が指導的にリーダーシップを見せている部分はどこにあるんだ?」
「『あの戦争』ではない!」
日本の戦争に関する児童書は、市民の目線も前線兵士に共通する、戦時中の物資不足とそこからくる惨めさを吐露するものが多く、故に「戦争はいけない」と締めくくる(敗戦したことよりも。国力差から敗戦は必然だったけど)。
戦勝国と敗戦国の教育現場でのの視点の違いにも、目を向けるものがある。
前巻に引き続き、女性の視点でのエピソードが描かれるが、前巻と違い、“女性らしさ”を前面に押し出したものとはまた異なる。戦場の女たちは、やはり兵士でもあった。そして戦争の生々しさを名誉欲とは違う視点から赤裸々に語る。
スターリン批判をした同僚をスパイと思ったり、
「私が覚えているのは自分に起こったことだけ。私の戦争」
と、大局的な戦争の話ではなく、これは個人的な、前線の一兵士の主観であることを断りつつ、
「誰かを殺しに行くなんて想像もできなかった」
「ただ前線に行きたい それだけ」
と、当時の雰囲気を今に伝える。復讐や憤怒からの熱気を感じた。
そして前線で人をはじめて狙撃 殺した恐怖…そして同僚女性兵士の言葉。
「奴らに同情しちゃだめよ 憎むの」
でもなかなかそういうことに慣れなかった…と吐露する。
沢山の女性たち、沢山の視点、意見に触れ、原作者は全ての人たちを記録するのは不可能だと理解したと語る。
取材の道中の列車での男性たちの話。
公式記録には残されていないが、勇敢な女の子たちがいた、と……
階級や人の名前が覚えられず、おじさんとかハンサムな人とそうでないほうという覚え方でそのまま報告して呆れられてるエピソードにクスッとされてしまう。