【感想・ネタバレ】推し、燃ゆのレビュー

あらすじ

推しが燃えた。ファンを殴ったらしい――。第164回芥川賞受賞、世代も国境も超えた大ベストセラー、待望の文庫化! 解説=金原ひとみ

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Posted by ブクログ

ネタバレ

面白かった。あかりさん、ダメ人間のようだけど推しを推すことにかけては極みまでたどり着いた感がある。こういう子ってホストにはまっちゃったりしないかとかいらない心配したけど、最後の綿棒でちょっと安心した。這いつくばってでも少しずつ何かを拾っていってほしい。
作者さんのあとがきがめちゃめちゃ作品の深いとこまで語っていて純文すごいと思ったりした。文章も鮮やかで読み応えありました。

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2025年11月25日

Posted by ブクログ

芥川賞とタイトルに釣られて購入。
本をもっと読みたいと思うきっかけになりました。

私に推しがいるからこそ主人公の気持ちが痛いほどわかり、しばらく何とも言えない感情に取り憑かれました。。

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2025年10月27日

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非常に面白かった。
自分にはファンで応援しているアーティストや作家はいるが、推すという言葉はそういったものとは違う形の熱量を持っている気がして、自分では使わないようにしている。この本を読んで、やはり推すという行為はファンであるというのはおそらく違う性質を持っているのだなと再確認した。(まぁ、ファンというのと変わらない感覚で使っている人もいるとは思うが)
しかし、この作品で書かれていることは推すという行為を心の支えにし、生きづらさを抱えながら生きている人間がそれを失いその生きづらさをより突きつけられていく様だ。
おそらく、私と同じように推すという行為に対して懐疑的で違和感を持つ人間は多いと思う。
しかし、社会が複雑化し様々な生きづらさを抱えている人が多い現在において、この作品で書かれていることに共感する人は多いだろうし、題材は現代的でありながらも普遍的なテーマを持っているように思う。

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2025年09月18日

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良作でした。
推しという存在がいる人もいない人も是非読んで欲しいです。
推しという存在によってその人が社会の中で生きていける、逆説的に基本的にそれくらい生き辛い世の中なんだそんなことを教えてくれる作品。推しとは一般的にそう思われがちなアイドルや歌手・俳優・声優などだけではなく、家族であったり作品であったりレジャーや風景などその人にとって何がそうなるのかそれぞれだと思います。それが無いとどれだけ生き辛くなるのか。
それをかなりこじらせるとこの作品の主人公のようになるのでしょう。推しの存在を確認することで自分の存在を確認できる。
そこまで思える推しがいることは幸福だし、そうすることでしか自分が存在しないのは怖い事なのかもしれない。
過酷な今を乗り切るには推しという存在が必要なのかもしれない。

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2025年10月04日

購入済み

正直、主人公が僅かに羨ましい

 アルコールやギャンブルと同じように推し活も、病気として治療が必要な依存症の域に達することがある。主人公は推し依存症であるが、何かに沼ることで憂き世を忘れて生きる活力を得て、そこで歯止めが効かなくなることは誰しもあり得る。
 さて、五十路の自分はつまらない人生を歩み、今はマッサージ屋で肩をほぐしてもらうこと、TRPGのニコニコ動画を観ること、ラジオで問わず語りの神田伯山を聴くことを、ささやかな楽しみに生をつないでいる。推し活に燃えたひとときに一片の悔いも残していない若い主人公が、僅かに羨ましい。

#切ない

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2023年09月22日

ネタバレ

アイドルも、おたくも必読な本

推しが存在したことも燃えたこともある身からすると、主人公の思いも行動もリアルで心抉れました。 推し活とは推しに自分を重ね託すことで、どうしようもない自分の生活が救われ、承認欲求が満たされる行為です。誰かのために生きるという観点からすると、子供や親や恋人のために仕事・生活を頑張ることと同義です。主人公の行き過ぎた推しへの想いや熱度を私は愛しいと感じました。
そして、自分の全てをかけ生きる糧としたファンがいたことが上野真幸にも伝わっていればいいとも思ってしまいました。
誰かを推したこと、推されたことがある全ての人に読んでほしい作品です。
生きていく意味を失ったあかりが次の生きる糧を見つけられることを願わずにはいられないです。

#切ない

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2023年09月03日

Posted by ブクログ

ネタバレ

◾️record memo

あたしは触れ合いたいとは思わなかった。現場も行くけどどちらかと言えば有象無象のファンでありたい。拍手の一部になり歓声の一部になり、匿名の書き込みでありがとうって言いたい。

寝起きするだけでシーツに皺が寄るように、生きているだけで皺寄せがくる。誰かとしゃべるために顔の肉を持ち上げ、垢が出るから風呂に入り、伸びるから爪を切る。最低限を成し遂げるために力を振り絞っても足りたことはなかった。いつも、最低限に達する前に意志と肉体が途切れる。

肉体の重さについた名前はあたしを一度は楽にしたけど、さらにそこにもたれ、ぶら下がるようになった自分を感じてもいた。推しを推すときだけあたしは重さから逃れられる。

この痛みを覚えている、と思う。高校一年生の頃のあたしにとって、痛みはすでに長い時間をかけて自分の肉になじみ、うずまっていて、時折思い出したように痺れるだけの存在になっていたはずだった。それが、転んだだけで涙が自然に染み出していた四歳の頃のように、痛む。

あたしのオタク活動に、姉はたまに口を出してくる。なんで好きなの、と不思議そうにする。あんた、塩顔好きだったっけ。明仁くんのが目鼻立ちはっきりしてるし、歌もセナくんのほうがうまいでしょ。
愚問だった。理由なんてあるはずがない。存在が好きだから、顔、踊り、歌、口調、性格、身のこなし、推しにまつわる諸々が好きになってくる。坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、の逆だ。その坊主を好きになれば、着ている袈裟の糸のほつれまでいとおしくなってくる。そういうもんだと思う。

あたしには、みんなが難なくこなせる何気ない生活もままならなくて、その皺寄せにぐちゃぐちゃ苦しんでばかりいる。だけど推しを推すことがあたしの生活の中心で絶対で、それだけは何をおいても明確だった。中心っていうか、背骨かな。

勉強や部活やバイト、そのお金で友達と映画観たりご飯行ったり洋服買ってみたり、普通はそうやって人生を彩り、肉付けることで、より豊かになっていくのだろう。あたしは逆行していた。何かしらの苦行、みたいに自分自身が背骨に集約されていく。余計なものが削ぎ落とされて、背骨だけになってく。

世間には、友達とか恋人とか知り合いとか家族とか関係性がたくさんあって、それらは互いに作用しながら日々微細に動いていく。常に平等で相互的な関係を目指している人たちは、そのバランスが崩れた一方的な関係性を不健康だと言う。脈ないのに想い続けても無駄だよとかどうしてあんな友達の面倒見てるのとか。見返りを求めているわけでもないのに、勝手にみじめだと言われるとうんざりする。あたしは推しの存在を愛でること自体が幸せなわけで、それはそれで成立するんだからとやかく言わないでほしい。お互いがお互いを思う関係性を推しと築きたいわけじゃない。たぶん今のあたしを見てもらおうとか受け入れてもらおうとかそういうふうに思ってないからなんだろう。実際推しがあたしを友好的に見てくれるかなんてわからないし、あたしだって、推しの近くにずっといて楽しいかと言われればまた別な気がする。もちろん、握手会で数秒言葉をかわすのなら爆発するほどテンション上がるけど。

携帯やテレビ画面には、あるいはステージと客席には、そのへだたりぶんの優しさがあると思う。相手と話して距離が近づくこともない、あたしが何かをすることで関係性が壊れることもない、一定のへだたりのある場所で誰かの存在を感じ続けられることが、安らぎを与えてくれるということがあるように思う。推しを推すとき、あたしというすべてを懸けてのめり込むとき、一方的ではあるけれどあたしはいつになく満ち足りている。

延々と同じ模様を描く汚れたタイルや点字ブロックの上を、スニーカー、革靴、ピンヒール、多様な形状をした靴がばらついた音を立てて絶え間なく打ち付けている。人の汗や手垢が建物をぶち抜く柱や階段の縁にこすりつけられ、人の呼吸が、同じ直方体の連結した車両内にあふれている。コピペしたみたいに階の積み重なったビルへ続くエスカレーターに人が押し寄せ、吸い上げられる。機械的な繰り返しのなかに人間が動いている。どの投稿も四角い縁で囲まれ、円のなかに等しくアイコンが切り取られ、まったく同じフォントで、祝ったり、怒ったりしていた。あたしの投稿もあたし自身も、そのなかの一部だった。

やめてくれ、何度も、何度も思った、何に対してかはわからない。やめてくれ、あたしから背骨を、奪わないでくれ。推しがいなくなったらあたしは本当に、生きていけなくなる。あたしはあたしをあたしだと認められなくなる。

あたしを明確に傷つけたのは、彼女が抱えていた洗濯物だった。あたしの部屋にある大量のファイルや、写真や、CDや、必死になって集めてきた大量のものよりも、たった一枚のシャツが、一足の靴下が一人の人間の現在を感じさせる。引退した推しの現在をこれからも近くで見続ける人がいるという現実があった。
もう追えない。アイドルでなくなった彼をいつまでも見て、解釈し続けることはできない。推しは人になった。

散々、道に迷い、バスを乗り間違え、パスモを落としそうになった。最寄り駅に着いた頃には二時になっていた。家に帰った。帰っても現実が、脱ぎ散らした服とヘアゴムと充電器とレジ袋とティッシュの空き箱とひっくり返った鞄があるだけだった。なぜあたしは普通に、生活できないのだろう。人間の最低限度の生活が、ままならないのだろう。初めから壊してやろうと、散らかしてやろうとしたんじゃない。生きていたら、老廃物のように溜まっていった。生きていたら、あたしの家が壊れていった。

綿棒をひろった。膝をつき、頭を垂れて、お骨をひろうみたいに丁寧に、自分が床に散らした綿棒をひろった。綿棒をひろい終えても白く黴の生えたおにぎりをひろう必要があったし、空のコーラのペットボトルをひろう必要があったけど、その先に長い長い道のりが見える。

這いつくばりながら、これがあたしの生きる姿勢だと思う。
二足歩行は向いてなかったみたいだし、当分はこれで生きようと思った。体は重かった。綿棒をひろった。

先ほど私は散髪屋の玩具を例にあげながら、戦わせながら切り終わりを待っている、と書いた。そういう場合の人間は、自分ではないものに自分を仮託して、待っているのだ。何を?そうしないではとどまっていられないような、苦痛な時間の終わりを、だ。

個人にとって苦痛な時間が、多くの人に訪れる。それはやすやすとはぬぐわれず、忘れる瞬間か、偶然救いが訪れる瞬間を待つしかないというのは、あるひとつの正解ではないだろうか。がんばったから救われるわけではなく、そして待っていて必ず救われるかというとそうではなく、そんなことをしているあいだに自分がもたなくなることもある。ある日ひょんなことで隙間から脱出できることが、あるか、ないかは偶然が決める……小説を通すと別の結論にいたることはあるが、現実世界の私はいつもこう考えている。

さて、苦痛の過ぎ去るのを待つあいだに何をするかだが、この作品の主人公が選んだのは「推す」ことだった。

口を閉じている存在を軽んじる先輩や大人にはどうか背を向けて、心の柔らかい部分をまもって生きてもらえたらと願っている。

この世界を生きるために、何か一つ支えが足りない。言語化はできていなかったものの、私が幼いころから抱えてきた思いだ。どうしてこんなに息ができないのか、どうしてこんなに体が重いのか、どうしてこんなに人と同じことができないのか、どうしてこんなにこの世界は私にとって過酷なのか。ずっとそう感じてきた。そして今のこの瞬間だけでも生き延びるために小説を読み、小説を書き、爆音で音楽を聴き、泥のような恋愛をして、刹那的な遊びを繰り返し、薬や酒に逃げた。泥のような恋愛はいつも干上がった田んぼのようになって終わったし、刹那的な遊びや薬がもたらす快楽は翌日には自己不信に取って代わった。今の生活に残ったのは小説と酒と身を滅ぼさない恋愛、ライブやフェスに行くことだけだ。

私には推しという推しはいないものの、生活の柱として仕事以外にライブとフェス参戦を組み込み、自分が崩れないよう半ば無意識的にバランスを取っている。このライブに行ったら報われるから、この人前に出るイレギュラーな仕事も乗り越えられるはず、このフェスに行ったら一週間は多幸感に満ちてるからこの締め切り前のラストスパートと睡眠不足にも耐えられるはず、このちょっと苦手な編集者との打ち合わせは疲弊するだろうからライブ前日あるいは当日に設定しよう、とマリオカートでいうところのスーパースターやキノコみたいなアイテムのように使ったり、致死的なことがあっても平気なようにライフを回復しておいたりして、荷が重い仕事や苦手な人を乗り切るのだ。ちなみに学校のPTAや保護者会的なものは、直前にそれ相応のアルコールを服用してから出るようにしている。自分にもそうして生きるために縋っているものがある者として、この信奉することによって自分の生活や生そのものを支えることを「背骨」と称した著者のセンスには脱帽する。

「あたしには、みんなが難なくこなせる何気ない生活もままならなくて、その皺寄せにぐちゃぐちゃ苦しんでばかりいる。だけど推しを推すことがあたしの生活の中心で絶対で、それだけは何をおいても明確だった。中心っていうか、背骨かな」

それがなければ日常生活はおろか、立っていることすらできない、体を貫く骨。これが主人公が終盤で這いつくばるシーンにも効いてくる、重たく切実な、唯一無二の比喩だ。

最後の砦であった家族すら解体され個として生きる他ない人々が何を求めるのか、何と共に生きることを選ぶのか。本書はその問いの一つの答え、そしてその答えの先に見える景色を描いている。

現代人の多くは、この糸の切れた凧のような浮遊の中で無意識的に、自分を世界に、自分を日常に、自分を生に結びつけてくれるものを求め、推しを推しているのではないだろうか。コロナ禍で推しを持つ人が増えたのも、社会はいとも簡単に機能不全となる、死ぬ時は一人である、という事実がわかりやすく提示されたという理由からかもしれない。

あかりも身をもって体験するが、自分自身の背骨を誰かに委ねるのはリスクを伴う行為だ。しかし背骨のない生を、世界と自分を繋ぎ止めるものが何一つないまま平然と生きられるほど、人間は必然的な存在ではない。

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2025年12月26日

Posted by ブクログ

ネタバレ

同い年の著者による小説を読むのは初めてだったのでワクワクしながら読んだ。
題名の通り推しが燃える。推しに全てを捧げる主人公は推しが燃えるにつれて、全てが崩れていく。家族とも離れ、バイトをクビになり、学校を中退し、まさしく背骨を抜かれたように崩れ落ちる。推しが全て、推しを推すことが存在理由であった主人公は推しを失うことで、ある種の結論にいたる。
同い年というだけあって自然と推しの世界観に入ることができた。その上表現も上手なため、推しに全力な人の気持ちが読み取りやすく、その追体験は刺激的だった。
読んでみて思いつくのはブルーピリオドの「俺の好きだけが俺を守ってくれるんじゃないのかな」というセリフ。推しを世界と自分とを繋ぐ存在として描く本書と合わせると、人は存在理由を求めて好きなものを探すのではないかという仮説が立てられる。でも、好きというのはもっと感覚的なもので求めて生まれる感情ではないことは確か。それか、理由も根拠もない内から湧き出る感情という輪郭のないものに、マッチするものがある、それを満たすものを作る人がいる、それと同じ感情を抱く人がいるということが不確かな自分を確からしくしてくれているのかもしれない。じゃあ嫌いってなんなんだろうか。
何気ない当たり前に思考を巡らせるきっかけになるいい本だったと思う。

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2025年12月18日

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若く狭い世界で、自分で自分を沈めて行く。
メッチャくらいました…

今年、三宅香帆さんの「好きを言語化する技術」を読んでいたので、本書の途中ででてくる主人公のブログがとてもリアルで、ガチで推してる感がすごい伝わってきました。

「かか」も良かったけど、こっちも良い。

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2025年12月02日

Posted by ブクログ

なりたい理想の自分があるけれど、あくまで理想であるため、現実の自分とは程遠い。そんなギャップに苦しめられるなら、自分の理想と似た人間を推せばいい。極限まで推している主人公がその拠り所を無くしてしまう心苦しさや僅かな可能性に賭ける思いが伝わってきてすごく好みだった。
解説でも書かれているが、推し活を背骨と喩えているのがとても好き。人はそこまで強く無いため、趣味などを持ちそれを自身の生きる理由としているケースが多い。だからこそ趣味、本作では推し活を背骨と喩え、失われてしまえば立ち上がれないという思いが伝わってきた。
「推し」が炎上した行動を行った理由が一切語られないことで、主人公と推しには明確な隔りがあると表現されているのかなと感じた。

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2025年11月20日

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今、全力で推し活している人が読むと心にグサっとくる表現や展開が多い印象。でもそれが現実でアイドルを推す、人を応援することの心理が読みやすかった。

趣味が推し活しかない人は、ぜひ読んで欲しい。

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2025年11月18日

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タイトルからもう少しエンタメよりの「推し活」をする主人公を思い浮かべていたけれど、私はこの話の主題は〈推し活〉そのものではなく、〈ADHD体質の人が現代をどう生きのびるか〉という問いだと思った。
人が当たり前にできることが自分にはできない。その事実に対する疎外感、絶望、諦念、怒り、焦燥。劣等感が積み重なると、聞き入れるべきことと身を守るために避難すべきことの取捨選択がどんどんできなくなる(p.90)。ループする自己嫌悪を一時的にでも麻痺させる・忘れるための手段が〈推し〉で、だから推しの炎上はあかりの生活、ひいては生存にダイレクトに関わってくる。しかし、〈推し〉というあくまで他人の存在を解釈し、自分の軸にすることについてこの小説は警鐘を鳴らしている。

作者のあとがきも、金原ひとみの解説もよかった。
小説とは死ぬまで体を支える、消えない背骨になり得るのだ。喪失を描いた作品が、喪失を埋める。(p.165)

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2025年10月16日

Posted by ブクログ

「推しがほしい」と思い、少しいいなと思った俳優のインスタをフォローして出演作品をいくつか見ていった時期がある。結局1か月ほどで終了した。どうしても面白くない作品は最後まで見られず、ファンミーティングのチケット価格には思った以上の高さに、思わず笑ってしまった。俳優としては魅力的だと思った人のプライベートな投稿で心が次第に冷えていった。
そんな経験があるので、「推し」を心から推してる人たちに憧れはあるけれど、理解までは至らない。
ひとつのことに情熱を捧げられる力は、娘にもあったらればいいなと思う。一方で、この作品に描かれているのは「依存」とは違うのかと考えさせられた。推すことに理性を失っていく姿は読んでいてつらく、娘にはそうなってほしくないとも思った。
それでも、そこまでにならなければ「推す」とは言えないのかもしれない、と思う自分もいて、やっぱりそうはなりたくない、なってはいけないとも思う。とにかく理解はできず、「推し」をそこまで思いつめる人たちが世の中にはたくさんいることに少しさみしい気持ちにもなった。
宇佐見さんの作品は初めて。若さを感じる表現や感覚が随所にあり、自分のこととして読むというより「娘がこうだったら」と想像しながら読み本になった。それはそれで新感覚だった。
本人によるあとがきと金原ひとみさんによる解説も読む価値あり。

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2025年10月14日

Posted by ブクログ

▪️推しを解釈する
▪️ステージと客席の隔たり分の優しさ
▪️相手と近づくことがない分関係性が壊れることも無い

私には推しはいないけど
推し活してる人のことは楽しそうやなぁとは思う
でもこれ読んだらちょっとかなしいなぁとも思った

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2025年10月05日

Posted by ブクログ

ずっとざわざわするような心持ちになる本だった。
このざわざわ感が主人公が推しを推していないと呑み込まれてしまうざわざわ感なのかと思った。

この本は単純に「推し」の話というより「発達障害的特性をもつ」主人公ゆえに、「推しを推すということそのものが」生きることを支えてくれる(自分の背骨になってくれる)話だと感じた。


以下は読み終えてから、ぱらぱら見返すことで生まれてきた感想。(ネタバレ含みます)




生まれたときから、もって生まれたその肉体と共に、恐らく発達障害としての生きづらさが「肉が重い」という表現で冒頭から表される。
以後、何度も「肉」、「肉体」という物質的な塊としての表現がされる。

削ぎ落としたくとも削ぎ落とせない肉の重み。

家族からも担任からも、関係が近いほどしんどい言葉を浴びせられる。

だからこそ、一定のへだたりのある推しを推すことが唯一の生きる「業」であった主人公あかり。

最後は自分の骨のような綿棒をひろい、肉と骨が合わさり、はじめて「体」と表現されたことに、二足歩行でなくとも、這いつくばる姿勢こそが自分の生き方だと、自分を受け入れた覚悟みたいなものを感じた。

なぜ、推すのか
ままならない自分と向きうしかないあかりの再生の物語だったのかな。

おでんを食べていた時の、お姉さんの「頑張ってると言わないで」のくだりも、まあ、そっちはそっちで思うものがあり、こっちはこっちで「なんでだよ」となる

わかるなあと思う

長くなってしまったが、最後に印象に残った言葉、文章。

「へだたりのぶんの優しさ」

「相手と話して距離が近づくこともない。
あたしが何かをすることで関係性が壊れることもない。一定のへだたりのある場所で誰かの存在を感じられることが、安らぎを与えてくれるということがあるように思う。」

なんともせつない。

でも生身の人間はときに何気なく、しんどい一言を意図するしないに関わらずぶつけてくる、ぶつけてしまうこと「も」あるだろうから、「へだたりのぶんの優しさ」に癒されること「も」あるんだろうな。
もうこれ以上傷つきたくないんだという叫びにも聞こえた。

ぱらぱら見返したり、感想が長くなるあたりが
やはり芥川賞なのかもしれない。

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2025年10月02日

Posted by ブクログ

表面化された情報が正しいとは限らない。
いい意味でも悪い意味でも。
だけど、人はそこに夢をみるんだろうなぁ。
狂わしいほど夢中になったその先に何があるのか、何もないのか答えなんて知りたくもないけど走るしかない、そんな感じがしました。
普通のアイドルオタのお話かと思いきや、とんでもなく文学だった。

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2025年09月29日

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ネタバレ

「推し」がいるという経験をした人には、いろいろ共感できるところも多いな、と思うけど、基本的には家族との関係、つまりは自分の土台が危うい若い女性のお話。
自分の感覚を文章化できるほどに頭がいいのに、他人を説得する能力が著しく低い。
年寄りである私たちからみると、最近の若い作家さんの作品の傾向はこんな感じが多いな、と思うのだが、私たちももしかしたら、かつてはこうだったのかもしれない。
でももっと鈍感で、だからこそ傷の治りも早かったようにも思う。
大人も今よりずっとずっと物分かりが悪かった。
若者を取り巻く環境、ありていに言えば、「時代」が変わったのだな、と思わせる一冊であった。

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2025年09月08日

Posted by ブクログ

最初の50ぺージくらいは「“推し”の話がずっと続くの?」って感じだったのですが、腐っても芥川賞、このまま終わるはずがありません。面白かったです。

本作が発表されたのが2020年9月、コロナが猛威を振るっていた時期ですね。
”推し”への依存がリアルでした。家族や恋人に価値判断等を依存してしまう話は昔からよくあったと思うのですが、人間関係が希薄な現代においては、”推し”依存は恋愛依存よりも現実味がありました。
注目すべきは、”推し”に依存して、自分を見失っているように見えながら、実際に”推し”の態度や行動を細部まで観察し解釈しているのはあかり自身であるということ。直接触れ合える恋人とは異なり隔たりがあるのが推し活の悲しい点でもあり、健全な点でもあると思います(地下アイドルと実際に繋がった友達の成美はまた別の話)。
”推し”との関係は一方的で、”推し”に自分の価値観や判断を丸ごと依存しているようでありながら、”推し”がそれらを背負っているわけではありません。”推し”が消失した後、宙ぶらりんになった価値観や判断をあかりがどうしていくのか。少し希望が見えるラストだったと思います。

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2025年07月12日

Posted by ブクログ

いままで何かを「おす」ことがなく生きてきた人生だったので「おす」を体感したくて読んでみた。
自分なりの解釈は「おす」とは何かの信仰と同じようなものかと思った。ホモサピエンスは人生の生きる理由を見つけるために様々な形で何かを信仰するがその一種と解釈。たまたま救われたのが「おし」だっただけなのでは。示唆深い本だった。

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2025年12月27日

Posted by ブクログ

主人公にとっての推しが炎上することによって、その推しを心の支えにしていた主人公の精神が、元より家やバイト先での生きづらさを感じていたのも相まってどんどんすり減っていく様子が見て取れる。
令和の今だからこそ書ける純文学という感じ
堅苦しくなくするすると読み進められるが、話の内容としては結構重い(特に同じように“推し”の誰かがいる人からすると)。

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2025年12月24日

Posted by ブクログ

短いですが、推しがいる人の気持ちが少しですが、わかりました。人生が辛い人にとっては、推しがいることが人生であり、その推しが全て。
なんとも言えない終わりですが、何か心に残る作品でした。

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2025年12月24日

Posted by ブクログ

推し活で日常に戻れなくなる、というのを想像してたけど全然違った
主人公に通ずるところが自分にもあるから苦しくなる

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2025年12月22日

Posted by ブクログ

第164回芥川賞受賞作であり、2021年の本屋大賞ノミネート作でもある本作品。読み始める前からずいぶんハードルや期待値を上げられてしまってたいへんだろうなぁ、と思いながら手に取りました。

帯にもあるとおり、高校生のあかりが推すアイドルグループまざま座の上野真幸がファンを殴って炎上してしまいます。その真幸と世間との戦いのあいだで、主人公の推しへの揺るぎない内面を描く話です。

文体は、内面をうまく言語化できない主人公のポップな言葉でふわっと綴られているので賛否はあるかと思いますが、現代の一人の若者を表す作品として、私はこのチャンネルに合わせるのは苦労しましたが、とても新鮮で、なにか新しいものを知るよい読書体験だったなと振り返っています。

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2025年12月18日

Posted by ブクログ

2020年芥川賞(下半期)受賞作
芥川賞作品にしては軽く読みやすいのは「推し活」というポップな話題がテーマだからかな?

市民権を得た「推し活」なるワード
いつからか調べたら2021年の流行語にノミネートされたらしいから、2020年位から使われ出したのかな?

最近自分の周りでちらほら見かける「推し活」をする人の生体を垣間見れた気がする。理解は出来ないが…。

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2025年12月11日

Posted by ブクログ

推しというライトな題材でありながら、完全な純文学で読みごたえがあった。他の作品も読んでみたいと思った。

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2025年12月10日

Posted by ブクログ

ネタバレ

勝手に推しを推せなくなった世界でどう生きていけばいいのか答えがある物語だと期待していた分、なんとも現実的ですっきりしないまま終わった。

推しへの解釈は人それぞれだけど
生きづらい毎日でもどうにか自分を立たせるための"背骨"的存在あることは共感できた。

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2025年12月10日

Posted by ブクログ

ネタバレ

自分の勝手な理解です。
推される対象であるアイドル真幸と、推し活に励むあかり、二人は合わせ鏡の表裏。
二人とも、子供から大人になりきれないモラトリアムを過ごしていた。真幸はアイドルをすることで、あかりは推し活をすることで。真幸が最初に演じたのがピーターパンであることは、これを暗示している。
しかし、真幸は結婚相手と出会い、家族を形成することになったのを機に、大人にならざるをえなくなる。ファンを殴ったのは、アイドルから大人に脱皮するための行為。
一方、あかりは、真幸の引退を機に、そして、家族を出ることになり、大人にならざるを得なくなる。綿棒を投げつけた行為こそ、真幸のファン殴打と同様に、大人への通過儀礼。
真幸とあかりは、それぞれが、家族の形成と解体という逆の出来事を経て、モラトリアムを終え、大人になってゆく…。

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2025年12月08日

Posted by ブクログ

話題になっていたときからずっと楽天のカートに入れていたのをやっとaudibleで聞きました。
audibleの朗読は玉城ティナ。

タイトルや表紙から華やかなアップダウンのある話だと勝手にイメージしていたけど、読んでみるとテンションがあまり変わらず淡々としていて、重ため。
情景描写が繊細で、ことばの使いかたが良かった。

主人公にはあんまり共感はできなかったけど、親側の気持ちになって、子供がこんなふうだったらどうする?と想像してみたりはした。
学生の頃とか、若いときに読んだらハマるのかなぁ…?

追伸。
文庫版で、audibleには無かった作者のあとがきを読んでみたら、どうしてこのような文章なのか、作者がこめた意図を知ることができてとても良かった。

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2025年12月07日

Posted by ブクログ

おもしろかった。支えになるような自分の中心にあるものが崩れてしまった時、自分はどうなってしまうのかなど考えてしまった。

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2025年11月08日

Posted by ブクログ

推しがいない私には知らない世界だった

こんな風に見えてるんだなぁ
と単純にら驚きと読む前より理解できた

私に推しがいて、推しに色々なことがあっても
多分学校もいけるし、仕事も行ける

でも彼女たちの軸は推しで。
支えになって頑張れる分、それを維持するアイドルたちも大変だなぁと。
その分費やされてるお金はすごいし。
今はなんとなく推したち側も人間の普通の生活を送る権利があるって風潮になってきてて
結婚するアイドルも多くて。
それでも変わらず応援できる姿勢ができてきているのはすごい

異次元の世界だった
入り込めなかったのは評価は低めで。

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2025年11月04日

Posted by ブクログ

「推し」という言葉をネットでちらちら見かけるようになった。私が日本に住んでいた頃にはなかった言葉だ。この本を読んでようやく推しの意味が分かったような気がする。この本の語り手は推しは生きる糧であり背骨だと言う。学校で落ちこぼれ、生活能力もない彼女は、しかし「推し」の分析はきちんとSNSに書き込み、仲間とコミュニケーションも出来る。そういうことが上手にできるのならもう少しまともな生活ができるのではないのか?と思う私はこの語り手の家族と同じなのだな。文章は少し萩原朔太郎のねっとりした詩を思い出させる。

著者がうちの末っ子と同じ年齢で、この本を5年前に出版しているということに一番驚いた。本人のあとがきと金原ひとみの解説がついていて、これらがなければ作品の理解ももっと狭いものになったと思う。

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2025年11月04日

Posted by ブクログ

ネタバレ

コンビニ人間に通ずるものがあった。双方ともにポジティブな結末に期待したが、現実的な結末でそれはそれで納得。

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2025年10月10日

匿名

購入済み

あまり共感できない

タイトルで想像した内容ではなかったです。
表現方法も回りくどい気がして、自分の好みではなかった。
良さがわからなくて申し訳ないです。

#じれったい

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2023年12月03日

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