オスカー・ワイルドのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネタバレ先輩に薦められて。視線のドラマ。人は誰しも「悦びに呪われている」というのが引っかかる本でした。
<平野啓一郎解説>
・今回、私に《サロメ》の新訳を依頼したのは、演出家の宮本亜門氏
・「古典を権威にまで堕落させ」、新しい「美」の創造に対して古典を「棍棒として」振り回す保守的な読者への揶揄
・ワイルドのサロメは、もっと少女的で、愛らしい。強いて言えば純真。
・ヨカナーンの言葉は、大別して三種類
①人間ヨカナーンのつぶやき②預言者としての言葉③預言そのもの
・その無邪気なアプローチには、「ヨカナーン!お前の体が愛おしい。」と正直に語ってしまうような、母親譲りの欲望が露わになっている
・サロメには確かに 色気 がある。しかしそれは、自ら知悉し、自在に行使する色気ではなく、無意識に溢れ出てしまうような色気である
・サロメはつまり、「悦び」に「呪われている」のである。ここにこそ、サロメの悲劇性がある。サロメは決して、単に純真であるわけではない。しかし、よく誤解されているような淫婦でもない。純真であるにも拘らず、まったく身に覚えのない淫婦性を母から受け継いでしまっている。生まれながらにして、 バビロン的なるもの を帯びさせられている。
・しかし、果たしてそれは、独りサロメのみの問題であろうか?人間は誰もが、「悦び」に「呪われている」のではあるまいか?バビロン的なるもの を孕んでいるのではあるまいか?
・サロメはつまり、この後、キリスト教徒が苦悩し続けるあの原罪感覚を、キリスト教誕生前夜に、唐突に、 過剰に 担わされた人物として造形されている
・サロメとは違って、彼自身は「近親相姦」という「罪」を自覚し、怯えている
・ヘロデもサロメに魅了されている。そして、並行的にヨカナーンを尊重する
・これに対し、ヘロディアはヨカナーンをまったく恐れない。彼女には「罪」の意識もなく、ヘロデと違い、自らの寄る辺として高貴な血筋がある。迷信を一切信じない。
・「サロメ」は、視線のドラマ
・対象への欲望が、「見る」という行為にすべて直結している。そして、互いに相見るのではなく、一方的に見ることの悲劇性が、隅々にまで浸透している。
・ヘロディアの近習は、若いシリア人を見ている。
若いシリア人は、サロメを見ている。
ヘロデもサロメを見ている。
しかしサロメは、ヨカナーンを見ている。
ヨカナーンは神を見ている。
そうしてこの世界には、一つの大きな穴が空いている。神は人間を見ているのであろうか?
・登場人物中、唯一、誰も見ていないのが、へロディア
・純真なサロメの内側に、彼女をそそのかすバビロン的なるもの を内在させた、というのは、
ワイルドの非常に冴えた、革新的なアイディアだった。これによって、サロメは二重性を帯びた人物となった。まるで、我々そのもののように。
・彼らは、聖書の一エピソードを、こんなエロ・グロ・ナンセンスに仕立て上げてしまった、ワイルドの冷笑的な、 世紀末的頽廃美 に呆れ果てた。
ロンドンでは、《サロメ》は稽古中に上演中止となり、パリでの上演も評判は芳しくなかった。
・ワイルドは〈社会主義下の人間の魂〉の中で、「金持ち以上に金のことを考えている階級が社会にひとつだけある、そしてそれは金のない連中である。」と言い、貧困がいかに人間の個性の妨げになっているかを力説している。そして、イエスが貧者に言っているのは、こういうことだと解説する。「おまえにはすばらしい個性がある。それを発展させるのだ。おまえ自身であれ。おまえの完成が外的なものの蓄積や所有にあると思うな。おまえの完成はおまえの内にあるのだ。」
・欲望の対象を金ではなく、性的な「悦び」と読み替えるならば、このヨカナーンの台詞は、こう解釈できる。サロメよ、お前は、母より受け継いだ バビロン的なるもの によって「呪われている」。後にそれは、原罪と呼ばれるものだ。しかし、もしイエスの元で悔い改めるのであれば、お前は救われる。つまり、純真な「おまえ自身」であり得るのだ、
・サロメは、しかし、これに従わない。その意味さえ理解しない。むしろ、ヨカナーンの拒絶と侮辱に刺激されて、却って哀れにも「恋」を募らせてしまう。
・彼女がヨカナーンの首を求めるのは、ただその口唇にキスがしたいから
・ヨカナーンにどうしても会いたいという、彼女の最初のささやかな わがまま の延長上にある
・サロメは、我々の誰しもと同じように「悦び」に「呪われている」。
・今度こそ、彼女自身が罪を認め、償い得たかもしれないというまさにその時に、それを 赦さない のが、イエスではなく、「この世」の象徴たるヘロデである、という結末
<解説>
・男をその妖しげな魅力で滅ぼす〈 運命の女〉としてのサロメ像が誕生したと考えられる。その危険なほどに魅惑的な女性のイメージは、美と頽廃を集約するアイコン
<宮本亜門>
・『金閣寺』の稽古が進むにつれて、溝口という主人公が、サロメと酷似している点が多いことに気づく
・サロメはヨカナーンの首を斬らせ、溝口は金閣を焼く
・演出すること、それは常に改めて脚本に「問い」を投げかけ、探り、新たな発見をすることが役目だと思っている
・月もただの月ではなくて、ときに性的な象徴であり、ときに大人への儀式、生理的な象徴であり、ときに運命の象徴でもあると見えてきます
・この作品の中で漂う末期的な不安感は、世界不安の雛形かもしれません
・実は首を斬ったことが重要なのではなく、『金閣寺』であれば金閣を焼いたというスキャンダラスな結果に目的があるのではなく、なぜこうならざるを得なかったのかという、そこに向かっていく気持ちの出発点とプロセスが面白いのだと思います -
Posted by ブクログ
久しぶりに読むのを非常に心待ちにして温めていた作品
果たしてサロメはどれほどの妖しさを持った女性なのだろうか
そしてヨカナーンの首をなぜそこまで欲していたのだろうか
美と狂の瀬戸際である妖艶でおどろおどろしいビアズリーの挿絵から妄想が止まらない
ビアズリーの絵いいですねぇ
例え血の滴る描写であっても美しい
モノトーンの色彩が残虐さを美に変えているようである
おまけにユーモアまで感じる
もし、「不謹慎だ」を真剣に非難する人間がいるとしたら、「その人間の立っている土台が次元の違う場所にあるのだよ」
と笑い飛ばされそうだ
ユダヤの王エロドの宮殿で宴会が開かれている
集まった者たち(ユダヤ人、ギリシア人、ローマ人、カパドキア人、ヌビア人ら)が
「蒼く白くまるで死人のように美しい」サロメを褒めたたえる
一方のサロメは彼らの悪口を言い、「みんな嫌い」と言い放つ
俗っぽい王である義理父は性欲剝き出しの視線をしつこくサロメに送る
妻であるエロディアスに「もう、あなたたいがいになさいまし」と咎められる
エロド王は預言者ヨカナーンを聖なる者としながらも恐れている
砂漠からきたヨカナーンをかつて水槽であったという深く暗い牢獄に幽閉している
サロメはヨカナーンに興味を示し、自分に気があるシリア人の若者をしもべの如く使い
「会わせろ」とせがむ
ヨカナーン
不思議な声、白い肌の色、黒い髪の毛、そして赤い脣…
それぞれ褒めたたえるサロメ
ヨカナーンが「退れ、触るな、女こそこの世に悪をもたらすもの」と言えば、
褒めたくせにけなす
また褒めたたえ、そしてまたけなす
何この心理!
笑ってしまう
自分の気持ちにどうしてよいかわからないのか…
いじらしさと幼さ満載
ヨカナーンはエロディアスの不義、不貞を咎め、
サロメと母エロディアス対し同じ邪悪な者と全否定(でも兄であった妻を自分の妻にしたのは王なんじゃないの?)
ヨカナーンはエロディアスを含む女性そのものを蔑んでいるかのようだ
一方サロメ
女王として皆からチヤホヤされ、スポイルされており、世間知らず
恐らく王の元から外(世間)に出ることも許されないのだろう
そして退屈でウンザリする毎日を送っているのだ
本当の父親はエロド王の兄でエロド王の命令で殺されちゃってるし…
脳内が薄っぺらい母親のエロディアスはサロメに対する愛情もなさそうだし…
そして男性からはいつも羨望と性的なまなざししか受けたことがないのだ
自分を見向きもしない、そして否定までする男に興味を持つ心理
さてちっとも自分のモノに出来そうもないヨカナーン
手に入らないものは喉から手が出るほど欲しくなるのが人の心理
ましてや常識のないわがままお嬢さん
義理父王が領土の半分やると言っても
「ヨカナーンの首が欲しい」
と繰り返すサロメはまるで駄々っ子の少女のようだ
そしてとうとう念願のもの手に入れる!
ビアズリーの挿絵のイメージが強かったせいか自分の妄想と本書にちょっとギャップを感じてしまった
思った以上にサロメは妖女ではなく幼女に感じた
鬱屈した精神の反逆
今までに味わったことのない自分に目を向けない男に対する好奇心
初めて持った欲は手に入らない分大きすぎて、コントロールできないほどパンパンに膨れ上がる
手に入れる方法はもう一つしかない
自分で自分を追い込むサロメ
濃縮された歪んだ情熱がはじけたとき、ようやく手に入れることができた
ふふふ
短いストーリーでこの圧縮したスピード展開は小気味よい
何かが起こる…
徐々に迫ってくる暗黒
王が楽しいと言えば言うほど、他の者らは「王は暗い顔をしている」と言う
不穏で不思議な月が見る者の心の不安を反映する鏡のように変化する
それぞれの感じ方が面白い(個性出てる!)
エロド:血のように赤く見える
エロディアス:月はただの月
サロメ:冷たくて純潔な生娘
何かが羽ばたく音…
さぁ不吉なお膳立てはそろった
いよいよ来る
来る
来る…
ついに…
キターーーーーー!
ヨカナーンの血の滴る首を手にし、ようやく口づけを果たしたサロメ
征服欲が満たされていく…
愛憎の極みが最高潮に達する
戯曲のテンポ感の良さが実に引き立つ作品である
そして個人的には世界観がなかなか好きである
グフフ
「美や芸術」というのは理屈も理論も社会の常識もモラルも
何も関係ないところで成り立っているのだ!
とまるで胸を張って言われた清々しい気分だ
そう正解とかないし
感じるまま、思うまま
妄想は自由なのよ
どこまでも
これは想像力を最大限に駆使することができる、その喜びに溢れる作品なのだから -
購入済み
読むたびに印象が変わる作品
子供の頃から何度となく読んできた作品だが、年齢によるのか訳者によるのか、毎回受ける印象が変わる。昔は美しいお話と感じていたが、今は不条理さを強く感じるかな。そういう読み方、楽しみ方で良いのだと思う。