あらすじ
500人以上の従軍女性を取材し、その内容から出版を拒否され続けた、ノーベル文学賞受賞作家の主著。『狼と香辛料』小梅けいとによるコミカライズ、第2巻が登場。
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1巻同様に、可愛い絵柄にカモフラージュされてはいるけれど凄まじい内容。国のためにと女性としての幸せを捨て戦地に赴くことを望んだのは、やはり時代だったのだろうと思う。自慢の長い髪を失い坊主になり、スカートを捨て男と同じ格好をして、彼女たちが得られた幸福とは一体なんだったのだろうか。
敵の骨を砕きながら進む車輪、全滅したせいで大鍋の料理が無駄になったという料理番。彼女たちの心にも、そして読者の心にも決して拭い切れない黒い感情を残していく。
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なんということだろう。
人間、という、説明のしづらい、生身の生き物がそこにはいた。
安易な意味付けなど不要だ。
ただ、現代とはなんと幸せなんだろうと感じた。
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第二次世界大戦で従軍していた旧ソ連の女性たちの証言集。そのコミック版の第2巻。
買ってから1年近く積読状態が続いた。テーマがやたら重く感じるのは何故だろうと考えてみる。男と女の戦争に対する「目線」が違うからだと思う。男の側から見ると、「英雄」が求められ、更にそれを演ずることが求めれられる。女性の場合は、英雄ではなく「普通の女の子」でいたいのだろう。やはり戦争は女の顔をしていないのだ。
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第2巻も深い。一番笑えて、かつ重かったのは、決戦前夜に、童貞の上官からSEXを迫られた女性兵士の話。上官の気持ちも分かるし、逃げた女性兵士の気持ちも分かる。それを公表することを嫌がったことも。そんな、表に出ない戦場の秘話がいくらでもあったのだろう。
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特に冒頭から引き込まれるのは我々が「戦後」を生きる日本人だから。
何故か近年忘れられがちであるが、100人いれば100通りの戦争があるのだけど。
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戦車大隊衛生指導員であるニーナ・ヤーコヴレヴナ・ヴィシネフスカヤ曹長の話が印象に残る。
若い女性が志願して前線へ向かい、激しい戦火の中で、必死に役割を全うする。
生き残った本人が語る体験談も、必ずしも、事実とは言い切れない部分もあるようだ。聞き手に身内の男性がいることで、言葉が変わったり、実体験した生々しい部分は隠れてしまうこともあったようだ。
体験談を聞く場面と、回想する場面とを行き来し、現代と当時の対比を表現している。
この作品の行末をこれからも見届けたいと思っている。
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本の帯にあるように、「この本は理解するためのものではありません。理解していないことを知るための本です。」なぜ彼女たちが口をつぐんでいたのか、それを考えると胸を抉られるような気持ちになります。戦争に出たのも、そこで経験したのも、それぞれ語る人によって思いは違うが、戦後受けた周りからの目はおそらく同じようなものだっただろう。そう思うとこの本のタイトル『戦争は女の顔をしていない』というのが腑に落ちる。これは原作版を読んで気がついたことなのだが、漫画版も2巻目に入り、少しその辺についても触れられている。どこまでこの漫画版が続くのかわからないのだが、是非ともその、従軍した女性に対する世間の目のことをしっかりと描いてほしいと思う。
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悲しいというより「重い」。住み慣れた故郷を出て戦闘する男も気が重いが、故郷を祖国を守るために「死をいとわない」覚悟で「女も戦います、戦わせてください」と立ち上がる勇気(または狂気)なくしては国の存立はなかった。
ドイツの機甲師団はあっという間に首都レニングラードに迫り、油田への要衝にあるこの都市を奪われては亡国は必至となる/住み慣れた故郷を出て戦闘する男も気が重いが、故郷を祖国を守るために「死をいとわない」覚悟で「女も戦います、戦わせてください」と立ち上がる勇気(または狂気)なくしては国の存立はなかった/孤立して長い時間の待ち伏せする狙撃兵は女子に向いているかもしれない。(防衛には必然とはいえ)卑怯な手段で人を殺すことで「女の顔」が失われないか?独裁者スターリンやヒトラーは男性原理の権化
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2巻では女性の取材をしているジャーナリストのストーリーも入ってきます。
お祖母様の戦時中の体験談を聴いたことがきっかけで取材を初めますが、その難しさも書かれています。
内容が内容なだけに出版社に拒否されたり、取材した女性から家族の眼を気にして世に出さないでと意見が来たりと…。
時間はかかりましたが、こうして1つの本と形になったことは本当に良かったと思います。
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『あたしんちの家族は仲が良いの。いい家族よ。子供たちも孫たちもいて……。でもあたしはここで生きているんじゃない。あたしは戦争の中で生きているの。』戦線に赴いた人達は、老いても消えずに残っている。
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戦車衛生班の女性の話が特に印象的。無邪気で少女らしいエピソードがありつつも、本人はそういった話しは公にしたくない。公に語り継いでほしいものは、戦争での活躍、成功、誇り高き精神など。周囲も戦争に参加した女性への尊敬の気持ちはあるものの、認めたくない、愛したくないといううっすらとした偏見が残る。
身体的にそんなこと可能なの!?と驚かされる一方、戦中戦後の複雑な精神模様が伺えます。
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ドストエフスキーの言葉が引用されている
「1人の人間の中で人間の部分はどれだけあるのか?その部分をどうやって守るのだろうか」
戦争は一つではない。そこにいた人にとっての戦争がある。戦争の中で生き続けている人もいる。人間の部分を必死に守りながら。
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漫画で読める『戦争は女の顔をしていない』第二巻。
第一巻同様に、女性兵として戦った少女たちの過去が語られる内容。途中読んでいて辛くなる度合いは一巻よりも上なように感じた。
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二巻は真実を語るということの難しさに触れている。
一巻にも増して読み応えあり。
殊に
ニーナがインタビューで語ったことを否定した手紙を送ってきたくだり。
体験した抱えきれない出来事は、そのままの形で伝えられるわけではないということ。
「心の奥底で追いやられているその人の真実と現代の時代の精神の染みついた新聞の匂いのする他人の真実
第一の真実は二つ目の圧力に耐えきれない
話を聞く時に彼女のほかに身内や知り合い
ことに男性が居合わせると真心からの打ち解けた話が少なくなる
それはもう聞き手を意識した話になり
始終内側の堅い守りに突き当たったセルフコントロールに
しょっちゅう訂正しようとする
聞き手が多いほど話は無味乾燥で消毒済みになっていった
かくあるべしという話になった」
イデオロギー面での描写
一巻よりも戦場の描写が少なかったのか、全般的にイデオロギーを信じる人民としての生き方と、生活者としてのいわゆる普通の暮らしを望む生き方の対比が印象に残った。インタビューではおそらくは本音に近い生の声が聞けたはずなのに、著者が文字にした原稿に対しては話をした本人から人間味のあるエピソードを削除されてしまったのが印象的。
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自主的な検閲……。
「その後もこのように一人の人間の中にある二つの真実にたびたび出くわすことになる
心の奥底に追いやられているそのひとの真実と、現代の時代の精神の染みついた、新聞の匂いのする他人の真実が
第一の真実は二つ目の圧力に耐えきれない」
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第二巻。描かれる、彼女たちから語られる戦禍の惨状は、ますますの苛烈さを増したように感じた。多分読んで知ったことのエピソードが私の中に降り積もっているのだと思う。
長らく文通を続けていたというニーナさんに、インタビュー記事をまとめた原稿を送ったところ、訂正で埋め尽くされて戻ってきたという話が心に突き刺さる。
どうしても戦いたくて潜り込んだ本部で、軍服を貰えないからと合切袋をほどいてスカートにして穿いたこと、上官の冗談に騙されたり、大尉の名前を忘れておじさんと呼んでしまったり、"乙女の心は燃えている"と詩に書くような恋があったり。
お茶を飲みながら、親しく打ち解けて語ってくれたかけがえのない証言を記録したはずだった。
けれどニーナの言葉は今や、「私は息子にとって英雄です。神さまです。こんなのを読んだ後であの子がどう思うか」。
それを受けて「心の奥底に追いやられているそのひとの真実と、現代の時代の精神の染みついた、新聞の匂いのする他人の真実が。第一の真実は二つ目の圧力に耐えきれない」とアレクシエーヴィチは述べる。平和な場所で生きる蒙昧な私に言えるのは、でも決して新聞が読みたいのではないんだ、ということだけだ。
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「戦争は女の顔をしていない」2巻。
ニーナ・ヤーコヴレブナ・ヴィシネフスカヤの第十一話が最も印象深いか。
取材後に届いた手紙で、語った内容を否定する言葉が綴られていたこと。
大祖国戦争に勝利した英雄と、戦争に参加した一兵士としての乖離。自分の心を殺して戦ってきた日々が終わり、戦後の日常に戻ってきても、自分自身の言葉で語ることができないというのは、心が休まる日がないのではないかと思う。
ニーナが語ったエピソードが、日常の冗談に溢れているので、余計にそう感じてしまいます。一方で、生き死にの境をくぐり抜けてきたエピソードもあり、彼女の日常と非日常の違いはどこにあったのだろう。
「でもあたしはここで生きているんじゃない。あたしは戦争の中で生きているの」
そこにいることを望んでいるのではなく、いることを強制させられている諦めの呟きに思えますが、仲間たちの記憶を失ってしまうことへの抵抗にも思えます。
後者の方が真実だと感じるのは、贔屓目に見ているからかもしれない。戦争が終わっても、宣伝のために使われているということへの反感が、自分は感じたから。
わからない。
きっと、ニーナ自身も確たるものがないのではないか。英雄として語ることを望まれてしまった自分と、一兵士として覚えておきたいことがある自分という二つに。
わからないから、記憶し続け、記録に残してほしいと思ったのではないだろうか。
語っている本人がわからないであろうことを、読み手がわかった気になるのもおかしなことで。帯コメントの螺旋人さんの「理解するためのものではありません。理解していないことを知るための本です」という言葉は忘れてはいけない。
たぶん、何かを理解したと思うことは、思考を止めてしまうことで、理解し続けることが、大事なのだと思います。
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マンガの力で、伝えていかなければならない大事なことを残せるのはよいことだなと思う。
書籍も読んだけれど、あの膨大な情報量の一部でもこんな形で伝えられることで、多くの人に届くことを願う。自分の身にも、大切な人の身にも起きてほしくはい、大事なこと。
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冒頭がちょっと衝撃的。
‘わたしたちは勝利の申し子 勝利国の子供たちなのだから’(p.4)
学校の図書室の本は半数が戦争についてだったという。
その内容は言及されていないが、おそらく、勇猛果敢に戦った男性兵士たちの勇姿と、勝ったという“正義”と“それ故の”共産主義の正当性を讃えるものだと想像する。
それは、このコミック原作の出版交渉での出版社側からの意見から想像に容易い。
「悲惨すぎる……生々しすぎる……」
「共産党が指導的にリーダーシップを見せている部分はどこにあるんだ?」
「『あの戦争』ではない!」
日本の戦争に関する児童書は、市民の目線も前線兵士に共通する、戦時中の物資不足とそこからくる惨めさを吐露するものが多く、故に「戦争はいけない」と締めくくる(敗戦したことよりも。国力差から敗戦は必然だったけど)。
戦勝国と敗戦国の教育現場でのの視点の違いにも、目を向けるものがある。
前巻に引き続き、女性の視点でのエピソードが描かれるが、前巻と違い、“女性らしさ”を前面に押し出したものとはまた異なる。戦場の女たちは、やはり兵士でもあった。そして戦争の生々しさを名誉欲とは違う視点から赤裸々に語る。
スターリン批判をした同僚をスパイと思ったり、
「私が覚えているのは自分に起こったことだけ。私の戦争」
と、大局的な戦争の話ではなく、これは個人的な、前線の一兵士の主観であることを断りつつ、
「誰かを殺しに行くなんて想像もできなかった」
「ただ前線に行きたい それだけ」
と、当時の雰囲気を今に伝える。復讐や憤怒からの熱気を感じた。
そして前線で人をはじめて狙撃 殺した恐怖…そして同僚女性兵士の言葉。
「奴らに同情しちゃだめよ 憎むの」
でもなかなかそういうことに慣れなかった…と吐露する。
沢山の女性たち、沢山の視点、意見に触れ、原作者は全ての人たちを記録するのは不可能だと理解したと語る。
取材の道中の列車での男性たちの話。
公式記録には残されていないが、勇敢な女の子たちがいた、と……
階級や人の名前が覚えられず、おじさんとかハンサムな人とそうでないほうという覚え方でそのまま報告して呆れられてるエピソードにクスッとされてしまう。
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第一巻に続けて。旧ソ連の崩壊とともに、急速にソ連史への関心は薄れていったのではないかと思うが、「知らなかった」では済まない歴史がここにはある。歴史、過去の忘却は、ともすれば「冒涜」にもつながることを忘れてはならないだろう。続刊や、Eテレテキスト、岩波現代文庫版も、期待しながら読みたい。また、岩波新書の『独ソ戦』などにも手を広げてみたいと思う。
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第二次世界大戦の独ソ戦が舞台。たくさんの若いソ連の女の子たちが兵士として戦争に参加していたことをこの本を読んで初めて知った。大勢のドイツ兵を狙撃した女性、燃える戦車から兵士を救出する女性、、。なぜここまでして戦争をしなければいけないのか。
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第二次世界大戦の真実を明らかにする…。
「一言で言えば、ここに書かれているのはあの
戦争ではない」…。500人以上の従軍女子を
取材し、その内容から出版を拒否され続けた、
ノーベル文学賞受賞作家の主著。
小梅けいとによるコミカライズ。
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・8 著者の生い立ちや原作執筆の動機?
・9 つづきは1巻3話へ って……
志願に見えるのですが、それでも徴兵・召集の体をとるのね。
・10 >絶滅危惧種のマンモス 絶滅種じゃ?
・11(中編) 上官に「おじさん」 男だったら、半殺し。というか、そういう概念すらないでしょうけど。
これは、一般論として、女性が前線にいるのは普通じゃない、男としての自責の念みたいな雰囲気があったと思っていいのでしょうか。
・11(後編) 衛生指導員を戦車に張り付けても、犠牲者を増やすだけのような。士気高揚なんでしょうけど。
証言の二重性に言及したのはおどろき。史実の追求より、従軍した人間を描きたいのかも。