【感想・ネタバレ】ヘヴンのレビュー

あらすじ

「苛められ、暴力をふるわれ、なぜ僕はそれに従うことしかできないのだろう」 善悪の根源を問う、著者初の長編小説。

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Posted by ブクログ

単行本に続いて、文庫本で再読しました。

主人公の「僕」は中学2年生で、ある日、ふで箱の鉛筆と鉛筆のあいだに小さく折りたたまれて入っていた紙に、シャープペンシルで「私たちは仲間です」と書かれたメッセージを受け取ります。
主人公の「僕」は、斜視が原因でクラスの男子生徒たちから、日常的に暴力を伴うイジメを受けていました。その後も机の中に差出人不明の手紙は届き、そこに書かれた文章も少しずつ長くなって、次第に机の中に手紙があるかどうか確かめるのが「僕」の習慣になっていきました。

ある日、「会いたいです」という手紙が届き、これもイジメのひとつで誰かが待ち構えているのではないかと不安を抱きつつ、待ち合わせの公園に行くと、そこに待っていたのは同じクラスの「コジマ」という女子生徒で、彼女も家が貧乏とか不潔だということでクラスの女子生徒たちからイジメられている生徒でした。

彼女は、「君と色々な話をしたいなあと思って。そういうのが、私にも君にも必要なんじゃないかなって、ずっと思ってた」と語り、「友達になって欲しいの」と僕に言います。

* * * * * * * * * * * * * * *

この小説の題材は、『ヘヴン』という小説のタイトルのイメージとはかけ離れた、クラスの集団的な「イジメ」です。

暴力を伴う壮絶なイジメの描写の連続で、読んでいてもつらくなりますが、イジメられる側の「僕」と「コジマ」、イジメる側の「百瀬」のセリフや行動を追いかけながら、あらためて私の感想を書かせていただきたいと思います。(ほぼネタバレですがご容赦ください)

さて、公園で会って会話をした日を境に、手紙をやり取りするようになります。ここで斜視についての説明があるのですが、「すぐそこにあるものを触るにも、うまく距離感がつかめず、指先で触っても、ちゃんと触れているのか、正しく触れているのかどうかわからない感触がいつも残った」とあるのですが、手紙のやり取りをしながらも、「コジマ」との関係に、まだ不安を抱いている「僕」の心境を比喩的に描いているように思いました。

それでも、「文章を書くのは難しいですね」とか「1時間以上も机に向かっています」と手紙に書くなど、手紙を楽しんでいる様子が伺われます。「コジマの声と6Bの芯はよく似ている。柔らかいのに濃く、芯があるところが似ている」なんて、なかなか上手いこと書いてます。

一方でコジマも、「何もすることがないと、何かと戦ってるような気持ちになります。じっと戦ってるような、そんな気がします」と、同じ境遇だからこその本音も手紙に記します。

でもそんな2人の関係は手紙の中だけのことで、「手紙の中のコジマは明るく生き生きとして、学校で見かけるコジマとはまるで別人のように見えた」と、クラスのイジメの材料になるのを恐れて、お互いに見て見ぬふりをし合う関係でしかいられなかったのは、悲しいことでした。

それでも手紙で約束した非常階段で再び会うことができた日は、「風とコジマの笑い声がまじった音がしばらく耳の中で響いていた」と表現されていたほど、笑って過ごせる楽しい時間だったのだと思います。

そして、「コジマが僕に向けて書いてくれた言葉は、暗闇の中で僕に向かってぼんやりと温かく光り、そして僕が書いた手紙もコジマがつらい気持ちの時にそれを和らげ、こんな気持ちにさせるものであったらいいのになとそんなことを思った」と考えるほど、手紙のやり取りはお互いの気持ちを支える大切なものだったのだと思います。

期末テストが終わったあと、コジマから「実は君を連れていきたいところがあります。どこかというと、それはヘヴンです」という手紙が届きます。

夏休みの初日、「僕」はヘヴンがどこなのか知らされないまま、コジマと2人電車で街を離れます。

2人がやって来たのは美術館で、コジマは「ヘヴンは絵のことで私がいちばん好きな絵のことなの」と説明します。「その絵はね、恋人たちが部屋でケーキを食べている絵で、その恋人たちはね、とてもつらいことがあったのよ。とても悲しいことがあったけど、それをちゃんと乗り越えることができた2人で、だから今2人は最高の幸せの中に住むことが出来ているっていうわけなの。2人が乗り越えてたどり着いた、なんでもないように見えるあの部屋が実はヘヴンなの。画集でいっつもいっつも見てたのよ」と、コジマは僕に熱く語りました。実はその絵には違う題名がついていて、コジマが名づけ直したものでした。

コジマのイジメに耐えつつも将来に希望を抱く想いが伝わってくる場面です。

夏休みに入ると、学校がないので誰にも会わなくて済むので、「僕に言いようのない安心を与えてくれた。こうしてひとりでいる限りにおいては、誰であっても僕に指一本触れることが出来ないという当たり前のことが、僕にはとても心強く感じられた」と思うほど、イジメから解放されたつかの間の平穏な日々でした。そういう境遇にある彼らにとって、夏休みとは、そういうものなのだと、あらためて知る思いでした。

そんな夏休みも終わりに近づいたある日、2人は再び非常階段で会う約束をします。

そこでコジマは、初めて家庭の事情を話します。昔父親が経営していた工場が借金を抱えて倒産し、両親は離婚、当時小学生だったコジマは母親に引き取られ、今では母親の新しい男と一緒に3人で何不自由ない暮らしている一方で、本当の父親は今1人で新しい靴も買えない貧しい生活をしていると打ち明けます。夏休みにひとりでその父親に会いに行き、相変わらず優しい父親と楽しく過ごしたと言います。

工場を経営していた頃、家族のために必死で働いている父親の姿を覚えているコジマは、父親の苦労が報われていないこと、今も貧しい生活を強いられていることを嘆き、イジメを受けながらもそれに耐えている今の自分と重ね合わせます。

そして、「私がこんなふうに汚くしているのは、お父さんを忘れないようにしてるだけ。お父さんと一緒に暮らしたことのしるしのようなもので、これは私にしか分からない大事なしるしなのだ。私には汚さにもちゃんとした意味がある。でもあの子たちにはそんなことを言っても絶対に分かってもらえない」と言います。

そして、「あの子たちは、本当に何も考えていない。ただ誰かのあとについて何も考えずにその真似をして、それがいったいどういう意味を持つことなのか、私たちはそんなこと想像もしたことのないような人たちのはけ口になっているだけ」とため息をつきます。

だから僕が斜視を理由にイジメられているのを見て、仲間だと思ったと言います。「斜視のせいで周りから酷い目に遭っているけど、それがいまの君という人をつくっているしるしでることも確かで、だから君の気持ちは誰よりもわかるし、わたしの気持ちを誰よりも分かってくれると思った。人に傷つけられてばかりだったから、人を傷つけることがどんなことなのかが本当に分かる、本当に優しい人だと思った」とコジマは僕に言います。

僕の方をじっと見て、「私は、君の目がとても好き」とゆっくりそう言われて、僕は身体中の力が抜け落ちて、そのままそこに座り込んでしまうという描写があるのですが、純情な中学2年生の男の子がそこに居ました。

別れ際、「いろいろなことがあるけど、私たち、頑張ろうね。いつか全部分かる時が来る。あの子たちにもきっと分かる時が来る。いつか絶対に色々なことが大丈夫になる時が来るから」と、励まし励まされるのでした。

夏休みが終わり学校が始まると、僕は再び身体のところどころに変調をきたすようになりますが、コジマは相変わらず前向きで、届いた手紙には、「私はあの子たちにののしられながら、酷い目に遭わせられながら、あの子たちの笑っている顔を見ていると可哀想に思えてくることがある」と綴られています。

「あの子たちは、これまでに大事なことを考える機会がきっとなかったんだろうな、と思える。私があの子たちの仕打ちから学んだように、あの子たちもいつか自分たちの行為から自力で学び、知る必要があると思う。私に対してしているあらゆることから、あの子たち自身が分からないといけない、理解することのできない種類のことだと思う。そのことだけでも、私たちのこんなふうな毎日は意味があるのではないかと、そんなふうに思っています」と、中学2年生とはとても思えない、でも毎日イジメられている側の切ない「意地」のようなものが感じられます。

「強者」と「弱者」と言いますが、コジマの言葉や手紙に綴られた思いをずっと読んでいると、本当はどっちがどっちなんだろうと思ってしまいます。

ところで、イジメを受けていることをなぜ親に言わないのかと、ずっと思っていましたが、コジマは父親を忘れないためのしるしを大事に守っているので、一緒に暮らしている親には言わなかったんだと分かりましたが、僕についてはこう書かれていました。

「例えば母さんに打ち明けるところを、これまで何度も想像していた。でもそれはすぐに打ち消されるものだった。イジメられていることを母さんには知られたくなかった。そしてそれ以上に父さんにだけは、どんなことがあっても知られたくなかった。それにこの事実を打ち明けたところで、何かが好転することは絶対にないと分かっていた」

でもやっぱり親には打ち明けるべきだったなと私は思います。

ある日、僕はクラスの男子から壮絶なイジメ・集団的暴行を受けます。職員会議のため部活も禁止で全校生徒が早々に下校した放課後の体育館で、両手を腰の後ろで難く縛られて、一部を切り裂いたバレーボールを頭からスッポリと被せられ、そのまま床に倒された僕をボールに見立ててサッカーをして蹴り合うというものでした。校内には他に生徒はおらず、先生たちも職員会議中で、誰の目も届かない閉鎖された体育館でそれは行われたのです。

僕はさすがに逃げようとしましたが、相手は6人、こちらは1人では逃げられるはずもなく、終わったあとは、僕の顔は酷く腫れ上がり、制服は血まみれ、床には大量の血の海が広がっていました。

男子生徒たちのリーダーは、帰り際、このことは絶対に誰にも言わないこと、血の海となっている床は外の水道とそこにあるバケツと雑巾で綺麗にしてから帰るよう、僕に言い放って去っていきました。

体育館に来る直前にたまたま廊下で僕と出会し、連れ去られて行くのを見かけたコジマが、心配して駆けつけて来て、2人で体育館の床の血を綺麗に拭き取ったあと、僕を労るようにコジマはこう言います。
「君も私も、弱いからされるままになっているんじゃない。あいつらの言いなりになってただ従っているわけじゃない。自分たちに起きていることをきちんと理解して、私たちはそれを受け入れているんだ。だから、強いか弱いかで言ったら、むしろそれは強さがないとできないことなんだ」と。

先ほどの手紙といい、この言葉といい、コジマは強い信念でイジメに立ち向かっているようでした。

ただ、僕は次第にコジマの考えにはついていけず、僕にとってはただの闇の世界でしかないように思えてくるのでした。

僕はあまり眠れなくなり、次第に自殺について考えるようになり、日に日に自分が弱くなってきくのを他人事のようにぼんやりと感じるように、なっていました。

そんなある日、先日の暴行で受けた顔の治療のため訪れた総合病院のロビーで、僕をイジメるグループと行動を一緒にし、リーダー格の生徒と仲の良い77百瀬」という人物を見かけます。僕は堂々とその隣に座り、やがて百瀬は僕を避けるように病院の外に向かいますが、僕は百瀬を追いかけて捕まえ、話をします。ここまででもすごく勇気のある行動だったと思いますが、コジマの言葉も僕の心に影響していたのかと思います。

「なんで、君たちはこんなことができるんだ。誰であれ、誰かに対してこんな暴力を振るう権利はない。どこにもない」と、僕は百瀬に迫ります。

一方の百瀬。「権利があるから、人って何かするわけじゃないだろう。したいからするんだよ」と、かわします。

「別に君じゃなくたって全然いいんだよ。誰でもいいの。たまたまそこに君がいて、たまたま僕たちのムードみたいなのがあって、たまたまそれが一致したってだけのことでしかないんだから」と、訳のわからない説明をします。

「みんなただ、したいことをやってるだけで、まず彼らには欲求があって、その欲求を満たすだけの状況がたまたまあって、気ままにそれを遂行しているってだけの話だよ」

これに対して僕は、「欲求にしたがってあるだけだって、君は言ったけど、それが許されないことだってことは、君たちもわかってるんだろう。君たちには、後ろめたい気持ちがあるから、僕には口止めして、教師に隠れて、あんなふうにやるんだろう」と、いっきに百瀬を問い詰めます。

これに対して百瀬。「それが正しいことだからって、するわけじゃないだろう。したいことが正しいことだから、するわけじゃないだろう」

もうここまでくると哲学のような
世界で、私は何回も読み直しました。

「世界はひとつじゃないんだよ。みんな決定的に違う世界に生きてるんよ」と、価値観や倫理観の違いを百瀬は持ち出します。

「じゃあ、人の気持ちはどうなるんだ」と僕が呟くと、百瀬は「知らない」と即答。これには唖然としました。

それに「僕たちの年齢じゃ、なんであれ犯罪にはならないからね。イジメっていうのは曖昧だよね。そういうのってさ、解釈の問題だから」と、百瀬は本音を漏らします。

そして「『自分がされたら嫌なことは、他人にしてはいけません』っていうのはあれ、インチキだよ」と断言します。

またまたま、40代の夫婦と女高生の家族が近くを通りかかって。「例えば、あの娘が風俗の仕事に就くって言えば、あの父親は絶対に反対するだろうけど、あの父親も実は誰かの娘が働いている風俗の店には行ったりしてるんだよ。その誰かの娘の父親の気持ちなんて考えない。それとこれとは別ってね。誰だって自分の都合でものを考えて、自分に都合よく振る舞ってるだけなんだよ」と、雄弁に語ります。

さらに、「弱い奴らは本当のことにはたえられないんだよ。苦しみとか悲しみとか、それこそ人生なんて何の意味もない、そんな当たり前のことに耐えられないんだよ」と、これまでのコジマの考えと正反対の言葉を放ちます。

「全部たまたまのこと。僕たちは今たまたまそれができる。君は今たまたまそれができない。それだけのことだよ」
百瀬はそう言って、2人の会話は終わります。

どちらが正しいのでしょう。
どちらが「強者」でどちらが「弱者」何でしょう。
どちらが「善」でどちらが「悪」なのでしょう。

私たちは「常識」という基準でそれらを判断していましたが、「人としての自由意志」あるいは「本音と建前」という基準を、誰にも気づかれないようにそっと持ってきたとき、どんな判断をするのか、ちょっと怖いきがする問題提起の小説でした。



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2026年07月11日

Posted by ブクログ

まだ読み終えた直後であまり感想がまとまってないけど、とにかく綺麗な物語だった。

肉体に刻まれた象徴は物語でありアイデンティティであること、それはひとつの美的であるが、そこに囚われる必要もない。肉体のひとつが変わろうが変わるまいが、長い人生において些細なことで、そんなことで人の大切な部分は変わらない
新たな世界に飛び込めるならば、その行動は正しいのだから。

二ノ宮を中心とした奥行きのない空虚な彼らは何も変わらず、美しい世界を見ることはないだろう。それは自身のニヒルな感情に酔いしれる百瀬も同様に。一瞬のカタルシスに作品を委ねず書き上げた作家さん、ほんと偉いと思う。。。僕なら暴力に屈します。

コジマの、これは意味がある苦しみである、という考えは、断固拒否していきたい。
そのキリスト的思考は世界の都合でしかなくて、個人の都合じゃないと思ってる。
彼女は最後に完全にキリストになる。確かに彼女はあの場を納めた救いの神であり、発言に頷けるところは多くあるけれど、耐え忍び続け朽ち果てる世界がヘヴンであるはずないから。
肉体は改造してなんぼじゃい!ふざけんな!

めちゃめちゃ宗教モノでした、大好きです。

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2026年06月28日

Posted by ブクログ

いじめを題材にした作品だが、読後に残ったのは暴力そのものではなく、人が何を正しいと信じて生きるかという問いだった。

二ノ宮や百瀬の考え方は一見もっともらしく聞こえる部分もある。しかし結局のところ、あいつらはまだ子供だったのだと思う。

一方で主人公とコジマは苦しみながらも、自分なりの正しさを見失わない。途中で何度も考えさせられたが、自分がなりたいのはお母さんや鼻のお医者さんのような大人だと感じた。

いじめられる側に原因はない。今も昔もそこは変わらない。

ラストからのコジマのこれからだけは少し気になったが、それも含めて忘れられない読書になった。

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2026年06月18日

Posted by ブクログ

虐めに耐える男子と女子、中学生の希望と絶望の話。日常と暴力の対比、特に前半と後半の温度差、強さと弱さ、善と悪の対比、斜視と両眼視などあらゆる白黒とキラキラ輝く美しさの対比が印象的な物語でした。
日常から暴力描写の温度差が刺さる作品でもあり、強さとは弱さと何か、美しさと醜さとあらゆる対比表現が素晴らしかった。

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2026年06月09日

Posted by ブクログ

ネタバレ

胸を深く抉られる物語だった。いじめの描写が非常にリアルかつ残酷で、読むのが苦しかった。特に、百瀬が僕をいじめる理由について、理路整然と語るシーンには絶望感があった。学校の教師や周りの大人が、いじめに気付く気配が全くない所も不気味だった。手術後の「僕」の目からは、これまでにないほど世界が美しく見えるが、それを伝えたいコジマはもういないという結末に、胸が締め付けられた。

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2026年06月05日

Posted by ブクログ

百瀬が語る、ありとあらゆることに意味などなく、自分の行動や意味を決定づけるのは自分自身であるという主張と、コジマの言う「斜視こそが君を君とたらしめるものだ」という言葉を「僕」はどう捉えていくのか。

人は皆、この世界に劇的な意味を見出そうとしがちだがそんなものはない。良くも悪くも存在する理由や意味なんて、自分で決めれば良い。実存主義的な考えを多方面から感じた物語だった。

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2026年05月31日

Posted by ブクログ

『ヘヴン』に響く、痛みの哲学

第一章:出会いと「しるし」
学校という閉ざされた地獄の中で、理由のない「いじめ」を受け続ける「僕」と「コジマ」。二人の出会いは、必然だったのかもしれません。

コジマは、自分が受ける苦痛を、他者とは違う特別な「しるし」なのだと言いました。痛みをただ恐れるのではなく、傷つくことでしか手に入らない「優しさ」がある。それを気高く「受け入れる」彼女の姿には、圧倒的な「強さ」が宿っていました。
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第二章:初めての外出、そしてハサミ
二人だけの初めての外出。現実の苦痛から逃れたあの美術館で、僕たちは確かに「ヘヴン」を見ていました。

僕は、彼女の拠り所、切るという行為をサポートします。
僕は、コジマに髪の毛を差し出したのでした。
少しずつ、2人の距離は近くなりました。

しかし、現実は容赦なく押し寄せます。クラスメイトの手によって、いじめはエスカレートするばかりです。
僕は、鼻が曲がるほどの重症を負うのでした。


僕は、いじめの取り巻きである、二宮に質問します。
なぜ、いじめるのか?

二宮の答えは、「そこに意味なんてない」という冷徹なものでした。
嫌ならば、逃げろ、怖いならば、声をあげろ!

僕の中で、何が壊れ、再構築がされ始めます。
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第三章:別れを乗り越えて、見えてくること
やがて訪れる、コジマとの決定的な別れです。
「僕」は斜視の手術を受け、コジマと共有していた外見的な「しるし」を失います。
コジマも去り、二人だけの季節は終わりを告げました。

ラスト。
包帯を解いた「僕」の目に飛び込んできたのは、まばゆいばかりに輝く緑の並木道でした。

過酷な日々を「乗り越えてわかる」、新しく見えてくること。
それは、世界は残酷であると同時に、息をのむほど「美しい」という事実です。

たとえ傷が癒え、すべてが過去になっても、コジマの想いは胸に込み上げ、彼らの意味は永遠に変わりません。

そう、読者のひとりとして、信じてやみません。

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2026年05月24日

Posted by ブクログ

いじめの描写があまりにも生々しくて、読んでいて胸がヒリヒリしてしまいました。かなりビターな内容ですが、学校のいじめの物語にとどまらず、人が理不尽さや矛盾とどう向き合い生きるかを問われているようで、強く引き込まれました。

読みながら考えたのは、
人はなぜ集団になると残酷さに鈍感になり、正当化してしまうのか、ということです。本来、人が人に暴力をふるう権利なんてないはずなのに…、理不尽な暴力の場面に何度もやるせない気持ちになりました。

特に印象に残ったのは、百瀬が語る「世の中の仕組み」と「世界はひとつじゃない」という言葉です。
認めたくはないけれど、
身近な人間関係だけでなく、歴史の中で繰り返されてきた争いや現在の殺伐とした世界情勢を思い浮かべてみても、
「人はそれぞれの立場で都合よくふるまっている。」
という指摘を完全には否定できないような気がしました。

だからこそ作中の「自分の気持ちは自分で考えるしかないんじゃないの?」という言葉にも静かに頷かされました。
他人を変えられなくても、自分が変わることができる。選択肢もある。そして、自分の生き方の優先順位を自分で決めることもできる…。

主人公が自分と向き合い、踏み出す一歩は大きくはないかもしれませんが、かすかな希望や救いを感じて、読み終わって、なんとなくホッと胸を撫で下ろしました。

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2026年03月19日

Posted by ブクログ

ネタバレ

 この作品における「いじめ」は、テーマというより一つのモチーフとして扱われているように感じた。いじめが許されないのは当然だが、作者が描こうとしたのは、卑劣で非情な環境に置かれた人間がどのように生き延びようとするのかという、もっと根源的な部分だったのではないかと思う。とはいえ、凄惨ないじめの描写はあまりに辛く、一語一句丁寧に追うことはできなかった。

 コジマが父との繋がりを絶やすまいとして風呂に入らず、服も洗わない行為が周りに理解されることはない。しかし中学生の少女にとってそれは、理屈を超えた、自分らしく生きようとする精一杯の自己主張なのではないだろうか。

 また、百瀬の無慈悲で過度に冷笑的な世界観には強い嫌悪を覚えた。それでも、彼の言葉にはどこか説得力があり、世に対する希望が揺らいで暗い気持ちになった。

 いじめが発覚して物語は終わるが、コジマは進んでいじめを受け入れ続けたことで本当に救われたのだろうか。最後に彼女が裸でいたのは、「汚れ」を媒介にしないでも自分自身に価値を見出せたということだったのだろうか。

 多くのことを考えさせられたが、辛い思いをした人間だからこそ他者に優しくできることもあると思う。百瀬の言うように善悪は所詮、社会の秩序を保つための絵空事にすぎないとしても、人の心を蔑ろにする者は、他人を救うことは決してできないのだと思いたい。

 読み応えがあって素晴らしい作品だった。

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2025年12月05日

Posted by ブクログ

百瀬の言ういじめ論なかで説明される「欺瞞と嘘で塗り固めた暴力性」に違和感があった。たしかに、彼の主張には誤りが多く含まれる。それを一つ一つ反論し説き伏せることもできる。しかし、それを乗り越えても、納得させられそうな気持ち悪さを拭うことはできない。なぜか。


川上未映子曰く、
"創作の動機として、常に倫理全般への欲望があります。信仰や善悪や生命倫理……その中でも生殖は発端という感触があります。妊娠して出産をするというのは、いったい何が何をしていることなのか。それはいいことなのか、そうでないのか、あるいはそういった評価と関係ないことなのか。書くことで理解したいとかではなく、自分が問題だと思うことを、その時できる技術の限りをもってやっておきたい"

ここを出発点にしていろいろ考えたい。生殖はいいことでもわるいことでもない、ただそうしたいからという欲望の帰結であるけど、その帰結のつながりや組み合わせが信仰とか善悪を生む。生殖そのものが中立だとしても、「他者を産み落とした瞬間、苦痛と暴力に参与させる」のだとしたら、生殖は中立でいられるのだろうか。生殖がウロボロスの出発点となり、因果を循環させる。なら、生殖は無関係とはいえず、無垢で尊い営みではない。それはあまりにも残酷な他者への仕打ちとさえいえる。

百瀬のいう「欺瞞と嘘で塗り固めた暴力性」とはまさにそこを突いている。善人の振りをしているけど、ヒトは自分の欲望のために、大なり小なり他者へ苦痛と暴力を与える。あなたは振るわないかもしれない。それは運がいいだけか、自分の暴力に鈍感なだけだ。誰しも暴力からは逃れられない。だから、そこを突かれると気持ち悪さを拭いきれない。

そうだとして、すべてのものが弱肉強食で支配されることに肯定するのか。欲望に従うことを肯定するのか。そうではない。欺瞞と嘘であるかもしれない善がなぜ社会や個人に存在してしまうのか。そしてそれに従うとはどういうことなのか。なぜ従えるときとそうでないときがあるのか。これら問題に答えを出せて初めて欲望をただ肯定するべきなのかに答えを出せる。これを無視することは、川上未映子のいうまさに『おめでたい人』なのだ。

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2026年05月23日

c

購入済み

ちょっと理解できるような、、

虐められる側の「受け入れる」と言う考え、たしかにそれは弱者ではなく勝者に感じた。

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2022年09月15日

購入済み

役立たないけれど、役立つこと達

私たちが社会に役に立つものを求めるとき、
私たちも役に立つものであることを求められる。
これはきわめて当然だけれど、
私たちは役に立つものばかりから
できているわけではない。
私は私自身の役に立たない部分を
かえって私のアイデンティティを
表すものとして、「最後まで」
愛することができるだろうか。
また、私は、私だけで私であるわけではない。
私を生み出してくれた者たちも
私の一部である。
私は、私の一部が不完全であっても
かえってそれを愛せるだろうか。

〇〇は、後ろめたくて
自分に大きな穴ができたように感じる行為
かもしれないが、意外と戦略的で
原罪とも呼ばれるものの暴発を回避して
守るべきものを守る強い力になりうるもの
かもしれない。
〇〇が怪我をして血を流すのを読んだとき、
読者としての私は、主人公に復讐や逆襲を
そそのかしたい気持ちを冷まされた。
突発的な凶事も、ないに越したことはないが、
もっと大きな取り返しのつかないことから
自分たちを守ってくれるものとなってくれる
こともあるようだ。
〇〇の凶事や、〇〇に芽生えた強さが、
勇気を持ち始めた主人公のその勇気の、さらに
先にある何かを示しているようだ。

私たちは交流する間に、たとえ
強く幸せに結びつくことができなくても
ばらばらでいるのに、それぞれが成長して
違っているのに、それぞれの成長を
なんとなく感じて安心できることが
あるように感じる。

役に立たなさそうでいて、
役に立つこともあるようですね。

#ハッピー #切ない #ダーク

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2022年04月28日

Posted by ブクログ

ネタバレ

川上さんが伝えたかったことはとても難しいことだと思った。
主人公や、コジマが壮絶ないじめにあっていても何事も無かったように学校に通い続ける姿に、誰かに相談したらいいのにと思ってしまったけれど、中学生の視野じゃ様々な可能性ややり方があることも分からないし、目の前の孤独な世界で耐えることを選んでしまうのかもしれないなとも思った。
主人公がどんどん追い込まれていく描写が辛かった。

コジマは初めは良かったけど、段々と自分の状況と大好きなコジマの思想との間で揺れ動く主人公の様子を見ていて苦しかったし、自分の思想で勝手に仲間だと思ったり、勝手に裏切られたと思ったりというコジマの危うさを感じて怖かった。それがやっぱり、最後の事件に繋がっていたと思う。虐められ、傷つけられることにも意味があると信じて受け入れるのは、最善の策とはどうしても思えなかった。

もう一つ百瀬との印象的な場面。私は百瀬の言っていることには1ミリも共感できなかった。それがその人の今やりたいことだからといって、人を傷つけていいわけない。虐められてる方がなにか行動を起こすべきだなんてそんなのは間違っていると思う。
正論を言っているようで支離滅裂なことを言っていたと思うけど、本人の世界ではそれが正しくて、自分が強者側だと信じてやまないからあんなに強気に出て、自分は正しいと胸を張って持論を披露できるんだね。
ろくな大人にならないなと思うし、最後の事件の後色々な大人からこっぴどく叱られていてほしい。

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2026年06月30日

Posted by ブクログ

ネタバレ

心を抉られながらも一気読み。
いじめというものが取り沙汰されるたびに「逃げたっていい」「学校が全てではない」という言葉が自然と飛び交う。大人である我々の経験則から言えば間違いなく正しいのだが、実際にそこで生きている当事者にとっては虚しく現実味のない言葉なのだと思う。スマホが普及してネットへのアクセスが当たり前の世の中にあっても、やはり子どもにとっての世界は狭い。そんな中でコジマが拠り所として見つけ出した「強さ」が、「すべてを受け入れること」なのが虚しくてやるせない。それはコジマにとっての呪いになってしまっているからだ。
どこか他のクラスメイトとは違う百瀬を最終的には実はいい奴、といった描き方をしない作者の徹底した冷徹さも本当に素晴らしい。
『黄色い家』を読んで2冊目にこの作品を読んだが、「僕」の母のような少し肩の力の抜けたような登場人物がすごくいい。

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2026年06月21日

Posted by ブクログ

やっぱり、この人の小説は、最もわかりやすい(ように見える)救済が訪れるわけではない。最後よかったな。

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2026年06月14日

Posted by ブクログ

ネタバレ

いじめを受けている少年少女の話。
中学生にしてはやけに話の内容が哲学的でびっくり。
ラストは、「え、終わり!?」って感じだった。

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2026年06月01日

Posted by ブクログ

川上未映子氏のブッカー賞最終候補作品。
「夏物語」「きみは赤ちゃん」のあと読んだため振り幅というか高低差はなかなかデカかった。
壮絶な苛めがテーマだが、根底にあるのは「世界感」や「価値観」。百瀬の認識が苛める側の真理ならコジマの認識も苛められる側の真理。
読んでいる途中は息苦しさを覚える。”僕”とコジマが夏休みに美術館に赴く平和で幸福な描写はそのあと訪れる残酷な悲劇を予感させ、最後の壮絶な出来事はコジマが必然として受け入れ耐え忍んできた「世界」が残酷な事実を突きつけ、キャパシティを超過し負の達観が訪れる。
苛めに対してはカタルシスのないまま終焉を迎えるが、「斜視」がある意味キーワードとなり、二次元から三次元となった世界の美しさに”僕”は涙を流し物語は幕を閉じる。
「ヘヴン」という架空の世界を描いたコジマに対して、本作品は唯一無二で無常な現実を突きつけながらも、見方を変え行動を起こすことの意味を問い苛められる側を励ます作品となっている。

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2026年05月07日

Posted by ブクログ

ネタバレ

めっちゃ読むのが辛かった
苛めの本ってどんなものかな?って思っていたより辛い
主人公はチョーク飲まされたり人間サッカーで鼻かは血が出て腫れてしまったり公園で無理矢理服を脱がされてパンツ一丁にさせられてたり、そしてコジマは主人公の虐められ仲間のコジマは臭いと汚い理由だけで女子だけで虐められる!
そして広瀬曰く虐められるのはたまたま
そして広瀬は救世主だと思ったけど二ノ宮と一緒の人だった、、
広瀬はこんなことはなんの意味もない、こんなことしなくてもおなじってわかってるけど二ノ宮に逆えないってことだよね、、次は自分がやられるって心のどこかに思ってる、、
ちょっと復讐劇はあってもよかったと思う!でも最高で辛い小説でした!

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2026年05月04日

Posted by ブクログ

凄かった。
正しさとは。人の数だけ、正しさもある。
分かってるけれど、百瀬の言い分に歯痒さ、気持ち悪いとまで思ってしまった。
お母さんが素敵なお母さんで良かった。

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2026年04月21日

Posted by ブクログ

すんごいしんどい話だった。
人間サッカーとかもう吐き気すら感じる。
百瀬が正しいわけないのに否定しきれない芯のある考えとかコジマの印とか正しさがどんどんわからなくなっていく。
お母さんの包容力には読者まで安心感で満たされた。僕の斜視が治った後の綺麗な世界にコジマがいたらなぁって悲しくなった。

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2026年04月07日

Posted by ブクログ

読み進めるうちに、なんだか現実の感覚がふわふわしてくるような、不思議な没入感に引きずり込まれた。

とにかく、いじめの描写が壮絶。なのに、どこかファンタジーのような、現実離れした静けさを感じるのはなぜだろう。主人公の「僕」が、あまりにひどい現実から自分を切り離して、どこか遠くから自分を眺めているような「俯瞰の視点」のせいかもしれない。

特に印象に残ったのは、百瀬のニヒリズム。
「強い者が弱い者を踏みにじるのは、ただの自然現象だ」という彼の理屈は、残酷だけれど、私たちが目を背けている世界の真理を突きつけてくるようで、否定しきれない怖さがあった。

一方で、唯一の味方だと思っていたコジマの存在。彼女がいなければ「僕」は壊れていたかもしれないけれど、同時に、彼女の「耐えることに意味がある」という純粋すぎる信念が、彼をいじめの沼に深く繋ぎ止める重りになっていた気がしてならない。救いという名の呪縛のようで、読んでいて本当に苦しかった。

ようやく、物語の最後に「僕」が見たもの。
それを「ヘヴン」と呼ぶのだとしたら、それはあまりにも静かな光景だった。

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2026年04月05日

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ネタバレ

コジマが、いじめの状況は変わらないのに
どんどん強い印象に変わっていくのが不気味だった。
自分の解釈で世界を捉えて、現実の苦しさになんとか
耐えるためか?目を逸らすには、より強く世界に
没入しないといけなかったのかもしれない。
だから自分に言い聞かせるように、
汚れをお父さんを忘れないための「しるし」とか、
いじめに対抗しないのは「美しい弱さ」と何度も
訴えていたのかもしれない。その様子を主人公が
なんだか受け入れられないのは、
置いて行かれるという焦り?か、
自分もコジマの世界観に取り込まれてしまうという怖さ?
とかかなと思った。
百瀬は最初の描写から、後で主人公側になるか、
と思ったけど、違った。不思議な人だったけど、
私は百瀬の考え方が一番しっくりきた。
「それぞれの都合で世界を見ているに過ぎない、
全てたまたまであって、できることはできるし、
できないことはできないというだけ。」
これはシンプルでブレが無くて好きだと思った。
最後、コジマが百瀬の頬に触ろうとしたところで
終わってしまったけど、そのまま触られていたら
どんな反応をしたのか気になった。

斜視を治す手術をした彼が新しく迎えた世界が、
今までは地獄へ続いていたはずの並木道を、
美しく感じられるようになったことに、
ひとまず安心して本を閉じた。

人間サッカーからの鬱っぽくなる辺りが
一番辛かった、、。

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2026年03月14日

匿名

購入済み

胸が痛い。体も心も傷つけられて、それでも我慢しなくちゃいけないなんて事はない!虐めを通じて強く結びついた2人。お互いが心の支えになれた時もあっただろうけれど。虐めを耐えてる自分達がとてつもなく強くて優しい人だなんて、そんな考え方は寂し過ぎる。何もかも放り出していいんだよ。と、彼と彼女に何度も語りかけるました。容姿が良くても頭が良くても、人の痛みが分からずに残酷な人間はいる。その行為が醜いとも考えない頭が空っぽの奴ら。そんな奴らの相手になる事なんてない!

#切ない

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2025年08月05日

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2026/6/16
苛めを受ける中学生男子の物語。
似た境遇にいるコジマ、苛める側の百瀬、医師、母親との会話からそもそも存在しない問いに存在しない答えを探し続ける主人公が印象的だった。
確かに色々な対比が散りばめられていて、文章的にとても読みやすい。
後半で主人公が誰の考え方・生き方を真似るでもなく下した決断に、本文には描かれない主人公の未来の明るさを感じた。

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2026年06月16日

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感想がすごく難しい。刺さる人には刺さるのかしら。

すべてのものごとには意味があるのだから受け入れるとするコジマと、すべてのものごとは偶然が重なっただけなので嫌なら自分で変えるしかないとする百瀬の考え方、どちらにも納得できる。
むしろ私は、「嫌なら自分で変えるしかないけど、それでもどうしようもならなかったことはきっと何か意味があること」と思うようにしている。

但しコジマの思想はあまり理解できない。
いじめを受け入れるも拒絶するも勝手だが、いくら汚れたままでいることが本人に特別な意味があるからといっても、風呂に入らないことかで周囲に迷惑も不快感も与えているのは事実。それでいて、いじめてくる人間たちのことを「大切なことに気づけていない、あの子たちも被害者」などと憐れみを向けているのが鼻につく。もちろん、百瀬の考えで言えば、コジマが汚いことなんていじめの原因ではなく、偶然いじめの対象になった後付けの理由ということにすぎないのだが、原因を作っている側が自己満足するなよと思ってしまった。

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2026年06月03日

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川上さん作品2作目。
やっぱり読みやすく、面白くてやめられなくて、1日で読んだ。
切なくて苦しい描写の中に、ホッとするような、キラキラと光る素敵な空気が出てきて。
シャガールの絵が作中に出て来たのも、良かった。
分かりやすいハッピーエンドじゃない感じがリアルだった。

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2026年05月21日

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いじめに遭っている中学生男女の話。むずくて不快感強い。
斜視をもつ僕はクラスの男子グループからいじめを受けている。ある日差出人不明の手紙の指示に従って公園を訪れると、そこには同クラスの女子グループからいじめを受けているコジマがいた。
再婚後にできた母がいいキャラしてる。最後に安心したけど、途中はしんどいしどうしようもなくてきつい。議論の内容が卑近なもので難しく、私には合わなかった。でも川上未映子作品とあって文章が読みやすく、活字を追うには楽しかった。

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2026年05月15日

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鬱々としたいじめの描写が長く続く。あまりに可哀想で、伏線が回収され、虐める側に何らかの天誅が下ることを期待しつつ読み進めてもいじめは終わらない。最後に少しだけ救われるが、それまでの苦難に十分には見合ったとは思えずもどかしさが残った。

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2026年05月03日

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「ヘヴン」とは何か。
僕が最後に見た景色、それがヘヴン?
コジマのヘヴンは?

虐めなんて甘い言葉で済ましてはいけない。
描写がリアルすぎて何度も辛くて本を閉じては読むの繰り返しで、読み切るのに時間がかかった。
虐めから鬱状態になり希死念慮が湧き立つまでのストーリーが流れるように自然で、同じく希死念慮のある自分も引きづり込まれそうになった。
虐めももちろん悪だけど、そこにも意味があるというコジマの考えは、僕を虐めから逃さない鎖のようにも思えた。

世界で翻訳されてるようだけど、あの繊細な言葉はそのまま綺麗に伝わるのかな?なんて疑問を抱いてしまった。

とにかく重くてしんどい。

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2026年05月02日

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思春期の心と体の揺れ、いじめと言う社会問題を通して、「善悪とは何か」「生きるとは何か」を問いかけてくる作品だったような気がします。

いじめの描写は正直かなり辛いものもあり、現実はもっと酷いのではないかと思うと、苦しくなることもありました。

そんな中で、いじめる側である百瀬の言い分に、自分が完全には反論できなかったことも辛かったです。そこに、この作品の怖さがあるのではないかと感じました。

一方で、どこまでもブレずに自分の価値を信じ続けるコジマや、淡々とした中でも主人公に寄り添う母親に、救いのようなものを見出しました。

読み終えたあとも、簡単には答えの出ない問いが残り続けるような作品でした。

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2026年04月29日

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ネタバレ

重かった………………読むのにとても時間が掛かった。。

ずっと辛いし、希死念慮が膨らんで鬱状態が加速していく描写は本当に生々しくて、新卒期の摩耗しきった己と重なる部分もあって、わかるなあ、と思いながら読んでた。

元々ショッキングな描写には耐性があるつもりでいたけど、それも年々ダメになってて、主人公が二ノ宮たちに人間サッカーとかいう惨たらしい暴力に晒されるところで貧血になって一時中断した。。
生々しい活字に体調崩すのは、中山七里『連続殺人鬼カエル男』と平山夢明『独白するユニバーサル横メルカトル』以来かもしれない。

ノストラダムスの予言、とかいう、自分が生まれるずっと前に流行ったらしいワードから、この物語が90年代初期?とわかるけど、この位の年代の小説が好きかもしれない。

推しとかスマホとかインスタとかいいねとか、そういう露骨に近代的なモチーフを面白おかしく風刺したような物語より、もっと奥底の人間心理とか、人と人とが作用しあって生きることの難しさとかを、スマホが生まれるの前の時代感で読みたいと思う。最近。

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2026年04月26日

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読んでる途中は思春期特有の残酷さと生々しさがしんどかったが、母親が最後「〜しなさい」と言い切ってくれたあたりから終わりの数ページが美しかった。

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2026年04月18日

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やっと読み終えた。3/5 (実際に2.7と近い)
この本は私には合わなかったと思うけど、一番近い例えとしては、歯医者に行くような気分だった。本当は行きたくないけど、重要だと分かっているから行く。実際に行ってみると、ほとんどの間は不快な気分が続くし、フッ素の味は少なくともマシな方だ。終わってみると、行くことの重要性に気づき、その価値を認めるようになる。でも、それでもやっぱり歯医者が好きになれないという事実は変わらない。

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2026年03月27日

購入済み

醜さの扱いが難しいところ

醜い子を、醜く書く、というアプローチが、個人的には嫌いだし、違和感を持ったし、疑問を感じた。
主人公のお友達がみんなの前で裸になる時とかね。
容姿が劣っている女の子が、ある瞬間にだけたまらなく美しく主人公には見える、という方が、僕は心を動かされます。
ありません? 容姿の作りが悪くても美しい女性のある瞬間。
そういう瞬間は世間的常識を超えてくると思うんだけどなあ。
女性作家が同性を描く時、そうなってしまうのかな。
性差がすごく嫌いな作家さんだし。

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2020年02月14日

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