あらすじ
大阪の下町で生まれ小説家を目指し上京した夏子。38歳の頃、自分の子どもに会いたいと思い始める。子どもを産むこと、持つことへの周囲の様々な声。そんな中、精子提供で生まれ、本当の父を探す逢沢と出会い心を寄せていく。生命の意味をめぐる真摯な問いを切ない詩情と泣き笑いの筆致で描く、全世界が認める至高の物語。
※この電子書籍は2019年7月に文藝春秋より刊行された単行本の文庫版を底本としています。
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
この本を読み始めたとき、『乳と卵』の作り直しかと思った。夏の、延々と続いている不快感のような暑さの中で繰り広げられる1人の女性の物語。乳と卵と重なるパートでは、主人公の女性よりも姪っ子の視点に立って読んでしまう。生まれてくる意味とは?人が自分で望んでこの世に存在するわけではない、という事実。生きる辛さや成長する際に突き当たる壁。考えさせられることが多い。
後半はどちらかというと親の視点。子供自身との関係性や、産んだ経緯が色々な人々。子育てと虐待。
様々な登場人物の喜怒哀楽の気持ち、思考回路、批判。人が生きる上で、自分が他者に与える影響をわかっているつもりでもわかっていないことがほとんどだ。自分の考えが形成されてきた家庭環境が、思考の型を作っていて、他人の思考の型と合わない部分が無限に存在する。それを受け入れられるときもあれば、正面からぶつかってしまう時もある。「まさに小説」という具合に、人間の生きている様子を、内面を、出来事をまざまざと見せつけられる、そんな描かれ方をしていて引き込まれてしまった。
Posted by ブクログ
子どもを産むその行為は理屈では表せない。
価値観や倫理観がそれぞれ異なる中で、導く答えは誰にも否定されてはならないものだと感じた。
主人公が傷つきながらも出した答えはある人から見れば否定されるような一般的ではないのかもしれないが、それでいいしそれがいいんだと思う。
みんなちがってみんなよい。
Posted by ブクログ
長かった〜、でも惹きつけられた〜
心象風景とか、感情の推移とか、複雑に入り組んだモノを丁寧に細かく描写するとこのくらいのボリュームになるんでしょうね。主人公とは何ひとつ共通する部分がないので共感はなかったけど、理解はできたのはこの丁寧な表現なんだろうな。書いてるうちによくわかんなくなっちゃったけど、とにかく出会えてよかった、読んでよかった一冊でした!
Posted by ブクログ
セリフが関西弁、地の文は標準語という自分が今まで読んだことのない文章で新鮮さがあった。
テンポのいい関西弁とそこにトーンを落とし重さを感じさせる標準語が混じり合った文章のおかげで、題材が重く600ページをこえる本作を飽きずダレることなく一気に読むことができた。
本作はパートナー不在で子供を欲する夏子、豊胸手術をしようとする夏子の姉である巻子など様々な女性が書かれている。
男である自分は物語内の彼女たちの姿を見て、今付き合っている彼女のこと、地元にいる母のことを以前より考えるようになった。それとかなり気持ち悪いと思うが将来彼女のお腹に宿るかもしれない架空の赤ん坊についても考えてしまった。けど男の自分は考えることはできても理解することはできない。
1番お気に入りのシーンは夏子が緑子に昔ぶどう狩りに行けなかったことを語るシーン。
巻子の優しさに自分もこうなりたいと胸が熱くなった。
Posted by ブクログ
女性の性にまつわる純文学
芥川賞の「乳と卵」をリライトした第一部とその数年後を描いた第二部に分かれる
以下、公式のあらすじ
----------------------
大阪の下町で生まれ小説家を目指し上京した夏子。38歳の頃、自分の子どもに会いたいと思い始める。子どもを産むこと、持つことへの周囲の様々な声。そんな中、精子提供で生まれ、本当の父を探す逢沢と出会い心を寄せていく。生命の意味をめぐる真摯な問いを切ない詩情と泣き笑いの筆致で描く、全世界が認める至高の物語。
----------------------
「乳と卵」だけを読んだときは、「私が共感できない方の芥川賞作品」と思ってたけど
続編まで読むとその印象がちょっと変わる
第一部は夏子の視点で描かれているものの、焦点があたっているのは緑子の性に対する嫌悪感
自身の月経に対して、そして、母 巻子の豊胸への執着に対する違和感と嫌悪感
男に想像ができても実感はできない感覚なのだろうな
二部は夏子が子供に会ってみたいという欲について
独身だし、性交渉に対しても忌避感がある夏子
しかし、自分の子に会ってみたいという欲求が芽生える
となると、独身の夏子は日本で合法的に精子提供を受ける方法はなく、海外の機関や個人間の提供を考える
そんな最中に出会った逢沢
逢沢は精子提供で生まれ、本当の父を探しており、提供精子を用いた人工授精(AID)の問題点、課題の啓蒙活動に関わっていた
そして、逢沢の恋人の善百合子
善百合子は、出産は親たちの「身勝手な賭け」だという
10人生まれた中で、不幸になる子が一人でもいるのであれば、人は子供を生むべきではないという主張
果たして、夏子の選択は……?
百合子の反出生主義の主張に対して、自分の価値観をぶん殴られた
いくらでも反論は可能だけれども、すべての生まれた子供が幸せになれる世の中はやってこない以上、その主義主張をする人が増えるといずれ人類は滅ぶ
まぁ、個々人は人類の存続のために生殖を行うわけではないけれども、生殖行為の否定は生物をしての否定だからな
ただ、現代の先進国においては少子化が進行していて、積極的な反出生主義ではないにしろ、消極的な反出生主義とも言える行動を取っている人が増えているのも事実
そんなわけで、このままではそのうち人類は滅ぶと思う
この主張を読んでて、吉野弘の詩「I was born」を思い出した
やはり英語だと I was born という受動態なんだよね
日本語の場合は違うけど、この世に生を受けるというのは子供の意思ではなく、生まれ落とされるものだろうなとも思う
自分の子が生まれる、親になるという恐怖はわからないでもない
親になってしまうという事実を受け入れられないというか、こんな自分がという気持ちからの罪悪感というか、不安感なんだよね
血を分けた子だとそう感じてしまうけど、血の繋がらない子だと、既にこの世に生まれてきているわけで
だとしたら、その子がよりよい人生を送れるように全面的に支援する気持ちになれる
結局は、自分の子供を産むというのはエゴであることは否定できないし
否定しなくてもいい事だと思うよ
そして、本屋大賞のノミネート作動詞の奇妙なテーマ繋がり
精子提供を受けて生まれた子のトレーサビリティに関しては「禁忌の子」でも語られているし
やはり、現代を描くとなると、どこかで課題はかぶってくるよなぁと思う
Posted by ブクログ
数年ぶりに小説を読み、読書好きの母に勧めた本。
何年か前に読んだので記憶が薄れて感想を書くことは難しいけど、今いちばん好きな作家、川上未映子の作品の中でも上位にはいる作品でした。
読み返して、感想をしたためたい。でも、当分そんな時間はとれないだろうな。
ページ数は多いのに、面白くてあっという間に読み終えました。
第一部は芥川賞を受賞した「乳と卵」のリライト版らしい。私が川上未映子を読み始めたきっかけが「乳と卵」なので感慨深い。
Posted by ブクログ
オーストラリア人の英語の先生からおすすめされて読んでみた。
自分30代女、まさに今子供をどうするかについてもうかれこれ5,6年自分の気持ちが行ったり来たりしている、そんな私にとってヒントをくれるような本だった。 こんなに迷うなら子供を持つ資格なんてないんだろうなと薄々思ってた。
でも善百合子の『自分の子供が苦しまずにすむ唯一の方法っていうのは、産まれないでいさせてあげることだったんじゃないの』この一文を見てはっとした。
私もそうだと気づいた。生まれてもない子供が大切すぎて、だからこの世に存在させるのを躊躇ってるんだって、多分そうだって気づいた。
だからこそ、もっと主人公の気持ちの移り変わりを見たかった。なんで一回は善百合子の意見に賛同したのに、そこから産む決心をしたのかもっと詳しく知りたかった。
Posted by ブクログ
川上未映子を初めて読んだ。
大阪弁だけではなく、
文学としての言葉のリズムの独特な美しさで構築された、
空想と主観、無意識と意識の間の表現が、
ありありと映像的に浮かび上がる世界に、
すっかり心を奪われた。
生きること、死ぬこと、生まれること、生むこと。
そのすべてに対する平等な問いかけに、
繰り返し、繰り返し、
胸が詰まり、涙が出て、
ラストに降り注ぐ光景に、
なにかを許されたような心地がした。
私にもあった子ども時代や、
孤独や傷つきや後悔や、
得られなかったものについて、
こんなにも読書中に浮かび上がってくるとは。
Posted by ブクログ
650ページもあるし、一ページ一ページ、なんというかな、詩情に溢れる文章が連なっているので、それらを味わっているとなかなか読み進まなかった。
主人公には、まあ性別も違うし、味方にはなれなかったという感じだけれど、この先頑張って子育てしてくださいと素直に思えた。
Posted by ブクログ
たしかに全ての生き物は生まれることを選べないのかもしれない、と思う。
「生まれたことを肯定したら、わたしはもう一日も、生きていけない」という善の言葉に、引き裂かれたような気持ちになった。
生きていくことととはなんなのか、間違うことはどこまで許されるのか、生まれてくることはなんなのか、全部分からないけれど、自分自身の人生をなぞらえながら考えを巡らさずにはいられない小説。
Posted by ブクログ
題材とかメッセージ性とかストリートがどうとかの前に、文章がいいんです。
的なことを、編集者が主人公に言っている場面がある。
そうなんだよな。
文章が好きでその作家さんを読むんだよ。
正直、ストーリー、メッセージ性は別の話。
読んでいると、なんだか落ち着く、でもワクワクする文章に出会えると嬉しくなる。
Posted by ブクログ
「世界が絶賛する最高傑作! 米TIME誌 ベスト10」の帯が目に入り、じゃあ、読んでみるか…それくらいの気持ちで手に取ったのだけれど、こんな内容だったなんて‼︎ 全く思いもしなかった‼︎
個人的にいろいろと思うことはあったけれども、一番気になるのは、この本、男性が読んだらどんな感想をもつのかしら?
Posted by ブクログ
5年くらい前から気になっていてようやく読んだ。
やっぱり本にもタイミングってあるんだと思う、今読めて良かった。
私は子どもを持たないって気持ちが、ほとんどはっきり固まってることに気づいた。
産むも産まないも正解はないんだよな。
Posted by ブクログ
川上未映子の顔が美しくて、ずっと憧れている。
黒ラベルのcmに出演されているのをみて2年くらい積読していたのを思い出し、読みはじめた。
コロナで自宅待機になったことも重なり、1週間くらいでするする読めた。
終盤、自分の育ったまちへ訪れているときに好きなひとから電話があったシーンが一番うれしかった。わたしもしたことがあって、それは田園に死すという映画をみたあとに幼少期住んでいたまちへ訪れてみたこと。自傷ともとれるような行為だとおもう、さみしくて、なつかしくて、ひとりぼっちで涙が出そうだった。そんなときに好きなひとから会おうって連絡があったら、本当に嬉しいだろうなと思った。そしてそのひととの子どもを持つことになるのだけど、夏子が一人で産み、育てたいという決断をしたのが私は分からなかった。わたしなら、寄りかかりたいと思うだろうなと、思う。でも、川上未映子が自分自身で考え、考え尽くすことが大切だと言っていたのを思い出した。それが未来の自分を支える要素になるということ。私が子どもを持つかどうかはまだ分からないけど、この本を経て考えたことや感じたことが多少なりとも未来に作用すると感じる。
夏子がいろんな女性と話したり、食事をするシーンが好きだった。わたしもそういう出会いが欲しい
Posted by ブクログ
乳と卵を読んだので、夏物語も読んでみたくなり、読んだ。
電車に乗って、知らない街を見た時にここに立つことはないんだろうなと自分も結構思うことあるなーとか、夏子の感情に共感できることがたくさんあったから、確かにと思いながら読んだ。
大人のエゴでなんとなく子供を作り、家庭を作り、幸せですみたいなのって結構あるなぁ〜と思った。子供は親を選べないし、子供ができたからにはそれ相応の覚悟が必要だよなと思った。僕の周りにも親のエゴで子供を作って親が子供を振り回しているみたいな構図の家は一定数いて、誰も産んでくれなんて頼んでないし、産まれなかったらよかったと思う人ってこの世の中にたくさんいるんだろうなと思った。だけど、巻子とか夏子•巻子の母親のように貧乏だけど、子供のことを考える親もたくさんいる。
ページ数が多いので、少し疲れたけど、とても勉強になった。
好きだったのは逢沢さんの父の言葉で、ボイジャーの話だ。
ボイジャーにはゴールデンレコードで地球にあるあらゆる音から何まで、入っている。地球も人間もいつかは消えてなくなる。今ももこうして生きているのに誰かの思い出の中で生きている奇妙な感覚になるというところ。
人類が生きたことは便箋みたいにどこかの宇宙人に届けることができるのかなと思って、少し元気出た。
Posted by ブクログ
文庫版、乳と卵を読んですぐ読み始めたから、最初???となった。第一部はあとにして、第二部から読んだ。
子供をもつ、生命を誕生させる、ということを考えさせられる。特に夏子と善百合子との会話が衝撃的。子供を産むというのは一方的で暴力的な行為、誰の何のための賭けなのか、そういう考え方もあるか…。確かに生まれてきたくて生まれてくる命はないのかもしれない。でもそんなこと言ったら人類絶滅しちゃうよな。善は生立ちが壮絶だからな…ただ、そういう酷い目にあっている子供は現実にも世の中にはいるわけで。なんだか胸が締め付けられる。
遊佐のくらがただいるだけで幸せな感じ、こっちはよくわかる。ただ自分が愛情だと思っているものが子供にとっては苦しみではないか、子供は自分の一部ではなく一人の人間、当たり前なんだけど時として忘れてしまいそうなこと、そこは忘れずに、でも、子供に対して、幸せであるように、生まれてきたことを楽しめるように、出来る限りのことはしたいなぁと思う。
Posted by ブクログ
半年ほど前に購入して読み始め、主人公の姪緑子ちゃんの日記がはさまれたり姉の描写があったりと視点が定まらないような感覚がして物語に入っていけず、序盤で飽きてしまい、数か月間放置していた。
久しぶりに電車で通う場所への連勤があったので、そのお供に手に取った。相変わらず序盤部分は入っていけなかったけれど、物語後半、逢沢が登場したあたりからぐぐっと引き込まれ、最後は夜中に目覚めてしまった日に読み、最後まで集中して読み終えた。
自分が産んだ子に「会いたい」と願った主人公。私は妊娠前には「会う」ということまで考えていただろうか。妊娠がわかってから「会いたい」という気持ちになったことは覚えている。
妊娠方法の選択、育児方法の選択、選択肢があるからこそ迷うし、迷うことができるし、選ぶことができる。
Posted by ブクログ
人と生きること、子をもうけることについて、深く深く探る物語。
知らない誰かを探し続ける夏子と逢沢さんの想いがページを超えてリンクする所は、良い意味でぞくっとするというか、生きることに対する人の根源的な想いに気付かされるというか…とにかく印象的だった。私的ハイライト。
けれど全体的に仄暗い雰囲気が漂っており、孤独と、老いと、失われていくものと、もう得られないものに対する絶望的な気持ち、どうしようもない焦りの気持ちを噛み締める、そんな追体験をした。読みながら、涙がぽろっと溢れていた。それだけ共鳴する、小さくとも強く悲痛な想い。全て拾い上げ、一つひとつ余す所無く丁寧に描く作者の力量に圧倒される。
関西弁が生み出す(?)funnyな雰囲気や特に前半の豊胸話が、良いバランスになっているなと。結局それも全て繋がっていて、伏線になっているのですが。
親子関係の難しさ、トラウマも扱っており、複雑な思いが積み重なっていく。緑子の心の内と、夏子の父への恐怖感、母・祖母・姉への深い愛情……人と生きることが、怖い。でもやっぱり、誰かを何かを探し求めて、人へと向かっていく。というより、人へと向かっていく「性」に気付かされる。
確かに大きな動きはなく冗長ではあり、読み進めるのはやや時間が掛かったけれども、言葉を重ねに重ねて生まれるこの重みが、この小説のポイントだと思うのです。
Posted by ブクログ
それぞれの思いをさらけ出しているが
最後にはそれぞれ自分なりの答えを声に出して
みんなが救われたと思われる。
恩田からの最後までの所が好きです。
恩田のキモさは同性としてあるけど
彼と出会うことによってそれぞれが動き出した感がある。
そして何よりも夏子の考えのブレが凄く人間性を表していて
凄く感情が伝わってくる!
また読みたいと思います。
Posted by ブクログ
今のわたしにとっては、目を逸らしたくなるけど、逸らすことが出来ない、不思議な本だった。
p163
「人ってさ、ずうっと自分やろ。生まれてからずっと自分やんか。そのことがしんどくなって、みんな酔うんかもしれんな」
「生きてたらいろんなことがあって、そやけど死ぬまでは生きていくしかないやろ、生きているあいだはずっと人生がつづくから、いったん避難しなもうもたへん、みたいなときがあるんかもな」
p228「たとえば、言葉って通じますよね。でも、話が通じることってじつはなかなかないんです。言葉は通じても、話が通じない。だいたいの問題はこれだと思います。わたしたち、言葉は通じても話が通じない世界に生きているんです、みんな。」
Posted by ブクログ
◯ 目から入ったもんは、どっからでていくのでしょうか。どうやってでるの、言葉になって、涙になってか。(146p)
◯ あなたはどうして、子どもを生もうと思うの(519p)
◯ 彼女だけだったのだ。(562p)
★第一部と第二部でテイストが随分違う。第一部は姉の巻子との会話が多く、くだけた関西弁がリズムを作っている。時々混ざる体言止め。ほんで、文章がめっちゃ詩的。これは第二部も含めて。そりゃ川上先生は詩人でもあるから。第一部は乳と卵と同じエピソードだ。読んだの20年近く前だからすっかり忘れてたけど、台所のシーンは強烈な印象があった。
★第二部は夏子のモノローグが多い。会話する相手も標準語を話す人が多い。生まれてきた苦しみ、生きる苦しみ、命の根源のなぜに向き合う。ほんでモンスターみたいな強烈なキャラ出てきた笑。
Posted by ブクログ
長い長い小説。
退屈では決してなく、毎日毎日とにかく読んでいたけれど、どういう感情で夏子の想いや日々と向き合って読めばいいのか分からないまま、外からお話を傍観しているような感覚があった。
はずなのに、残り1/3くらいになってから急に物語が自分事になってきて、巻ちゃんが「いつでも、姉ちゃんやで。」と言ってくれる場面でぼろぼろ泣いてしまった。一体どこからこんなに感情移入したのか読み終わってみても分からないけれど、気づけば私は夏子の目線で世界を見て、一緒に悩んで、悲しんで、うちのめされていたんだなと思った。
物語のほとんどは東京で進んでいくのに、文字でここまで表現できるのかというリアルな大阪弁の応酬に感動していたためかどうしても大阪の印象が強い本。
わたしが40歳くらいになった時また再読したい。その時わたしが一人でいるのか、二人でいるのか、はたまたそれ以上なのか分からないけど、きっとまた違う感じ方をするだろうなと思う。、
Posted by ブクログ
読後感は良かったです。
ですが全体的に読み進めるのが苦痛でした。
情景描写、夏子の妄想の描写が長々とし過ぎてて、もっと簡潔にして欲しいと思うことが多々あり。
あまり私の心には刺さらなかったです。
Posted by ブクログ
【第一部 姉の巻子と豊胸】
一部は東京の夏子宅に、姉・巻子と巻子の娘・緑子が大阪からやってくるところから始まる。
巻子は現在スナック勤務。パーマのとれかかったパサついた髪に、色味の合わない脂浮きしたファンデーション。お金だってギリギリの巻子がわざわざ東京へ何をしにきたのか。それは「豊胸」のカウンセリングだった。
巻子は、肋骨の浮き出た背中、心配になる程薄い肩──要は老人のそれに近しい風貌をもって、豊胸がしたいのだという。
なぜ巻子は豊胸したいと言い出したのか。
夏子と巻子は貧困の出で、学生時代は生きていく為にバイト三昧。特に、姉の巻子は死ぬほど働いた。そして緑子ができて、夏子が出ていくまで3人で暮らしていた。
巻子には家族があった。学生時代には夏子が、今は緑子がいた。自分が身を粉にして守るべき存在がいた。でも、身体を、時間を、経験をすり減らして擦り切れて巻子に残った「巻子」という存在は何なのだろう。自分の人生を振り返った時に、これこそが自分だと言える経験や、物や、環境が巻子にはなかったのではないか。
巻子は「自己」をこの世界に確立する手段として豊胸を選んだのかな、と思った。
緑子を産み、ホルモンの変化でより一層黒々とした乳頭、痩せこけてハリのないデコルテ。
これまでの、巻子の人生の象徴が彼女の胸に表れていて、巻子は自分の人生を取り戻す為に豊胸に取り憑かれていたのだとわたしは感じた。
東京の夏子宅には、巻子の娘・緑子も一緒に来ていたが、緑子はある日から巻子と口をきかなくなった。代わりに筆談でコミュニケーションを取り、マイノートに日々思う事を綴っていた。
緑子の周りでは初潮が始まり、子宮や卵子、精子と受精卵などを学び始めた頃だった。緑子は体の変化が嫌だった。とても気持ちが悪かった。子供を産むために身体が変わることがおぞましかった。
緑子は東京旅行中も口を開かなかったのだけど、酔っ払った母・巻子に絡まれ、東京最終日の前日に爆発した。
「お母さん!ほんまのことをゆうてや!」そう叫んだ緑子は、捨てるはずだった卵パックの中から卵を取り出しして振りかぶり、自分の頭に打ちつけた。何度も、泣きながら卵を打ちつけた。
最初に読んだ時は緑子の衝動的な行動に目がいって卵パックに着目してなかったのだけど、今こうして反芻しながら感想を書いてる時に、あの卵は受精卵なのだと気付いた。
緑子は、受精卵を自分の頭にぶつけて、自分の存在を壊したい、無いものにしたい衝動に駆られてたのだ。
お母さんがホルモンの影響で変わった胸を気にするのも、ウチが貧乏でお母さんが働き詰めなのも、ぜんぶ、自分が存在しているからではないのか。自分が無くなれば、お母さんはもっと楽にできるのではないか。
緑子が久しぶりに発した「ほんまのことをゆうて!」は、自分は生まれてよかったのか、いない方がいいのではないか、という葛藤の叫びだった。
母・巻子は「緑子、ほんまのことってなに。ほんまのことって」と困惑してる様だったが、それでも緑子と同じように頭に卵をぶつけて、緑子の髪を撫でて、背中をさすり続けた。娘の行動が不可解でも、一生懸命同じ目線に立とうとするのを見て「ああ、お母さんだなあ」と感じた。
緑子のノートは秘密のノートだったから、自分の娘が抱えていた事の全貌を巻子が知ることはないけど、愛娘の「私は産まれてきてよかったんか」という全身全霊の問いを見過ごす巻子では無いと思う。巻子はこの時に、豊胸することをやめたのではないかな。
緑子を産んで変わってしまった身体も、これまでの人生も、全部、抱えて生きていこうと。
──────────────────────
【第二部 子供を産むということ】
二部は、一部から10年以上の月日が経った夏子の話。38歳の夏子は、相変わらず独身でパートナーもおらず、物書きとして暮らしている。
夏子はいつからか、自分の子供が欲しいと思い始めていた。ある時から不妊治療のブログを読み、精子提供(AID)を調べ、AIDで生まれた人達の会に足を運ぶことから物語は動いていく。
精子提供ボランティアを名乗る恩田という男のねっとりした気持ち悪さや、夏子の友人でシングルマザーの遊佐の話など、二部は色々な人が出産/子供を持つことに対して様々な価値観を持って登場する。
中でも、善 百合子はこの物語にとって欠かせないだろう。
彼女はAIDの出自だが、養父によってかなり激しい性虐待を受けて育った。反出生主義の彼女は、子供を産むことは親のエゴで暴力的な行為だという。
善百合子は夏子に問う。「あなたはどうして、子供を生もうとおもうの」
夏子は「わからない。でも、ただ───会いたいのだと思う」と答えた。
今だって淋しいわけじゃ無い。このまま1人でもいい。でも、このまま会わずに死んでいいのか。自分の子を知らずに死んでいいのか。
夏子がいつかの夜、酔いながら書き殴った自問自答のメモ。
「わたしはほんまに
わたしは会わんでええんか後悔せんのか
誰ともちがうわたしの子どもに
おまえは会わんで いっていいんか
会わんで このまま」,p237
わたしはこのメモを見た時に、生むためのどんな理由を並べられるより納得感があった。
わたし自身も、友人の出産や自身の適齢期を迎えて、「子を持つ」ということについて何度か考えたことがあるし、子を産みたい人とそうでない人の価値観の差は気になっていた。なぜなら、私は人生で一度も産みたいと思ったことのない側の人間だから。
私は反出生主義でもないし子供嫌いでもない。友達の子は可愛い。でも、経済事情云々に関わらず、自分の身体で子供を生もうとは思えなかった。少なくとも今は。
最初に理由を探し始めた時は、妊孕性への拒絶感や母親業への自信のなさなど含めて色々考えたが、夏物語を読んで、それだけじゃないと気付いたことがある。
「みんな、賭けをしているようにみえる。
自分が登場させた子供も自分と同じかそれ以上に恵まれて、幸せを感じて、そして生まれてきてよかったって思える人間になるだろうってことに、賭けているように見える。」,p525
善百合子が夏子に放った言葉だ。
わたしも、「自分の子」という観点に関してはこう思ってる節がある。約束されていない未来、何が起こるかわからなくて、でも二度と後戻りはできない。
賭けの末、最悪の結果だったとしても背負って歩いていく責任が、この世で一番大きな責任が子を持つも決めた瞬間から発生する。
「ある小屋に10人が眠っている。あなたは全員を起こすか、眠らせておくか選べる。そのうち9人は、目覚めたことに感謝するが、1人は目覚めたが最後、死ぬまで苦しんで生きることになる。それがどの子なのかはわからない。でも必ず1人はそうなることをあなたは知っている。
子供を産むというのは、その1人を犠牲にしても残りの9人を起こせる人間なのだ。」
百合子の例えは的を得てると思った。一点違うとすれば、わたしは、起こすことを暴力的とまでは思わない。百合子の話を理解しながら、それでも起こせる人間は、10人のうち誰を起こしたとしても、その責任を背負っていく覚悟が少なからずあるのだろう、多分。無いと困る。
勿論、性欲の延長で生まれた子も、捨てられる子も、目の当てられない環境の子もいるが。
でも、真剣に考えて考えた末に子供を望んだ夏子のような人を残酷だと思うことはできない。
夏子が最後に善 百合子に言った、
「忘れるよりも、間違うことを選ぼうと思います」
とても格好良かった。100%エゴでも、たとえ自分が間違っていたとしても、それを背負う覚悟があるならもう何も言うことはない。
善百合子の言うことも、夏子の叫びも、どちらの言い分も、もの凄く腑に落ちる。正しいとか正しくないとか、そういうことじゃない。
女性性(妊孕性)を持ちながら別々の答えに到達した2人の価値観に対して、片方の言い分だけ共感する人の方が少ないのではなかろうか。
2人とも、形はちがえど、子供に対してもの凄く真摯に向き合っているなと感じた。
第二部は、女性である以上人生と出産を切り離すことはできないが、産むことも、産まないことも、己の責任の下に誠実に向き合っていきたいと思わせてくれるストーリーだった。
─────────────────────
終わりに
最初は(うーん面白くない...)と思っていたけど、二部に入ってフェミニズム的要素や産むことへの様々な観点が出てきた辺りからグッと引き込まれた。
子を産む/産まない(絶対に産みたくない、絶対に産みたい、も含む)ことについて考えたことのある人には二部から読んで欲しい。一部はぶっちゃけ飛ばしてok。
考え方が180度変わる!とかではないのだけど、自分の考えを補強したり、あるいは新しい視点を手に入れることができるのではないかなぁと思う。
ワクワクする!めちゃくちゃ面白い!といったタイプの本ではないけど、これからの人生を考えたときに読んでおいてよかったと思える一冊だった。
Posted by ブクログ
再読、というかリベンジ
妊娠出産とかでは括れない生まれてくること、生きることについてのはなし。
自分が妊娠出産できる性であるからこのことについてはよく考えるけど、まあ正解なんてないんだろうなと思った。だから悩むんだけど。
と同時に、自分のことしか考えてなかったなあとも思った。母になる人生、ならない人生、それぞれを選んだ時のキャリア、生活…
結局自分のことしか考えていない。産む、産まないとか、そういう話ではないのかも、と感じた。
女性なら一度は考えたことがあるであろう「子供を産むこと」について書かれた小説。高評価を得ているとのことで購入しましたが、書かれていることはどこか他人事で、何処かの記事を引っ張ってきただけのもののような感じがしてしまいました。乳と卵がとても感情的な作品だっただけに、その続編とのギャップが大きかったです。
Posted by ブクログ
何のために人は生むのか。生みたいと思う女性の本能は、自分勝手なわがままではないのか。男の 3秒の快感のために、60年の苦労を背負わせていいのか? などと考え始めると、ほどなく人類滅亡なので、とりあえず何も考えずに性的欲求、母性本能のおもむくままに種を存続させていただきたい今日このごろではあるのだが、AID (Artificial Insemination with Donor's Semen; 夫以外の第三者から提供された精子を用いる非配偶者間人工授精)の問題を絡めつつ、38歳という出産を考えると微妙な年齢の女性の想いを「乳と卵」のあの濃密な筆致で描く。前半はその「乳と卵」の焼き直しなのだが、完成度で言うと原作の方が上か。第二部だけで(「乳と卵」の続編として)刊行した方が良かったんじゃないかなぁ。
Posted by ブクログ
乳と卵より性的多様性に振り切ってた。緑子は相変わらず可愛いしこういう子が地味な男に心酔するのには現実でもよく見る。性的にノーマルだからか共感は出来なかったけど理解はできた。