川上未映子のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネタバレ現在7ヶ月の子どもを育てている私。妊娠中のこと、そして出産後のこと。言葉にするのが難しい、言語化できないその時々の感情をうまく表現してくれたような本で、共感の連続だった。
場面場面ごとの描写に、我が子とのその場面が思い出されて、泣いためっちゃ泣いた。
保育園に入れる時にきっと作者と同じ思いをするだろうから、そのときもう一回読みたいな。
MEMO
p100:もし第二子妊娠したら旦那に読ませたい。もっとお腹の子と私に興味を持てというページ。
p230:疲れた時に読みかえしたい。育児が始まってもこれまで通り家事仕事を頑張らなくてもいい
p301:今何もできない自分に焦った時に読みかえしたい。この時間が幸せで、罪悪感なんて感じなくていいんだよ。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ1人の女性の人生を追体験し、自分の持っていなかった価値観に触れることができた。
自分の人生もなかなかの人生だよな、と思うが、それでも、人生に対して希望を持つことができる自分がいる。それがただ、ありがたいな、と思った。今まで自分にもいろんなことがあったけど、「とは言えど、人生って捨てたもんじゃない」と思う。でも、
本当に、心の底から、人生を、自分を、肯定できない人もいるんだよな、と、頭の中ではわかってはいたけど、なんとなく曖昧にしていた部分がハッキリとなったと言うか、
世の中キレイゴトばかりでは厳しいということもあるという事実を、心の奥でそう思えたというか、「そういう人もいるんだよな」と静かに思った。
善さんみたいに、子供を産むことに対して、そんな見方をしたことがなかったし、それはとても、心が「うっ」となったけど、でも、そういう見方もあるんだということを知れてよかった。
確かに子供を産むことが「賭け」という見方もある。そういう見方もできる。
仮に本当にそうだったとしても、というか、これは子供を産むということ以外でも言えるけど、
「失敗」「間違ってる」とわかっていても、理性ではわかっていても、抑えられないこともあるよな、とも思うのだ。
人間は完璧ではない。エラーも起きる。
だけど、それが人間なんだよ。
でも、きっと、善さんは「みんなそうやって言うよね」と言うだろう。
どちらもが本当で、そもそも、「間違ってる」とかそんなものもなくて、
時と場合によることだってあるし、夏子さんみたいに、本当に全く全てが同じ条件で人生を経験したら、私だって同じような葛藤、絶望、孤独、焦燥感などがあったと思う。
「それでも間違いを選びたい」と思う気がする。
でも、それも本当に経験してないからわからない。だけど、そうだったかもしれない、みんな。
結果的に「逢沢さん」との子供を授かることができたけど、そうじゃない道を選んだとしても、
そして、現実にそれで苦しんでいる人がいても、
これは全部がそれぞれの立場じゃないと、本当にわからないことだよな、と思った。
あーだ、こうだ、と、正論を言うことは簡単なんだけど、
そんな簡単な答えを「正解」とすることはできない。
「答え」は出ないな。私には出せない。それは無責任とかそう言うものではなくて、
その時その時、自分が必死で考えて、答えを出して、行動して、生きて行くしかない。
でも、そうだとしても、色んな人の、本に出てきた人たちの人生を「知っておく」ことはとても意味のあることだと思った。
とてもとても、考えさせられる、素晴らしい本でした。 -
Posted by ブクログ
好きな作家さん。
たまに文章が宝石に見えたり、そんなに思わなくていいよって言いたくなるくらい主人公を考えさせ、悩ませ、壊しちゃう所に川上未映子さんらしさを感じてます!
ちゃんと「黄色い家」にも、スピード感のある常軌を逸したヒステリック発言や、考えすぎて自分自身も何か1つは絶対共感しちゃうネガティブ思考など、この人にしか出せない唯一無二な要素がたくさんありました!(途中ちゃっかり共感してしまい辛すぎました、、)
ちなみに川上未映子さんの作品は、辛い、苦しい、もう読んでられないって途中はなるんですが、最後は忘れたようにふっとその嫌な感情が消えるんですよ。ホントに。綺麗サッパリ。
多分その作品の中で一際目立つ辛さ、苦しさが全部主人公の脳みその中だけで大半起こってて、実際には起きてないが故に、事が過ぎ去るとふわっと消えちゃうのかなぁなんて思ってます。
しかも、その頭の中の最悪のケースがすべて抜けた後、ぼんやりとした柔らかい優しい夢みたいな文章を入れてくるので、毎回読み終わった後、夢が覚めたように、どこで何が起きた!?と焦って読み返してます笑
この人のそういう夢みたいに綺麗な文章もすっごく魅力的で!他の作品「ウィステリアと三人の女たち」、「愛の夢とか」とかで存分に味わってみてください!(オススメ)
すっごく面白かったです!! -
Posted by ブクログ
単行本に続いて、文庫本で再読しました。
主人公の「僕」は中学2年生で、ある日、ふで箱の鉛筆と鉛筆のあいだに小さく折りたたまれて入っていた紙に、シャープペンシルで「私たちは仲間です」と書かれたメッセージを受け取ります。
主人公の「僕」は、斜視が原因でクラスの男子生徒たちから、日常的に暴力を伴うイジメを受けていました。その後も机の中に差出人不明の手紙は届き、そこに書かれた文章も少しずつ長くなって、次第に机の中に手紙があるかどうか確かめるのが「僕」の習慣になっていきました。
ある日、「会いたいです」という手紙が届き、これもイジメのひとつで誰かが待ち構えているのではないかと不安を抱きつつ、待ち合わせの公園に行くと、そこに待っていたのは同じクラスの「コジマ」という女子生徒で、彼女も家が貧乏とか不潔だということでクラスの女子生徒たちからイジメられている生徒でした。
彼女は、「君と色々な話をしたいなあと思って。そういうのが、私にも君にも必要なんじゃないかなって、ずっと思ってた」と語り、「友達になって欲しいの」と僕に言います。
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この小説の題材は、『ヘヴン』という小説のタイトルのイメージとはかけ離れた、クラスの集団的な「イジメ」です。
暴力を伴う壮絶なイジメの描写の連続で、読んでいてもつらくなりますが、イジメられる側の「僕」と「コジマ」、イジメる側の「百瀬」のセリフや行動を追いかけながら、あらためて私の感想を書かせていただきたいと思います。(ほぼネタバレですがご容赦ください)
さて、公園で会って会話をした日を境に、手紙をやり取りするようになります。ここで斜視についての説明があるのですが、「すぐそこにあるものを触るにも、うまく距離感がつかめず、指先で触っても、ちゃんと触れているのか、正しく触れているのかどうかわからない感触がいつも残った」とあるのですが、手紙のやり取りをしながらも、「コジマ」との関係に、まだ不安を抱いている「僕」の心境を比喩的に描いているように思いました。
それでも、「文章を書くのは難しいですね」とか「1時間以上も机に向かっています」と手紙に書くなど、手紙を楽しんでいる様子が伺われます。「コジマの声と6Bの芯はよく似ている。柔らかいのに濃く、芯があるところが似ている」なんて、なかなか上手いこと書いてます。
一方でコジマも、「何もすることがないと、何かと戦ってるような気持ちになります。じっと戦ってるような、そんな気がします」と、同じ境遇だからこその本音も手紙に記します。
でもそんな2人の関係は手紙の中だけのことで、「手紙の中のコジマは明るく生き生きとして、学校で見かけるコジマとはまるで別人のように見えた」と、クラスのイジメの材料になるのを恐れて、お互いに見て見ぬふりをし合う関係でしかいられなかったのは、悲しいことでした。
それでも手紙で約束した非常階段で再び会うことができた日は、「風とコジマの笑い声がまじった音がしばらく耳の中で響いていた」と表現されていたほど、笑って過ごせる楽しい時間だったのだと思います。
そして、「コジマが僕に向けて書いてくれた言葉は、暗闇の中で僕に向かってぼんやりと温かく光り、そして僕が書いた手紙もコジマがつらい気持ちの時にそれを和らげ、こんな気持ちにさせるものであったらいいのになとそんなことを思った」と考えるほど、手紙のやり取りはお互いの気持ちを支える大切なものだったのだと思います。
期末テストが終わったあと、コジマから「実は君を連れていきたいところがあります。どこかというと、それはヘヴンです」という手紙が届きます。
夏休みの初日、「僕」はヘヴンがどこなのか知らされないまま、コジマと2人電車で街を離れます。
2人がやって来たのは美術館で、コジマは「ヘヴンは絵のことで私がいちばん好きな絵のことなの」と説明します。「その絵はね、恋人たちが部屋でケーキを食べている絵で、その恋人たちはね、とてもつらいことがあったのよ。とても悲しいことがあったけど、それをちゃんと乗り越えることができた2人で、だから今2人は最高の幸せの中に住むことが出来ているっていうわけなの。2人が乗り越えてたどり着いた、なんでもないように見えるあの部屋が実はヘヴンなの。画集でいっつもいっつも見てたのよ」と、コジマは僕に熱く語りました。実はその絵には違う題名がついていて、コジマが名づけ直したものでした。
コジマのイジメに耐えつつも将来に希望を抱く想いが伝わってくる場面です。
夏休みに入ると、学校がないので誰にも会わなくて済むので、「僕に言いようのない安心を与えてくれた。こうしてひとりでいる限りにおいては、誰であっても僕に指一本触れることが出来ないという当たり前のことが、僕にはとても心強く感じられた」と思うほど、イジメから解放されたつかの間の平穏な日々でした。そういう境遇にある彼らにとって、夏休みとは、そういうものなのだと、あらためて知る思いでした。
そんな夏休みも終わりに近づいたある日、2人は再び非常階段で会う約束をします。
そこでコジマは、初めて家庭の事情を話します。昔父親が経営していた工場が借金を抱えて倒産し、両親は離婚、当時小学生だったコジマは母親に引き取られ、今では母親の新しい男と一緒に3人で何不自由ない暮らしている一方で、本当の父親は今1人で新しい靴も買えない貧しい生活をしていると打ち明けます。夏休みにひとりでその父親に会いに行き、相変わらず優しい父親と楽しく過ごしたと言います。
工場を経営していた頃、家族のために必死で働いている父親の姿を覚えているコジマは、父親の苦労が報われていないこと、今も貧しい生活を強いられていることを嘆き、イジメを受けながらもそれに耐えている今の自分と重ね合わせます。
そして、「私がこんなふうに汚くしているのは、お父さんを忘れないようにしてるだけ。お父さんと一緒に暮らしたことのしるしのようなもので、これは私にしか分からない大事なしるしなのだ。私には汚さにもちゃんとした意味がある。でもあの子たちにはそんなことを言っても絶対に分かってもらえない」と言います。
そして、「あの子たちは、本当に何も考えていない。ただ誰かのあとについて何も考えずにその真似をして、それがいったいどういう意味を持つことなのか、私たちはそんなこと想像もしたことのないような人たちのはけ口になっているだけ」とため息をつきます。
だから僕が斜視を理由にイジメられているのを見て、仲間だと思ったと言います。「斜視のせいで周りから酷い目に遭っているけど、それがいまの君という人をつくっているしるしでることも確かで、だから君の気持ちは誰よりもわかるし、わたしの気持ちを誰よりも分かってくれると思った。人に傷つけられてばかりだったから、人を傷つけることがどんなことなのかが本当に分かる、本当に優しい人だと思った」とコジマは僕に言います。
僕の方をじっと見て、「私は、君の目がとても好き」とゆっくりそう言われて、僕は身体中の力が抜け落ちて、そのままそこに座り込んでしまうという描写があるのですが、純情な中学2年生の男の子がそこに居ました。
別れ際、「いろいろなことがあるけど、私たち、頑張ろうね。いつか全部分かる時が来る。あの子たちにもきっと分かる時が来る。いつか絶対に色々なことが大丈夫になる時が来るから」と、励まし励まされるのでした。
夏休みが終わり学校が始まると、僕は再び身体のところどころに変調をきたすようになりますが、コジマは相変わらず前向きで、届いた手紙には、「私はあの子たちにののしられながら、酷い目に遭わせられながら、あの子たちの笑っている顔を見ていると可哀想に思えてくることがある」と綴られています。
「あの子たちは、これまでに大事なことを考える機会がきっとなかったんだろうな、と思える。私があの子たちの仕打ちから学んだように、あの子たちもいつか自分たちの行為から自力で学び、知る必要があると思う。私に対してしているあらゆることから、あの子たち自身が分からないといけない、理解することのできない種類のことだと思う。そのことだけでも、私たちのこんなふうな毎日は意味があるのではないかと、そんなふうに思っています」と、中学2年生とはとても思えない、でも毎日イジメられている側の切ない「意地」のようなものが感じられます。
「強者」と「弱者」と言いますが、コジマの言葉や手紙に綴られた思いをずっと読んでいると、本当はどっちがどっちなんだろうと思ってしまいます。
ところで、イジメを受けていることをなぜ親に言わないのかと、ずっと思っていましたが、コジマは父親を忘れないためのしるしを大事に守っているので、一緒に暮らしている親には言わなかったんだと分かりましたが、僕についてはこう書かれていました。
「例えば母さんに打ち明けるところを、これまで何度も想像していた。でもそれはすぐに打ち消されるものだった。イジメられていることを母さんには知られたくなかった。そしてそれ以上に父さんにだけは、どんなことがあっても知られたくなかった。それにこの事実を打ち明けたところで、何かが好転することは絶対にないと分かっていた」
でもやっぱり親には打ち明けるべきだったなと私は思います。
ある日、僕はクラスの男子から壮絶なイジメ・集団的暴行を受けます。職員会議のため部活も禁止で全校生徒が早々に下校した放課後の体育館で、両手を腰の後ろで難く縛られて、一部を切り裂いたバレーボールを頭からスッポリと被せられ、そのまま床に倒された僕をボールに見立ててサッカーをして蹴り合うというものでした。校内には他に生徒はおらず、先生たちも職員会議中で、誰の目も届かない閉鎖された体育館でそれは行われたのです。
僕はさすがに逃げようとしましたが、相手は6人、こちらは1人では逃げられるはずもなく、終わったあとは、僕の顔は酷く腫れ上がり、制服は血まみれ、床には大量の血の海が広がっていました。
男子生徒たちのリーダーは、帰り際、このことは絶対に誰にも言わないこと、血の海となっている床は外の水道とそこにあるバケツと雑巾で綺麗にしてから帰るよう、僕に言い放って去っていきました。
体育館に来る直前にたまたま廊下で僕と出会し、連れ去られて行くのを見かけたコジマが、心配して駆けつけて来て、2人で体育館の床の血を綺麗に拭き取ったあと、僕を労るようにコジマはこう言います。
「君も私も、弱いからされるままになっているんじゃない。あいつらの言いなりになってただ従っているわけじゃない。自分たちに起きていることをきちんと理解して、私たちはそれを受け入れているんだ。だから、強いか弱いかで言ったら、むしろそれは強さがないとできないことなんだ」と。
先ほどの手紙といい、この言葉といい、コジマは強い信念でイジメに立ち向かっているようでした。
ただ、僕は次第にコジマの考えにはついていけず、僕にとってはただの闇の世界でしかないように思えてくるのでした。
僕はあまり眠れなくなり、次第に自殺について考えるようになり、日に日に自分が弱くなってきくのを他人事のようにぼんやりと感じるように、なっていました。
そんなある日、先日の暴行で受けた顔の治療のため訪れた総合病院のロビーで、僕をイジメるグループと行動を一緒にし、リーダー格の生徒と仲の良い77百瀬」という人物を見かけます。僕は堂々とその隣に座り、やがて百瀬は僕を避けるように病院の外に向かいますが、僕は百瀬を追いかけて捕まえ、話をします。ここまででもすごく勇気のある行動だったと思いますが、コジマの言葉も僕の心に影響していたのかと思います。
「なんで、君たちはこんなことができるんだ。誰であれ、誰かに対してこんな暴力を振るう権利はない。どこにもない」と、僕は百瀬に迫ります。
一方の百瀬。「権利があるから、人って何かするわけじゃないだろう。したいからするんだよ」と、かわします。
「別に君じゃなくたって全然いいんだよ。誰でもいいの。たまたまそこに君がいて、たまたま僕たちのムードみたいなのがあって、たまたまそれが一致したってだけのことでしかないんだから」と、訳のわからない説明をします。
「みんなただ、したいことをやってるだけで、まず彼らには欲求があって、その欲求を満たすだけの状況がたまたまあって、気ままにそれを遂行しているってだけの話だよ」
これに対して僕は、「欲求にしたがってあるだけだって、君は言ったけど、それが許されないことだってことは、君たちもわかってるんだろう。君たちには、後ろめたい気持ちがあるから、僕には口止めして、教師に隠れて、あんなふうにやるんだろう」と、いっきに百瀬を問い詰めます。
これに対して百瀬。「それが正しいことだからって、するわけじゃないだろう。したいことが正しいことだから、するわけじゃないだろう」
もうここまでくると哲学のような
世界で、私は何回も読み直しました。
「世界はひとつじゃないんだよ。みんな決定的に違う世界に生きてるんよ」と、価値観や倫理観の違いを百瀬は持ち出します。
「じゃあ、人の気持ちはどうなるんだ」と僕が呟くと、百瀬は「知らない」と即答。これには唖然としました。
それに「僕たちの年齢じゃ、なんであれ犯罪にはならないからね。イジメっていうのは曖昧だよね。そういうのってさ、解釈の問題だから」と、百瀬は本音を漏らします。
そして「『自分がされたら嫌なことは、他人にしてはいけません』っていうのはあれ、インチキだよ」と断言します。
またまたま、40代の夫婦と女高生の家族が近くを通りかかって。「例えば、あの娘が風俗の仕事に就くって言えば、あの父親は絶対に反対するだろうけど、あの父親も実は誰かの娘が働いている風俗の店には行ったりしてるんだよ。その誰かの娘の父親の気持ちなんて考えない。それとこれとは別ってね。誰だって自分の都合でものを考えて、自分に都合よく振る舞ってるだけなんだよ」と、雄弁に語ります。
さらに、「弱い奴らは本当のことにはたえられないんだよ。苦しみとか悲しみとか、それこそ人生なんて何の意味もない、そんな当たり前のことに耐えられないんだよ」と、これまでのコジマの考えと正反対の言葉を放ちます。
「全部たまたまのこと。僕たちは今たまたまそれができる。君は今たまたまそれができない。それだけのことだよ」
百瀬はそう言って、2人の会話は終わります。
どちらが正しいのでしょう。
どちらが「強者」でどちらが「弱者」何でしょう。
どちらが「善」でどちらが「悪」なのでしょう。
私たちは「常識」という基準でそれらを判断していましたが、「人としての自由意志」あるいは「本音と建前」という基準を、誰にも気づかれないようにそっと持ってきたとき、どんな判断をするのか、ちょっと怖いきがする問題提起の小説でした。
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Posted by ブクログ
ネタバレやっぱり良い、川上未映子さんの文章は本当に良い。「正しい」とされる教科書のような日本語ではなくて、歌うような、言葉が流れるスピード感が素晴らしい。正しさに囚われていては決して辿り着けない、彼女の感性が織りなすオリジナリティがある。
「愛の夢とか」は7つのお話からなる短編集。ご近所さんのピアノの練習に付き合う表題作や、愛着のある自宅を手放さざるを得なかった女性とその家を購入した若い女性の話も面白かったのだけど、なんと言っても十三月怪談が素晴らしかった。
夜寝る前に読んだのが間違いで、泣きすぎて翌朝目が五重くらいに腫れていた。若くして亡くなってしまう女性、時子と、そして残された夫、潤一。時子の魂は夫を見守り、潤一は人生を立て直していく。ここにも「人は見たいものを見る」という人生観が表れていて、ちょっとひねりが効いているのも良かったな。時子の魂が一人称で語る部分があるのだけど、その胸が潰れそうな切なさの描写がリアルで、ボロボロに泣いてしまった。
川上未映子さんの本を読むと素敵な表現がたくさんあって線を引きまくってしまう。もっともっと彼女の言葉を聞きたい。 -
Posted by ブクログ
まだ読み終えた直後であまり感想がまとまってないけど、とにかく綺麗な物語だった。
肉体に刻まれた象徴は物語でありアイデンティティであること、それはひとつの美的であるが、そこに囚われる必要もない。肉体のひとつが変わろうが変わるまいが、長い人生において些細なことで、そんなことで人の大切な部分は変わらない。
新たな世界に飛び込めるならば、その行動は正しいのだから。
二ノ宮を中心とした奥行きのない空虚な彼らは何も変わらず、美しい世界を見ることはないだろう。それは自身のニヒルな感情に酔いしれる百瀬も同様に。一瞬のカタルシスに作品を委ねず書き上げた作家さん、ほんと偉いと思う。。。僕なら暴力に屈します。
コジマの、これは意味がある苦しみである、という考えは、断固拒否していきたい。
そのキリスト的思考は世界の都合でしかなくて、個人の都合じゃないと思ってる。
彼女は最後に完全にキリストになる。確かに彼女はあの場を納めた救いの神であり、発言に頷けるところは多くあるけれど、耐え忍び続け朽ち果てる世界がヘヴンであるはずないから。
肉体は改造してなんぼじゃい!ふざけんな!
めちゃめちゃ宗教モノでした、大好きです。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ川上未映子さんは、ヘブンや黄色い家の、生き方や人生観を考えさせてくれるゴリゴリの純文学感が好きなのだが、あこがれはやわらかい、優しいお話だった。で、それはそれですごくよかった。
麦くんとヘガティーがそれぞれ少しずつ大人になっていく様子を眺めることができた。麦くんもヘガティーもお互いを思いやることができて、優しくて読んでいて好きなキャラクターだなと思った。きっと川上未映子さんが優しい人だから、そんな人柄がキャラクターにも意図せず投影されている(滲み出ている)のかなと思った。
文体がとても読みやすいんだよなぁ、リズムがいいのかなんなのか。 -
Posted by ブクログ
長っ、ていう文章はそれでも読みやすい。すらすら入ってくるのは著者と自分のリズムが合うからなのか、単純に口語に近いからなのか。
自身の性(とそれに付随する身体)に社会が貼り付けた役割に対して嫌悪感を抱いている緑子。女性の身体の中には、生まれる前からたくさんの卵子がすでにあるらしい。
考えは煮込まれていって反出生主義的な考えにまで至っている様子。
母・巻子は、いくつも仕事を掛け持ちして緑子を養っている。スナックでの仕事ではお酒をお腹いっぱい飲んで、客の相手をする。ママからも足元を見られて雑用まで押し付けられるが、それで給料が上がるわけでもない。決して裕福ではない暮らし。
そんな中、豊胸手術をすると言い出す巻子。体にメスを入れてまで大きくしようとする胸は、緑子が生まれたことによってなくなったもの。それを取り戻したいのは何のため?男を喜ばせるため?
母が、自分を(そして緑子を)捨てた男に会いに行った夜、緑子は泣いて問いかける。冷蔵庫から取り出した卵を手当たり次第に潰して、自分を汚しながら。
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Posted by ブクログ
いじめを題材にした作品だが、読後に残ったのは暴力そのものではなく、人が何を正しいと信じて生きるかという問いだった。
二ノ宮や百瀬の考え方は一見もっともらしく聞こえる部分もある。しかし結局のところ、あいつらはまだ子供だったのだと思う。
一方で主人公とコジマは苦しみながらも、自分なりの正しさを見失わない。途中で何度も考えさせられたが、自分がなりたいのはお母さんや鼻のお医者さんのような大人だと感じた。
いじめられる側に原因はない。今も昔もそこは変わらない。
ラストからのコジマのこれからだけは少し気になったが、それも含めて忘れられない読書になった。