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「俳句」に秘められた閃きと発想力は何なのか? 芭蕉は最高の「脳トレ」をしていた?! 脳科学者と俳人が語る俳句の魅力と俳句の深さ。異色の日本人論。
日本人のひらめきの原点は俳句にあり
▼俳句がひらめくときと脳
▼「五・七・五」という余韻
▼夏目漱石の俳句観
▼桑原武夫「第二芸術」への反論
▼暇になったら俳句はできない
▼言葉が訪ねてくる瞬間
俳句脳の可能性
芭蕉も脳トレをしていた? 言葉の不思議な営み
俳句を作ることは、結局は自己の発見につながっていくと思います。 黛まどか
ある俳句を作りました。それは完了じゃない。それは、その人の人生を継続して変えていく力がある何かだということ。 茂木健一郎
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Posted by ブクログ
・第二部 ひらめきと美意識-俳句脳対談 多様性が文化を創造する
橋本内閣が組閣した当時、ニューヨークタイムズ東京支局長が
著者の一人である俳人・黛まどか氏を訪ね
「新聞・週刊誌の短歌、俳句、川柳のコーナーへの投稿、
お茶のペットボトルやキャンディの袋にまで詩が書いてあり、
世界中で詩が低迷している昨今、こんな国はどこにもない」
というようなことを言ったとのこと。
実に興味深い。
”詩”的な表現(?)だが、このときは通勤時で
ちょうど奥田民生の「さすらい」がイヤホンから響いていた。
「詩」とは何なのかとつくづく思った。
すぐにgoogleに頼るのは悪しき習慣なので、pomeraという事もあり辞書を引いてみた。
以降、使用した辞書は
三省堂 新明解国語辞典 第四版
である。
詩:(1)文学の一形式。自然の美しさ、人生の哀感、社会への憤りなどを、
一定のリズムを持つ縮約的表現で述べたもの。
[広義では、渇き切った現代人の心に憩いを与える純粋で清らかなものをも意味する]
(2)「漢詩・詩経」の略。
なるほど、(1)、(2)の意味とも遠く義務教育で習った気もするが、今となっては定かではない。
Posted by ブクログ
俳句というのは 季語 がとても大切なものだということが
今回読みながら 痛感した。
手紙を書いたりする時に 以前は時候の挨拶を書いていたが
いまは、メールがほとんどなので 季節の言葉など
あまり考えることもなくなったが・・・
季語という 季節の移ろいを 17音の中に
取り入れていくという 俳句の 厳しい規則と
その言葉が 自然の破壊のなかで
少しづつ消えていこうとしている ということが
ひたひたと・・・感じられる本だった。
その季語が ある意味では 1000年近くの連綿とした
歌詠みの世界が存在していて・・・
その言葉が たくさんの歌人 そして俳人によって
読み込まれることで よりくっきりと 風景が呼び覚まされる。
『遣らずの雨』という言葉の持つ
ヒトに対する 深い思いやりが ずっとしみるようになった。
芭蕉の 『古池や蛙飛び込む水の音』は・・・
『古池に蛙飛び込む水の音』ではない指摘が
俳句の 切り立った表現が よく見える。
『古池に蛙飛び込む水の音』
一連の 蛙の 動作を スローモーションのように
その風景を 思い浮かべさせる。
『古池や蛙飛び込む水の音』
は 古池という シーンと 蛙が飛び込むシーンが
二つに場面が分かれている ということが すごいと思った。
ミメロギアの練習によって 言葉の持つ クオリア
ということが 私の中でずいぶん理解されてきたが・・・
俳句についても 手習いを はじめたい とおもった。
俳句、短歌、そして 詩 を 詠むことは
言葉の クオリティを高めるためにも 必要な作業と
痛感した・・・・。
Posted by ブクログ
[ 内容 ]
俳句と脳。
日本人のひらめきの原点は俳句にあり。
[ 目次 ]
第1部 俳句脳の可能性(茂木健一郎)(言葉を持たない感覚 言語の不思議な営み 「五・七・五」という余韻 ほか)
第2部 ひらめきと美意識-俳句脳対談(茂木健一郎 黛まどか)(俳句がひらめくときと脳 「はまる」メカニズム 俳句は革新の歴史 ほか)
第3部 俳句脳-ひらめきと余白(黛まどか)(俳句の魅力 暮らしに俳句があった頃 日本人らしい日本人に ほか)
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
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☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
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[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ]
Posted by ブクログ
俳句というと、古風な日本の文化(文学)というイメージを持っていた。
この対談やそれぞれの考えを読むにつけ、見事にそのイメージが一新された。
なんと豊かな芸術であることか。
制約の中に美を求める日本らしい芸術ではあるが、
現在、世界に広まりつつあるこの俳句という世界は、
生き方そのものなのだ。
つまり、日々の生活の中に見出したものを表現するということは、
芸術に生きるということ。生き方が芸術になるのだ。
会ったことや、話す様子を見たことはあまりないけど、
黛まどかという人からは何か凛としたものを感じる。
それは芸術に生きているからなのだろう。
俳句を通して、日本語の美しさも再発見させられた。
Posted by ブクログ
俳句や短歌、詩などの、空白を補って読む表現形態に興味がわいてきて、手に取った本。
2人がそれぞれ俳句について語り、対談も掲載されている。茂木健一郎が俳句を評価するわけは以下の通り。
説明されていないもの、言語化されていないものを「摑もう」「感じよう」とする意思は、内なる感覚を総動員して臨む能動的な行為となるので、自分の全体性が引き出されやすい。(略)要するにその句に自分なりの感覚を持つに至るのだが、その感覚こそが自分自身のクオリアである……とのこと。
また、『草枕』の「こんな時にどうすれば私的な立脚地に帰れるかと云えば、おのれの感じ、そのものを、おのが前に据え付けて、その感じから一歩退いて有り体に落ち着いて、他人らしくこれを検査する余地さえ作ればいいのである」という箇所をひいて、これを漱石による俳句脳の説明だと位置づけている。
対談では、一句が出来る際、苦しんだ時ほど最高のドパーミンが出ると解説する。
苦しむことが出来るのも一つの才能です。天才とは努力の仕方を知っている人です。努力は苦しいものですから、つまり天才とは苦しみ方を知っている人なんですよ……という部分が印象に残った。
まどかさんの俳句に対する熱い思いもよく伝わってきた。
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