宇佐見りんのレビュー一覧
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ネタバレ息が詰まるような閉塞感が文字越しにも伝わるような、読後感のなんとも悪い作品だった。宇佐美りんさんが「かか」で表現したかったことを更に煮詰めた結果がこの作品だったのかなとも思った。記憶と現在が入り混じった難しい構造や、娘が親を憐れむ気持ち、無関心な兄弟たち。ただどっちにしろ2つとも読んでいて苦しくなる。家族という言葉の持つ欠点というか、血縁から生まれる断ち切りがたい繋がりが、命綱にも縛り付ける鎖にもなる、そんな現実を嫌でも意識させてくる。その鎖は親から子へ嫌でも繋がっていく。そんな理不尽を最後は天からの光のせいにしてしまう、それだけどうしようもない理不尽なのだ。
「あの人たちは私の、親であり子ど -
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本当に小説としてすごいし、これを書いた後で、新刊が出ないのも頷ける。暴力が天から降ってくるという感覚の後で、その先を描くことは難しい。自分や他者をネットワークを構成する一要素として、俯瞰する目線。暴力に始まりも終わりもなく、過去から引き継がれるネットワークの歪みそのものが暴力として人々を縛る。ネットワークを切断し、自立することを選ぶ兄や弟。しかし、その選択では歪んだネットワークは温存される。ネットワークは外部からではなく、内部からしか変えられない。少なくとも短期的には。ネットワーク内部の構成要素としての自分はどのように振る舞えば、ネットワークの他の構成要素たる親を救うことができるのか。かんこの
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ネタバレ実家の掃除をしていたら出てきたので持ち帰って読みました。ちょうど推しが燃えたのもあって巡り合わせだなと。笑
最後の数行が好きです。私も主人公と同様、できることの方が少なく、生きるだけで精一杯です。これを「二足歩行は向いてなかったみたい」と表現しているのは初めて見ました。あっさりとしていて、それでいてすっと胸中に染み込んでくるような感覚がします。
背骨を失っても、現実を直視しても這いつくばって生きていく選択ができた主人公は立派だなと思います。私も見習ってふんばっていきたい。そんなお守りになるような文章を知ることができてよかった。
熱量のある狭窄的なハマり方は、やはり若い頃の特権だなと思います。 -
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凄かった。エッセイというものをほぼ読んだことがなかった私にとって強烈な読書体験だった。
ほんタメというYouTubeチャンネルで紹介されており興味を持って読んでみた。これは、映像化はきっと難しい、本という媒体のみを通して伝えられる感覚だと思った。
共感できる部分も多く、一方で共感できなかったあの子の振る舞いはこんな感覚にルーツがあったのではと思い至るところもあって、強烈に胸に響いた。私の感じたもやもやを言語化してもらったようで嬉しさもあった。自身も女性性を元とした経験はポジティブ面、ネガティブ面ともにあり、同じような経験をした作家がそれをどう捉えるかを聞けたことが嬉しかった。
性に関する体験を -
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「私の身体」を「生きる」とは何だろう。いや、「私の身体」とは何だろう。そもそも、「私」とは何だろう。
各作家たちの切り口は様々だが、みな共通しているのが、己という存在を不可欠に構築するこの肉体というものの生物的な役割にも社会からの眼差しにもかなり戸惑い、苦しみ、受け入れたり受け入れられなかったりしながらどうにか生きている点で、強く連帯感を持ちながら読んだ。
痛ましさを感じたのが、執筆陣の女性たちはほぼほぼみな性被害の経験がある点。私にもあるし、私の友人たちもほとんどあると思う(学生の頃、痴漢が話題になったとき、その場にいた10人ぐらいのなかで痴漢に遭ったことがない子は1人しかいなかったことを -
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ネタバレ父方の祖母が亡くなり、かんこと両親は車で祖母の家へ向かう。
車中泊をしながら。
家を出て暮らしている兄と弟もそれぞれやってきて…という話なのだが、彼女の作品を説明するのに、あらすじなど書いたところでしょうがない。
傍から見ればかんこの家族は壊れている。
些細なことですぐかッとし暴力をふるう父、脳梗塞で倒れて以来自分の感情を持て余すかのように時々爆発する母。
家を出て自分の力で生きている兄と、遠くの高校へ通うために家を出ている弟。
家族それぞれが傷つけあい、血を流しながらも愛している。
それは歪なこと?
逃げ出さなくてはならないこと?
かんこはそうは思わない。
”もつれ合いながら脱しようと -
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非常に面白かった。
自分にはファンとして応援しているアーティストや作家はいるが、推すという言葉はそういったものとは違う形の熱量を持っている気がして、自分では使わないようにしている。この本を読んで、やはり推すという行為はファンであるというのはおそらく違う性質を持っているのだなと再確認した。(まぁ、ファンというのと変わらない感覚で使っている人もいるとは思うが)
しかし、この作品で書かれていることは推すという行為を心の支えにし、生きづらさを抱えながら生きている人間がそれを失いその生きづらさをより突きつけられていく様だ。
おそらく、私と同じように推すという行為に対して懐疑的で違和感を持つ人間は多いと思 -
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母と娘の特殊な結び付きが痛々しくて切なかった。
パッと分かりやすい不幸でないと不幸と認めてもらえないこと、行き詰まった心の吐き出し先がない苦しさなど、読みながら胸が痛くなった。
小さな子供にとっては誰でも母は信仰の対象だ。例え子供っぽくて、父から捨てられ、鬱で半狂乱になる母でも、その信仰を子供は捨てることができない。特に娘にとっては同性である女であることが呪いのようにもなってしまう。
ラストの後、信仰の対象がなくなったことがどうか良い方に転んでほしいと思った。
また、身内でありながら第三者ポジションの「おまい」への語り口調が家族間の関係性を浮き彫りにさせていて、より主人公の孤独感が際立ってい -