姫野カオルコのレビュー一覧
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姫野カオルコさんの本はどの本も大好きですが、この本は、ちょっといつもの姫野カオルコさんの作品とはちょっと違う感じがしました。
主人公・泉さんの個性的なところは姫野さんって感じなのですが、お話自体が、おお、、、こういう終わり方のお話もアリなのか、姫野さん!!っていう感じでした。
編集者が取材していくというスタイルで、いろんな切り口から泉さんのことが語られていて、、、そして切なかったです。
確かに、シンデレラの話って、自分のことをコケにしてきた意地悪な継母とその娘達への復讐に満ちていて、本当にそんな嫌な奴がシンデレラ?という考え方もあるのかもしれません。私はそこまで考えたこともなかったので、それも新鮮に思いました。
逆に、なんだかそういう性格の悪いシンデレラに対してスッキリする、という気分だったように思います。
この小説が書かれたきっかけっぽく始まっているところもまたよかったです。
とてもオススメです! -
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角川文庫の著者紹介文に「独特の倫理主義」と表現されている倫理観をコメディータッチのファンタジーで表現した作品。著者の単行本デビュー作。
私立薔薇十字女子大英文科に在籍する女子大生「ミツコ」が不思議なパワーで悪徳を懲らしめます。ここでの悪徳とは「冷静に考えれば悪徳なのだが、なぜか、まかり通ってしまっている、見逃しがちな悪徳」です。
例えば、人込みでの喫煙、職場での暴言……。法律的には精々軽犯罪法に引っ掛かる程度の悪徳を、ミツコさんが懲らしめます。懲らしめるといっても、殺人などの過剰防衛に走らず、破廉恥なことには破廉恥で、ちょっとした暴力にはちょっとしたお仕置きで。適度な警告を発します。
純文学表現をお好みの方は、同じ著者の「ドールハウス」(角川文庫1997/07)をお勧めしますが、軽快に、痛快に日ごろのウップンを晴らしたい方には、この一冊がお勧めです。
七編の連作形式で、それぞれ違った形の悪に違った形でお仕置きをするミツコさんに「これは、悪ではないのでは?」と思われる事柄も含まれるでしょうが、多くは共感の持てる事柄だと思いますので、サラサラっと読んでみましょう。
熟読すると、普段何気なく人を傷付ける言葉に対する指摘(例えば、「変わった人ね。」と人を評することの意味など)に、含蓄の深さを感じてしまいますが、どの程度読むかは、人それぞれ。
僕などは、なるべく口に出すのは控えている積もりですが(頻繁に口にしているような気もしますが)「普通はこうでしょ。」と言う人に「それは、君の常識だろ。」といちいち反撥を覚えるので、七編全てのミツコさんのお仕置きを楽しめました……。
以上、講談社文庫版を読ん時の感想です。1999年5月21日
「時代がミツコに追いついた 姫野カオルコの早すぎたデビュー作が21世紀の倫理を確立すべく、装いも新たにバージョン・アップ大復活」と帯に巻かれて集英社文庫に移籍。「今月の新刊」として本屋さんに置かれていたから、買って読んでみました。
感想は……、二年前に読んだときと同じ(笑)。コメディーなんだから、難しいことを考えずに、笑えば良いのです。
ただ、僕が再読し始めたのが、休日の午後でした。このサイトからもリンクしているバンドのライブを観るため、JR青梅線から中央線直通の電車で都心のライブハウスに向かっている車中でした。羽村駅から乗り込んだとき、この電車は空いていました。空いていたから、僕はこの電車のシートに座り、ミツコの活躍を楽しんでいました。ちょうど、「Vol.1 昼下がりの事情」が佳境を迎える頃、電車は中央線を走り始め、混み始めました。物語では、若いカップルの車内でのマナーの悪さに業を煮やしたミツコがサイキックパワーを炸裂させています。そして、いつのまにか僕の前には初老の夫婦が立っています。「席を譲るか、譲らないか。そこが問題だ。」ミツコの物語と自分の立場の微妙な関係性に思いをはせているうちに、三つ隣の若い女性二人が電車を降り、初老の夫婦は席に座れました。
そんな事がありました。
だから、どうした。と言ってしまえばそれまでのことですが……。
では、なぜ、そんなつまらないことを書くかと言うと、僕と同い年のミツコは、単行本出版から十年を経て今は三十三歳。時代の流れを感じさせるエピソードや、講談社文庫との違いなどを指摘しようかと思ったのですが、集英社文庫の解説で中条省平が、かゆいところに手の届く解説でしっかり解説されているのです。さらには、著者のデビュー作で、その後の立脚点となる倫理観についても、親切に書かれているのです。
と、言うわけで、僕は、単純にコメディーを読んで楽しんだのでした。特筆すべきはミツコが僕と同じ年に生まれていた事に気付いた点でしょうか(^^;A -
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要介護の家族を持つ十三人の独白で構成された連作掌編集。
『日経ヘルス プルミエ』(日経BP社)の連載を単行本にまとめた一冊です。
各編には独白をする人のプロフィールが示され、あたかも一般人の投書を読むような体裁になっています。この工夫により、僕は親しい人の話を聞くように読むことが出来ました。
読み終えて思うのは、作中でも述べられるのですが、
「実際には、聞く機会の無い話なのだろうな。」
でした。
おそらく、僕が毎日通っている職場にも、この本の語り部のような毎日を送っている人がいるのだろうと想像します。しかし、彼らは、同僚がお盆休みの計画を「スペインに行ってくるんだ。」と明るく話すのに対し「あら、良いわね。行ってらっしゃい。お土産よろしくね。」と同じく明るく返答しながら、心の中では「普段は他の家族に任せている分も盆休みは私が引き受けなくっちゃ。」と、要介護の家族と、他の家族のことを気遣った盆休みの計画を決心し、その決心は、人に話すことなく、日常を過ごしているのだろうと想像するのです。
自分が自宅で介護をしているお話は、積極的に話して盛り上がるような内容ではありませんし、理解できない人には特殊な人として敬遠されるだけがオチになるような恐怖があると思います。
ですから、僕が実生活を送っていると、この本のような独白を聞く機会は無いのだろうと想像するのです。
そして、僕はこの本を読んでいる間は、ただ彼らの話を聞いて、
「こういう人もいるのだ」
と、理解するのに務めました。
人に優しく、とは誰もが思う事だと思いますが、想像出来ない人の苦労に共感することは出来ず、優しく接することは出来ません。
この一冊は、こういう人もいるのだ。と、僕の理解を一歩進めたような気がします。
先ずは、
「お話を聞かせてくれて、ありがとう。」
これが、僕がこの一冊を読んでの感想でした。 -
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ギリシャ彫刻のような美人の甲斐子が「美人ではないけれど可愛い」と言われる容姿へ、綿密な計画の元に美容整形手術を受けます。
「美人ではないけれど可愛い」と言われる阿倍子が完璧な美人へ、美容整形外科院にカモられるように美容整形手術を受けます。
着実に計画を実行し、モテ女へと変貌していく甲斐子。
成り行きで美人になり、モテなくなる阿倍子。
容姿を入れ替えたような二人の、手術を受ける学生時代から、その後の歩みが
時より交叉しながら、語られます。
執拗に「美人」と「モテ」とが異なる事が説かれる点を含め、大筋は記憶の通りでした。
坂口安吾の作品が「エッセイが小説的で、小説がエッセイ的」と言われたのと同じ意味で、エッセイ的な小説です。
読み終えてみると、最初に読んだときと、今の自分の変化に気が付きました。
すなわち、(術後の)甲斐子のようなタイプの人間を相手にしない。と心得たことです。
男にも、女にもいるタイプですが、
客観性の欠如と、認識力の低さが突出しているんだけれど、
自分の事は主観的に客観性が欠如していない。認識力は高いと根拠の無い自信に満ちあふれているタイプ。
特技は、他罰性と印象操作。
問題解決が必要なシーンでは、先ず自分のせいではない。と言うことを確認しないと話ができない人。
問題解決が必要なのに、誰のせい、と犯人捜しを始めてしまう後ろ向きな人。
つまり、仕事や家庭で一緒に何かを築くことができない人。
ただし、それでは、能力の低い人として周囲に認識されているか、と言えば、案外そうでもない。
偉い人や、友人関係の中で、彼の客観性の低さに気づくようなタイプの人間の悪評を振りまくのが上手く、ライバルをあらかじめ蹴散らしているので、相対的に評価は高いです。
重役と廊下ですれ違った際に、「あ、×○さん、このあいだ、会議室にノート忘れたでしょ。出てきました?」と些細な失敗を取り上げて、重役の脳裏に焼き付ける。
と言うような細かい印象操作を繰り返し発動し、ライバルを蹴散らします。
本来は、そんな印象操作に乗る重役の方が問題ですが、(だから、僕は韓非子を世の「エラいオヤジ」に勧める者ですが)引っかかりますよ。案外簡単に。
世の中の業績の上がらない会社は、ほとんど、このサラリーマン版甲斐子に操られているのではないか、と疑うほど。
と言うわけで、まともに付き合う人間では無い、と甲斐子タイプを認識し、今ではなるべく接点を持たないようにしました。 -
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ゲームメーカーの女性プログラマーを主人公にしたファンタジーです。
主人公の勤務形態が嘱託なので、在宅勤務。独り暮らしなので滅多に人と会うこともありません。早くに両親と死別し、きょうだいもいない彼女は、戒律厳しい修道院で育ちました。成人して後は、友達から「フランチェス子ちゃん」と呼ばれるほど(結果として)禁欲的な生活を送っています。
そんな彼女のファンタジーは、哀れ股間に人面瘡が出来てしまう喜劇。しかも人面瘡はしゃべります。何をしゃべるかと言えば、恵まれた容姿にもかかわらず、禁欲的な生活を送っているフランチェス子ちゃんを人面瘡が「ダメ女、ダメ女」と、替え歌にして繰り返して歌います(笑)。そんなふうに、なじりながら歌います。喜劇です。
奇想天外な、この喜劇は第117回直木賞候補となりました。惜しくも受賞は逃したものの、僕は奇想天外さに微笑みながら、いつのまにか一気に読んでいました。そして、読み終わると、心がほんのりと温かくなっている事に気づきました。まさしくファンタジーでした。
特に結末が好きです。本書のストーリー展開を考えると、前段で「喜劇です。」と書いた以上の概要説明は出来ないのですが「概要説明が出来ない」と書いた事で察して欲しい本書の結末は、単なる喜劇で終わらない、奇想天外さにビックリした僕の裏をかく意外さで、心温まるファンタジーなのでした。
殺伐とした現実社会を生きるOLのみなさんや、若い独身サラリーマンにお勧めしたい一冊。と言うのも、殺伐とした現実を生きている僕が、現実さながら迫真に満ちたビジネス世界の駆け引きや、職場の同性間に見られる陰湿ないじわるをリアリティー豊かに物語る小説ばかりを求めるものではないからです。時には、夢の中のように、ここちよいお話しを求めたくなるからです。
苦労は買ってでもしろ。と、よく言われますが、求めもせずに押しつけられた苦労を背負っている人には、清涼剤の一服も必要だろうと思うのです。
殺伐とした現実に疲れたみなさんには、だましてでも読んでもらいたいファンタジーでした。
ちなみに「受難」とはイエス・キリストの受難。新約聖書マタイ伝第27章。
裁判に掛けられたイエス・キリストは、偽証により死刑を宣告される。イエスを銀貨三十枚で売ったユダは罪を悔やんで首つり自殺。偽証に反証しないイエス・キリストは、死刑に甘んじるが、裁判長は無実を知って、裁かず、群衆に委ねた。群衆は、イエスをむち打ち、着衣を剥ぎ、いばらの冠をかぶせ、右手に葦を持たせた。つばを吐きかけ、頭を叩き、十字架を背負わせた。罵り、あざけり、ついには十字架に磔。磔になりながら、なぜか最後に「どうしてわたしを見捨てるのですか。」と神に叫んだイエス・キリストは絶命する。
というような、イエス・キリストの逮捕・処刑一連の「受難」を指す。
文庫の解説は、米原万里。いろいろな読み方が出来るファンタジーの、楽しみを広げてくれる解説です。 -
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同じ中学時代を過ごした男女の当時と今を綴った六編の連作集。『ツ、イ、ラ、ク』(角川書店2003/10/31)の舞台設定を踏襲しています。
卒業写真
高校生まで過ごした故郷を離れ、妻の故郷でフィットネスジムのインストラクターをしている安藤健二の物語。中学時代の友情と淡い恋愛に馳せる思いを、大人になった今の視点で綴っています。
秘密の宝物のように、時々眺めては甘酸っぱい気分に浸る事の出来るのが少年時代の思い出ですが 僕たちは、往々にして、思い出を今と分離した過去として扱いがちですが 自分を形成した経験として、自分やかつての同級生の今の幸福を思う安藤の感慨が胸に染みました。
作中で中学時代の安藤が読むヘッセ(Hermann Hesse(独)1877~1962)の「車輪の下」(高橋健二訳、新潮文庫1951/11/30など)や「少年の日の思い出」(高橋健二編集、郁文堂……は、原文のみ。対訳無しの模様……)は、少年時代の思い出であり、このような思い出を持つ成人は描かれていません。一方この「卒業写真」では、例えば、ごく普通の「お父さん」と呼ばれる大人が描かれています。
きわめて普通の大人を形成するのにも、貴重な経験が必要。と、教訓として読んでしまうと、それは読み過ぎ。と言われるかも知れませんが。
高瀬舟、それから
「卒業写真」で安藤の友人として登場した野球部の副部長桐野龍。彼のガールフレンド森本隼子が実際に付き合っていた教師河村礼次郎との逢瀬。状況だけを書くと「ひでぇことをしている二人」と、「哀れな桐野」の対照性が強調されるのですが、ここでは河村の後ろめたさと、隼子の影のある家庭環境を背景に、二人の真剣さが桐野との疎遠を脇役にさせています。
汝、病めるときも すこやかなるときも
隼子たちとは小学校からの同級生、星澤頼子の独白。独白は、同じく小学校からの同級生で、後に彼女の夫となった唐仁原剛についてです。
自分の恋人や配偶者を語るときに、それを愚痴として不満を述べることも出来るのですが、この作品で頼子は愛情の対象として唐仁原を語ります。
訪ねてきた客に表向きののろけを語る、物語前半よりも、客の帰宅後に回想している中学生時代のなれそめの方が、より個人的で主体的になっていて、艶めかしくて好きです。
青痣(しみ)
やはり隼子と中学の同級生、帽子屋の娘、田中景子の回想。
特に利害関係の無かった同級生の隼子を密かに呪っていた中学時代の自分を回想して。
過去の自分を忘れるのでは無く、たとえそれが、思い出したくない醜い自分であったとしても、記憶に留めながら普通の大人に成長した景子の誠実さが心地よい一遍です。
蛇足で「箸の使い方」について。多くの人は様々な持ち方をしながらも「自分の使い方は正しい。」と信じているように思います。僕は、一本を親指の第一関節と第二関節の間と、薬指で固定し、もう一本を親指、人差し指、中指の三本で操作します。僕は「この箸の使い方こそ、正しいのだ。」と自信を持っていたのですが、かつて「君の箸の使い方ってヘンだね。」と言われたことがあります。そう言う彼の箸の使い方が僕には妙に思えたのですが……。
また、魚の食べ方について、僕はこの著者のデビュー作「ひと呼んでミツコ」(集英社文庫2001/08/25)で骨を噛み砕いて食べる食しかたを初めて知りました。そう言えば、友人宅でごちそうになったとき(それはアジの開きでしたが)骨と皮を残す僕に向かって「楊君は、魚が嫌いなの?」と尋ねられて驚いたことが記憶に新しいです。
この短編を読んで気になったので、あらためてアジの開きを食べながら、自分がどのようにアジを皮と骨と身に分けているか注意深く観察してみました。結果として、満腹し、皮を皿の端にまとめ、骨をきれいに整形して、皿の上にはガイコツ状態のアジを復元できたのですが、ずいぶんと左手(素手)を使っていることに気が付きました(笑)
世帯主がたばこを減らそうと考えた夜
『ツ、イ、ラ、ク』で、森本隼子を襲った夏目先生の物語。
『ツ、イ、ラ、ク』では、救われない人物として、この夏目と、小西が登場するのですが、その一方に視点を据えた一遍。『ツ、イ、ラ、ク』を読んでいた僕は、「夏目の物語なんか読みたくないや。」と雑誌掲載時には購入しつつも未読だった一遍。
本書「桃」購入により、初めて読みました。隼子を襲う衝動に説得力がありました。彼の衝動に、同情しないものの、理解が出来た気分です。また、彼の哀しい性欲は、それでも二人の子をなした、結婚が当然だった時代背景を物語っています。
桃
最後は、表題作で森本隼子の回想。河村と再会する二年前の森本隼子。冒頭での上司とのやり取りから、隼子が活気のある職場で活発に働いている様子が伺えますが、中学時代の記憶を呼び覚ます桃を食べると……。
2005年に劇場公開されたコンピレーションムービー「female」冒頭の一遍(監督:篠原哲雄)「桃」の原作です。
「高瀬舟、それから」では、河村の視点で描いていた二人の逢瀬を、隼子の視点で描いています。
不倫の恋愛渦中にいる人は悲劇のヒロイン気分に浸り、家族や友人に祝福される恋愛結婚をした人は、幸せの中に身を置いて安定しているように思えます。でも、恋に落ちると言うことは、周囲からの祝福や、同情とは無関係に二人だけの情熱なのだ。純粋な恋愛を描いた一遍です。 -
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童話「シンデレラ」について調べていた編集プロダクションのライターが、「シンデレラは幸せになったのか」と疑問を持つことに端を発する物語です。
この疑問に意気投合したプロダクションの社長から、知り合いの女性「倉島泉」を紹介され、取材を始めます。
「幸せになったシンデレラ」とは、本当はこのような人の事を言うのではないか。
物語は、倉島泉の半生を描いています。
諏訪湖のほとりの料理屋兼温泉宿(現代風に言えばオーベルジュ)の<たから>に昭和二十五年に生まれた女の子が倉島泉(くらしません)=本書の主人公です。
さて、倉島泉は、シンデレラになれたのでしょうか。
読み終えた直後にぼくは、考えました。
「倉島泉は幸せだったのか。」「幸せになったシンデレラと言って良いのか。」と考えました。
先ずは、このように、しみじみと考えるところが、本書の味わいだと思います。
以下は、徐々に内容に踏み込みます。
何故、読後にしみじみと考えたか、と言うと、僕が今まで漠然と考えていた幸せ=生活に困らない収入があり、結婚をして、子どもを設け、とりたてて裕福でなくても良いから、子どもが健康に育っている状態など=を基準にすると、倉島泉が幸せを得たとは考えられなかったからです。
倉島泉が幸せだったとすれば、彼女の幸せは、僕が今まで考えていたタイプの幸せとは、異なるタイプの幸せであるはずです。
それは、どのような幸せなのか。
これに結論を出す前に、僕は「彼女は幸せだったはずだ。」と前提を置いています。
それは、著者の作品を読破しているヘビーな姫野ファンだから、と言うのもあるのですが、著者の作品を好む理由=よく知らない人を、思いこみで哀れんだり、非難したりするのは迷惑だ。と言う僕の性質に馴染む理由からです。
例えば職場の昼休み、節電のために照明が落とされた事務所で、食後のおじさん二人が世間話をしていたと思ってください。
「今の若者は、車に興味が無いんだってさ。」
「俺たちの時には、学生時代にアルバイトをして、食費を削っても車を手に入れたもんだよな。」
「俺は、割りのいいバイトにありつけなかったから、就職してから、せっせと頭金を貯めて、ローンで4WDのクーペを買ったよ。」
「今は不景気だから、若者は車を買う夢が見られないのかね。」
「そうだな。俺たちは、なんだかんだ言っても、バブル景気を経験しているからな。」
「今の若者はそう言う意味ではかわいそうだよな。」
昼休みに聞こえてきそうな例を考えました。
車に興味のない若者は、かわいそうか。
景気さえ良ければ、今の若者でも車に興味を持つのか。
あえて、「それは違うよ。」と言うほどの事でも無いと思いますが、僕はこのように、自分と価値観が違う人たちに対して、思いこみで哀れみを持つ人に違和感を覚えます。
ですから、本書を読み終わった瞬間に、僕が漠然と考えていたタイプの幸せをつかんでいないと言う理由で、倉島泉を不幸だった。かわいそうだった。と結論づけるワケにはいかなかったのです。
また、著者のエッセイで印象深い、良寛(1758~1831:曹洞宗の僧侶)と貞心尼の交流の考察に、類希な説得力を感じたからです。出所:「ほんとに「いい」と思ってる?」(2002/9/25角川文庫 第一章 ブランドの烙印/ハーブティーが好きな人が「いいな」と思うような関係)
恋愛を含めて、幸福感と言うものは、僕が知り得ているものだけでは無い。
それでは、倉島泉の幸福とは、どのようなものだったのだろうか。
それを考えました。
以下は、本書の核心部分について、僕の答えを述べます。
本書を読み終えたころに、タイミングよくTV番組の解説で、カント(イマヌエル・カント Immanuel Kant 普1724~1804)の言う道徳的価値を持つ自由な行動を知りました。
「これだ。」と思いました。
倉島泉の幸福は、イマヌエル・カントの言う、自由意志による行動がもたらす幸福感なのではないでしょうか。
お金で買える幸福感は、欲望を満たすものであり、満たされた欲望は、自分の自由意志で得たものでは無く、逆に欲望の奴隷として行動した結果です。
自分の家族を得て、子どもが順調に育つのを見守ることからも幸福感が得られますが、その幸福感は、どんな生物にも共通の本能的な欲望に従っているものだと思います。
一方、倉島泉が得た幸せは、自分で願った行動規範に従った結果(物語では貂に願った三つの願いから)得られる幸福感であり、これは、つまり、カントの言う、自由意志による行動がもたらす幸福感だと思います。
それは、人間だけが持つ理性による幸福感であり、
好景気の折りに、金で買ったものから得られる幸福や、
不景気でも家族と一緒にいられる幸福とは別の次元のものです。
現在の日本は、残念ながら不景気です。
そして、周囲の国では、戦争が起こりそうな不安があります。
でも、それらとは全く無関係に、僕たちは、幸せになる事が出来る。
リアル・シンデレラ=倉島泉の一生から、僕はその真実を学んだように思いました。
ところで、僕は、努力しても倉島泉のように生きることは出来そうもありません。
それほど、彼女は善人を通り越して聖人のように見えるほどですが、
彼女が得た幸福のように、景気が良くても、悪くても、健康でいても、病んでいても、
幸せになる事は出来るのだ。
この小説から学んだ事は、僕にも幸福感をもたらしたように思います。
幸せは、自分の中にありました。 -
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ホラーとミステリー八編からなる短篇集。
夏で、暑いので手にしてみました。
ネタバレに気を付けつつ、順に読んでいきます。
よるねこ 「こうして温かい味噌汁をかけると、ごはんも温かくなる」と、無頓着に娘の食事に気をつかう母親。娘の視点で追うホラー。
身近な、特に肉親を扱うホラーって怖いですねぇ。って、ネタバレに注意してるから、何にも書けないね(^^;
女優 普通に恋人がいる二十八歳の達哉と、彼の恋人とをめぐるサイコホラー。
この一冊の中では、僕が一番気に入った作品です。なぜ気に入ったかと言うと、女優が……って、やっぱりネタバレになるから、なんで気に入ったか書けない(ノ_<。)これだけミステリが氾濫している中にあって、全く斬新な展開に唖然とした一編でした。唖然として、唖然としたところに、再び恐怖が伝わって来る波状のサイコホラーでした。
探偵物語 探偵の依頼主は若いサラリーマン。依頼内容は、彼の婚約者を調査すること。婚約者の心の影に迫るミステリー。
真実とは、真実みのある嘘なのか。婚約者の心遣いが……って、やっぱり、ネタバレになるからこれ以上書けない(×_×)
心霊術師 「吉田は力持ちだったので、倉庫に勤めていた。」と、とぼけた記述で始まるスペース・ファンタジー?
いい加減、ネタバレ注意が面倒になったので、感想は、ホラーネタ以外のところからm(v_v)m 当たり前のことなのですが、人の幸せは、本人の心の内にあるものだと気づかされました。たとえこの一編が、スペース・ファンタジーであろうとも、なかろうとも……
X博士 渋谷区の大学に通う康介が、休講で空いた時間にふと訪れた路地。ひっそりと佇むレトロな小屋で、康介が遭遇するホラー
小屋のレトロな様子が生々しく伝わってくる短編ホラーらしいホラーでした。「妖しげな魅力には注意しよう」と心に命じてしまいました>*O*<
ほんとうの話 女性の独白、子ども時代を過ごした田舎町から、東京に出て、勤めるまでの独白で綴る、ホラー。
これも、いわゆる短編ホラーらしいホラーです。ですが、僕には語り部が、他人の死に接する感情を量る感慨が印象深い作品でした。子どもに必要なのは、無理に死を悼ませることではなくて、成長を促すことなのだな。と、少々的はずれなホラーの感想でした。
通常潜伏期七日 インターネットウェブサイトに取材した、高校生「みつる」くんの物語。
怖いのですが、またもやとんちんかんにホラーではない部分で感想をm(v_v)m 僕には新しいメディアに接して、成長を遂げるみつるくんの瑞々しさが好ましく思えた一編でした。さらに、とんちんかんですが解説。「濾過性病原体」とは、細菌濾膜を通過してしまうほど小さな病原体の意味で、現在はウイルスと呼ばれています。可視光の波長よりもすごく小さい(アッベの公式d=0.61λ/nsinαに、λ=400nm、n=1.5、α=π/3を代入して計算してみよう!)ので光学顕微鏡でも見ることが出来ません。十九世紀末に細菌濾膜で漉した濾液でも感染してしまう牛やたばこで、存在が確認されたようです。この「小さな病原体」を実際に見られるようになったのは、電子顕微鏡が実用化された1930年代以降のこと。つまり、発見から約四十年間はほんとうに「濾過性病原体」でしかなかったのですね。そこで、本作品に登場する文献は、二十世紀初頭に記されたものではないのかな。と推測します。う~ん。やっぱり蛇足でしたねm(v_v)m ちなみに、現在はタンパク質は濾過するけれど、ウイルスだけは通さない膜なんてのが開発されて、医薬品の製造に利用されているようです。すごいですね。最新科学もすごいけれど、ウイルスの発見から遡ること百年。見ることもできない、認識もされていない病原体のワクチンを作ったジェンナーもすごいですよね。
獏 アナウンサー試験に二度失敗し、つまらない毎日を送っていたまなみを襲うホラー
ネタは、よく聴くホラーなのですが、二重、三重のトリックが仕組まれていて、最後は……。携帯電話を持つのも怖くなっちゃいますね。
僕は、ふだんホラーは読まないのですが、前作「特急こだま東海道線を走る」文藝春秋2001/10/30での人間描写や、長編としては一番最近の「整形美女」新潮社1999/01/20で描かれた性役割の考察などが面白かったので挑戦してみました。そういう意味では、「ほんとうの話」や「女優」が僕にはフィットした作品でしたが、いわゆるホラー好きの方はどのような作品を好むのでしょうか。 -
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長編としては、2003年度下半期直木賞候補となった「ツ、イ、ラ、ク」角川書店2003/10/31)以来二年ぶりの作品。丹念な取材を元に描かれた作品としては「整形美女」(新潮文庫2002/10/01)以来、約六年ぶりの作品。取材の対象は、本書では特定の女性。著者初のモデル小説です。ただし、モデルは有名人ではなくて、一般人。大正生まれの女性。
歴史に名を残すでもなく、またマスコミに登場するでもない彼女の半生です。が、しかし、彼女の人生は僕にはうらやましい限りの個性的な人生として映りました。
もちろん、現代とは違って選択肢が限られた彼女の人生には、たとえば自分がしたいことを選んで進路を決めるような自由さはありません。逆に時代に流され、状況に身をゆだねざるを得なかった事の多い、彼女の人生です。それでも、僕が彼女の人生をうらやましく思えたのは(僕の読書に偏るかもしれないけれど)彼女が自分の個性を肯定し、限られた選択肢の中で自分の身の丈にあった選択をしてゆくところにあったように感じます。
自由と言われる現代にあって、僕は、本当は何をしたいのだろうかと考える事も多く、また、思うようにいかなくて悩む事もあります。でも、たとえば、ハルカのように生きることもできるのだと思えば、僕も、僕なりに、自分らしく生きる事ができる、そのヒントを与えられたように感じた一冊でした。 -
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2007年3月に「ああ正妻」として出版された作品の文庫化。文庫化に際し、全面改稿されました。
文庫の後書きに著者が記した意図が、本書を理解する上で大きく役立つと思いますので、是非お読みすることをお勧めします。
僕が文庫化で大きく変わったと感じたのは、ラストで雪穂の側に立って夫との関係を考察している点です。
物語の皿回し的役目を担う、川松教授の質問に答える形で、小早川くんが「妻が求めるものは何なのか」を述べます。
内弁慶なモンスターとして家庭に君臨する雪穂は変わらないのですが、それでは、雪穂自身はこの現状をどう考えているのか。
川松教授の考察は、幸福論(又は不幸論)として秀逸だと感じる一方、では、僕はどう考えるのか。と、一緒になって考えるきっかけになりました。
そして、小早川の回答には、僕も愕然としました。
「ああ正妻」では、単に「小早川くんの結婚は悲惨だな。」と言う感想がメインでしたが、
本書では、多かれ少なかれ、自分が雪穂的な側面を持っていることを前提に、
では、自分が雪穂のようにならないためにはどのような注意をすればよいのだろう。
と、読者も考える事が出来るように工夫されていると感じました。
僕は(本書に異を唱えるわけではありませんが)雪穂が、小早川の言うことを、遮ったり、否定したり、間違っていると指摘することなく、是認しながら「聞き上手」になることで、この夫婦は改善すると思いました。
つまり、僕は川松教授の「妻に何を求めますか」の答えには、「話を聞く人になってほしい。」と答えるのが正解だと思いました。
また、僕が雪穂的夫にならないためには、妻の言葉を是認しながら聞くことが大切だと思いました。
前提として、
男性が「多かれ少なかれ、我が妻も雪穂的な側面を持っている。」と思うのと同様に、
女性も「夫だって、雪穂的な理不尽さを持っているよな。」と感じるだろう、
と、考えました。
物語の家庭は、度を超しているため、「雪穂は異常な人」と他人事として、自分を顧みることを回避できる工夫もされているのですが。 -
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日経新聞、朝日新聞、読売新聞、しんぶん赤旗日曜版に、連載や単発掲載されたものを加筆改稿して一堂に集めた文庫オリジナルのコラム集です。
五つに章立てしています。
第一章「喫煙(吸う人)vs.禁煙(吸わない人)」
第二章「耳……聞く・聞こえる」
第三章「見る&見かけ」
第四章「ヒメノ式歳時記+マギーさん」
終章「聖ヴェロニカの花に祈る」
第三章までは、著者のライフワークである、世間の誤解への取り組みです。冷静な視点から問題点を整理し、無駄な対立を解消すべく、あれこれ考え、提案されています。
特に印象に残ったのは、第三章のV「頑固な便秘、頑固な「思い込み」」です。
僕は、かつて頻繁に僕が愛読しているブログを、職場の同僚や、友人に勧めていたことがあったのですが、かなりの割合で僕が勧めたブログを批判する人がいました。自分が好きで読んでいるものにけちを付けられたような気がして不本意に思い、最近は、愛読ブログを人に勧めないことにしました。
「的はずれな批判はなんでかな?」とずっと思っていたのですが、このV「頑固な便秘、頑固な「思い込み」」を読み、「なるほど。」と腑に落ちました。
第四章からは、対立や誤解の考察を離れて、エッセーになっています。夏の暑さのしのぎ方を綴った「扇風機」や「年賀状」「クリスマスの過ごし方」など。
そして、終章を読んで、僕は感動しました。
「春はたくさんの花が咲く。」と、春の賛美から始まり、「おぉ、小林秀雄が世阿弥の美意識を論じた「当麻」ばりだな。」と思ったのですが、
読み進むと、春を愛でる人間の側の状況に言及しており「おぉ、小林秀雄を批判した坂口安吾の「教祖の文学」ばりだな。」と思い直しました。
しかし、最後まで読むと、そんな文学的な工夫に留まっているのではなく、読者へ向けた、生きる事の愛しみの表現になっている事に気付きました。
夕飯を食べながら読み終えたのですが、読み終えた瞬間に食事を中断し、しばらく感慨に耽ってしまいました。
文学は、一応芸術の分野に分類されると思うのですが本を読んで「芸術だなぁ。」と思ったのは、これが、まだ二作目です。(一作目は、別の作家の小説でした。)
まさか、エッセーを読んで感激し、芸術を感じることなど期待していなかったので、不意打ちを喰らったように、食事を中断し、しばし感慨に耽ってしまった次第です。外で食事をしていたので堪えましたが、自宅で一人でいるときだったら、感涙を抑えられなかったかも知れません。大げさなようですが。
この段の初出は日経新聞の2011年3月30日と記されています。つまり、震災で被災された方へのお見舞い&励ましとして書かれたものと推測されます。
でも、僕が、今(2013年4月25日)読んでも、
「このまま、ただ歳を取って、老いていくだけの人生で良いのかな?」
と漠然とした不安を感じていたこと、それを日々の雑事で紛らわせていた自分に気付く一方、
「うん。これでも良いのだ。季節を感じながら生きていこう」
と励まされ、生きる勇気を与えられたように感じます。
なんとなく「疲れたなぁ。」と感じている人や、
「空しいな。」と不安に思っている方には、
是非お勧めしたい一冊です。