伊藤典夫のレビュー一覧
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本作は、もともと映画として構想された物語の小説版ということもあり、映像的なスケールの大きさと思想的な深さが同居している作品だと感じました。中でも強く印象に残ったのは、やはり HAL9000 の存在です。
日本では AI に「人間を超えた万能の存在」というイメージが根強い一方で、海外では「高性能ではあるが融通の効かない機械」として描かれることも多いように思います。HAL9000 はその両者を象徴するような存在で、人間以上の知能を備えていながら、プログラムされた使命ゆえに暴走してしまう。その姿は、AI の可能性と限界の両方を静かに問いかけてきます。
壮大な宇宙の描写と、人類の進化をめぐる哲学的なテーマがじわりと心に残る一冊でした。読み終えたあと、未知と向き合う人間の姿勢について改めて考えさせられる作品です。 -
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ネタバレ気密性が高くタンクが空で食料等物資を米国から英国に輸送していたタンカーがUボートの攻撃により海底に沈む。その中で生存乗組員は、し尿ー豆(二酸化炭素ー酸素)の生態系を作り出し、子供、孫を生み、文化・技術を口承により伝えていく。一方破滅に瀕し、宇宙に乗り出したイルカ型宇宙人は冷凍睡眠の不具合により世代型移民船にならざるを得なくなる。
お決まりの通り宇宙人は地球を目指していたことがわかり両種族は戦争となるが、世代を超えた両者が種族の橋渡しをする。
「宇宙の孤児」、「ホーンブロワー」、「レンズマン」が引かれ、孫子には登場人物から名前がとられる。 -
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タイトルの「451」がようやく覚えられました。
ずっと「華氏ホニャララ度」と言ってたんです…
今、読書が生活のメインになっていて、昔は読みにくいと思った文体でも、割とさらさら…これもその1冊。さらに、ハヤカワは、今フォントが大きく、加えて字体も見やすい…ヘビーな読書好きにはありがたいです。
そして、話は、SFと言うには現実的な話で、でも、書かれた時期(70年以上前!)を考えると、レイ・ブラッドベリの凄さに感服してしまう。
静脈認証的な表現のシーンもあったり。
冒頭に近い部分での、妻の薬物過剰摂取による救急搬送シーンにも、軽く動揺してしまった。
当時は戦後10年以内ですが、すでに薬物過剰摂取問題は起こっていた。自殺未遂ではない。過剰摂取。
そして、妻とは、もう気もちが離れていた。
クラリスは、印象的だけれども、ベイティーやフェーバーのような強烈さはないまま、消えてしまった。でも、それが役割なんだろう。
価値観が、時代で真逆に振れてしまった時や、その時の国家の体制に賛同できなかった時どうするか…はっきり抗うか、深く潜行するか…難しい。
モンターグも人を殺してしまった…
でも、モンターグも感じたとおり、ベイティー隊長は、モンターグに自分を殺してほしかったんだと思う。たぶん、本を焼く部署の責任者なのに、焼くことが辛くなってしまい…悲しい。
モンターグの身代わりに選ばれた人も、やり切れない。あの、世間にアピールするだけの大捕物劇も、今もありそうで(というより、あると確信している)、こわい。
そして、集団ヒステリーの恐ろしさも感じました。
イヤホン的なものが、巻貝や銃弾と表現され、ああそのとおり。
そして、たとえ本は焼かれ尽くしても、人々の脳内に言葉がある限り、また本は、復活する。
ちなみに、コミックは焼かれないみたいでしたね。
テレビ礼賛で。
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著者自身が戦時中に体験した「ドレスデン無差別爆撃」を基に書かれた、半自伝的長編小説。
SF小説であるが、昨今の小説でよくある近未来的な機械や怪獣が出てくるわけではなく、主人公の設定にSF要素が盛り込まれている。
作中に引用されている「ニーバーの祈り」からこの小説を知った。
久しぶりに読み返したくなり、再読。
異星人に誘拐されてから、主人公のビリーは自分の意思とは無関係に時間を行き来する「けいれん的時間旅行者」となった。
これによって、ビリーは地球人には考えつかない、いくつかの学びを得る。
例えば、
・今死んでいる者は過去の瞬間では生きており、その瞬間は常に存在し続ける
・未来の瞬間も過去と同様に存在し続けるため、彼には未来を変えることができない
などである。
ビリーはまるで記憶がフラッシュバックするように、過去へ未来へとタイムトラベルを繰り返す。
そして、その間に起こる出来事が、ただ事実を並べるように淡々と書き連ねられていく。
その間に多くの人が死んでいくが、ビリーはただ「そういうものだ」とつぶやくだけである。
一種の諦めに満ちた視点から綴られる物語。
これが、この著者独特の戦争の描き方なのだと感じた。 -
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ネタバレアーサー・C・クラーク氏の『2001年宇宙の旅』は、1968年にスタンリー・キューブリック監督による映画とほぼ同時に世に出された、極めて特異な成り立ちをもつSF作品である。その背景には、冷戦下の宇宙開発競争があり、アポロ計画が頂点に向かって進んでいた当時の高揚と不安が色濃く反映されている。人類が月を目指し、地球の外に「次なるフロンティア」を求め始めていた時代に、この作品は誕生した。科学技術の進歩への期待と、その一方で人間の倫理や意識はそれに追いついているのかという懸念――その二重性が本作の根幹をなしているように思われる。
物語の出発点となるのは、太古の地球に現れた黒いモノリスである。これは、人類の祖先に「道具の使用=知性の目覚め」を促す存在として描かれており、ここから物語は遥か未来の宇宙探査へと飛躍していく。その中で人工知能HAL9000が登場し、乗組員に反旗を翻すという出来事は、技術が人間を超える瞬間に対する寓話的な描写でもある。当時すでにコンピューターは軍事や科学の分野で急速に発展しており、「機械が人間の知能を上回るのではないか」という不安が芽生え始めていた。その未来像をクラーク氏は冷静かつ大胆に先取りしている。
小説では、こうした展開が論理的かつ端正な文章で語られており、モノリスの起源やHALの故障理由、主人公ボーマンの意識変容などが比較的丁寧に解説されている。それに対して、キューブリック監督の映画は、台詞を最小限にとどめ、音楽と映像による象徴表現を重視した抽象的な構成になっている。特にラストの「スター・チャイルド」へと至る描写は、理屈を超えた神話的なインパクトを与える。小説と映画は同じコンセプトに基づきながらも、それぞれのメディアの特性を最大限に活かした表現を貫いており、両者で一つの全体を成しているような関係にある。
この作品が書かれた時代はまた、人類の未来に対して楽観と悲観が複雑に交錯していた時代でもあった。核戦争の恐怖が消えないまま、科学技術だけが猛スピードで進んでいく。そうした背景のもと、『2001年宇宙の旅』は、宇宙を舞台にしながらもむしろ人間そのものの存在と進化に問いを向けているように感じられる。とりわけ、ボーマンの変容――人間の次なる姿としての「スター・チャイルド」――は、進化の終着点を示すのではなく、その先に広がる未知なる可能性を象徴しているのかもしれない。
本作品の根底には、「人間とは何か」「知性とは何か」「進化はどこへ向かうのか」といった問いが通底している。これらの問いは、単に物語の中にとどまるものではなく、現代を生きる私たち自身の問題としても響いてくる。いま、生成AIに代表されるように人工知能が目覚ましい進歩を遂げ、人間の思考や創造性と見分けがつかないような成果を生み出しつつある。HAL9000のような知性が、決してフィクションだけの存在とは言い切れなくなってきた時代において、『2001年宇宙の旅』が描くテクノロジーと人間性の緊張関係は、ますます切実な意味を帯びている。私たちは、知能とは何か、意識とは何かを本当に理解しないまま、かつてクラーク氏が描いた未来に少しずつ近づいているのかもしれない。その意味でこの作品は、過去の幻想というよりも、現代に生きる読者に向けた静かな警告であり、未来への哲学的な羅針盤のようにも読めるのである。科学と文学、映像と理性、そして人間の想像力の交差点に立つこの物語は、今なお私たちに問いを投げかけ続けている。どこから来て、どこへ向かうのか――その旅路に、終わりはない。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ月の裏側で発見された四角い石板「モノリス」が発した信号をもとに土星の衛星を目指す人類と、地球外生命体の初接触を題材にしたお話。
名前だけ知っていたHAL9000がどういうものなのか知りたくて聴いたが、状況が段々悪化していく辺りは想像より怖くて良かった。
「デイジー・ベル」が歌われたのはこんなやべえシーンなのかよと思った。
超性能の人工知能なのに、嘘を付こうとすると処理落ちでもするのかレスが遅くなるのがかわいい。
後半へ近づくにつれて段々と概念的な内容が多くなっていったが、自分の認識を越える何かを見てしまった場合、こんな感じの感想になるんだろうかなどと思った。