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Posted by ブクログ
家族の話。
かんこにとって両親は親であり子。助けられているし、助けなければならない。弟や兄はそういった共依存的な状態に陥っている家族に対して、読者を含む外野を象徴しているように見えた。
地獄の本質は続くこと。涙が乾いたことは希望を意味しない。ところどころに刺さる言葉があって、引き留められる。
情景描写や感覚の描写が細かくて印象的だった。かんこにとっても、母にとっても家族と車で過ごす時間が好きで、感情が分かりやすく表出してくるのは車内が多かったように思った。「くるまの娘」は彼女ら2人を指しているのかと思った。
暖かいような寂しいような、心地よい読後感。
実家に帰りたくなった。
Posted by ブクログ
宇佐見さんの作品は『かか』『推し燃ゆ』も読んだけど、家族というテーマが刺さったこともあり、わたしは本作が圧倒的に良かった。
これまでの作品では主人公と母、主人公と推し、という一対一の関係を主に描いていたように思うが、本作では父母、兄、かんこ、弟のそれぞれの感情が絡み合い、より複雑な人間関係が浮かび上がっている。
家族にまつわる言語化はどれもあまりにも芯をついていて、ここまで突き詰めた思想を一作に詰め込んで共有していただいていいのですか、と思うほどだった。
主人公のかんこも含めて、登場する家族たちは皆、加害者でも被害者でもあり、どんな暴言や暴力を振るおうとも、いいところもある。
それに気づいてしまうがゆえに、かんこは家族から離れられないし、離れたくもない。
家族の中でも特に母は、幸せだった頃の思い出にすがり続け、ひたすらに追体験を求める。
物語は、人が与え、与えられる苦しみはどうしようもないものだ、「天からの日が地に注ぎあらゆるものの源となるように、天から降ってきた暴力は血をめぐり受け継がれ続ける」という結論に辿り着く。
思えば冒頭からかんこは背骨に光を感じており、家族を運ぶ車も日差しに照らされながら学校にやってきたのだった。
ラストにも道は光を受けている。死なないことで、地獄は続く。そして、「地獄の本質は続くこと、そのものだ」。
まだ20代の宇佐見さん、これから先どんな作品を書いていくのか、引き続き追っていきたい。
現実を地獄のまま書いていく作品は素晴らしいけれど、いつか人生の中に救いを見出してくれる作品も読めたらすごくいいなあとも思う。現実から目を逸らさない宇佐見さんが描く希望なんて、絶対に信頼できる。
Posted by ブクログ
本当に小説としてすごいし、これを書いた後で、新刊が出ないのも頷ける。暴力が天から降ってくるという感覚の後で、その先を描くことは難しい。自分や他者をネットワークを構成する一要素として、俯瞰する目線。暴力に始まりも終わりもなく、過去から引き継がれるネットワークの歪みそのものが暴力として人々を縛る。ネットワークを切断し、自立することを選ぶ兄や弟。しかし、その選択では歪んだネットワークは温存される。ネットワークは外部からではなく、内部からしか変えられない。少なくとも短期的には。ネットワーク内部の構成要素としての自分はどのように振る舞えば、ネットワークの他の構成要素たる親を救うことができるのか。かんこの全員を丸ごと救って欲しいという発想には、ネットワークの歪みを直して欲しいという願いがある。ある意味では自他の境界がない。このネットワークにいる自分が自分なのであって、それ故に、ネットワークを構成する他の要素も含めて、自分だということ。自分を救うにはネットワーク全体を救う必要がある。
しかし、それは現実的に困難だ。だから、この小説でも解決は示されない。この後で宇佐美りんが何を書くのかはとても気になる。
常に現在と記憶とが混じりながら書き進められる。それは小説として少し珍しいし、慣れるまでは何が起きているのか読み取りにくい。でも、ある意味では現実の知覚に近い。現実は過去の回想と現在の出来事が別れているわけではない。現在の出来事は、常に過去の記憶との関係において経験される。
人や出来事は、言語的に構築される。だから、被害者としての自分や被害を受けた経験は流暢に話すことができるが、自分が認識していない加害の記憶を知るには他者の記憶を媒介とするしかない。
家を出ることは他者の記憶による侵入を拒否し、自分の記憶を守ることでもある。そして、それは自立と呼ばれる。自立には、自分が言語的に揺さぶられる機会を減らすという側面がある。
相手の記憶に自分が良いものとして位置付けられることを承認というのかもしれない。祖母からの承認がなかったことを知る父は、なんで生きてきちゃったんだろうな、とつぶやく。その時、父はかんこと車の中にいる。車は家の中でも外でもない。中間的な領域だ。その車の中で、家族関係が揺らされる。それにかんこはまだ運転できない。最後に、父が運転する車が知らない道を走り知らないスーパーに入るという細部も見事。
Posted by ブクログ
おそらく『推し、燃ゆ』が何十万部売れようと、この人には関係ないんだろうなというのが、まず読み終えた第一印象であり、23歳という若さに似合わぬ、その堂々とした佇まいから放たれる、大胆にして理知的でありながらも、平和そうに見える現実の奥底に深く沈み込んでいる絶望的な闇を、その客観的視点で見つけ出し、なんとかしようと孤軍奮闘している。そんな印象を私に与えてくれた本書は間違いなく衝撃作だと思う。
本書で扱っている問題は、いわゆる家庭内暴力が当然のように繰り返される、どうしようもない家族の在り方であり、普段は人が好くても時折子供のようにカッとなる父親と、脳梗塞の後遺症を引き摺る不安定な母親と共に暮らすのは、常に淡々と振る舞う兄の「にい」と、妹の「かんこ」と、辛いことがある度にへらへらと笑うようになった、弟の「ぽん」の三人であったが、にいは家を出て行き、ぽんは遠くの高校へ行く口実で祖父母の家に行ってしまい、ただ一人残ったかんこも高校生活に馴染めず、時折訪れる精神的衝動の爆発に悩まされており、そこに家庭が影響しているのはおそらく間違いないと思われる中での、そんなある日、父方の祖母が亡くなった事によって祖母の家に車で向かう事をきっかけに、以後その車内でのやり取りを中心として、物語は動いていく。
車の中に家族全員が存在する場の空気というのは、改めて考えてみると家の中以上に息苦しいものがあり、しかも家の中と違い、止まらない限り決して逃げることの出来ない、その檻のような場所で気まずい会話も時には起こるかもしれないが、かんこの場合、背もたれを蹴り飛ばす事も平気でする。これは原因を一切考慮に入れる必要の無い、非常識な行いなのだろうか?
兄や弟が出て行ったのは、主に父親の暴力が原因である事に加え、母親の不安定さも重なったのが大きいのだが、そんな中かんこは暴力を振るわれた、その瞬間は辛くやり切れない思いに囚われるが、時が経つと何となく曖昧に受け入れてしまい、心の底では何とかしたい気持ちもありながら、今日までそれを繰り返してきた。しかもそんな曖昧さがこの家族全員に共通しているところに、かんこ言うところの『地獄』があり、それは『曖昧に繰り返される、柔らかくぬるく、ありふれた地獄』で、最も恐ろしいのは完結しない事だという思いには、私も同情を隠しきれない。
そもそも父親の言動は子供だけでなく母親に対しても同等である事に、私は嫌悪感を覚え、それは過去に脳梗塞にかかった事のある人間に対する接し方では無いと、私自身の価値観に照らし合わせて、そう述べているのだが、本書の凄いところは、おそらくそうした部分は関係ないのだと言っているかのようなところにある。
いや、それはおかしいだろうと言う方も、きっといらっしゃるのだと思う。そんなの別の大人達に相談して、即刻父親から離れさせるべきだという意見もあると思うが、実はそういったことに対して拒否反応を示しているのはかんこ自身で、そこから窺い知れるのは、彼女が子供と大人を対等な眼差しで認識していることだった。
『誰かを加害者に決めつけるなら、誰かがその役割を押し付けられるのなら、そんなものは助けでもなんでもない』
『助けるなら全員を救ってくれ、丸ごと、救ってくれ』
これらの叫びに渦巻く、かんこの思いには、父親が家族に対して行使した力も、『別の被害意識に基づいた正当な抵抗』ではないかと考え、更には被害者であったはずのかんこ自身、もしかしたら加害者でもあるのではないかと自省しており、それは彼女一人だけが地獄を抜け出しても、ちっとも嬉しくないし、家族にとって何の解決にもならない事を、彼女自身が理解している事の証でもある。
『まだ、みんな、助けを求めている。相手が大人かどうかは関係がなかった。本来なら、大人は、甘えることなく自分の面倒を見なくてはならないということくらい、とうにわかっていた』
『だが、愛されなかった人間、傷ついた人間の、そばにいたかった。背負って、ともに地獄を抜け出したかった。そうしたいから、もがいている。そうできないから、泣いているのに』
これまでの家庭内問題を扱った作品では、比較的、被害者側の視点に寄り添った内容が多いと思われる中、本書の場合は加害者側にも同等の温かい眼差しを向けているのが、私にはとても印象深く、しかもそれを血筋といった、目には見えない感覚的な事で分からせようとするのではなく、宇佐見さんなりの方法で、真摯に向き合い誠意を込めて、誰にでも理解しやすい言葉で伝えてくれていて、そこには外側からだけでは決して分からない、それぞれの胸に抱かれた必死な思いも見え隠れしている。
『もつれ合いながら脱しようともがくさまを、「依存」の一語で切り捨ててしまえる大人たちが数多自立しているこの世をこそ、かんこは捨てたかった』
そして、最終的にかんこが家族を思い、とった行動には逆転の発想を思わせるものがあったが、それ以上に私が感じ取れたのは、人間を超越した天にあるものから降り注ぐような、本書でも度々登場した光の熱に対する身を切るような痛みに対する抵抗であり、かんこの行いをきっと見ているであろうに、何もしてくれないものに対する抵抗でもありながら、その曖昧さの漂う空間に於いて、そこから逃げることなく全てを受け入れる事にした、かんこだけが持つ家族に対する真っ新な愛情表現なのであった。
Posted by ブクログ
こわかった。「家族」と「暴力」と「依存」をテーマにしながら、そこから抜け出せない(抜け出したくない)、このまま「生」が続くことの恐怖が文章からにじみ出ていた。
車の中は家族の息苦しさの象徴なのかもしれないけれど、そうやって無理にでも家族という形の中に自分を置いて、置いてしまえばその方が生き続けられる。兄や弟は逃げるという選択をしたが、逃げることだけが必ずしも「正解」ではないという、新しい視点だった。
家族の中で生じる暴力(言葉を含め)も、夜の闇に溶けて、なんだか自分が悪かったようにも思い始めて、そしてまた暴力が起きて憤って、その沼のような繰り返しがあまりにもリアル。
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