川上未映子のレビュー一覧
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人と生きること、子をもうけることについて、深く深く探る物語。
知らない誰かを探し続ける夏子と逢沢さんの想いがページを超えてリンクする所は、良い意味でぞくっとするというか、生きることに対する人の根源的な想いに気付かされるというか…とにかく印象的だった。私的ハイライト。
けれど全体的に仄暗い雰囲気が漂っており、孤独と、老いと、失われていくものと、もう得られないものに対する絶望的な気持ち、どうしようもない焦りの気持ちを噛み締める、そんな追体験をした。読みながら、涙がぽろっと溢れていた。それだけ共鳴する、小さくとも強く悲痛な想い。全て拾い上げ、一つひとつ余す所無く丁寧に描く作者の力量に圧倒される。 -
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ネタバレ今のわたしにとっては、目を逸らしたくなるけど、逸らすことが出来ない、不思議な本だった。
p163
「人ってさ、ずうっと自分やろ。生まれてからずっと自分やんか。そのことがしんどくなって、みんな酔うんかもしれんな」
「生きてたらいろんなことがあって、そやけど死ぬまでは生きていくしかないやろ、生きているあいだはずっと人生がつづくから、いったん避難しなもうもたへん、みたいなときがあるんかもな」
p228「たとえば、言葉って通じますよね。でも、話が通じることってじつはなかなかないんです。言葉は通じても、話が通じない。だいたいの問題はこれだと思います。わたしたち、言葉は通じても話が通じない世界に生きて -
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◯ 目から入ったもんは、どっからでていくのでしょうか。どうやってでるの、言葉になって、涙になってか。(146p)
◯ あなたはどうして、子どもを生もうと思うの(519p)
◯ 彼女だけだったのだ。(562p)
★第一部と第二部でテイストが随分違う。第一部は姉の巻子との会話が多く、くだけた関西弁がリズムを作っている。時々混ざる体言止め。ほんで、文章がめっちゃ詩的。これは第二部も含めて。そりゃ川上先生は詩人でもあるから。第一部は乳と卵と同じエピソードだ。読んだの20年近く前だからすっかり忘れてたけど、台所のシーンは強烈な印象があった。
★第二部は夏子のモノローグが多い。会話する相手も標準語 -
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長い長い小説。
退屈では決してなく、毎日毎日とにかく読んでいたけれど、どういう感情で夏子の想いや日々と向き合って読めばいいのか分からないまま、外からお話を傍観しているような感覚があった。
はずなのに、残り1/3くらいになってから急に物語が自分事になってきて、巻ちゃんが「いつでも、姉ちゃんやで。」と言ってくれる場面でぼろぼろ泣いてしまった。一体どこからこんなに感情移入したのか読み終わってみても分からないけれど、気づけば私は夏子の目線で世界を見て、一緒に悩んで、悲しんで、うちのめされていたんだなと思った。
物語のほとんどは東京で進んでいくのに、文字でここまで表現できるのかというリアルな大阪弁の -
匿名
購入済み胸が痛い。体も心も傷つけられて、それでも我慢しなくちゃいけないなんて事はない!虐めを通じて強く結びついた2人。お互いが心の支えになれた時もあっただろうけれど。虐めを耐えてる自分達がとてつもなく強くて優しい人だなんて、そんな考え方は寂し過ぎる。何もかも放り出していいんだよ。と、彼と彼女に何度も語りかけるました。容姿が良くても頭が良くても、人の痛みが分からずに残酷な人間はいる。その行為が醜いとも考えない頭が空っぽの奴ら。そんな奴らの相手になる事なんてない!
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ネタバレ【第一部 姉の巻子と豊胸】
一部は東京の夏子宅に、姉・巻子と巻子の娘・緑子が大阪からやってくるところから始まる。
巻子は現在スナック勤務。パーマのとれかかったパサついた髪に、色味の合わない脂浮きしたファンデーション。お金だってギリギリの巻子がわざわざ東京へ何をしにきたのか。それは「豊胸」のカウンセリングだった。
巻子は、肋骨の浮き出た背中、心配になる程薄い肩──要は老人のそれに近しい風貌をもって、豊胸がしたいのだという。
なぜ巻子は豊胸したいと言い出したのか。
夏子と巻子は貧困の出で、学生時代は生きていく為にバイト三昧。特に、姉の巻子は死ぬほど働いた。そして緑子ができて、夏子が出ていく -
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ネタバレコジマは、自分は「いじめられてあげている」くらいの気持ちでいることで、自分を守っていたのかな。だから最後も、自らの意思であるかのように脱いだ。
変わらないでいることで自分を守っていたから、仲間だと思っていた主人公がひとりで変わっていこうとする姿を見て、自分だけが取り残された気がしていたのかもしれない。でもそれは主人公側も一緒で、お互いがお互いに変わっていってしまうことが怖かったのかも。
最後の描写は、些細なことで世界は変わるとも捉えられるし、些細なことでは世界は大して変わらないとも捉えられた。結局、百瀬の言っていた通り皆それぞれの都合の世界で生きているのかも。
いじめっ子たちにされるが -
Posted by ブクログ
ネタバレ意味が無いことの意味
いじめなんていう言葉を使いたくないくらいに暴力のシーンは辛かった。
〈僕〉とコジマは壮絶な苛めに耐えていて、苛められる者同士密かに交流を深めていくが、コジマがある種の強さを身につけるにつれて僕は心細くなっていく。
一方コジマは僕の斜視を治す手術の話を聞いて怒ってしまう。
どうしようもなく追い詰められたとき、人はすがるものを求めるのかもしれない。それが崩れたとき、何かが歪む。
コジマは、強くなったように見えて、ただただ弱っていた。それは食事をせずに痩せていくという身体的なことばかりではなく、僕の目の手術の話で心の拠り所を失ったことによる精神的な衰弱もあったのではない -
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芥川賞受賞作。まず、本作は読みづらい。冗長な記述、記号の省略、方言の多用、稚拙とも取れる表現——どれをとっても決して平易な文体ではなく、時に読むことに拒絶すら覚える。しかし、この文体は計算されたテクニックであり、筆致によって登場人物たちの不遇や不条理がありありと伝わってくる。
本作の基底には、フェミニズムや反出生主義の思想が流れている。短い紙幅の中で、重要な論点が次々と投げかけられる。題名『乳と卵』が示すもの——それは女性の身体に特有の「乳房」と「生理」のメタファーである。そして、本作ではこれらの身体経験をめぐる母と娘の葛藤が描かれる。娘は「乳と卵」を厭い拒み続けるが、その意思とは無関係に