夏目の、周囲の人間との関係を取り結びつつ、子どもを産むか産まないかの葛藤が描かれていた。この作品の第二部の一番の読みどころは14と15なのではないかと思う。
乳と卵は以前読んでいて、その続きにあたる部分を読んだ。
仙川さんや善さんなど、子どもを産まない(産めない)人たちが、意図せずに、夏目のいる
...続きを読む世界からいなくなり、遊佐や巻子(途中まで反対)、緑子といった後押しをしてくれる人が残った。ここはなんだか、複雑な気持ちになる。
読んでいて、善さんの言っていること(生まれてくる子どものことを考えたことがあるのか)は間違っていないし、夏目自身もそれは最後に認めていた。だけど、最終的に夏目は「忘れるよりも、間違えること」を選んだ。
これはなぜなのだろう?逢沢さんがいたから?それとも、夏目がずっと言っていたように「会いたい」から?
子どもを育てるとはどう言うことなのだろう?なぜ子どもを産むことが正しいのだろう?逆に、なぜ子どもを産まないとダメなのだろう?なぜ子どもを産みたいと思うのだろう?
そのようなことを考えさせられる小説だった。
追記
もう一つ、この小説は実は上に書いたような複雑な問いを提起するだけでなく、「孤独からの脱出」も描いていたのではないかと思う。
まさに仙川さんの死と善さんとの別れ?は、夏目の抱く孤独(感)からの脱出の瞬間だったと思う。仙川さんは夏目にとって大切な人だったし、善さんは夏目の未熟な考えをグラグラに揺るがした存在だった。夏目はずっとその間も独りだった。
だけどそれを乗り越えて夏目は自分で子を産むことを選択した。遊佐家からの帰り道で仙川さんを払って駅へと逃げるように行く姿や善さんに正面から子を持つことを伝えた姿は、その選択をさせる伏線?だったかもしれない。そしてその結果、周りには自分を支えてくれる存在がいた。
物語の中で夏目は、子どもを産むか否かと並行して、孤独から脱出する道をずっと模索し続けていたのかもしれない。そして、おそらくその孤独の根本的な原因は社会(的規範)がもたらしているということは忘れないでおきたい。