あらすじ
17歳のかんこたち一家は、久しぶりの車中泊の旅をする。思い出の景色が、家族のままならなさの根源にあるものを引きずりだす。50万部突破の『推し、燃ゆ』に続く奇跡とも呼ぶべき傑作。
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Posted by ブクログ
父方の祖母が亡くなり、かんこと両親は車で祖母の家へ向かう。
車中泊をしながら。
家を出て暮らしている兄と弟もそれぞれやってきて…という話なのだが、彼女の作品を説明するのに、あらすじなど書いたところでしょうがない。
傍から見ればかんこの家族は壊れている。
些細なことですぐかッとし暴力をふるう父、脳梗塞で倒れて以来自分の感情を持て余すかのように時々爆発する母。
家を出て自分の力で生きている兄と、遠くの高校へ通うために家を出ている弟。
家族それぞれが傷つけあい、血を流しながらも愛している。
それは歪なこと?
逃げ出さなくてはならないこと?
かんこはそうは思わない。
”もつれ合いながら脱しようともがくさまを「依存」の一語で切り捨ててしまえる大人たちが、数多自立しているこの世をこそ、かんこは捨てたかった。(中略)むしろ自立を最善の在り方とするようになったこの現代社会が、そうでなければ大人になれないなどと曖昧な言葉でもって迫る人里の掟じたいが、かんこにとってはすでに用済みなのかもしれない。”
それでも、このもつれあった家族の「依存」は解消されねばならないと私は思う。
痛みをなかったことにするのではなく、痛みを痛みとして感じながら、少しずつそうしなければならないと。
だって、かんこの家族は誰も幸せではないもの。
かんこは、両親の子どもでありながら、両親を守る存在でもある。
親も完全な人間ではない。
でもやっぱり、泣きながら子どもにすがってしまうのは違う。
だって、親を愛している子どもは、親を守ろうと歯を食いしばってしまうもの。
亡くなった父方の祖母というのも、当時には珍しい自分ファーストの人で、そのことで傷ついた父の痛みが、発作的な暴力を起こさせるような気はしていたが、物語の最後に父親は決定的な痛みを受ける。
母の愛を満足に与えられず、歯を食いしばって自分一人の力で生きてきた(と自負する)父は、最後の最後に「なんで生きてきちゃったんだろうな」とつぶやくはめになる。
自分一人の力で生きる能力を持っていたことを、誇ればいい。
そんな子どもに気付かない親なんて、心の中から消してしまえばいい。
思い通りにならなくても、反抗的な態度を取ることがあっても、少なくとも娘は自分のことを愛し守ろうとしている事に気付かなければならない。
じゃないと父は、自分が母親にされたことを娘にしてしまうことになる。
”横断歩道を人が悠々と通っている。父はアクセルを踏まない。誰も心中しない。道は光を受け、春だった。”
宇佐見りん、天才だな。
Posted by ブクログ
かんこや私みたいな人は結局自分で解決して落とし込むしかないのだと思った。家族みんなで遊園地で楽しく遊んでいた頃に戻りたいと願い、今からでも同じ思い出を繰り返そうとする母の気持ちが切なかった。家族から距離を置いて自分の生活スタイルを築いている兄や弟とは違い、かんこは家族から逃げようとせず一緒に地獄を生きようとしている。誰かを加害者にすることで終わりたくないという気持ちが家族愛に満ちていると思った。車の中という狭くて逃げられない空間の中で行われる口論がリアルで、あれほど喧嘩したのに時が経てば曖昧に流れていく様も既視感ありすぎた。
Posted by ブクログ
この方は、人の醜い部分のリアリティが読んでいて苦しくなるほど鮮明だと毎回思ってしまう 醜いけれども愛おしくも思えるような人々というか
醜い部分を抱えて必死にお互いを支えながら生きて、やがて克服ではなく受け入れるという、ある一種の解放へ向けて、前進する
Posted by ブクログ
4.3/5.0
絶対に切っても切れない「家族」というものを題材に、主人公、かんこの儚く脆い心情が繊細に描写されている。
父や母、兄妹に対して、ある時は憎らしく感じ、でも根底には太く繋がった一本の線があり、やはりどこか家族を頼りながら生きている。
微妙な距離感の中で、時にはお互いを敬遠しながら、でも結局は見えない糸で繋がっている、繋がってしまっている家族という組織のやるせなさと温かさを感じた。
Posted by ブクログ
声にならない痛みを全身で叫んでいるような作品だった。
なんでもないかのように振る舞う主人公につられて、そういうものかと読み進めていったら、家族はとうに崩壊していることが徐々に明らかになってくる。
父と母と娘、もはや自分たちだけではどうにもできない状態なのだが、主人公は当事者であるため冷静に考えることができていない。それは無理もないことで、親への愛情も愛着もあるだろう。たとえそれが最善だと言われても、両親を置いて離れることに苦痛を感じているようなのが、また悲しかった。
家族間の長年かけて築いてきた空気感が見事に表現されていて、ほんとうに苦しかった。死は思ったよりもすぐそばにあるが、今この瞬間は平和だと感じている主人公の感覚が鋭くて、ハッとさせられる。
Posted by ブクログ
辛い時に自分をものだと思うとか、痛いほど共感できる。こんなものを書きたい。自分に足りないものを一々考えさせられる。自然、光の描写が多い。
確かに、「自分は自分で守れ」は、見捨てられる側にとっても残酷な言葉。
母の病気がきっかけと言っても、それは母のせいでないから父が悪いと。弟に「だからいじめられるんだ」、かんこの鬱を責めるのはひどい。でも作中にあった通り、それは祖母のせいであり、それも遡れば原因はあり、それ以外にもきっと原因はある。
「なんで生きてきちゃったんだろうな」
車で住むようになって学校に行けるようになったのは両親と離れたからだと思う。それでも兄弟の中で1番見放さないかんこは偉い。
前2作より感情表現がストレートにあると思う。
死にたい。
かんこは高三。ウツになり学校へ行けない。
母は脳梗塞の後麻痺と記憶障害(前向性健忘)が残り、今幼児化し酒を飲むと暴れる。元々優しい人で、人の苦しみまで自分の苦しみになる人だった。
父は理不尽で暴力を振るう。勉強を教えてくれるがそれは修業の様で兄弟、最後にかんこが逃げた。
兄は大学を辞め夏と結婚した。家族を避ける。
弟は高校から母方の祖母に引き取られた。
昔は車中泊で旅行に行くほど仲良い家族だった。
父方の祖母が亡くなり葬儀に向かう。
祖父は自殺未遂をした。祖母は遊び続け、四人兄弟の伯父伯母ばかり可愛がった。1番上の家出した姉と父は祖母を許さなかった。母も詰った。かんこは「ものしずかだけどきままな」祖母しか知らない。
帰り母は遊園地に行きたいと言い出す。喧嘩が起きる。母は昔に戻りたい。父の弟への発言はが見逃せない。私のせいなら私が終わらせると母は心中しようとする。それすら記憶から流れていこうとする。
遊園地で母はメリーゴーランドで家族写真を撮りたがる。かんこだけが休止中なのに乗り込んでピースする。その日帰ってかんこは車で生活を始める。
父は祖母の家を兄弟と片付け始める。四兄弟で父の分だけ見つからず父はかんこを車に乗せ泣く……
Posted by ブクログ
「あのひとたちはわたしの、親であり子どもなのだ、ずっとそばにいるうちにいつからかこんがらがって、ねじれてしまった。まだ、みんな、助けを求めている。相手が大人かどうかは関係がなかった。」
繰り返される地獄の渦中で育った一人として、溢れる涙を止められなかった。ここまであの地獄とその中の愛を言語化している小説には今まで出会ったことがなかった。
Posted by ブクログ
しばらく読みづらかったけど、半分過ぎたあたりから入り込んで読んだ。
「機能不全家庭」「ヤングケアラー」という言葉が頭に浮かんだ。
こんなにも娘に愛されているのに、この父親ときたら自分の傷にしか目がいかない。可哀想な生い立ちだったとは思う。結局、受けた傷や空虚感や渇きはその人の中に残り続け、貰えなかった愛情を死ぬまで欲しがるようになってしまうんだろうか。私は自分を省みても、自分の親のことを考えても、そう思ってしまうのだ。
かんこは最後、車で寝泊まりする事によって両親から物理的に少し距離を置けた。それによって見なくていいもの聞かなくていいものをある程度避ける事が出来るようになり、自分の生活に集中出来るようになった。それでも父は「俺の傷を見てくれ、かわいそうだろう」とやって来る。かんこはこの父の人生の成功の証明なんかじゃない。かんこの人生を生きていい。親のことなんてちょっとしか考えなくていい、自分のことを考えてほしい。かんこの心を縛る権利は誰にもない。それを教えてあげたい。お兄ちゃんもう少し頑張ってくれや…と思うけどこの兄もまだかんこを助け出すほどの余力がないのだろうな…。
男は、社会的にも身体的にもある程度強くある事が求められる。生物的にも雄は競争するものだ。その生まれながらのプレッシャーの代償みたいなものが周囲への共感力の無さになり、それをカバーするのが女の役割になりがちであると思う。基本的に女の方が情緒的であり共感能力が高く、力がなく、社会的にに出世しづらく、ケアラーに向いているからだ。兄も弟も自分のために限界を感じ親を見捨て家を出たのに、娘のかんこだけが両親を見捨てられず、家族という車から降りられない。
この父は、母に話せばいいのに、母がケアラーとして役に立たなくなったから娘の所に来ているのだ。最後のアルバムの話は涙が出るほど可哀想だと思い同情するけど、父は自分で自分を癒さなきゃダメなんだ。お前と子供達は別の生き物だと誰か教えてやってくれ。そしてそれがいくらか叶うのは、恐らくかんこが家を出た時だと思う。まぁこの父も母も連絡して来るし会いに来るだろうけど、それでもいつでも当たったり甘えたり出来なくなるのは大きい。自省に期待するしかない。母も気の毒だけど、自分を自分でコントロールしなきゃならないし、子供のように泣き喚いたとて、娘に出来ることなんてないだろう。残念だけど子供や犬と同じで、あまり構うとつけ上がるというのは本当だと思う。そしてきっとかんこの労力や失ったものに見合うほど、将来感謝されない。
父の期待を背負って進学校に進んで限界が来たのに、それで殴ったり罵倒するなんて何事かと思う。いくら可哀想な過去があったって、高校生の娘にこんなにたくさん背負わせる親なんて本来の親じゃない。
愛しているがゆえの家族の苦しみを描いた話だったと思う。そして作者の答えは多分一つ、根本的解決策はない。離れろ。……と私は読み取った。
このお父さんは自分の母親はクソだったと認めて、ちゃんと悲しんで、あんなやつの愛情も賞賛もいらねぇと思えたらいいんだけどね。妻子にこんなに愛されているのにダメなのかなぁ。この中でカウンセリングに行くべきはパパなんだよ。
しんどかったし、面白くはなかったけど、読んでよかった。作者さんが、同じような境遇の人のために、客観的に見られるように自己体験を交えてこの作品を書いてくれたなら、それは恐らく大成功で、ありがたかったです。
Posted by ブクログ
いたい…いたい…
傷つけあっても、また寄り添えあえるのが家族だと、おめでたく思っていたけれど、ちがうよね。家族でも許せないことは許せない。だけど、とりあえず一緒にいるから、時の流れに「溶けていく」だけ。
他人なら、傷つけられた人のことは避けたり、抗議したり出来るが、「帰る家」の中で傷つけられると逃げ場がない。けれど、優しいときも楽しい時も温かい時もあるから、やっぱりそこが居場所になって、「怒り」や「悲しみ」は「保護」や「権力」に塗り込められてしまう。私は自分が親になってからは、自分が塗り込んでしまった「壁」しか見ていなかった。
かんこの父は生家で母親に可愛がられなかったため、一人で強く生きてきた。塾にも行かず、独学で良い大学に入り、努力して第一志望の企業に就職した。母親は喜んでくれず、奥さんになったかんこの母が喜んでくれた。
そして、かんこの父は自分がしてきた「努力」を子供たちにも強いて、子供たちに自分一人で勉強を教えて、三人とも私立中学校に入学させた。機嫌を損ねると暴言、暴力を振るった。
かんこの兄も弟もそんな独善的な父に反抗して家から出た。父親が生家の母親に寄り付かなくなったのと同じように。
だけどかんこは違った。かんこの胸の中にはかんこの中学入試の合格発表の時の思い出があった。父親がかんこと母を抱きしめて泣いたのだ。その時かんこは「すがられている」と思ったのだ。「この人たちは私の、親であり子どもなのだ」と。
一人っ子の私にとって、両親は「絶対」だった。可愛がられていたし、世間から見て品行方正な親でもあったので、恵まれた状態だったと思う。けれど、両親…特に父親が「良し」と思う枠からはみ出ることは許されなかった。両親がダッグを組んで築いた高い壁を乗り越えるために肩を貸してくれるような兄弟もいなかったので、諦めてそこに居続けた結果、なんとなく一番居心地のいい場所になった。
だけど、私の心の中で明確になっていったことがある。それは両親は親だからといって立派な人でもなんでもない。親になるずっと以前から、自分と同じようにダメダメダーメな人生を送ってきてたまたま自分の親になっただけなんだと。だから、親を「守ってくれて当たり前」の人ではなく「守ってあげなければならない子どものような存在」でもあるのだと気づいた。
「反抗」できるうちはまだ実は親に対する甘えがあるのではないだろうか。何故かというとそこに高くそびえ立つ強固な「壁」でいてくれると思っているから。だけど、本当は足下をひと蹴りしただけでもガラガラと崩れ落ちる壁だと気づいたとき、「守ってあげなければ」という気持ちも出てくるのだ。
傷つけ、その傷を親の権力で塗り込めてしまった私の長女はそんな親にある意味見切りを付けて自立した。宇佐美りんさんとほぼ同じ歳。私がりんさんや自分の娘のころに感じた気持ちを小説にするなんてすごい。癒着した傷口を開かれ、さらに癒着している内臓をピンセットで摘まれたみたいにイタイ。
でも、一番ヒリヒリしたのは、かんこの母の心のうちが分かった箇所。父に辛くあたってきた祖母のお葬式の帰り、「久しぶりに家族で遊園地に行きたい」とタダをこね、家族を遊園地に無理矢理連れて行くと、もう動かないメリーゴーランドの前で「子どもたち皆んなで写真を撮りたい」と泣き崩れた。父親の絶対支配の家族ではあったが、一家で車で遊園地に行ったという数少ない楽しい思い出もあった。あの時の子どもたちの笑顔を取り戻せなくしてしまったのは自分たち親の責任でもあるのに、大きくなった子供たちにあの時の笑顔でまた写真に収まってほしいという母の気持ち。分かるなあー。
「推し、萌ゆ」ではあまり思わなかったが、宇佐美りんさん、天才です。ものすごく大人っぽいけれど、その歳でしか書けないものを神様が書かせているとしか思えません。
Posted by ブクログ
驚いた。こんな小説だったとは思わなかった。作者はこのような境遇の女性の心境をどうして描くことができたのだろう。「なんらかの制度と自分の苦しみはつながっているのかもしれない。だが何もかも遅かった。人が傷つく速度には芸術も政治も追い付かない。」すごい威力のある言葉が満載。表紙。メリーゴーランドのシーンはつらかった。いとおしい家族。おぞましい家族。くるまに守られ、くるまに閉じ込められている女性の話。濃い。
Posted by ブクログ
キター!宇佐美りん節炸裂ー!
わたしのHPが持ちません!
この作者の小さな刃で深く抉って、いつまでも疼いて痛む傷つけ方を知っている恐ろしさたるやなんなのだろうか。(めちゃくちゃ惚れ惚れしているという意味です!)
宇佐美さんの言葉ひとつひとつを飲み込みながら、言葉は、本当に人を傷つけることができる、と思うのです。(そしてそれを正しく使われ、表現を浴びた今、畏怖と多幸感でいっぱいです!)
本作は世代間連鎖のお話です。
主人公は自分の受ける痛みと、その家族が受け続けてきた痛みをも背負い込もうとしてしまう、愛情深い女の子、かんこ。
自分だけが楽になることは火事場で子供を手放せと言われているのと同等だ、と彼女は言う。
どんなに苦しくとも、「続いている」から逃げ出すことはできない。家族ゆえに置いていくことはできない。
これから続く人生の中に、家族を断ち切って自立する自分というイメージがきっとない、しつこい幼さも内包している。
いつも期待は裏切られ、暴力で黙ることを余儀なくされ、思うように満たされたことがなかったからかもしれない。
そんな彼女が何とか生きることを選択していく様子は痛々しく、その誰も踏み分けたことのないところから傷ついても行く様に胸をぐっと掴まれ、だからこそラストシーンがどうしようもなく瞬いた。
世代間連鎖という終わりのない問いに対する、とても誠実で素晴らしい終わり方だった。
宇佐美さんはエピソードを作るのが、本当にお上手ですね。
描写したいことが倍増して伝わってくるし、前述した通り、刃は小さいのにとても鋭くて一生消えない傷になりえる力がある。
さて、めちゃくちゃ私事なのですが、これまで宇佐美りんさんの本はどの文庫も途中で挫折しました。
いまなお挑戦しては挫折を繰り返している只中。
宇佐美りんさんの文章を読んでいるとたちまち苦しくなってページを繰る手が止まってしまうのです。
そのまるで踊っているかのような文字の連なりに飲まれ、恐ろしい現実の中へ引きずり込まれていく。
まるで歌うように、まるで詩を詠むように、軽やかなふりをしてわたしを簡単に呪いにかける。
この「感性」が欲しかった。
彼女にはわたしの見えていないものが確かに見えている。
世界の解像度は高く、空気は研ぎ澄まされ、だからこそ自身は細く削られ尖り、ともすると折れてしまう(想像です)そういううつくしいものをわたしも欲しかった。
それを思って読めなくなってしまうのだ。
そしてなんといっても、何度も言いますが、エピソードがしびれるほどいい。
「そのとき」主人公に何が起こるか、何が起こって何を考えさせ、何を語らせたいのか、そういう思惑がちっとも感じられない自然な地獄に気づくと連れていかれている感じが宇佐美ワールドの魅力の一つなのかもしれません。
はー、しかしいよいよちゃんと受け止めなければと、自分には決してない眩しい才能をちゃんと最後まで見届けねばと頑張って最後まで読んで良かった。
骨抜きです。
Posted by ブクログ
とてもとても良かった。著者の書く家族の姿はどの作品でも本当にリアルだ。とりわけ本作では親と子の共依存関係(この関係性を依存と呼ぶことを主人公は拒否している)の描写がリアルすぎて始終胸が苦しい。最後はどんなに地獄でもその中に少しだけ見える希望に縋ってしまう。やはり家族なのだと思わされてしまう。
いく先が地獄だとしても家族というくるまに乗ってどこまでも行くしかないのかもしれない。
Posted by ブクログ
おそらく『推し、燃ゆ』が何十万部売れようと、この人には関係ないんだろうなというのが、まず読み終えた第一印象であり、23歳という若さに似合わぬ、その堂々とした佇まいから放たれる、大胆にして理知的でありながらも、平和そうに見える現実の奥底に深く沈み込んでいる絶望的な闇を、その客観的視点で見つけ出し、なんとかしようと孤軍奮闘している。そんな印象を私に与えてくれた本書は間違いなく衝撃作だと思う。
本書で扱っている問題は、いわゆる家庭内暴力が当然のように繰り返される、どうしようもない家族の在り方であり、普段は人が好くても時折子供のようにカッとなる父親と、脳梗塞の後遺症を引き摺る不安定な母親と共に暮らすのは、常に淡々と振る舞う兄の「にい」と、妹の「かんこ」と、辛いことがある度にへらへらと笑うようになった、弟の「ぽん」の三人であったが、にいは家を出て行き、ぽんは遠くの高校へ行く口実で祖父母の家に行ってしまい、ただ一人残ったかんこも高校生活に馴染めず、時折訪れる精神的衝動の爆発に悩まされており、そこに家庭が影響しているのはおそらく間違いないと思われる中での、そんなある日、父方の祖母が亡くなった事によって祖母の家に車で向かう事をきっかけに、以後その車内でのやり取りを中心として、物語は動いていく。
車の中に家族全員が存在する場の空気というのは、改めて考えてみると家の中以上に息苦しいものがあり、しかも家の中と違い、止まらない限り決して逃げることの出来ない、その檻のような場所で気まずい会話も時には起こるかもしれないが、かんこの場合、背もたれを蹴り飛ばす事も平気でする。これは原因を一切考慮に入れる必要の無い、非常識な行いなのだろうか?
兄や弟が出て行ったのは、主に父親の暴力が原因である事に加え、母親の不安定さも重なったのが大きいのだが、そんな中かんこは暴力を振るわれた、その瞬間は辛くやり切れない思いに囚われるが、時が経つと何となく曖昧に受け入れてしまい、心の底では何とかしたい気持ちもありながら、今日までそれを繰り返してきた。しかもそんな曖昧さがこの家族全員に共通しているところに、かんこ言うところの『地獄』があり、それは『曖昧に繰り返される、柔らかくぬるく、ありふれた地獄』で、最も恐ろしいのは完結しない事だという思いには、私も同情を隠しきれない。
そもそも父親の言動は子供だけでなく母親に対しても同等である事に、私は嫌悪感を覚え、それは過去に脳梗塞にかかった事のある人間に対する接し方では無いと、私自身の価値観に照らし合わせて、そう述べているのだが、本書の凄いところは、おそらくそうした部分は関係ないのだと言っているかのようなところにある。
いや、それはおかしいだろうと言う方も、きっといらっしゃるのだと思う。そんなの別の大人達に相談して、即刻父親から離れさせるべきだという意見もあると思うが、実はそういったことに対して拒否反応を示しているのはかんこ自身で、そこから窺い知れるのは、彼女が子供と大人を対等な眼差しで認識していることだった。
『誰かを加害者に決めつけるなら、誰かがその役割を押し付けられるのなら、そんなものは助けでもなんでもない』
『助けるなら全員を救ってくれ、丸ごと、救ってくれ』
これらの叫びに渦巻く、かんこの思いには、父親が家族に対して行使した力も、『別の被害意識に基づいた正当な抵抗』ではないかと考え、更には被害者であったはずのかんこ自身、もしかしたら加害者でもあるのではないかと自省しており、それは彼女一人だけが地獄を抜け出しても、ちっとも嬉しくないし、家族にとって何の解決にもならない事を、彼女自身が理解している事の証でもある。
『まだ、みんな、助けを求めている。相手が大人かどうかは関係がなかった。本来なら、大人は、甘えることなく自分の面倒を見なくてはならないということくらい、とうにわかっていた』
『だが、愛されなかった人間、傷ついた人間の、そばにいたかった。背負って、ともに地獄を抜け出したかった。そうしたいから、もがいている。そうできないから、泣いているのに』
これまでの家庭内問題を扱った作品では、比較的、被害者側の視点に寄り添った内容が多いと思われる中、本書の場合は加害者側にも同等の温かい眼差しを向けているのが、私にはとても印象深く、しかもそれを血筋といった、目には見えない感覚的な事で分からせようとするのではなく、宇佐見さんなりの方法で、真摯に向き合い誠意を込めて、誰にでも理解しやすい言葉で伝えてくれていて、そこには外側からだけでは決して分からない、それぞれの胸に抱かれた必死な思いも見え隠れしている。
『もつれ合いながら脱しようともがくさまを、「依存」の一語で切り捨ててしまえる大人たちが数多自立しているこの世をこそ、かんこは捨てたかった』
そして、最終的にかんこが家族を思い、とった行動には逆転の発想を思わせるものがあったが、それ以上に私が感じ取れたのは、人間を超越した天にあるものから降り注ぐような、本書でも度々登場した光の熱に対する身を切るような痛みに対する抵抗であり、かんこの行いをきっと見ているであろうに、何もしてくれないものに対する抵抗でもありながら、その曖昧さの漂う空間に於いて、そこから逃げることなく全てを受け入れる事にした、かんこだけが持つ家族に対する真っ新な愛情表現なのであった。
Posted by ブクログ
一度途中で読むのを挫折した。情景描写が細やかでたくさんの言葉が折り重なるように紡がれていて、場面展開も過去かと思えば現在へと移り変わり、それで挫折。
2回目はじっくりと集中できる時に読みました。正直言って辛かった。世代をまたいで暴力や虐待ではと思えることは繋がっているということに、少し自分を重ねてしまったためです。一線を超えないゆるい暴力と虐待は普通にあるんだなと気づき、やるせない気持ちになりました。
まだ20代の若さで書いた小説と思うとその才能に驚きました。
Posted by ブクログ
鏡の中のアクトレスを思い出しながら読んだ。言われてみれば家族とは、同じ車に乗り込むということかもしれない。タイヤがパンクしたりガス欠を起こしたり空気が淀んだり、運転手が血迷ったり、いろんなアクシデントに見舞われても、走り出した車から簡単には降りられない。次の信号で絶対に降りてやると思ってても、ふとした瞬間に笑いあったりお菓子を分け合ったり綺麗な朝陽を見たりしてしまうから余計に。否応なくアクセルを踏まれて人生が始まってしまった私たちの背中を押してくれるというか、まあ仕方ないよ、とりあえず朝まで眠ろうよって肩を叩いてくれるような話だった。
Posted by ブクログ
会話の噛み合わなさを客観的に見せてくれた。
噛み合わないからそれぞれの中で感情や思考を煮詰めてるんだろうけど、思い出したようにわざわざ噛み合わせに行こうとするから辛いんだと思う。あの時こうだったじゃんみたいな。
痛みを痛みとして扱ってくれたり、扱ったりするのは、ある程度その出来事から距離がある人にしかできないことなのかもと読んでいて感じた。
Posted by ブクログ
息がつまった。
共依存。暴力の連鎖。ヤングケアラー。問題だらけの家族だった。
母親の壊れっぷりや父親のなんとも言えない嫌な様子が、やたらとリアルだった。もしかして実体験なのかも、と思うほどだった。
Posted by ブクログ
宇佐美りん独特の表現が満載。
読みずらいという意見も納得。
オーディブルで聞くべきでは無かった。
書籍でもう一度、一言一言を噛み締め、味わいたい。
Posted by ブクログ
160ページ、行間も大きな本なので短時間に読めるだろうと思ったら大苦戦。
独特の表現に追い付いて行けなかったり、容赦ない場面切り替えに戸惑ったりは宇佐美さんの文章の特徴でもあり凄さなので仕方ないとして、内容的に辛く。
酒を飲んでは暴れる脆い母、身勝手な父、逃げ出した男兄弟。いわば前作『かか』の世界をさらに厳しくしたような内容です。全員が被害者意識の塊の様な家族。誰かの発言が他の家族の被害者意識を誘発し、さらにそれが・・・。それでも家族としてまとまるべきだと考える娘が主人公なのですが、さすがにこれは無理でしょうと。
絶賛される人も多いなか、私には『かか』の世界が限界で、この作品の家族の姿が生理的に受け入れがたく。
Posted by ブクログ
宇佐美りんの世界観にどっぷりつかれる一冊。
くるまで生活する高校生かんこ。
そうなった経緯は
複雑だ。
家族とは
生きるとは
苦しみとは
文学として昇華された
感性が光る。
時には
こんな苦しい文学的世界に浸るのも
悪くない。
でも、お口直しに
爽やかな軽やかな本が読みたくなるな。
Posted by ブクログ
嫌な人からは距離をとった方が良いと言われる昨今。自分の家族が自分の体や心を傷つける存在だったらどうしたら良いんだろう?
離れた方が良いという兄弟と離れない主人公。離れられないのではない、離れない選択。自立しているから離れるの?自立してるから他の人も支えられるの?…などなど色々な問いかけがなされるこの一冊。
父はDV。母は脳梗塞後遺症とアルコール依存症。そんな両親を兄弟は置いて出て行ってしまった。女子高生1人が抱えるには大きすぎる家族の問題。かんこはギリギリ。そんな中、祖母が亡くなり家族が集まることになる。何かが変わるのか、何も変わらないのか…かんこを乗せて車は行く。
Posted by ブクログ
家族手放せないやね。
傷つけ合ってもどこかで繋がって、わかった風になる。
かんこが車から出られる日は来るんだろうか?
生きていることが死を拒み続けた積み重ねとういう表現に、
あー戦って生きてきたのだなぁ。と手を差し伸べたくなる。
これからもっと先の話。このしがらみから抜けた時、
まるっと愛せる日が、きたらいいな。
Posted by ブクログ
母親の病気を発端に家族がばらばらになってしまい、切れそうな繋がりをなんとか維持するヤングケアラーの高校生とその家族を描いた作品。最後の父親のエピソードも切なかった。全員がボロボロで、ボロボロになった者同士また傷つけあって、、でも相手の辛い気持ちも知っていて、、となかなか救われないお話。
Posted by ブクログ
なんとも切ない。でも、リアルな内容なんだろう。
冒頭、何か暗い予感を漂わせていたが、段々と合点がいくようになった。
簡単に言葉をかけることが、出来ないと思えた。
分からないし、経験や体験を昇華させるための言語化なんて出来ないと思う。
著者の些細な描写や表現力はさすがだし、才能を感じずにはいられない。どうやったらこんなら文章が書けるのだろうか。別作品『かか』より読んで良かったと思えたが、著者は家族に対してどんな思想や価値観をお持ちなのだろうかと思う。
Posted by ブクログ
両親と弟と車中泊をしながら祖母のお葬式の場所まで向かった。
父は幼少期に家族に恵まれず孤独な日々を過ごしてきたが学力で努力して自立していった。
父の勉強術で兄と弟とかんこは、たくさん勉強して、かんこは私立の中学に入り志望校にも合格できた。
だけど、高校生になって学校についていけなくなったかんこ。
酒を飲むと悪酔いし、脳梗塞で体のマヒが残る母と、怒ると人の内側を言葉でえぐり殴る父。
何度も喧嘩した日々。互いを傷つけながらも必要としている家族。
祖母のお葬式から帰ってきてから、かんこは家に入れず車の中で生活するようになった。
いびつな依存しあう家族。
その違和感をはっきりとは書かない感じがリアル。
Posted by ブクログ
愛されたくても愛されずに育った父。
自分の心と身体が思う様にコントロールできない母。
両親の期待の重さと様々なトラブルから逃げるしかなかった兄と弟。
恐らく、自律性調整障害で学校に行くことが苦しかったかんこ。
家族の何気ない日常の諍いが、お互いをどうしようもなく苦しめてしまう様が淡々と描かれている。
こういう、気持ちのコントロールができずに相手を責めたり絶望することってあるよな…と思いながら読み進めた。
人は、人を傷つけずには生きられないし、知らぬ間に傷ついたり傷つけたりしてしまう。
家族だからこそ、傷つき、傷つけられることは多い。
それぞれが過去の傷から癒えることがないままであれば、尚更傷に泥を塗ることもあるのだと思う。
誰か1人が悪いわけではない。
みんな苦しみながら生きてる…
それに気づいただけで、世界は何も変わらないかもしれないけれど、自分を苦しめるあの人の苦しみにも想いを馳せられるような気がした。
Posted by ブクログ
喉奥が硬くなって、うっ、と唾が痛い。
あの時の、父親の怖さを思い出した。
泣くよか、へらへらしながら、足をつねる兄
たぶん、知ってる。たぶん、じゃなく