飲茶のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
東洋哲学は、「学ぶこと」では決して理解に達することができない、と本書の冒頭にありましたが、全くその通りだと思いました。ここで、感想を書くこと自体が、理解していないことを証明する行為でありますが、書かせていただきます。東洋哲学の「私がない」という概念ですが、本書を読んで、ぼんやりと理解できた気がしています。もちろん、この感覚は「悟り」ではなく、あえて言うなら、「悟り」の入り口の門の前に立てた、とでもいえばいいでしょうか。この門の先に「悟り」があるかもしれないが、とても入れない、といった感覚です。もっとも、「門」とか「門の先」とかと表現していること自体が、「物がある」と認識しているわけで、この「物がある」という概念や思考に囚われている限り、「悟り」の境地には到達できないのだと思います。いつか「悟り」の境地にたどりつけたとして、そこはどんな景色で、どんな感覚なんだろうか…非常に興味深いです。
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Posted by ブクログ
おもしろいしわかりやすすぎる〜!
今まで仏教書を読みながら「でもこれってこうじゃない?」と頭の中で反論していたことに飲茶さんがビシビシ突っ込んで解説していってくれるから、読後のいやでもやっぱり…がない 読者がわかるまで例えを使って何度も根気強く教えてくれるイメージ
東洋哲学は経験がなきゃ理解したと言えないから、だからこそ新興宗教やカルト集団がたくさん誕生するのかなと思った 悟った、ってわかんないもんね。
たしかに法華経とかって釈迦の「たとえばさ…」みたいな話が多くて、読者側はこれがかえってはぐらかされたように感じていた でもそれは書かれてるように釈迦が悟りへ「辿り着くこと」だけを重要視していたから だからそれ以外の理論、弟子から投げかけられる「世界はどうなっているのか」の問には無記としていた
中国哲学について初めてこの本できちんと知ったけど、墨子、アツいね。中国の歴史や国の成り立ちから解説されているのがすごく勉強になる 自然に立ち向かって国を作っていった人たちが何度も王に反乱を起こすのは当然のことで、そりゃ何度も国名が変わるよね…と思わぬ所で世界史の理解を深められた
タオはすべてのもと……という思想は単純明快で、なるほど仏教が浸透しなかったわけだ、と納得
なかなかの分厚さでどうしようかと思ってたけどするする読めた 読もうか迷ってるなら読むべき だって東洋哲学は体験を伴った理解でしか知ったと言えないからね -
Posted by ブクログ
ネタバレ「哲学は死んだ」
タイトルと表紙に長いこと見事に騙されていて、14歳の頃に途中で諦めてしまったのを気にして今まで読めていなかったけど、久しぶりに恐る恐る開いたらあっという間に最後まで読めてしまった。
偉大な哲学者たちが難解な言葉を駆使して語る哲学はすべて14歳の頃に持つ反抗心(言ってしまえば厨二心)に帰結し、極端に突き詰め、すでに存在する理論に疑問を呈して容赦無く全否定していくことから哲学は発展してきたという歴史を辿ることができる。
その哲学者たち一人一人の、説得力があったり極端すぎてなかったりする理論に興味深く耳を傾けていたら、最終的に哲学はすでに終焉を迎えていたことを伝えられる。学問においてすでに議論が終わっているというのが初めての体験すぎてショックが大きかった。だが、議論が終わっていることに対して「じゃあ私にできることはもうないんだな、はい、解散」というわけでもないことをラストに匂わせられて終わる。
哲学という学問の変遷の全体像を踏まえた上で、今後哲学をどう捉えていくかを考えながら、別の哲学書を漁ることができるきっかけを作ってくれた。すごく良い本だった。 -
Posted by ブクログ
東洋哲学と西洋哲学の違いや、東洋哲学の変遷がわかりやすく学べて有意義な本でした。
読み終わった今思うのは、これから先の未来に東洋哲学はどう残っていくのだろうかということ。日常生活において祖父母など身近な先祖を仏様として意識することはあっても、無とか悟りとか禅などの哲学に触れることはほぼない。また、世界中が繋がっているせいか西洋とか東洋などの地域性もない混ぜに均質化しているように思われ、インドや中国や日本などの哲人たちが繋いできた求道の存在感が薄らいでいる気がする。そんなことにさえ捉われないことが哲人たちのスタンスなのだろうけど、果たして現代って望ましい方向に向かっているのかな、というのが気になった。 -
Posted by ブクログ
ニヒリズムとは
この世界にこれがしたい!こういう風になりたい!という目指すべき価値が見出せなかったら俺たちが行き着く先はの人生はせいぜい生存のための作業を仕方なくやり続けながら、ひたすら暇を潰して生きる。ぐらいのものであろう。ニーチェはそういう類の人間を末人と呼んだ。彼が生きていた20世紀から200年ほどに渡り、こう言った末人がどんどん増え続けていくと考えたのである。
ごく一部の人々が代わりにその当たり前に反逆してくれる。天邪鬼なやつ。みんなはXだっていうけどよ、俺はそうは思わないね。別にyでもいいんじゃね?新概念、彼らは集団の中に存在しなかった新しい価値観Yを創造する。古い価値観は時代とのズレがどんどん大きくなっていくわけで、いつかはそのズレが致命的な問題として明らかになる日がやってくる、その時になってやっと人は気づく。
Xの問題が明らかになる前からYを考えてた●ってすげえ。こうしてはみ出し者は英雄となり、彼が唱えた常識はずれの新価値観は次の世代の常識となる。旧世代の価値観を疑い、新しい価値観を生み出すこと、それこそが哲学するということだと本書、著者は強く訴えたい。
ニーチェは若くして文献学の教授となるほどの優秀な男であった。地道にやっていけばよかったものを彼は古代の文献から現代の忘れた精神を読み取り熱いことを論文で書いてしまう、そして大学を辞めて無職へと転落する。要はやっちゃったわけだ。社会から追放され無職となる。
100年後の僕たちはさらに200年先の人類のことを考えようではないか、だから学ぼう先人の哲学を学ぼう。
もっとイヂワルに言えばこうなるだろう。お前らは、次々と生み出される有りもしない見せかけの記号ゴールに踊らされて、社会校庭という小さな枠の中を死ぬまで走り回ってるだけなんだよ。そしてそれは永遠に続き、お前らはもうそこから抜け出せないんだよ。
デリダ、人間は好む好まないに関わらず、何らかのシステム、社会、価値観や分別の体系の中にとらわれている。人間はそのシステムが提供する範囲の中でしか思考も行動も欲望もできない。
新しい時代の新しい哲学、僕たちが考えるべきテーマとは、ズバリ働かない社会を作るにはどうすれば良いかである。要するにだるいし面倒臭いからもう働くの社会に貢献するの辞めちゃわね?って話である。
えーもうそんなストレスとか拘束時間とかうんざりだよー。いっそ、もう働くの辞めて社会成立させるの辞めちゃおうよ。それに多少辛くたって、生きていくために働くのは当たり前、みんなが頑張って働いているからこそ、僕たちの衣食住の提供が保証されているんじゃないか。いやいや本当にそうだろうか?
仮にそれが世界から消えたとしよう。それで何か困ったことが起きるのだろうか?
現代においてこのボードリヤールの言葉にピタリと当てはまる若者たちがいる。ニートだ。社会システムに組み込まれることを一切拒否する現代のサムライである。働きたくないでござる、絶対に働きたくないでござる。
グーチョキパーを延々と出し続けないもの、食うべからずだろう!
グーチョキパーを延々と出し続けないんだったら、山奥にでも行って暮らしてろ
みんながみんな面倒臭いって行ってグーチョキパーを出すの辞めちゃったら俺たちの社会が成り立たないだろう
歴史に名を残した哲学者たちのようにもっと稚拙で極端なことを積極的に言い放っても良いのではないだろうか。以外に子供じみた発想から論を展開させており、結局普通の人との違いは、その子供じみたことをどれだけ真剣に主張したかの熱量の差だけである。 -
ネタバレ 購入済み
哲学〜仏教〜禅で繋がる!!!
2024年12月読了。
西洋哲学を読んだので、東洋も…と思い読んだ。
元々の釈迦の主張は「宗教」と云うより「哲学」で有る事は、今まで読んてきた本でうっすら判ってきたが、『インド哲学⇒釈迦の哲学(原始仏教)⇒中国仏教⇒日本の禅宗で繋がる』と云う此処までハッキリとした解釈は聞いたことが無かったので、正に≪目からウロコが落ちる≫思いがした。
そして、何かと関係性において胡散臭がられる「大乗仏教」も、その「釈迦の哲学」を何百年と云う時間を超えて伝えていく為に、そして「現世利益」や「今そこに有る貧困」に振り回されている一般大衆の為に、解釈方法を変えて一つの≪宗教≫足らしめたと云う著者の論理には、心から『恐れ入りました』と頭が下がる思いがした。何かモヤモヤしたものが一気にクリアに成ったようで、日本の○○宗の信者でも釈迦の原始仏教と繋がっているのだと云うこの安心感は、何にも勝る思いだ。
飲茶さん、本当に勉強に成りました。これから本腰を入れて≪原始仏教≫からアタックしていこうと思います。
時間の経った本ですが、この本に出会えて、心から感謝します。
…と、此処まで読んで『何のこと…?』と思っている其処のアナタ、西洋編から是非読んでみてください。絶対に「!!!」と云う経験が得られますよ。