オスカー・ワイルドのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
この物語の怖いのが、私自信序盤はドリアン・グレイの美しさと無垢さに魅力を感じながら読んでいたことだ。芸術的なまでに美しい青年、少年のような純粋さ、このように美しく危うく、いくら眺めても飽きないようなものを崇拝し、好もしく思い、「独り占めしたい」というバジルの気持ちはよくわかってしまう。
祈りは呪いとなり、ドリアンは外見的な美しさや若さを失うことは無くなったが、肖像を見ることによって自分の醜悪さと視覚的に向き合わなくてはいけなくなる。そして、その醜悪さを初めて晒したのもバジルであり、彼の反応にははっきりとした失望があった。ドリアンがシビル・ヴェインに失望した時のように。
肖像は鏡のように本当のドリアンをうつし出していたのだろう。美しさには強い力があるが、その表面のメッキが剥がれて穢れた部分が見えてしまったとたんに失望や落胆を招く危険な儚さがある。 -
Posted by ブクログ
話としては知っていたけれど、読んだのは初めて。
恋する人に振り向いてもらえなかったユダヤの王女サロメが、王の前で舞を舞った褒美に、その恋しくて憎い預言者ヨカナーンの首を所望する、という話。
ところが、聞くと読むとは大違い。
まず、会話劇のはずなのに、一つとして会話が成立していない。
誰もが自分の言いたいことをまくしたてているばかり。
人の話を聞け!
一番ヤバいのがヨカナーンだと思う。
私はもっと落ち着いて、理路整然とキリストを語る人なのかと思っていたけれど、うわごとのようにひたすらキリストについて語り、王妃の不実をなじるのみ。
サロメは一目ぼれというか、声に惚れたっぽいけど、いいの?こんな人で。
首を所望するくらいだから、サロメはもちろんヤバい人なのだけど、彼女の母親もヤバい。
今の王様は、もともと王弟だったのだが、兄を殺してその妻と国を強奪する。
なんかハムレットみたいだけど、この夫婦はその結婚がさほど幸福には見えない。
王妃は常に王の興味が娘にあることに嫉妬し(義理の親子で、実の叔父と姪なのに!)、それを糾弾するヨカナーンが目障りで仕方ない。
これらの中では王が一番まともなような気はする。
いちおう神を敬い、兄を殺す以外は人の道を外さないようにしてはいる。
が、サロメに対する劣情はやっぱりあやしい。
というわけで、主要登場人物全員が取っ散らかっているのであるが、ストーリーは単純明快で、読みやすい。
これがワイルドの腕ってわけなのかしら。
でもなぜかしら精神が疲弊します。 -
Posted by ブクログ
なかなか胸が悪くなるタイプの主人公。
自分で物事を考えるのでは無く、倫理観も持ち合わせず、周囲の人の勧めや助言からそのときしっくりくるものを選び行動していき、次第に身を持ち崩していく。
その退廃からくる悪相はみな肖像画が引き受けてくれるため、恐れを抱きながらも実質やりたい放題。
本人の持つ魅力と金銭力から、ほんとうになんでも思い通りになる。
社交するイギリス貴族たちも仲良くなれなそうな価値観(現代日本の庶民が読んでいるためそれはそうなのですが)で、嫌な話だなあ、、と思いつつ、絵が変貌するというホラーのようなSFのような設定も相まって、全然別次元の寓話として面白く読むことができました。
花や庭の描写が香り立つようで素敵でした。 -
Posted by ブクログ
現代に響く「美」と「秘匿」の呪い
オスカー・ワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』を読み終えた。まず心に残ったのは主人公ドリアンが世間の規範を脱ぎ捨て、自らの美学と快楽に忠実に生きる姿に見出した「清々しさ」だった。他者の視線や道徳に縛られず、己の欲求を最優先するその生き方はある種の解放感に満ちている。しかし、その清々しさの裏側には、ヘンリー卿という甘美な言葉を操る大人によってかけられた「若さと美への執着」という重い呪いが横たわっていた。
ドリアンが堕落の道を突き進めたのは自分の罪をすべて引き受けてくれる「肖像画」という身代わりがいたからに他ならない。もし肖像画がなければ彼はここまで大胆にはなれなかっただろう。しかし同時に、たとえ肖像画がなくても、老いや醜さを恐れる彼は今の社会でも見られるような「自暴自棄な生き方」を選んでいたかもしれないとも感じる。
現代を生きる私たちもまた、ドリアンと地続きの場所にいる。彼が恐れたのは「自己の劣化」そのものだったけれども現代社会においては「他者と比較だ。もしくは「他者から見て若いか、美しいか」という方向に呪いの形が変わっただけではないだろうか。
エイジズムやルッキズムという言葉で語られる今の社会の閉塞感は、ドリアンを狂わせた呪いと本質的な強さにおいて何ら変わりはないように思える。
また、ドリアンが肖像画を屋根裏に隠してまで必死に秘匿しようとしたその異様なまでの執着は、当時の同性愛者たちが置かれていた”クローゼット”として生きることの過酷さを物語っている。彼にとっての肖像画は社会から決して許されない「真の自己」の象徴でもある。自分の快楽を優先したいという個人的な欲望と、それが社会的に「罪」とされてしまう構造。その板挟みのなかで罪悪感に削られながら証拠(肖像画)を消し去ろうとした彼の最期は単なる自業自得ではなく、時代が生んだ悲劇としての側面も持っている。
ドリアンほどの度胸も肖像画という魔法の鏡も持たない私ではあるが、自分の中にある快楽への渇望や、老いへの微かな恐怖を突きつけられた気がする。この物語は19世紀末の退廃的な幻想譚でありながら、今なお「美」という呪いに揺さぶられる私たちへの鋭い鏡として存在し続けている。 -
ネタバレ 購入済み
サロメとかも書いてます
どちらかといえばサロメよりの話が多いワイルドさんですが、
とても同じ人の頭から紡がれた話とは思えない。
たいへん綺麗な話です。
汚れた話を書いている自覚があって、その反作用でこうした話を紡ぎ出したのでしょうか。
草葉の影に引っ込んだ後、機会があれば聞いてみたいものです。
お好みで。 -
Posted by ブクログ
ビアズリー展のミュージアムショップで購入し、展覧会の余韻に浸りながら帰りの新幹線で読破。
そう、今こそその口にキスをするわ、ヨカナーン。
……ああ!ヨカナーン、ヨカナーン、おまえだけなのよ、私が愛したのは。
同じ言葉の繰り返しが多用されていてサロメの激情がひしひしと伝わってくる。きっと劇で見ると迫力がもっとあるんだろうな。
オスカー・ワイルド本人はビアズリーの挿絵を「日本的だ」と嫌っていたみたいだが、サロメの退廃的で耽美的な世界観にはビアズリーの美しく繊細ながらも不気味な絵柄が合うな…と思ってしまう。
訳者あとがきも面白かった。フランス語の二人称の使い分けと心理的距離の変化が連動してるなんて。いつか原語でもチャレンジしてみたい。