茂木健一郎のレビュー一覧
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茂木さんの主観によるものが多いかな。
特に宗教観に関して、少し気になるところはありましたが、全体の感想としては、良かったです。
そんなに好きだってカミングアウトするのに恥ずかしがらなくていいですよね(笑)。胸張っていいと思うけどなぁ・・・。
好きなポイントが似てたので、嬉しかったです。
金子みすずさんの詩をひきあいに出してくる辺り、すごく好みでした。どちらも世界への視線が暖かい。
あたりまえに存在するものに、自分を取り巻いているものに、感謝と感動を感じることさえできれば、人は誰でも幸せになれるのです。
太陽は、どんな人にも分け隔てなく降り注いでいるのですから。
私も、「赤毛のアン」はこれ一冊 -
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章の終りに「脳の道具箱」というまとめが記載されている
p76
生活習慣を脳の変化の手段として利用する
「なりたい自分」を習慣化すれば、間違いなく実現できる
p77
「新しいこと」は脳の大好物
p84
迷っているときほど、すぐやる
行動しないとセレンディピティは発揮できない
思わぬ幸運に偶然出会う能力を活かす
「行動」し、出会いに「気づき」、人生においてそれが意味することを「理解」し、それをありのまま「受容」する
p95
食事は、脳を活かす最たる習慣のひとつ
p96
どれだけ味わっているかというのが脳にとっては一番の重要事
食べる場所、食べる相手、食べているときの自分の気持ち
p144
予測不可 -
Posted by ブクログ
クオリアという単語について知りたくて、この本を取ったんですが、どうやらそういう話はもっと以前に出ているようですね。ここではさらっとしか触れてなくて、当然の前提として話されてました。なんとなく分かったのはクオリアとは「感動体験のときに生まれる言葉にできない感覚質」のこと。正直ちょっとまだ合ってるか分かんないけど…。
現代人の必携(?)のwikipediaによると、
クオリア(英:複数形 Qualia、単数形 Quale クワーレ)とは、心的生活のうち、内観によって知られうる意識の現象的側面(現象的意識)のこと、またはそれを構成する個々の質感のこと。感覚質(かんかくしつ)とも訳される。
だそうで -
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日本人には創造性が無い。というマイナス自己暗示を解いてくれる一冊。
前進への意欲と継続さえあれば、誰だれにでも創造は可能だ!
脳科学とか、論理性とか…高度な内容及び文章を求める人にはかなり緩い内容だとは思います。大衆向けといった感じ。
私が読んでいても…「それは分かったけど、だからなんなんだ?」と例示と結論の間にかなりの飛躍が感じられるエピソードが多いと感じた。
なので、各章というかパラグラフ間の繋がりがイマイチなんだけど、各々のパーツで言っていることには概ね納得だし、面白かった。
さっくり読めるし、自分の可能性に悩む人にはとりあえずオススメ!
私も脳を発火させるぞ〜!
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Posted by ブクログ
俳句というと、古風な日本の文化(文学)というイメージを持っていた。
この対談やそれぞれの考えを読むにつけ、見事にそのイメージが一新された。
なんと豊かな芸術であることか。
制約の中に美を求める日本らしい芸術ではあるが、
現在、世界に広まりつつあるこの俳句という世界は、
生き方そのものなのだ。
つまり、日々の生活の中に見出したものを表現するということは、
芸術に生きるということ。生き方が芸術になるのだ。
会ったことや、話す様子を見たことはあまりないけど、
黛まどかという人からは何か凛としたものを感じる。
それは芸術に生きているからなのだろう。
俳句を通して、日本語の美しさも再発見させられた。 -
Posted by ブクログ
生きている限りは感動することが大切。
感動するとは物事に対して意欲があるということ。
意欲がある人間は若々しいし、人生を楽しんでいると言えます。
何事も否定的に捉えたり、ネガティブに考えたりすると、脳もそれに反応して、ネガティブが連鎖してしまうそうです。
意欲があるとはチャレンジし続けることであって、その場に留まり続けることではないです。
一つの目標をクリアすると、次の目標に挑戦する。
そうすることで脳は活性化し、創造力も豊かになると茂木さんは言ってます。
誰しも大人になることで、様々なことを経験します。
その経験の蓄積によって新鮮なものの数も減っていきます。
子供の頃はすべてが新鮮でした。だ -
Posted by ブクログ
俳句や短歌、詩などの、空白を補って読む表現形態に興味がわいてきて、手に取った本。
2人がそれぞれ俳句について語り、対談も掲載されている。茂木健一郎が俳句を評価するわけは以下の通り。
説明されていないもの、言語化されていないものを「摑もう」「感じよう」とする意思は、内なる感覚を総動員して臨む能動的な行為となるので、自分の全体性が引き出されやすい。(略)要するにその句に自分なりの感覚を持つに至るのだが、その感覚こそが自分自身のクオリアである……とのこと。
また、『草枕』の「こんな時にどうすれば私的な立脚地に帰れるかと云えば、おのれの感じ、そのものを、おのが前に据