あらすじ
「苛められ、暴力をふるわれ、なぜ僕はそれに従うことしかできないのだろう」 善悪の根源を問う、著者初の長編小説。
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Posted by ブクログ
6章まで読んだ時、ちょっと考える時間が必要になった。
なぜ誰かをいじめること暴力をふるうことがダメなのか。
百瀬の理屈にそった説明で納得させることは、私も難しいと感じてしまった。
それはなぜか。根本的な何かがズレてる感じがある。
「僕」にはあるけど、百瀬は持ってない何かがあるんだということはわかるんだけど。何なのかちゃんと説明できない。
それはモラルと言われる何かのことなのか。
(内田樹さんの本にこんな事が書かれてたように思う)
なんでひとを殺してはいけないんですか?
これは、あらゆる幸運がそろって今自分が恵まれた環境にいることを自覚できない人ができる質問である。
じゃあ、もしあなたがいままさに殺されようとしてる時にそんな質問できるか?、と。それを思い出した。
百瀬は言う。たまたま俺はそれができる側だった。
いじめが嫌なら自分でなんとかすれば。
おれはできることをやる、アンタもそうすればいい。
でもそれができるひととできないひとがいる。
例えば人に暴力を振るうこと、相手を殺すこと。
お前はできない側だろうけど。
もし百瀬に、「僕」の言い分をわからせるには。
百瀬が死を覚悟するかもしくはそれと同等のところまで追い込むしかないのではないか。
恐怖でコントロールするしかないんじゃないのか。
でもそれは暴力でわからせることであり、いじめや暴力が何故いけないかの答にはなっていない。
むしろ同じこと。それを正当化してしまうことになる。
百瀬は、人生には意味がない。
そして弱い奴らはそれに耐えられないと言う。
つまり、意味はないけど力はある。だからやる。
コジマは言う。
「大事なのは、こんなふうな苦しみや悲しみには必ず意味があるってことなのよ…」
つまり、力はないけど意味はある。だから受け入れられる。
ここまで自分なりに考えたけど、わからない。
…そして最後まで読んだ。
もしかしてコジマは強いのか。
側から見ると、コジマはいじめられてるんだけど。
コジマは、従うんじゃなくて受け入れていて、それは正しいことがわかってるからで。
弱さにも意味があるんだとしたら、強さにも意味があって。それも弱い奴が自分を正当化するために作り上げた程度の低い意味ではないと。
それはけっきょくおなじこと、と百瀬は言って。
自分の都合に従って世界を解釈してるってことで。
相手の考え方やルール、価値観をまるごと飲み込んで有無を言わせない圧倒的な力を身につけるしかなくて。
コジマはずっと、できごとには必ず意味があって。
苦しみや悲しみには乗り越える意味があって。
もう私たちだけの問題じゃなくて。
だからその意味にみんなを引きずり込まなくちゃっ、て考えてて。
(もしかして、「意味」は力なんじゃないか)
これは理想じゃなくて真実で。想像力も何も必要じゃない、ただここにある事実なのだと。
「僕」の中でコジマと百瀬の声が共鳴し表情の見分けがつかなくなっていく。
そしてコジマによる何もわかっていない子どもをあやすような、憐れむような行為が続けられ、二ノ宮の暴力によって終わりを迎え、その暴力から解放されたとき、コジマと「僕」は笑い、泣き、涙を流し続けた。
悲しくて泣いたんじゃなくて、コジマと僕は行く場所がなく、このようにしてひとつの世界を生きることしかできないと言うことに対する涙を流していた。
私は、二人からこれ以上ないこの世界へのあきらめのような感情を感じた。
この世界は狂ってるし、こんなに追い込まれてなすすべもなく、あまりに辛すぎると思った。
意味がある、ない
力がある、ない
できる側、できない側
善と悪
弱いと強い
正しいこと、間違ってること
…とか
それぞれ立場もやってる事も違うけど。
コジマも百瀬も言ってる事は根っこのところで同じなんじゃないのか。
そして日常は大小あれど、こういう議論や争いごとに溢れてる。
物語の中の「僕」は、その中で「引きずり込まれたくないし、引きずり込みたくない」って言っていた。
それはコジマにも百瀬にもそうじゃない、とされることだった。
私は、わかりあう努力(ほどほどに)をしても無理なら「もう逃げよう」と思った。
もしそばにたった一人の大切な友達がいたとしても。
逃げた先に何があるかわからないけど、忘れることができるかもしれないし、世界の美しさに気づけるかも知れないから。
そしてできることなら、物語の中の「医者」のように誰かの逃げ場所を作ったりそれを提供できるひとになりたい、と思った。
Posted by ブクログ
いじめの描写を、こんなにも淡々と書くことに驚いた。“いじめられている”という共通点がある僕とコジマだが、その感じ方や捉え方は両者違っており、それぞれの強さがあると感じた。「いじめは絶対悪」という私自身の考えに変化はないけれど、それでも、百瀬の考えには圧倒されたし、説得力があった。他人とそうでない人の境界について、改めて考えさせられた。二ノ宮は本物のカス。
Posted by ブクログ
しんどくて苦しくて涙が出た。虐められてる側の僕はなぜ同じことを虐めた側にできないのか。できないからできないと僕は言っていたけど、同じことをすることによって虐めた側と同類になってしまうからできないのではないかと思った。相手と僕は違う人間だけど体格も年齢も同じようなものなのに、なぜそれができないのか。生まれ持った性格もあるとは思うけど、虐めてくる相手を心の底から軽蔑しているからだと感じた。コジマがわざと不潔な格好をしている理由が、お父さんと一緒に暮らしていた頃の貧乏だった記憶や繋がりを忘れないためというところに、コジマは本物の強さを持っているなと思った。ひどいいじめをこれから受けるのだと察して恐怖を感じている僕の心情や、鼻が打撲して大出血するほどの怪我を負わされ、その後から眠れなくなってしまい自殺について考えていくところなど、読んでて本当に悲しかった。それでも僕は学校に行って、コジマへの手紙の返事は書けないけれど、同じ教室にいるコジマを見てなんとか救われて、病院でいじめっ子の1人に会ったら話があるんだと声を掛けるところなど、僕も本物の強さを持っていて、すごいな、絶対に報われてほしいなと思った。斜視である君の目が好きだと言ってくれるコジマが傍にいてくれて良かった。
Posted by ブクログ
この作品における「いじめ」は、テーマというより一つのモチーフとして扱われているように感じた。いじめが許されないのは当然だが、作者が描こうとしたのは、卑劣で非情な環境に置かれた人間がどのように生き延びようとするのかという、もっと根源的な部分だったのではないかと思う。とはいえ、凄惨ないじめの描写はあまりに辛く、一語一句を丁寧に追うことはできなかった。
コジマが父との繋がりを絶やすまいとして風呂に入らず、服も洗わない行為が周りに理解されることはない。しかし中学生の少女にとってそれは、理屈を超えた、自分らしく生きようとする精一杯の自己主張なのではないだろうか。
また、百瀬の無慈悲で過度に冷笑的な世界観には強い嫌悪を覚えた。それでも、彼の言葉にはどこか説得力があり、世に対する希望が揺らぎ、暗い気持ちになった。
いじめが発覚して物語は終わるが、コジマは進んでいじめを受け入れ続けたことで本当に救われたのだろうか。最後に彼女が裸でいたのは、「汚れ」を媒介にしないでも自分自身に価値を見出せたということだったのだろうか。
多くのことを考えさせられたが、辛い思いをした人間だからこそ他者に優しくできることもあると思った。百瀬の言うように善悪は所詮、社会の秩序を保つための絵空事にすぎないとしても、人の心を蔑ろにする者は、他人を救うことは決してできないのだと思いたい。
読み応えがあって素晴らしい作品だった。
Posted by ブクログ
僕が百瀬の言ってることをなかなか理解できない、受け入れたくないみたいな感情の描写がリアルでよかった。
「権利があるから、人ってなにかするわけじゃないだろ。したいからするんだろ」
「欲求が生まれた時点では良いも悪いもない。そして彼らにはその欲求を満たすだけの状況がたまたまあった」
「自分が思うことと世界のあいだにはそもそも関係がないんだよ。それぞれの価値観のなかにお互いで引きずりこみあって、それぞれがそれぞれで完結してるだけなんだよ」
権利とか人の気持ち(罪悪感)で善悪を判断する僕、そういった人それぞれの都合に意味づけするのは弱いからであり、世界はシンプルな仕組みでできているしそこに善悪はないという百瀬。
一方でコジマは「わたしたちはただ従ってるだけじゃないんだよ。受け入れてるのよ。強いか弱いかで言ったら、それはむしろ強さがないとできないことなんだよ」
「君のその方法だけが、今の状況のなかでゆいいつの正しい、正しい方法だと思うの」
「これはね、正しさの証拠なの。悲しいんじゃないの」
私たちを攻撃するのは私たちが恐ろしいからであり、むしろ本当に弱いのは相手であるからこそ、この痛みを受け入れることは、「意味のある弱さ」であり「唯一の正しい方法」だと言った。
僕が目を治すこと、コジマの母が父を最後まで可哀想だと思い続けなかったこと。それはコジマにとって、逃げること。不安や恐ろしさに支配された弱い人間に屈服すること。それは自分自信の痛み、苦しみに耐えることの意味がなくなることであり、それこそがコジマにとって最も恐ろしいことなんだと思う。
百瀬とコジマ、母や医者の言葉の中で揺れ動く僕の気持ちと選択の末、最後に見た景色は今まで見てきた世界とはまったく違ったものだったこと、そして耐え続けなければならないと思い込んでいた世界は、ある一つのきっかけで一変するということ。今見てる世界は、百瀬の考え方でいうとたまたま目の前にある世界なだけであり、たまたまその状況にあるだけかもしれない。善悪、弱さ、正しさ、今自分はどういう世界の見方をしていただろう?善悪とは何か?それは自分が生きていく中でしか考え続けられないものなんだと思った。
Posted by ブクログ
いじめの話なので、すごく重いシーンが続く。
でもテーマは深い。
コジマには愛と赦しがある。でも「しるし」という目に見えるものに、ものすごくこだわっているのが印象的だ。
それに対して主人公の僕は、愛も赦しもまだわからない。だからコジマが尊く見える。でも僕は「しるし」にこだわってるわけではない。その共通点がなくなっても気持ちは変わらない。
ここが最後に決定的な違いになった。
目に見えるものにこだわりすぎなかったからこそ、世界が美しいことに気づけた僕。
なんとも奥が深い物語だった。
Posted by ブクログ
面白かった。読みやすかった。
一つ一つの描写が繊細で純粋で、だからこそ残酷だった。
僕も、コジマのように全てのものに意味があると、声高らかに叫びたくなる時がある。本当にそうなのか確信は掴めなくても。
でも、百瀬のように、全て事実と欲求が存在するだけだと、解釈なんて意味なんてないと、思う時もまたある。
そういう意味では、僕は「ぼく」と近いのかも知れない。
Posted by ブクログ
コジマと百瀬それぞれの考えに揺れる僕が印象的。
半ばまでコジマに共感していたが徐々に怖く感じて、何故だか百瀬には安心した。
二ノ宮についてジャイアンのようなイメージが浮かぶたび優等生でモテる人物だったことを思い返したが、彼は本当にモテるのか疑問。
Posted by ブクログ
コジマは、自分は「いじめられてあげている」くらいの気持ちでいることで、自分を守っていたのかな。だから最後も、自らの意思であるかのように脱いだ。
変わらないでいることで自分を守っていたから、仲間だと思っていた主人公がひとりで変わっていこうとする姿を見て、自分だけが取り残された気がしていたのかもしれない。でもそれは主人公側も一緒で、お互いがお互いに変わっていってしまうことが怖かったのかも。
最後の描写は、些細なことで世界は変わるとも捉えられるし、些細なことでは世界は大して変わらないとも捉えられた。結局、百瀬の言っていた通り皆それぞれの都合の世界で生きているのかも。
いじめっ子たちにされるがままのあの2人は、それで何を守りたかったのかな。
Posted by ブクログ
意味が無いことの意味
いじめなんていう言葉を使いたくないくらいに暴力のシーンは辛かった。
〈僕〉とコジマは壮絶な苛めに耐えていて、苛められる者同士密かに交流を深めていくが、コジマがある種の強さを身につけるにつれて僕は心細くなっていく。
一方コジマは僕の斜視を治す手術の話を聞いて怒ってしまう。
どうしようもなく追い詰められたとき、人はすがるものを求めるのかもしれない。それが崩れたとき、何かが歪む。
コジマは、強くなったように見えて、ただただ弱っていた。それは食事をせずに痩せていくという身体的なことばかりではなく、僕の目の手術の話で心の拠り所を失ったことによる精神的な衰弱もあったのではないだろうか。
彼らは互いの弱さに頼っていたのかもしれない。僕の方がそのことに自覚的だったように見える。それは母さんや医者のような身近な大人からの影響が大きいと思う。母さんも医者もどこか呑気で、読者としても救われる部分が大きかったから。
〈僕〉をかたちづくる大きな要素である斜視への捉え方は登場人物によって違っている。
百瀬:〈僕〉をいじめるのに斜視なんて関係ない
コジマ:君の目がすき
母さん:目なんて、ただの目だよ。そんなことで大事なものが失われたり損なわれたりなんてしないわよ。
医者:新人がやるような一万五千円の手術で治せる
コジマは最後まで〈意味〉に拘っていた。拘ることが強さだと思っていた。だけどその拘りは彼女を削っていくだけだった。僕の目の手術のように、自分で思っているよりずっと簡単な方法で前に進めることもある。それは逃げることとは全く違う。
ラストでは手術を終えた僕が世界の奥行きとその美しさに感動しているが、それは『誰に伝えることも、誰に知ってもらうこともできない』『ただの美しさ』だった。その美しさに意味なんてなくて、ただただ美しかった。意味が無いことの意味が、ちゃんとあるような気がした。
Posted by ブクログ
前半長いけど後半が興味深い。
特に興味深かったのは百瀬のいじめている人間は悪い良いではなく欲求に従ってるだけ、それができる状況だっただけ。など加害者側の行動心理みたいなものが解像度高く描かれているのが興味深く面白かった。
いじめの加害者と被害者の考え方の乖離みたいなものも理解できてよかった。
百瀬の考え方を読むだけでも私にとって読む価値のあった本だったと思った。
Posted by ブクログ
辛い、
虐められている描写が想像できるリアルさで痛かった
最初の手紙のやり取りは私的に凄く素敵だと思った
2人の居場所みたいな
手術した後の景色が主人公にとって綺麗でよかった
幸せになって欲しい