茂木健一郎のレビュー一覧
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AIの時代だからこそ
この本が書かれた当時はそれほど表に出てこなかったAIであるが、昨今AIの時代だからこそ、本書で取り上げられた「質問力」の優劣が問われてしまう。実際に各種のAIに質問してみると、質問の仕方によってAIからの回答のレベルが随分異なってくるので驚いてしまう。AIの時代だからこそ「質問力」が大事なのがよく分かる。
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Posted by ブクログ
死や絶望があるからこそ、生きられるという感覚や今の自分があるという感覚。
なるほどと思わせられることばかり。
とてもおもしろかった。
私は自由というのは「航海する人」だと思う。「航海する人」は目的地を自分で決め、 そこから逆算して航路が生じる。そして自分が今どこにいるか、現在地を知っている。 「目的地·航路・現在地」、この三つを知っている人が、自分の力で海を渡って行ける人です。ところが、この三つのどれかを欠くと漂流してしまう。目的地がわからない、航路を知らない、現在地がわからないという状態。この人は自由でも何でもない。何もできないし、どこへも行けない。それを避けるには、目的地を決めて航路を選択せざるを得ない。つまり自己のあり方を決めなければいけない。けれど、これは苦しい。
その負荷から自由になりたいというのは、よくわかる。仏教でよく誤解されるのは、「あれもない。これもない。ないものもない」と全部解体して「はい、ゴール」と。 そう思う人がいっぱいいる。けれどそうじゃない。一回ばらして、もう一回自力で作り上げるっていうのが、仏教の修行なんです。ここがよく誤解されるところです。だから苦しいんです。だから修行なんです。ところが中には、それが悟りで真実だという人がいる。その先どうするのかは何も示されない。
生の最初から思い通りにはなっていない。思い通りにならないから辛いんです。ですが、人類はすべて最初から思い通りに生まれた人はいない、ということをもっと自覚するべきでしょうね。
苦痛が取り除かれていく現代社会について批判的に論じていますが、苦というものが除外されていくことの危険が今日リアルにわかりましたね。苦は生きることの本質と結びついているから、それを取り除いたら結局生きていないことになる。
僕も相当病んでるのかもしれない(笑)。でも、生きていること自体が病んでいる状態ということには、激しく同意します。やっぱり生は、まがまがしいものだと思う。 南 よく恐山で、霊魂があるかないかなんて話は仏教にとっては根本的な問題でも何でもないという話をします。じゃあ、何が仏教として一番大切なのか――。
おそらくお釈迦さんは、生きていて嬉しくて楽しくて結構なことより、辛くて悲しくて切ないことの方が多いというのが、仏教において物を考える前提であると言いたかったんじゃないかなと思うんです。もちろん、毎日が楽しい人はそれで結構。だけど仏教は、辛くて寂しくて苦しいことの方が多いという前提で話を始めるんだと言っている。 でもね、にもかかわらず死を選ぶことなく、寿命があるまでは必ずしも簡単とは言えない人生を、最後まで勇気を持って生き切るにはどうするのかというのが、我々、仏教者のメインテーマだと思う。
仏教は安心立命を説くわけではない
希望というものは持つものではなく、絶望の中でひらめくものではありませんか。
持てる希望なんて所詮、一時的な質入れにしかならない。本当の希望というのは、絶望させることができる力のこと。その意味で、親鸞の「自然法爾」と、キリストの「エリ・エリ・レマ・サバクタニ」は、ほとんど一緒だと思う。
クオリアのことを考えていたときに思ったのですが、例えば、明るさというのは相対的なもので、部屋の照明が明るく見えるのは周囲が暗いからで、昼間だったらそこまで明るさを感じませんよね。希望の光とか言うけど、周りが暗いから明るく見えるわけで、そういう意味では、底知れぬ暗闇つまり絶望を知っている人じゃないと希望の光りは見えない。
最初から希望と絶望が区別されているわけではなくて、親鸞は選択の余地なく絶望する。そこには戦略も何もない。そして、それがどんどん深くなっていくわけです。 でも生きているから絶望できるのであって、絶望の底で何かをひらめく。これを仮に希望と呼ぶことができるのではないですか。
「蓮を咲かせる泥になりたい」
南 先ほども言ったけど、中学生で「諸行無常」という言葉に出会ったとき、「あ、 助かった」と思ったんです。助けてほしいと思っていたわけじゃないけど、これを言った人と俺は似たような人間かもしれないと、嬉しかったというか本当に助かった。まさに思ってもいなかった光だったんです。今にして思えば青臭いけど、その当時はとても切実な、生きるか死ぬかの問題でしたからね。しかし人は余儀なく絶望したとき、その絶望に耐え切ったときに何かと運命的に出会うことがある -
Posted by ブクログ
とにかく脳に感動を与えることがいい。
人間は不確定要素が多いものからの判断ができることがコンピュータとの違い!
感動することをやめた人は生きていないのと同じこと。
アインシュタイン。
人付き合いが苦手な人は、相手をコントロールしようとしている、という話
これはなるほどなぁ。と思いつつメモりました。
感動させる方法も、どんでん返しのある本を読む、映画を見る、そして失敗もどんどんして、経験値を増やしていく。
脳だけは死ぬまで成長し続けるらしい。
脳の神経は確かに減ってはいるけど、ミクロ程度らしくて、それ以上に感動を与え、刺激を与え続けることで、より若々しく、より元気に、より精力的に楽しく生きていける!
そうよねぇー!
と、思い、また日々勉強の大切さを噛み締めて、教科書を読み始めるわたしです。
#茂木健一郎
#毎回この本に感動する
#生まれ持ったもんだけじゃない
#そうなの!?
#絶対ポテンシャル違う気がするが
#違うのか
#他で補うように頭を使え!
#なるほどな
#そのための脳
#確かに
#一人として同じ人間はいない
#補填し合う
#それが人間 -
Posted by ブクログ
脳は何で幸せを感じるか、脳に幸せを感じさせるにはどうしたらいいかが書かれている本。
幸せは比較や変化によって感じるものというのは知らなかった。
他人と比べるのではなく、以前の自分と比べるのが幸福度を上げるコツらしい。
前の自分より成長した、できなかったことが努力してできるようになった、は、喜びをもたらしてくれるというのを読んで、共感。最近そういうことできてないかも。
あとは、幸せは「総合点」で考えるというのも確かに。
これが幸せの条件だ!って決めつけると、それが足りない時勝手に不幸になってしまう。これは足りないけど、ここが恵まれてる!って気付けることが大事。
不幸を感じやすい人はどんなに恵まれた環境でも自分が不幸である種を見つけ出してしまうというのを読んで、自分はどんな環境でも不幸の種見つけがちだなと反省した。
日本人が不安に弱い理由は、子供の頃からリスクを背負うことをしてきてないからというのがなんか印象に残った。「自分でリスクを背負って不安に立ち向かう訓練をしてきてない」から、意識して挑戦していかないとな。子供に対しても、リスクを取り除こうとばかりしてはいけないな。。
映画見るとか受動的な趣味より、走るとか歩くとか能動的な趣味がある人の方が幸せを感じやすいみたい。読書も能動的な趣味にはいるみたいなので続けたい。
ウォーキングは脳のメンテナンス時間になるみたい。縄跳びとかもいいのかなあ
安定すると老けるから、安定せずにどんどん挑戦していくのが大事とか、
幸せ依存症にならずに、他の世界とのつながりを持つとかも刺さったな。
幸せを感じられる人は、周囲も幸せにできるみたい。自分も楽しそうな人になりたい。