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17歳のかんこたち一家は、久しぶりの車中泊の旅をする。思い出の景色が、家族のままならなさの根源にあるものを引きずりだす。50万部突破の『推し、燃ゆ』に続く奇跡とも呼ぶべき傑作。
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Posted by ブクログ
ページをめくるのが辛く、これ以上は知りたくないと思いながら読んだ。読後にとんでもない疲労感はあるが素晴らしい作品。
かんこや私みたいな人は結局自分で解決して落とし込むしかないのだと思った。家族みんなで遊園地で楽しく遊んでいた頃に戻りたいと願い、今からでも同じ思い出を繰り返そうとする母の気持ちが切なかった。家族から距離を置いて自分の生活スタイルを築いている兄や弟とは違い、かんこは家族から逃げようとせず一緒に地獄を生...続きを読むきようとしている。誰かを加害者にすることで終わりたくないという気持ちが家族愛に満ちていると思った。車の中という狭くて逃げられない空間の中で行われる口論がリアルで、あれほど喧嘩したのに時が経てば曖昧に流れていく様も既視感ありすぎた。
この方は、人の醜い部分のリアリティが読んでいて苦しくなるほど鮮明だと毎回思ってしまう 醜いけれども愛おしくも思えるような人々というか 醜い部分を抱えて必死にお互いを支えながら生きて、やがて克服ではなく受け入れるという、ある一種の解放へ向けて、前進する
4.3/5.0 絶対に切っても切れない「家族」というものを題材に、主人公、かんこの儚く脆い心情が繊細に描写されている。 父や母、兄妹に対して、ある時は憎らしく感じ、でも根底には太く繋がった一本の線があり、やはりどこか家族を頼りながら生きている。 微妙な距離感の中で、時にはお互いを敬遠しながら、で...続きを読むも結局は見えない糸で繋がっている、繋がってしまっている家族という組織のやるせなさと温かさを感じた。
いたい…いたい… 傷つけあっても、また寄り添えあえるのが家族だと、おめでたく思っていたけれど、ちがうよね。家族でも許せないことは許せない。だけど、とりあえず一緒にいるから、時の流れに「溶けていく」だけ。 他人なら、傷つけられた人のことは避けたり、抗議したり出来るが、「帰る家」の中で傷つけられる...続きを読むと逃げ場がない。けれど、優しいときも楽しい時も温かい時もあるから、やっぱりそこが居場所になって、「怒り」や「悲しみ」は「保護」や「権力」に塗り込められてしまう。私は自分が親になってからは、自分が塗り込んでしまった「壁」しか見ていなかった。 かんこの父は生家で母親に可愛がられなかったため、一人で強く生きてきた。塾にも行かず、独学で良い大学に入り、努力して第一志望の企業に就職した。母親は喜んでくれず、奥さんになったかんこの母が喜んでくれた。 そして、かんこの父は自分がしてきた「努力」を子供たちにも強いて、子供たちに自分一人で勉強を教えて、三人とも私立中学校に入学させた。機嫌を損ねると暴言、暴力を振るった。 かんこの兄も弟もそんな独善的な父に反抗して家から出た。父親が生家の母親に寄り付かなくなったのと同じように。 だけどかんこは違った。かんこの胸の中にはかんこの中学入試の合格発表の時の思い出があった。父親がかんこと母を抱きしめて泣いたのだ。その時かんこは「すがられている」と思ったのだ。「この人たちは私の、親であり子どもなのだ」と。 一人っ子の私にとって、両親は「絶対」だった。可愛がられていたし、世間から見て品行方正な親でもあったので、恵まれた状態だったと思う。けれど、両親…特に父親が「良し」と思う枠からはみ出ることは許されなかった。両親がダッグを組んで築いた高い壁を乗り越えるために肩を貸してくれるような兄弟もいなかったので、諦めてそこに居続けた結果、なんとなく一番居心地のいい場所になった。 だけど、私の心の中で明確になっていったことがある。それは両親は親だからといって立派な人でもなんでもない。親になるずっと以前から、自分と同じようにダメダメダーメな人生を送ってきてたまたま自分の親になっただけなんだと。だから、親を「守ってくれて当たり前」の人ではなく「守ってあげなければならない子どものような存在」でもあるのだと気づいた。 「反抗」できるうちはまだ実は親に対する甘えがあるのではないだろうか。何故かというとそこに高くそびえ立つ強固な「壁」でいてくれると思っているから。だけど、本当は足下をひと蹴りしただけでもガラガラと崩れ落ちる壁だと気づいたとき、「守ってあげなければ」という気持ちも出てくるのだ。 傷つけ、その傷を親の権力で塗り込めてしまった私の長女はそんな親にある意味見切りを付けて自立した。宇佐美りんさんとほぼ同じ歳。私がりんさんや自分の娘のころに感じた気持ちを小説にするなんてすごい。癒着した傷口を開かれ、さらに癒着している内臓をピンセットで摘まれたみたいにイタイ。 でも、一番ヒリヒリしたのは、かんこの母の心のうちが分かった箇所。父に辛くあたってきた祖母のお葬式の帰り、「久しぶりに家族で遊園地に行きたい」とタダをこね、家族を遊園地に無理矢理連れて行くと、もう動かないメリーゴーランドの前で「子どもたち皆んなで写真を撮りたい」と泣き崩れた。父親の絶対支配の家族ではあったが、一家で車で遊園地に行ったという数少ない楽しい思い出もあった。あの時の子どもたちの笑顔を取り戻せなくしてしまったのは自分たち親の責任でもあるのに、大きくなった子供たちにあの時の笑顔でまた写真に収まってほしいという母の気持ち。分かるなあー。 「推し、萌ゆ」ではあまり思わなかったが、宇佐美りんさん、天才です。ものすごく大人っぽいけれど、その歳でしか書けないものを神様が書かせているとしか思えません。
驚いた。こんな小説だったとは思わなかった。作者はこのような境遇の女性の心境をどうして描くことができたのだろう。「なんらかの制度と自分の苦しみはつながっているのかもしれない。だが何もかも遅かった。人が傷つく速度には芸術も政治も追い付かない。」すごい威力のある言葉が満載。表紙。メリーゴーランドのシーンは...続きを読むつらかった。いとおしい家族。おぞましい家族。くるまに守られ、くるまに閉じ込められている女性の話。濃い。
キター!宇佐美りん節炸裂ー! わたしのHPが持ちません! この作者の小さな刃で深く抉って、いつまでも疼いて痛む傷つけ方を知っている恐ろしさたるやなんなのだろうか。(めちゃくちゃ惚れ惚れしているという意味です!) 宇佐美さんの言葉ひとつひとつを飲み込みながら、言葉は、本当に人を傷つけることができる、...続きを読むと思うのです。(そしてそれを正しく使われ、表現を浴びた今、畏怖と多幸感でいっぱいです!) 本作は世代間連鎖のお話です。 主人公は自分の受ける痛みと、その家族が受け続けてきた痛みをも背負い込もうとしてしまう、愛情深い女の子、かんこ。 自分だけが楽になることは火事場で子供を手放せと言われているのと同等だ、と彼女は言う。 どんなに苦しくとも、「続いている」から逃げ出すことはできない。家族ゆえに置いていくことはできない。 これから続く人生の中に、家族を断ち切って自立する自分というイメージがきっとない、しつこい幼さも内包している。 いつも期待は裏切られ、暴力で黙ることを余儀なくされ、思うように満たされたことがなかったからかもしれない。 そんな彼女が何とか生きることを選択していく様子は痛々しく、その誰も踏み分けたことのないところから傷ついても行く様に胸をぐっと掴まれ、だからこそラストシーンがどうしようもなく瞬いた。 世代間連鎖という終わりのない問いに対する、とても誠実で素晴らしい終わり方だった。 宇佐美さんはエピソードを作るのが、本当にお上手ですね。 描写したいことが倍増して伝わってくるし、前述した通り、刃は小さいのにとても鋭くて一生消えない傷になりえる力がある。 さて、めちゃくちゃ私事なのですが、これまで宇佐美りんさんの本はどの文庫も途中で挫折しました。 いまなお挑戦しては挫折を繰り返している只中。 宇佐美りんさんの文章を読んでいるとたちまち苦しくなってページを繰る手が止まってしまうのです。 そのまるで踊っているかのような文字の連なりに飲まれ、恐ろしい現実の中へ引きずり込まれていく。 まるで歌うように、まるで詩を詠むように、軽やかなふりをしてわたしを簡単に呪いにかける。 この「感性」が欲しかった。 彼女にはわたしの見えていないものが確かに見えている。 世界の解像度は高く、空気は研ぎ澄まされ、だからこそ自身は細く削られ尖り、ともすると折れてしまう(想像です)そういううつくしいものをわたしも欲しかった。 それを思って読めなくなってしまうのだ。 そしてなんといっても、何度も言いますが、エピソードがしびれるほどいい。 「そのとき」主人公に何が起こるか、何が起こって何を考えさせ、何を語らせたいのか、そういう思惑がちっとも感じられない自然な地獄に気づくと連れていかれている感じが宇佐美ワールドの魅力の一つなのかもしれません。 はー、しかしいよいよちゃんと受け止めなければと、自分には決してない眩しい才能をちゃんと最後まで見届けねばと頑張って最後まで読んで良かった。 骨抜きです。
とてもとても良かった。著者の書く家族の姿はどの作品でも本当にリアルだ。とりわけ本作では親と子の共依存関係(この関係性を依存と呼ぶことを主人公は拒否している)の描写がリアルすぎて始終胸が苦しい。最後はどんなに地獄でもその中に少しだけ見える希望に縋ってしまう。やはり家族なのだと思わされてしまう。 いく先...続きを読むが地獄だとしても家族というくるまに乗ってどこまでも行くしかないのかもしれない。
おそらく『推し、燃ゆ』が何十万部売れようと、この人には関係ないんだろうなというのが、まず読み終えた第一印象であり、23歳という若さに似合わぬ、その堂々とした佇まいから放たれる、大胆にして理知的でありながらも、平和そうに見える現実の奥底に深く沈み込んでいる絶望的な闇を、その客観的視点で見つけ出し、なん...続きを読むとかしようと孤軍奮闘している。そんな印象を私に与えてくれた本書は間違いなく衝撃作だと思う。 本書で扱っている問題は、いわゆる家庭内暴力が当然のように繰り返される、どうしようもない家族の在り方であり、普段は人が好くても時折子供のようにカッとなる父親と、脳梗塞の後遺症を引き摺る不安定な母親と共に暮らすのは、常に淡々と振る舞う兄の「にい」と、妹の「かんこ」と、辛いことがある度にへらへらと笑うようになった、弟の「ぽん」の三人であったが、にいは家を出て行き、ぽんは遠くの高校へ行く口実で祖父母の家に行ってしまい、ただ一人残ったかんこも高校生活に馴染めず、時折訪れる精神的衝動の爆発に悩まされており、そこに家庭が影響しているのはおそらく間違いないと思われる中での、そんなある日、父方の祖母が亡くなった事によって祖母の家に車で向かう事をきっかけに、以後その車内でのやり取りを中心として、物語は動いていく。 車の中に家族全員が存在する場の空気というのは、改めて考えてみると家の中以上に息苦しいものがあり、しかも家の中と違い、止まらない限り決して逃げることの出来ない、その檻のような場所で気まずい会話も時には起こるかもしれないが、かんこの場合、背もたれを蹴り飛ばす事も平気でする。これは原因を一切考慮に入れる必要の無い、非常識な行いなのだろうか? 兄や弟が出て行ったのは、主に父親の暴力が原因である事に加え、母親の不安定さも重なったのが大きいのだが、そんな中かんこは暴力を振るわれた、その瞬間は辛くやり切れない思いに囚われるが、時が経つと何となく曖昧に受け入れてしまい、心の底では何とかしたい気持ちもありながら、今日までそれを繰り返してきた。しかもそんな曖昧さがこの家族全員に共通しているところに、かんこ言うところの『地獄』があり、それは『曖昧に繰り返される、柔らかくぬるく、ありふれた地獄』で、最も恐ろしいのは完結しない事だという思いには、私も同情を隠しきれない。 そもそも父親の言動は子供だけでなく母親に対しても同等である事に、私は嫌悪感を覚え、それは過去に脳梗塞にかかった事のある人間に対する接し方では無いと、私自身の価値観に照らし合わせて、そう述べているのだが、本書の凄いところは、おそらくそうした部分は関係ないのだと言っているかのようなところにある。 いや、それはおかしいだろうと言う方も、きっといらっしゃるのだと思う。そんなの別の大人達に相談して、即刻父親から離れさせるべきだという意見もあると思うが、実はそういったことに対して拒否反応を示しているのはかんこ自身で、そこから窺い知れるのは、彼女が子供と大人を対等な眼差しで認識していることだった。 『誰かを加害者に決めつけるなら、誰かがその役割を押し付けられるのなら、そんなものは助けでもなんでもない』 『助けるなら全員を救ってくれ、丸ごと、救ってくれ』 これらの叫びに渦巻く、かんこの思いには、父親が家族に対して行使した力も、『別の被害意識に基づいた正当な抵抗』ではないかと考え、更には被害者であったはずのかんこ自身、もしかしたら加害者でもあるのではないかと自省しており、それは彼女一人だけが地獄を抜け出しても、ちっとも嬉しくないし、家族にとって何の解決にもならない事を、彼女自身が理解している事の証でもある。 『まだ、みんな、助けを求めている。相手が大人かどうかは関係がなかった。本来なら、大人は、甘えることなく自分の面倒を見なくてはならないということくらい、とうにわかっていた』 『だが、愛されなかった人間、傷ついた人間の、そばにいたかった。背負って、ともに地獄を抜け出したかった。そうしたいから、もがいている。そうできないから、泣いているのに』 これまでの家庭内問題を扱った作品では、比較的、被害者側の視点に寄り添った内容が多いと思われる中、本書の場合は加害者側にも同等の温かい眼差しを向けているのが、私にはとても印象深く、しかもそれを血筋といった、目には見えない感覚的な事で分からせようとするのではなく、宇佐見さんなりの方法で、真摯に向き合い誠意を込めて、誰にでも理解しやすい言葉で伝えてくれていて、そこには外側からだけでは決して分からない、それぞれの胸に抱かれた必死な思いも見え隠れしている。 『もつれ合いながら脱しようともがくさまを、「依存」の一語で切り捨ててしまえる大人たちが数多自立しているこの世をこそ、かんこは捨てたかった』 そして、最終的にかんこが家族を思い、とった行動には逆転の発想を思わせるものがあったが、それ以上に私が感じ取れたのは、人間を超越した天にあるものから降り注ぐような、本書でも度々登場した光の熱に対する身を切るような痛みに対する抵抗であり、かんこの行いをきっと見ているであろうに、何もしてくれないものに対する抵抗でもありながら、その曖昧さの漂う空間に於いて、そこから逃げることなく全てを受け入れる事にした、かんこだけが持つ家族に対する真っ新な愛情表現なのであった。
一度途中で読むのを挫折した。情景描写が細やかでたくさんの言葉が折り重なるように紡がれていて、場面展開も過去かと思えば現在へと移り変わり、それで挫折。 2回目はじっくりと集中できる時に読みました。正直言って辛かった。世代をまたいで暴力や虐待ではと思えることは繋がっているということに、少し自分を重ねてし...続きを読むまったためです。一線を超えないゆるい暴力と虐待は普通にあるんだなと気づき、やるせない気持ちになりました。 まだ20代の若さで書いた小説と思うとその才能に驚きました。
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