あらすじ
「苛められ、暴力をふるわれ、なぜ僕はそれに従うことしかできないのだろう」 善悪の根源を問う、著者初の長編小説。
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Posted by ブクログ
小説の題材は「苛め」です。
これは社会で起きているであろう真実を、その当事者の思考や哲学を読み解きながら、問題提起している作品であると思います。
苛めをする側の独善的で倫理観の欠如した思考と、苛めを受ける側の苛めに耐えて受け入れていく人生哲学を、それぞれ登場人物に語らせることで、何が善(正義)で何が悪(不義)なのか、どちらが本当の強者でどちらが弱者なのか、を問うそんな内容でした。
物語は、斜視が原因でクラスの男子生徒から日常的に苛めを受けていた14歳の中学生である「僕」のもとに、「わたしたちは仲間です」という手紙が届くところから始まります。それは同じクラスの女子生徒「コジマ」からの手紙で、彼女もまたクラスの女子生徒からその容姿が原因で日常的に苛めを受けていました。
「僕」と「コジマ」は密かな手紙のやりとりをつうじて親交を深め、そのなかで「コジマ」は、苛めを受けている原因である自分が身なりを汚くしているのは「わざと」であり、離婚した父親を忘れないための「しるし」なのだと「僕」に打ち明けます。そして彼女は、いじめの原因である「僕」の斜視も、今の「僕」を構成している大切な「しるし」なのだと言い、「わたしは、君の目がとてもすき」と肯定します。
「僕」と「コジマ」は、心を通わせるようになり、暫くはお互いの存在が支えとなるような関係でいましたが、或る苛めにより「僕」が大怪我を負ったのを境に、「コジマ」の心境に変化が生じていきます。
それは、自分たちは「弱い」から苛められているのではなく、あえてそれを受け入れていることが「強さ」や「正しさ」なのだと述べるなど、苛めによる苦悩を、「意味のあるもの」と考えようとするようになります。切なく悲しい心の変化だと思います。
そしてある日、「僕」は怪我の診察にあたった医師から、斜視が手術で治る可能性があることを告げられます。「僕」は久々に「コジマ」に会い、斜視が治る可能性があることを伝えたところ、「僕」が手術によって大切な「しるし」を捨て、「強いやつら」の側に逃げようとしていると「コジマ」に非難され、一方的に決別を宣言されてしまいます。
つまり、「コジマ」にとって、自らの「身なりの汚さ」や「僕」の斜視は、自分たちを形づくるしるしであり、「意味のある弱さ」すなわち「人の痛みや気持ちがわかるという本当の強さ」示す象徴と考えていたのだと思います。
終盤、「コジマ」のこの心の変化(悲しい思い込み)は、まさに体を張ってまで「強さ」と「正しさ」を示すように「意味のある弱さ」を苛める側に見せつけるような行動に至ります。痛々しくもあり悲しくて切ない光景です。
この小説のタイトルですが、今は苦しくてもそれを乗り越えた先にある場所、それが「ヘヴン」というのが、「コジマ」が「僕」に語った思いでした。ヘブンでも天国でもなく、「コジマ」が拘り名付けて信じていたのが「ヘヴン」でした。
ただ、ヘヴンという言葉の本来の意味(天国)のイメージとは真反対の、次々と繰り出される陰湿で強烈な苛めの描写は、読んでいて本当に辛いものでした。
それでも最後まで読むことができたのは、僕とコジマがやり取りする手紙や会話から、心の動きや感情の変化を感じることができる、繊細な心理描写に引き込まれたからではないかと思います。
あらためて、「苛め」という加害行為と、それを行う者の独善的な価値観、他人の痛みに無関心な鈍感さに、強い憤りを感じました。
また独善的で相手の痛みに鈍感というのは、SNSで正義を振りかざす人たちも同じで、それも「苛め」と何ら変わらないものであると思いました。
Posted by ブクログ
リアリティないじめの描写。
いじめた側は、何もなかったように人生を過ごしていくんだろうな…
いじめられた側は、死ぬまでその記憶は消えない。決して…
コジマは、その後どのようになったのか?1か月前に読み終えたのにずっと頭のなかにこびりついています。苦しいが読むべき小説です。
Posted by ブクログ
百瀬の言うことも分かるし、コジマの言うことも分かる。全てのことに意味があると思いたかったが、案外そんなことはなく、全てが偶然の上に成り立っているのかもしれないと、最近は思っている。
苦しいばかりの世の中で、善悪を自分の中に宿すためのよすがを見つけるのはとても難しい。
「僕」は最後に、誰の言葉も介さない、自分だけの世界を見たのかもしれない。
Posted by ブクログ
もう少し心の準備してから読めばよかった…と反省。
すごく心が痛いのと自分の人生の一部を見ているようでしんどいのだけど、
やはり文章のプロはそう思わせるだけではなく、細部にまで凝って最後まで読めるように導いてくれる。
これもまた心を落ち着かせて読み直したい。
Posted by ブクログ
6章まで読んだ時、ちょっと考える時間が必要になった。
なぜ誰かをいじめること暴力をふるうことがダメなのか。
百瀬の理屈にそった説明で納得させることは、私も難しいと感じてしまった。
それはなぜか。根本的な何かがズレてる感じがある。
「僕」にはあるけど、百瀬は持ってない何かがあるんだということはわかるんだけど。何なのかちゃんと説明できない。
それはモラルと言われる何かのことなのか。
(内田樹さんの本にこんな事が書かれてたように思う)
なんでひとを殺してはいけないんですか?
これは、あらゆる幸運がそろって今自分が恵まれた環境にいることを自覚できない人ができる質問である。
じゃあ、もしあなたがいままさに殺されようとしてる時にそんな質問できるか?、と。それを思い出した。
百瀬は言う。たまたま俺はそれができる側だった。
いじめが嫌なら自分でなんとかすれば。
おれはできることをやる、アンタもそうすればいい。
でもそれができるひととできないひとがいる。
例えば人に暴力を振るうこと、相手を殺すこと。
お前はできない側だろうけど。
もし百瀬に、「僕」の言い分をわからせるには。
百瀬が死を覚悟するかもしくはそれと同等のところまで追い込むしかないのではないか。
恐怖でコントロールするしかないんじゃないのか。
でもそれは暴力でわからせることであり、いじめや暴力が何故いけないかの答にはなっていない。
むしろ同じこと。それを正当化してしまうことになる。
百瀬は、人生には意味がない。
そして弱い奴らはそれに耐えられないと言う。
つまり、意味はないけど力はある。だからやる。
コジマは言う。
「大事なのは、こんなふうな苦しみや悲しみには必ず意味があるってことなのよ…」
つまり、力はないけど意味はある。だから受け入れられる。
ここまで自分なりに考えたけど、わからない。
…そして最後まで読んだ。
もしかしてコジマは強いのか。
側から見ると、コジマはいじめられてるんだけど。
コジマは、従うんじゃなくて受け入れていて、それは正しいことがわかってるからで。
弱さにも意味があるんだとしたら、強さにも意味があって。それも弱い奴が自分を正当化するために作り上げた程度の低い意味ではないと。
それはけっきょくおなじこと、と百瀬は言って。
自分の都合に従って世界を解釈してるってことで。
相手の考え方やルール、価値観をまるごと飲み込んで有無を言わせない圧倒的な力を身につけるしかなくて。
コジマはずっと、できごとには必ず意味があって。
苦しみや悲しみには乗り越える意味があって。
もう私たちだけの問題じゃなくて。
だからその意味にみんなを引きずり込まなくちゃっ、て考えてて。
(もしかして、「意味」は力なんじゃないか)
これは理想じゃなくて真実で。想像力も何も必要じゃない、ただここにある事実なのだと。
「僕」の中でコジマと百瀬の声が共鳴し表情の見分けがつかなくなっていく。
そしてコジマによる何もわかっていない子どもをあやすような、憐れむような行為が続けられ、二ノ宮の暴力によって終わりを迎え、その暴力から解放されたとき、コジマと「僕」は笑い、泣き、涙を流し続けた。
悲しくて泣いたんじゃなくて、コジマと僕は行く場所がなく、このようにしてひとつの世界を生きることしかできないと言うことに対する涙を流していた。
私は、二人からこれ以上ないこの世界へのあきらめのような感情を感じた。
この世界は狂ってるし、こんなに追い込まれてなすすべもなく、あまりに辛すぎると思った。
意味がある、ない
力がある、ない
できる側、できない側
善と悪
弱いと強い
正しいこと、間違ってること
…とか
それぞれ立場もやってる事も違うけど。
コジマも百瀬も言ってる事は根っこのところで同じなんじゃないのか。
そして日常は大小あれど、こういう議論や争いごとに溢れてる。
物語の中の「僕」は、その中で「引きずり込まれたくないし、引きずり込みたくない」って言っていた。
それはコジマにも百瀬にもそうじゃない、とされることだった。
私は、わかりあう努力(ほどほどに)をしても無理なら「もう逃げよう」と思った。
もしそばにたった一人の大切な友達がいたとしても。
逃げた先に何があるかわからないけど、忘れることができるかもしれないし、世界の美しさに気づけるかも知れないから。
そしてできることなら、物語の中の「医者」のように誰かの逃げ場所を作ったりそれを提供できるひとになりたい、と思った。
Posted by ブクログ
いじめの描写を、こんなにも淡々と書くことに驚いた。“いじめられている”という共通点がある僕とコジマだが、その感じ方や捉え方は両者違っており、それぞれの強さがあると感じた。「いじめは絶対悪」という私自身の考えに変化はないけれど、それでも、百瀬の考えには圧倒されたし、説得力があった。他人とそうでない人の境界について、改めて考えさせられた。二ノ宮は本物のカス。
役立たないけれど、役立つこと達
私たちが社会に役に立つものを求めるとき、
私たちも役に立つものであることを求められる。
これはきわめて当然だけれど、
私たちは役に立つものばかりから
できているわけではない。
私は私自身の役に立たない部分を
かえって私のアイデンティティを
表すものとして、「最後まで」
愛することができるだろうか。
また、私は、私だけで私であるわけではない。
私を生み出してくれた者たちも
私の一部である。
私は、私の一部が不完全であっても
かえってそれを愛せるだろうか。
〇〇は、後ろめたくて
自分に大きな穴ができたように感じる行為
かもしれないが、意外と戦略的で
原罪とも呼ばれるものの暴発を回避して
守るべきものを守る強い力になりうるもの
かもしれない。
〇〇が怪我をして血を流すのを読んだとき、
読者としての私は、主人公に復讐や逆襲を
そそのかしたい気持ちを冷まされた。
突発的な凶事も、ないに越したことはないが、
もっと大きな取り返しのつかないことから
自分たちを守ってくれるものとなってくれる
こともあるようだ。
〇〇の凶事や、〇〇に芽生えた強さが、
勇気を持ち始めた主人公のその勇気の、さらに
先にある何かを示しているようだ。
私たちは交流する間に、たとえ
強く幸せに結びつくことができなくても
ばらばらでいるのに、それぞれが成長して
違っているのに、それぞれの成長を
なんとなく感じて安心できることが
あるように感じる。
役に立たなさそうでいて、
役に立つこともあるようですね。
Posted by ブクログ
_好きなシーン
・"みんな好き勝手言うけど、あなたの話しか聞かないから"
安心感 抱擁感 安堵感 信頼感
・"言いたいことがあれば何でも言って、言いたくないことは言わなくていい。"
普段から母親に感謝の気持ちがあるのに、昔から上手く親とコミュニケーションが取れない自分の申し訳なさと不甲斐なさ、情けなさが込み上げた。
頭の中で感謝と情けなさを伝えたら号泣した。進路のことだって一緒に考えてくれる姿勢にじんわりした。就職を決めないといけない自分の心の柔らかい所がお湯に包まれた感覚になった。
最後のくじら公園のシーンは斜視による幻覚を見てるのか、寝てしまってそのまま夢を見ているのか分からず、惨すぎて夢であって欲しいと思いながら読んだが現実だった。直前のマスターベーションのような内面の変化を受け止めきれず狂った夢を見ているのかと思った。途中までコジマの存在も精神を追い込まれた僕の幻だったのではとすら思った。
生きてる意味はないから何か意味を作ってようやく生きている。どう生きるかが明確なら、どんなふうにも生きられる(夜と霧)に通ずるものをコジマに感じた。
コジマはどうなったんだろう。
苛め含め、"したいし出来ることをやってるだけ"という百瀬の論は否定したくてもできないように思った。
理性のないようである理論だった。
百瀬もコジマも自分を貫く存在であったが僕はただ状況に服従していた。だから貫く自分を持てない僕は段々とコジマが遠い存在になり、最後は百瀬と重なった。斜視も僕の意思ではなく仕方ないからそのままだっただけで、コジマのように弱者の強さを表すものでは決してなかった。
それでも治したい意思はあり、決められずにいたが手術を選んだことで初めて僕は自分の輪郭を自分で作ったかもしれない。自分を貫いたかもしれない。自分で選んだ世界の美しさに涙した。コジマへの依存の決別にも取れた。でもコジマに言われた好きだよも関係性も忘れたくなくて、「手術したら斜視だったことも忘れる」に引っかかったのだろう。
結局ヘヴンはどんな絵なのか、自分で選んだ世界のことなのか。
親が離婚したあと、母親と一緒になれただろうか。
コジマと僕のエネルギー量が保存されているようにも映った。コジマがちからを持ち、弱々しさが薄れるに連れて僕はエネルギーを奪われる描写。僕が斜視の手術に希望を感じるに連れてコジマは絶望する。
くじら公園のコジマはギリギリの状態で、じゃあ斜視を手術した後コジマは本当に壊れたのだろうか。
Posted by ブクログ
大変な読書だった。嫌な汗をかきそうになる読書。普通に読んでいてつらかった。一気呵成に読んだけれど、それはどちらかというと、こんな気持ちのままじゃ眠れない、という不快感からの解放を求めていたからだ。どうか救いの展開を、と願ったが、中盤になっても終盤になっても、苛烈ないじめの描写はとどまることはなく、むしろどんどんひどくなっていった。これはフィクションなのに、どうして著者はこんな残酷なことを、とどこかで苛立つ部分もあった。けれどその筆の容赦のなさは、「僕」が自らの手で「ヘヴン」を見るための条件だったのかもしれない。
この小説のテーマの一つが「見る」ということであるのは明らかである。だからこそ著者は、「僕」に斜視という「見る」ことへの不具の具象を与えたのだろう。人は他にも五感をもち世界に触れているけど、その世界の認識には圧倒的に視覚の果たす役割が大きい。それはある意味で、私たちに無条件に視覚の絶対性を信じさせる傾向を与えていて、目で見ている世界を疑わずに盲従しているのではないかということを意識させる。するとそこには、見えているけど見えていない、という矛盾した姿が浮かび上がる。本書で「僕」は斜視のために、両眼の網膜に同じ像が結像せず、他の多くの人のように世界を「見ることができない」。しかしついに「僕」は「見る」ことができたのであり、私はそれがヘヴンではないかと思う。もう一人、コジマもまた、目で見ている世界とはまた違った何かを見ている、いや見ることができている。それは、「僕」とコジマが過酷ないじめを受けているからかもしれないし、そこに至るまでの二人の固有の経験があったからこそだろう。いじめる側の二ノ宮と百瀬、そして本書でセリフもなければ名前すらも与えられないその他大勢の取り巻きたちには、彼らが彼らである以上、見ることができない世界だ。だからこそ、「僕」とコジマは特別なのであり、素晴らしいのであり、強いのだ。著者はそれを描いてくれたのではないかと思う。
「僕」やコジマがこの過酷な状況に置かれたことによって、自分という存在をなんとか客観的に見つめようとし、世界の意味や仕組みを知ろうと思考し哲学する一方で、百瀬は、すべてにおいて世界が偶然によってできていると語る。そこに意味もなければ考えることも無駄で、ただすべてがそういう巡り合わせの中にいるという、それ以上でも以下でもない、それが百瀬の世界である。それは一見すると、たしかに、と思えるような謎の説得力があるのだけれど、しかし百瀬はヘヴンを知らないし、ヘヴンに触れたときの感動も知らない。それは意味や関係性といった解釈を放棄し、その究極、責任や倫理までも幻想として捉えているのだから、自己という存在を何かの因果のもとに捉えられず、他者との総和で世界が成り立っている現実の、その見えない関係性が見えていないからだと、私は感じた。
つらい読書体験だったが、文学作品として一級品である。あえていうなら、たしかに百瀬は頭が良い生徒という設定ではあるが、中学生という年齢で、あそこまで即応的に考えを言語化できるのはやや不自然で、「十全と機能している」などの文語的な言い回しをするのは、世界に無関心な中学生の発言としては違和感がある。公園でのセックスの強要に至るまで、1年間誰も全く気づきもしないものだろうかとも思う。しかしそれは物語の構造上必要だったのかもしれない。
私の趣味で言うなら、もう少し救いの余地を随所に挟んでほしかったなと思う。
Posted by ブクログ
・まずはしんどい。年末年始でないと読めない本。
・いじめる側もいじめられる側も考え方は人によって違う。
・辛いことからは逃げるが正解だと思うけれど、逃げ方を知っておくことが重要。
Posted by ブクログ
確かな表現力とテンポよく読ませる文章で構成された一冊でした。この要素だけでも充分に読んでよかったと思えるのですが、登場人物たちが考える哲学や主人公の逡巡も大変面白かったです。
我々が俗に言うところの「ちょっとヤバい(考え方を持った)人」って、まさにコジマのように自分のなかで成立している論理を、特に強く真だと思い込んでしまうところがあるのだと思います。
その点主人公は、コジマだけでなく、血は繋がっていないけれども自分の側で目線を合わせてくれる母親や、いじめの加害者側である百瀬とも自ら話し合い、その時その時で揺らいでいくだけの強さや環境が整っていたのが印象的でした。
とはいえ、頭ではそんなふうに認識していたとしても、それが出来るかどうかはまた別問題なんですよね…。主人公とコジマには作品で描かれた選択しか出来なかったようにも思いました。
Posted by ブクログ
何が善で何が悪なのかを考えさせられる、自分の価値観を揺さぶる小説でした。僕にとっては他の人と違っている斜視こそがいじめられる原因だと思っているのに、いじめる側はそんなこと気にしていなくてたまたまターゲットにしただけ、という考えの温度差。この世界の見え方は自分がどうするかによって地獄にも天国にもなる。たった1人の大切な友達コジマが「君のいちばん大事な部分」とまで言ってくれた斜視を手術したことで見えた何もかもが光り輝いている世界は、2人では辿り着けなかったなんでもないしあわせ、「ヘヴン」なんだと思いました。
Posted by ブクログ
この作品における「いじめ」は、テーマというより一つのモチーフとして扱われているように感じた。いじめが許されないのは当然だが、作者が描こうとしたのは、卑劣で非情な環境に置かれた人間がどのように生き延びようとするのかという、もっと根源的な部分だったのではないかと思う。とはいえ、凄惨ないじめの描写はあまりに辛く、一語一句を丁寧に追うことはできなかった。
コジマが父との繋がりを絶やすまいとして風呂に入らず、服も洗わない行為が周りに理解されることはない。しかし中学生の少女にとってそれは、理屈を超えた、自分らしく生きようとする精一杯の自己主張なのではないだろうか。
また、百瀬の無慈悲で過度に冷笑的な世界観には強い嫌悪を覚えた。それでも、彼の言葉にはどこか説得力があり、世に対する希望が揺らいで暗い気持ちになった。
いじめが発覚して物語は終わるが、コジマは進んでいじめを受け入れ続けたことで本当に救われたのだろうか。最後に彼女が裸でいたのは、「汚れ」を媒介にしないでも自分自身に価値を見出せたということだったのだろうか。
多くのことを考えさせられたが、辛い思いをした人間だからこそ他者に優しくできることもあると思った。百瀬の言うように善悪は所詮、社会の秩序を保つための絵空事にすぎないとしても、人の心を蔑ろにする者は、他人を救うことは決してできないのだと思いたい。
読み応えがあって素晴らしい作品だった。
Posted by ブクログ
僕が百瀬の言ってることをなかなか理解できない、受け入れたくないみたいな感情の描写がリアルでよかった。
「権利があるから、人ってなにかするわけじゃないだろ。したいからするんだろ」
「欲求が生まれた時点では良いも悪いもない。そして彼らにはその欲求を満たすだけの状況がたまたまあった」
「自分が思うことと世界のあいだにはそもそも関係がないんだよ。それぞれの価値観のなかにお互いで引きずりこみあって、それぞれがそれぞれで完結してるだけなんだよ」
権利とか人の気持ち(罪悪感)で善悪を判断する僕、そういった人それぞれの都合に意味づけするのは弱いからであり、世界はシンプルな仕組みでできているしそこに善悪はないという百瀬。
一方でコジマは「わたしたちはただ従ってるだけじゃないんだよ。受け入れてるのよ。強いか弱いかで言ったら、それはむしろ強さがないとできないことなんだよ」
「君のその方法だけが、今の状況のなかでゆいいつの正しい、正しい方法だと思うの」
「これはね、正しさの証拠なの。悲しいんじゃないの」
私たちを攻撃するのは私たちが恐ろしいからであり、むしろ本当に弱いのは相手であるからこそ、この痛みを受け入れることは、「意味のある弱さ」であり「唯一の正しい方法」だと言った。
僕が目を治すこと、コジマの母が父を最後まで可哀想だと思い続けなかったこと。それはコジマにとって、逃げること。不安や恐ろしさに支配された弱い人間に屈服すること。それは自分自信の痛み、苦しみに耐えることの意味がなくなることであり、それこそがコジマにとって最も恐ろしいことなんだと思う。
百瀬とコジマ、母や医者の言葉の中で揺れ動く僕の気持ちと選択の末、最後に見た景色は今まで見てきた世界とはまったく違ったものだったこと、そして耐え続けなければならないと思い込んでいた世界は、ある一つのきっかけで一変するということ。今見てる世界は、百瀬の考え方でいうとたまたま目の前にある世界なだけであり、たまたまその状況にあるだけかもしれない。善悪、弱さ、正しさ、今自分はどういう世界の見方をしていただろう?善悪とは何か?それは自分が生きていく中でしか考え続けられないものなんだと思った。
Posted by ブクログ
平易でリズム感もあるとても読みやすい文体で、あっという間に読めました。10代の人達に読んでほしい。内面の葛藤や苦悩と世界の理不尽さ。エンタメ小説とは一線を画す小説でした。
Posted by ブクログ
苦しい作品……苦しい!
救いの物語に進んでいくのかと思えば,どんなに踠いても逃げ出せない現実に収斂されていく生き地獄.
感想すら,うまく出てこない…….
いじめられる側の理屈は,感情的に「分かりやすい」.
でも,いじめる側の圧倒的な「屁理屈」は,「分かりたくないけど,分からされてしまう」.
「善悪とか関係なく,やりたい事をやるか,やらないか,それだけ.
その時,それが実行できる環境があるか無いか,それだけ,シンプル」――
きっと,現実世界でもひどいいじめをする人たちの心理って,そんなものなのかもしれない.
「いじめているつもりは無かった」って,言い訳でも何でもなくて,本当にそう思っているのかも.
恐ろしい……けど,自分と違う思考回路の人間が「いること」を認めなければ,現実を歪めてしまう.
「戦争も人殺しも悪い.でも,現実として,世界ではそれが絶え間なく繰り返されている」――
そういう視点が,この作品も,いじめの当事者たちも,そして世間も,圧倒的に足りない.
だからみんな,誤解してしまう.
「物事の見方や見え方で解釈が変わるものに対する議論」と,
「絶対的に間違っていること」を,同列に扱ってはいけない.
この大原則が混ぜっ返されると,どこかで分からなくなってしまって,からめ捕られてしまうんだよね.
ひろゆきに騙されちゃうのって,きっと,そういうところなんだ.
「ナチスはいい事もした」とか
「教育勅語にはいい事も書いてある」みたいな,脳ミソからサボテンが生えてる様な戯言を
“両論併記”の片側を担わせてはいけない.
「人殺しはしてもいいか,ダメか?」みたいな問いに対して
「究極的にはどっちもどっち」なんて返すのは,悪意ある撹乱であって,議論じゃない.
この本に登場する人たちも,文庫の帯も,NYTを始めとする名だたる書評コメントも,
そして世間も――
みんな,この「どっちもどっち」の罠に,騙されてる.
違うんだ.「ダメなものは,ダメ」って言わなきゃいけない時があるんだよ.
この本は,穿った見方をすれば,「良心や議論の混ぜっ返し」なんだよな.
そこを分かっていながら,この陰湿さと執拗さにページを捲る手が止まらない.
作者は,それをわかってて,意図的に撹乱を仕掛けて来てるよね,これ?
その“混ぜっ返し”の巧妙さが,有無を言わせぬ恐怖となって迫ってくる.
混ぜっ返されて堂々巡りする現実を擬似体験させてるんだ.
恐ろしい作家さんだー!この奇妙さと恐ろしさが『黄色い家』に繋がっていくのだな,と納得.
ラストシーン,主人公は,たしかに「前を向く」ように見える.
でも,「コジマ」は……どうなってしまったのか?
色んな想像が広がるけど,そのどれもが絶望的で,
読んだ後も抜け出せない息苦しさが続く……昨夜,眠れなかったもん(笑)
いやなものを見てしまったような,
凄いものを見せられてしまったような――
とんでもない一冊だったことは,間違いない.
Posted by ブクログ
いじめの話なので、すごく重いシーンが続く。
でもテーマは深い。
コジマには愛と赦しがある。でも「しるし」という目に見えるものに、ものすごくこだわっているのが印象的だ。
それに対して主人公の僕は、愛も赦しもまだわからない。だからコジマが尊く見える。でも僕は「しるし」にこだわってるわけではない。その共通点がなくなっても気持ちは変わらない。
ここが最後に決定的な違いになった。
目に見えるものにこだわりすぎなかったからこそ、世界が美しいことに気づけた僕。
なんとも奥が深い物語だった。
Posted by ブクログ
一気に読んでしまった。イジメものの中には被害者が実は美少女だったりするものもあるが、本作品では斜視の少年と不潔な少女といきなり苦しい容赦ない設定。
自分なりの解釈と咀嚼が必要な小説と思う。
コジマは殉教者になりたい歪んだ感情を持っている(持たざるを得ない環境だったのかも)のだと思った。その感情に自身も疲弊し、主人公との軋轢も生じてくる。
百瀬とのやり取りはとても読みごたえはあった反面、目新しい議論ではなくどっかから引っ張って来た感があった。中学生でここまで醒めてるヤツいるか?との違和感もあった。小説全体の流れにも大きくは関わっておらず、そこだけ浮いた感じがしたのが残念だった。
主人公にとって重要だったのは義母の存在ではないか?義母の愛情により一歩踏み出した主人公、そこで自身が生まれ変われるのではとの希望と共に見えた美しい景色が彼のヘヴンだったのだろう。
Posted by ブクログ
面白かった。読みやすかった。
一つ一つの描写が繊細で純粋で、だからこそ残酷だった。
僕も、コジマのように全てのものに意味があると、声高らかに叫びたくなる時がある。本当にそうなのか確信は掴めなくても。
でも、百瀬のように、全て事実と欲求が存在するだけだと、解釈なんて意味なんてないと、思う時もまたある。
そういう意味では、僕は「ぼく」と近いのかも知れない。
匿名
胸が痛い。体も心も傷つけられて、それでも我慢しなくちゃいけないなんて事はない!虐めを通じて強く結びついた2人。お互いが心の支えになれた時もあっただろうけれど。虐めを耐えてる自分達がとてつもなく強くて優しい人だなんて、そんな考え方は寂し過ぎる。何もかも放り出していいんだよ。と、彼と彼女に何度も語りかけるました。容姿が良くても頭が良くても、人の痛みが分からずに残酷な人間はいる。その行為が醜いとも考えない頭が空っぽの奴ら。そんな奴らの相手になる事なんてない!
Posted by ブクログ
コジマと百瀬それぞれの考えに揺れる僕が印象的。
半ばまでコジマに共感していたが徐々に怖く感じて、何故だか百瀬には安心した。
二ノ宮についてジャイアンのようなイメージが浮かぶたび優等生でモテる人物だったことを思い返したが、彼は本当にモテるのか疑問。
Posted by ブクログ
なんか、うまく言えないんだけど
食べてくれてうれしかったってことなのよ
いまからさ、わたし学校に行ってくるんだけど、そのまえにあなたと話したくてさ
こういうのって、みんなすきなように言うからさ
でもわたしはあなたの話しかきかないから
なんでも言って。でも言いたくないことは言わなくていい
最後のお母さんの言葉が救い
離婚して親子関係じゃなくなっても
この2人はまた時々会ってご飯食べたりするような関係を続けられたらいいなと思った。
コジマのお父さんのことを忘れたくないという気持ちがわからないわけではないけど、お風呂入らなかったり、髪ボサボサだったりしなくても、忘れないでいることはできるんだから、違う方法を見つけてほしい。頑固すぎる。
Posted by ブクログ
中学2年生の主人公の《僕》と同級生の女の子の《コジマ》。2人の共通点は、いじめられっ子。
ある日、「私たちは仲間です。」
差出人不明の手紙を受け取ったことがきっかけで、2人はこっそりと文通をするようになる。
毎日のように続く、凄惨ないじめの内容は、正直目を背けたくなった。
その中で、2人は、いじめを受けている自分たちの存在意義を共有しあっていたのだ。
そして、後半、いじめグループの中の1人である百瀬に、《僕》が、「なぜいじめるのか。」と対峙するシーンがある。百瀬は、ただ自分たちの欲求を満たすものが、たまたまそこにあっただけ。だからやった。ということだろうか。
反対に、《僕》もその状況を受け入れてるから、今のいじめが続いているという解釈でいいのだろうか。嫌なら、自分自身で、行動を起こせってことか。
つまり、「相手の身になって考えてみろ」と言っても、実際その相手が、自分が思っているように思っているとは限らないということだ。だったら、自分の身を守るのは自分しかいない、そのためには、自分が行動を起こすしかないという意味。
他人を傷つけるいじめ自体を反論したいが、百瀬を納得させるだけのことを言えるだろうかとも、考えさせられる内容だった。
さらにいじめはエスカレートして行き、もう直視できない程だったけど、その中で、《僕》の行動に変化が。
しかし、それは、実は、《コジマ》が、仲間だと思っていた《僕》のとる行動ではなかったのだ。そのため、《コジマ》から拒絶されていたのだ。
でも、最終的には《僕》の気持ちに理解を示し、さらに《コジマ》も自らの意思を貫く行動に出た。
今の現状を変えようと思うならば、自分で行動を起こさないといけない。
全てにおいて、受け身であることで、これ以上悪化しないように我慢していた《僕》、少しそこから踏み出すことで、良い結果に結びついたことに、頑張って?最後まで読んで、安心した。
私たちはそれぞれ、自分の考えや価値観のフィルターを通して、この世界を見ているということを改めて認識させられた小説であった。自分では正しいと思っていることでも、ある人にとっては悪になるということだ。つまり、同じ空間に存在していても、見ている世界は別物なんだということである。
Posted by ブクログ
すべて真夜中の恋人たちもこの本も暗いなあと思ったけど引き込まれて読まされた。特に最後の方は集中して一気に読んで寝不足、、ロンパリという蔑称を初めて知りました。
Posted by ブクログ
前半長いけど後半が興味深い。
特に興味深かったのは百瀬のいじめている人間は悪い良いではなく欲求に従ってるだけ、それができる状況だっただけ。など加害者側の行動心理みたいなものが解像度高く描かれているのが興味深く面白かった。
いじめの加害者と被害者の考え方の乖離みたいなものも理解できてよかった。
百瀬の考え方を読むだけでも私にとって読む価値のあった本だったと思った。
Posted by ブクログ
65/100
うわぁぁーーん
まじ長かっためちゃくちゃ
しかも言ってることが反復しているから飽きちゃって読み進めるのが大変でした。
でも主人公の子と手紙を送る女の子の対比がそれぞれ顕著に出てるのがすごく面白かった。
あとは思春期の心の動きだったり、加害者側の無邪気さに怖さを感じる。
Posted by ブクログ
辛い、
虐められている描写が想像できるリアルさで痛かった
最初の手紙のやり取りは私的に凄く素敵だと思った
2人の居場所みたいな
手術した後の景色が主人公にとって綺麗でよかった
幸せになって欲しい
Posted by ブクログ
いじめをテーマにした作品だけあってかなり重い。胸にずしんとくるような重さだ。
凄惨ないじめの描写も生々しく思わず目を背けたくなる。
いじめはいじめとして受け入れて耐え忍ぼうとする思想、自ら行動を起こしいじめを止めるべきとする主張、それぞれについて深く考えさせられた。
結末としてはどこか煮え切らない、歯切れの悪いものと感じてしまった。
Posted by ブクログ
全く共感できなかった。
とにかく終始話が重すぎた。
やっぱり人って思ってる以上に周りを気にしてないし、そのことに関して生きやすさしか感じたことがなかったけど相手を気にしていないが故に傷つけようとする人もいることが恐ろしいとも思った。
Posted by ブクログ
初川上未映子さんの作品。
いじめの内容や感情がものすごく辛い。
苦しすぎて読む手が進まず、心が痛かった…
百瀬はどういう立場なのか?
「君の目が好き」と言われた僕だけど、斜視を治す手術をする。
そしいぇラストも美しく終わる。
コジマがよく分からない部分も多かった。
そこをもっと深く追求することできっと物語に込められた意味が分かる気がする。
コジマの未来も明るいかな。
醜さの扱いが難しいところ
醜い子を、醜く書く、というアプローチが、個人的には嫌いだし、違和感を持ったし、疑問を感じた。
主人公のお友達がみんなの前で裸になる時とかね。
容姿が劣っている女の子が、ある瞬間にだけたまらなく美しく主人公には見える、という方が、僕は心を動かされます。
ありません? 容姿の作りが悪くても美しい女性のある瞬間。
そういう瞬間は世間的常識を超えてくると思うんだけどなあ。
女性作家が同性を描く時、そうなってしまうのかな。
性差がすごく嫌いな作家さんだし。