宇佐見りんのレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
主人公ほどではないけど、ゆるく推し活をしている1人の人間として、やはり自分の全てを削る推し活はしてはいけないと感じた。
推し活をすることが人生そのものであるという人もいるのだと思うけれど、そこを支柱にするのはあまりにも脆い存在であることを改めて認識させられた。
推しの一言一句が気になる、スキャンダルを起こさらないか常にどこか不安である…そんな不安定な推し活をしかけていた今より若い頃が思い出される。
学生の頃の私は主人公ほどお金の全てを注げてはいなかったけど、時間は社会人の今と比べものにならないほどあったので、
推しのコンテンツを見ている時間は今の何倍もあった。
その頃は今より推しを身近に感じていたし、気持ちが振り回されることが多かったように思う。
でも、あくまで推しは推し。
私が困っても推しは何もしてくれないし、
推しが困っていてもそれを表に出さなければ私は知ることもできない。
ままならない関係であることをわきまえたいと思った。
誰かを背骨にするのは危険。
後書きの金原さんの言葉の通りだと思った。
-
Posted by ブクログ
推しが燃えた。
ーーなんとも印象的な一文から物語は始まる。
主人公のあかりにとって、推しのアイドルは人生の中心であり、身体で言えば背骨のような存在。高校生活や家庭でうまくいかない日々の中、生きることそのものに重い負荷を感じながらも、推しを解釈し、追い続けることだけが、あかりにとって生を感じる瞬間だった。それだけに、推しへの想いが強いほど、その反動がとても危ういような、息苦しいような、そんな感情を覚えてしまう。
そんな中、推しが燃えた。
ファンを殴って炎上してしまう。
推しを取り巻く環境の変化が、あかりの日常と心境に影響していく。心の中の悲痛な叫びが辛い。自分じゃいられなくなってしまう焦り、この先の人生に対する不安。身体の重さを必死に支えて耐える終盤のあかりの姿には、言いようのない虚しさと、それでも生きる人間の業のようなものが深く突き刺さった。 -
Posted by ブクログ
宇佐見りん、2冊目。
いや、難しい。
独特な言葉遣いに、どこで区切ればいいのかも分からない文章。純文学を読んでいるのに、SNSのつぶやきのほうが頭に入ってくるという不思議な読書だった。
母親への愛情、憎しみ、依存、罪悪感。様々な感情が入り交じるうーちゃんの語りを、一読ですべて理解できるとは最初から思っていなかった。
それでも後半は一気に読んでしまったのだから、何か惹きつけられるものがあったのだと思う。
「かかを身籠って産んであげたい」
こんな言葉、普通は出てこない。究極の母子愛とでもいうのか、それだけでは収まらない、深く複雑な感情が描かれていた。
併録の「三十一日」も、短いながら喪失の痛みが残る作品。犬の名前をあえて明かさない描き方も印象的だった。
そして町田康さんの解説。これが実にありがたかった。自分では掴みきれなかったうーちゃんの深さを、丁寧に教えてもらった気がする。
いつか再読するなら、まずこの解説を読んでからもう一度挑戦したい。
そう、いつか。 -
Posted by ブクログ
細かい生活の描写に結構共感する。(お風呂のくだり)
こっちまで刺してくる。
ずっと言葉がおかしい。昔の言葉口語?方言?
アルジャーノンのように、うーちゃんに問題があるのだと考えていたが、かか(かか語で母)に何かしらありそう。
誰に話してるんだろう、みっくん(おまい?)は誰だろう。
『あかぼうのひとみはたしかにかみさまのようにうつっていて、エイリアンみたいに真っ黒に濡れたそれは人間を断罪する力を持っている。』
恐れが分かりやすい。ひらがなを使う時と漢字を使う時の差がどうか。
かかが泣くまでの推移、上手い。
ここでうーちゃんが浪人生だとわかる。 -
Posted by ブクログ
いろんな人の性への考え方があって、理解できるものもあれば出来ないものもあった。
自分の性に対する考えをもっと整理したいと思った。
藤野可織さんの話は首がもげるほど共感できた。
特に共感した部分。
「私は自分が子どもを望んでいるのかどうかわからなかった。いくら考えてもわからなかった。私は体力がなくて、だいたい無気力で、まともな生活もできず、一般の人よりも劣っていると言う感覚があった。子供なんて産んでしまったら責任のある決定をたくさんしなければいけなくて大変だし面倒だし疲れるだろうと思った。」
「私は、自分をコントロールできるということに振り回されていた。当たり前でありながら得難い素晴らしい権利に気持ちをぐちゃぐちゃにされ、一瞬ごとに子供がいてもいいと思ったりいたら終わりだと思ったりしていた。自分が情けなかった。」 -
Posted by ブクログ
「推し」がいない私にとって、本作は当初「違う人種の話」に見えた。
「推し」がいたことがなく、今後もいないであろう自分にとって、推しに全てを注ぐ主人公は真逆だったから。
けれど、その距離感はすぐに消えた。
主人公の「なぜか普通に上手くできない苦しさ」や、それを周囲に理解されず怠惰なだけに見えてしまう歯痒さが、痛いほど分かったから。
マナー良く推しを解釈し続ける彼女にとって、推しは単なる趣味ではなく、バラバラな心身を支える「背骨」であり、生存戦略。
私にとっての読書やその他の趣味がそうであるように。
だからこそ、ラストで彼女が這いつくばりながら綿棒を拾う姿が刺さる。
綺麗に生きられなくても、背骨を失ったこのボロボロの身体のまま生きていくという、泥臭い自己受容と再生の兆しを感じた。
生き方も熱量の対象も全く違う。
けれど、根底にある「普通に生きられない苦しみ」と「自分を守る聖域を必要とする切実さ」において、深く共感する作品だった。 -
Posted by ブクログ
インザメガチャーチの後に読んだけど、
アイドルファンとして描く対象が共通して弱者とされる人なのが微妙だった。
『何もしないでいることが何かをするよりつらいということが、あるのだと思う。』
というのが全てだと思う。
何者にもなれず、何かをしている人にもなれない人にとって、アイドルを追いかけるというのは手っ取り早く何かをしている人になれる方法だ。
ただ、追いかけられる方が変化していっても、自分が全く成長していないことに、ふと気づいて焦る。
これは割と多くの人に当てはまるテーマだと思う(教育熱心ママとか、定年後に家庭に居場所がなくなった父とか)。
ただ、この本を読んだアイドルを全然知らない人からすると、後先考えられない境界知能がアイドルビジネスの餌になるんだなー、くらいに捉えられてしまいそうなのが勿体無いと感じた。
最後の洗濯物のシーンはアイドルファンというものをうまく捉えていると思う。
なぜ、自分と交わるはずのないアイドルのスキャンダルが許せないのか。
神であるアイドルとファン(信者)である自分の間の測れない距離が、第三者を通して間接的に測れてしまうことが嫌なんだと思う。
その瞬間に神は地に堕ちる。 -
Posted by ブクログ
1999年生まれで、2020年『かか』で三島由紀夫賞最年少受賞、2021年『推し燃ゆ』で芥川賞受賞。
「くるまの娘」は、2022年第44回野間文芸新人賞候補、第39回織田作之助賞候補。
年々歳をとり 読んでいる作家さんが軒並み歳下になっていく現実。そして、時折出現する最年少受賞者というフレーズ。迂闊にもその年齢に衝撃を受けたりする。
宇佐美さんもそんなひとり。『推し燃ゆ』では、まだ少し疑ってました。早すぎないかしら、潰れないかしらと。
けれど、その後の『くるまの娘』で思います。
依存は推しへの依存から、家族への依存へと軸をずらし、さらに“共依存”の相貌へと。特殊な家庭を書いていそうで、その「家族という箱」がどんな家庭でも陥りそうな普遍性。
少女は苦しみながらも“逃避”を選ばない。
その展開は、固くなった頭の自分には思いもつきませんでした。
文芸感お高めで すべてを完全に理解できたとは思えてないけれどけど、「確かな言葉選び」を読んだと思います。