飲茶のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
東洋哲学と西洋哲学の違いや、東洋哲学の変遷がわかりやすく学べて有意義な本でした。
読み終わった今思うのは、これから先の未来に東洋哲学はどう残っていくのだろうかということ。日常生活において祖父母など身近な先祖を仏様として意識することはあっても、無とか悟りとか禅などの哲学に触れることはほぼない。また、世界中が繋がっているせいか西洋とか東洋などの地域性もない混ぜに均質化しているように思われ、インドや中国や日本などの哲人たちが繋いできた求道の存在感が薄らいでいる気がする。そんなことにさえ捉われないことが哲人たちのスタンスなのだろうけど、果たして現代って望ましい方向に向かっているのかな、というのが気にな -
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ニヒリズムとは
この世界にこれがしたい!こういう風になりたい!という目指すべき価値が見出せなかったら俺たちが行き着く先はの人生はせいぜい生存のための作業を仕方なくやり続けながら、ひたすら暇を潰して生きる。ぐらいのものであろう。ニーチェはそういう類の人間を末人と呼んだ。彼が生きていた20世紀から200年ほどに渡り、こう言った末人がどんどん増え続けていくと考えたのである。
ごく一部の人々が代わりにその当たり前に反逆してくれる。天邪鬼なやつ。みんなはXだっていうけどよ、俺はそうは思わないね。別にyでもいいんじゃね?新概念、彼らは集団の中に存在しなかった新しい価値観Yを創造する。古い価値観は時代との -
ネタバレ 購入済み
哲学〜仏教〜禅で繋がる!!!
2024年12月読了。
西洋哲学を読んだので、東洋も…と思い読んだ。
元々の釈迦の主張は「宗教」と云うより「哲学」で有る事は、今まで読んてきた本でうっすら判ってきたが、『インド哲学⇒釈迦の哲学(原始仏教)⇒中国仏教⇒日本の禅宗で繋がる』と云う此処までハッキリとした解釈は聞いたことが無かったので、正に≪目からウロコが落ちる≫思いがした。
そして、何かと関係性において胡散臭がられる「大乗仏教」も、その「釈迦の哲学」を何百年と云う時間を超えて伝えていく為に、そして「現世利益」や「今そこに有る貧困」に振り回されている一般大衆の為に、解釈方法を変えて一つの≪宗教≫足らしめたと云う著者の論理には、心か -
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算数ももちろん数学も嫌いだった。だけど、小川洋子さんの博士の愛した数式を読んで、素数の美しさをなんとなく感じることができた。それ以来、嫌いだけど気になる存在に昇格。そして、この飲茶さんの本。
まえがきに書いてあった通り、数学って熱い学問なんだ、と納得。数学者がこれほどまでに夢中になる数学って、私の理解はおいといて、面白い学問なんだと知ることができた。さらに、夢中になれるものがあるって時に恐ろしいけど、素晴らしいということも分かった。
ここに出てきた数学者。フェルマー、オイラーくらいは名前だけは知っていたけれど、女性の数学者がいたことに驚いたし、それぞれ人生を賭けてフェルマーの最終定理にのめり込 -
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西洋編に続き、本当に素晴らしい本であった。
孔子や老子にはじまり、釈迦、そして日本の仏教における念仏、禅など「小さい頃から知ってはいるけど結局これってなんなの?」な東洋神秘(?)を非常にわかりやすく噛み砕いて教えてくれる。また東洋哲学における"自己の極め方"→すなわち"無我"の境地についても、『体験をもって理解せずして、分かった(悟った)ことにはならんよ』の考えを大切にしつつも、現代的感覚をもって解釈してくれているのでよく理解できる。
すげえな、東洋哲学!!!!!ほんと、なんというか、最高じゃねえか!!!!!!!もちろん「理解した」なんて戯言は吐かな -
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シリーズ第二作目。
東洋哲学は予備知識なしだったので、全ての内容が新鮮で新しい発見が多かった。
体系的に理論立てて学び進めるものではなく、他人とは共有できない体験としての「悟り」。西洋哲学でいうソシュールのシニフィアン/シニフィエの構造による世界の捉え方を乗り越えて、ブラフマンとアートマンが混然一体となる「梵我一如」へと通ずる道程。そんな関連性を見て取れた気がする。
第一作目と比べ、個人的には著者の熱量が上がっていると感じた。バキの世界観に寄せることを放棄してまでも、著者の東洋哲学に対するリスペクトを十全に表現されている。(いや、思想が東へ移動して日本に到達する流れは、『バキ』の最凶囚人 -
Posted by ブクログ
ネタバレある国の裕福な王子の物語に沿って、ハイデガー哲学を学んでいく内容。飲茶氏の本は何冊か読んできたのですが、本著は本当に心に残る一冊となりました。
全ての人間に与えられた平等なものは「死」であり、人間はいつか必ず死ぬからこそ時間は有限性となる。よくよく考えれば当たり前の事なのですが、日々生活をしている中で自分の「死」を意識する機会なんてどれほどあるでしょうか。
時間が有限性であるから人は「負い目」を感じるとも書いてあるのですが、確かにプライベートや仕事において「やってしまった!」と思うことは多々あります。ですが、それらに対して全て真摯に向き合ってきたかと問われればそうでもありません。「まいっか