あらすじ
「苛められ、暴力をふるわれ、なぜ僕はそれに従うことしかできないのだろう」 善悪の根源を問う、著者初の長編小説。
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Posted by ブクログ
大変な読書だった。嫌な汗をかきそうになる読書。普通に読んでいてつらかった。一気呵成に読んだけれど、それはどちらかというと、こんな気持ちのままじゃ眠れない、という不快感からの解放を求めていたからだ。どうか救いの展開を、と願ったが、中盤になっても終盤になっても、苛烈ないじめの描写はとどまることはなく、むしろどんどんひどくなっていった。これはフィクションなのに、どうして著者はこんな残酷なことを、とどこかで苛立つ部分もあった。けれどその筆の容赦のなさは、「僕」が自らの手で「ヘヴン」を見るための条件だったのかもしれない。
この小説のテーマの一つが「見る」ということであるのは明らかである。だからこそ著者は、「僕」に斜視という「見る」ことへの不具の具象を与えたのだろう。人は他にも五感をもち世界に触れているけど、その世界の認識には圧倒的に視覚の果たす役割が大きい。それはある意味で、私たちに無条件に視覚の絶対性を信じさせる傾向を与えていて、目で見ている世界を疑わずに盲従しているのではないかということを意識させる。するとそこには、見えているけど見えていない、という矛盾した姿が浮かび上がる。本書で「僕」は斜視のために、両眼の網膜に同じ像が結像せず、他の多くの人のように世界を「見ることができない」。しかしついに「僕」は「見る」ことができたのであり、私はそれがヘヴンではないかと思う。もう一人、コジマもまた、目で見ている世界とはまた違った何かを見ている、いや見ることができている。それは、「僕」とコジマが過酷ないじめを受けているからかもしれないし、そこに至るまでの二人の固有の経験があったからこそだろう。いじめる側の二ノ宮と百瀬、そして本書でセリフもなければ名前すらも与えられないその他大勢の取り巻きたちには、彼らが彼らである以上、見ることができない世界だ。だからこそ、「僕」とコジマは特別なのであり、素晴らしいのであり、強いのだ。著者はそれを描いてくれたのではないかと思う。
「僕」やコジマがこの過酷な状況に置かれたことによって、自分という存在をなんとか客観的に見つめようとし、世界の意味や仕組みを知ろうと思考し哲学する一方で、百瀬は、すべてにおいて世界が偶然によってできていると語る。そこに意味もなければ考えることも無駄で、ただすべてがそういう巡り合わせの中にいるという、それ以上でも以下でもない、それが百瀬の世界である。それは一見すると、たしかに、と思えるような謎の説得力があるのだけれど、しかし百瀬はヘヴンを知らないし、ヘヴンに触れたときの感動も知らない。それは意味や関係性といった解釈を放棄し、その究極、責任や倫理までも幻想として捉えているのだから、自己という存在を何かの因果のもとに捉えられず、他者との総和で世界が成り立っている現実の、その見えない関係性が見えていないからだと、私は感じた。
つらい読書体験だったが、文学作品として一級品である。あえていうなら、たしかに百瀬は頭が良い生徒という設定ではあるが、中学生という年齢で、あそこまで即応的に考えを言語化できるのはやや不自然で、「十全と機能している」などの文語的な言い回しをするのは、世界に無関心な中学生の発言としては違和感がある。公園でのセックスの強要に至るまで、1年間誰も全く気づきもしないものだろうかとも思う。しかしそれは物語の構造上必要だったのかもしれない。
私の趣味で言うなら、もう少し救いの余地を随所に挟んでほしかったなと思う。
Posted by ブクログ
何が善で何が悪なのかを考えさせられる、自分の価値観を揺さぶる小説でした。僕にとっては他の人と違っている斜視こそがいじめられる原因だと思っているのに、いじめる側はそんなこと気にしていなくてたまたまターゲットにしただけ、という考えの温度差。この世界の見え方は自分がどうするかによって地獄にも天国にもなる。たった1人の大切な友達コジマが「君のいちばん大事な部分」とまで言ってくれた斜視を手術したことで見えた何もかもが光り輝いている世界は、2人では辿り着けなかったなんでもないしあわせ、「ヘヴン」なんだと思いました。
Posted by ブクログ
この作品における「いじめ」は、テーマというより一つのモチーフとして扱われているように感じた。いじめが許されないのは当然だが、作者が描こうとしたのは、卑劣で非情な環境に置かれた人間がどのように生き延びようとするのかという、もっと根源的な部分だったのではないかと思う。とはいえ、凄惨ないじめの描写はあまりに辛く、一語一句を丁寧に追うことはできなかった。
コジマが父との繋がりを絶やすまいとして風呂に入らず、服も洗わない行為が周りに理解されることはない。しかし中学生の少女にとってそれは、理屈を超えた、自分らしく生きようとする精一杯の自己主張なのではないだろうか。
また、百瀬の無慈悲で過度に冷笑的な世界観には強い嫌悪を覚えた。それでも、彼の言葉にはどこか説得力があり、世に対する希望が揺らいで暗い気持ちになった。
いじめが発覚して物語は終わるが、コジマは進んでいじめを受け入れ続けたことで本当に救われたのだろうか。最後に彼女が裸でいたのは、「汚れ」を媒介にしないでも自分自身に価値を見出せたということだったのだろうか。
多くのことを考えさせられたが、辛い思いをした人間だからこそ他者に優しくできることもあると思う。百瀬の言うように善悪は所詮、社会の秩序を保つための絵空事にすぎないとしても、人の心を蔑ろにする者は、他人を救うことは決してできないのだと思いたい。
読み応えがあって素晴らしい作品だった。
Posted by ブクログ
僕が百瀬の言ってることをなかなか理解できない、受け入れたくないみたいな感情の描写がリアルでよかった。
「権利があるから、人ってなにかするわけじゃないだろ。したいからするんだろ」
「欲求が生まれた時点では良いも悪いもない。そして彼らにはその欲求を満たすだけの状況がたまたまあった」
「自分が思うことと世界のあいだにはそもそも関係がないんだよ。それぞれの価値観のなかにお互いで引きずりこみあって、それぞれがそれぞれで完結してるだけなんだよ」
権利とか人の気持ち(罪悪感)で善悪を判断する僕、そういった人それぞれの都合に意味づけするのは弱いからであり、世界はシンプルな仕組みでできているしそこに善悪はないという百瀬。
一方でコジマは「わたしたちはただ従ってるだけじゃないんだよ。受け入れてるのよ。強いか弱いかで言ったら、それはむしろ強さがないとできないことなんだよ」
「君のその方法だけが、今の状況のなかでゆいいつの正しい、正しい方法だと思うの」
「これはね、正しさの証拠なの。悲しいんじゃないの」
私たちを攻撃するのは私たちが恐ろしいからであり、むしろ本当に弱いのは相手であるからこそ、この痛みを受け入れることは、「意味のある弱さ」であり「唯一の正しい方法」だと言った。
僕が目を治すこと、コジマの母が父を最後まで可哀想だと思い続けなかったこと。それはコジマにとって、逃げること。不安や恐ろしさに支配された弱い人間に屈服すること。それは自分自信の痛み、苦しみに耐えることの意味がなくなることであり、それこそがコジマにとって最も恐ろしいことなんだと思う。
百瀬とコジマ、母や医者の言葉の中で揺れ動く僕の気持ちと選択の末、最後に見た景色は今まで見てきた世界とはまったく違ったものだったこと、そして耐え続けなければならないと思い込んでいた世界は、ある一つのきっかけで一変するということ。今見てる世界は、百瀬の考え方でいうとたまたま目の前にある世界なだけであり、たまたまその状況にあるだけかもしれない。善悪、弱さ、正しさ、今自分はどういう世界の見方をしていただろう?善悪とは何か?それは自分が生きていく中でしか考え続けられないものなんだと思った。
Posted by ブクログ
いじめの話なので、すごく重いシーンが続く。
でもテーマは深い。
コジマには愛と赦しがある。でも「しるし」という目に見えるものに、ものすごくこだわっているのが印象的だ。
それに対して主人公の僕は、愛も赦しもまだわからない。だからコジマが尊く見える。でも僕は「しるし」にこだわってるわけではない。その共通点がなくなっても気持ちは変わらない。
ここが最後に決定的な違いになった。
目に見えるものにこだわりすぎなかったからこそ、世界が美しいことに気づけた僕。
なんとも奥が深い物語だった。
Posted by ブクログ
主人公のもつ斜視は、友人のコジマにとっては、自分たちの世界への拒否のシンボルだったけど、彼にとってはただのスティグマだった。だとしても、全肯定されることで、自分を客観的に見られるようになったことは彼に撮って大きかったと思う。主人公が最後に選んだのは、斜視を治療することだったけど、コジマを失ったからできた選択だったのか、どうなんだろう。視野が矯正されたあとの初めての世界、解像度が上がって、空気まできらめくような描写が美しい。
このあと、彼はどういう人間になるんだろうか。家族と転校して、新しいコミュニティにうまく馴染んでいけるのか、あるいは不登校気味ながら学校に残って少し遠巻きにされながら卒業するのか…
コジマはきっと転校しただろうけど、このまま拒否の姿勢に執着しつづけるのか。それとも、事件をきっかけにいいカウンセラーさんと出会ったりして、世界と和解して行くのかも。
学校という未熟なコミュニティの閉塞感だからこその、苦しさと深いところでつながる喜びを感じた。もう二度と会うことはなくても、強烈に残る記憶。
ちょっと重いので、1年後くらいに再読予定。