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Posted by ブクログ
2010年上半期(第143回)直木賞候補作品。(受賞作は中島京子の「小さいおうち」)
TikTokでよく聴く安住紳一郎の「日曜天国」で、アシスタントの中澤有美子アナへ作者の姫野カオルコさんが書いた手紙が紹介され、その中で本作が登場し、どんな話か気になった読んだ。
タイトルから想像する、いわゆる「シンデレラ・ストーリー」では全くなく、あとがきのことばを借りると、「リアル」は「まるで実際の事件をルポしたような」、「シンデレラ」は「『幸福』の寓意」。幸せってなんだっけ、と考えさせられる作品。
主人公 倉島泉「くらしま・せん」の生き方がとにかく素敵。
泉が小6のときにした3つのお願い。熟慮の末のもの。3つ目は最終ページで明かされる。
・妹が丈夫になりますように
・大きくなったらお母さんとお父さんと離れて暮らせますように
・自分の周りにいる自分じゃない人にいいことがあったら、自分もうれしくなれるようにしてください
いろんな人が出てきて、最初の方は泉の扱いの酷さに腹が立ったりするのだけれど、泉の意に介さない「平和」な佇まいにペースが乱される。
最後、泉がどうなったのか心がざわざわする終わり方なのだけど、文庫本あと書きに暑中お見舞いがあってほっとした。
《宮部みゆきさんによる評》
(引用者注:「天地明察」とともに)丸をつけて、選考会に臨みました。」「私はキリスト教の「聖人伝」として読みました。倉島泉という黒い子羊が聖人になるまでの物語です。」「読後、自分のなかに溜まっていた自分ではどうすることもできない澱が、いくばくかでもこの作品によって浄化された気がして、静かに涙しました。姫野さん、支持しきれなくてごめんなさい。でも、この小説を書いてくれてありがとう。本を閉じたとき、多くの読者がそう呟くに違いない秀作です。
Posted by ブクログ
昭和日本の一地方の土着的人間模様を描きながら、この著者独特の着眼によって「これはいったい何を読まされているのだろう」という感覚に襲われる、稀有なタイプの小説である。昭和の地方都市に生まれた女性がたどる人生というのは著者の数々の著作に共通するテーマであるが、本書はそこに「リアル・シンデレラ」という偶像を置き、ルポ形式で周辺人物へのインタビューを重ねることで、主人公=倉島泉(くらしま・せん≒暮らしません)の人間像を浮き彫りにしつつ、さらに一回転して昭和女性(男性)マジョリティの集合無意識としての憧れ=シンデレラを陰画のように描き出す。
そして、シンデレラはとこしえに幸せに暮らしま…
Posted by ブクログ
約10年ぶりに再読。
やはり名作。
2021年34冊目。
以下は過去のレビューのコピペ。
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たまらなく、よかったです。
倉本泉という、田舎に生まれ育った女性について取材することになった筆者。
彼女の周囲にいた人間の視点で語られる彼女と、彼らから聞いた話を元に、筆者が書いた文章。
泉本人の主観は、一度も描かれません。
広く一般的に知られている「シンデレラ」は主人公が受動的過ぎて、その他の登場人物の個性が際立っている。
シンデレラは、自分がされたことを、その他の登場人物にし返しているだけ。
果たしてシンデレラは、本当に幸せになれるのか。
泉は、真に幸せな、本当のシンデレラだと思います。
決して着飾ることもなく、人から美しいと言われることもなく、自分を見て欲しいと訴えることもなく、弁解をせず、人を責めず、ただ、人の長所を素晴らしいと感じる。ただ、人の幸せを喜ぶ。
そんな彼女の美しさに気付いた、ある人から、泉はシンデレラにしてもらい、舞踏会に連れていってもらえます。
真の純粋さ、真の美しさに触れる事ができます。
なので、色々な種類の涙が出る一冊です。
Posted by ブクログ
作者がTBSラジオ『安住紳一郎の日曜天国』をよく聴いていて、番組アシスタントの中澤有美子さんをモデルにして書いた小説とのこと。私も中澤さんが大好きなので読んでみました。
『リアル・シンデレラ』というタイトルから受ける印象とはかなり違っていましたが、文庫版あとがきで作者もそのことについて書いていました。「リアル」や「シンデレラ」に持たせた意味の認識の違いが大きかったみたいだと。明治大正昭和をまたぐ女性の一代記などでは全くないと。気になる方は、まずはあとがきから読んでみてください。
その上で、幸せな人生とはどんなものか、自分はどんなふうに生きて、どんなふうに幸せになりたいかを考えさせられる小説でした。
幸せとは何かと問われたら、自分が心地よくいられることだと答える人は多いと思います。私もそうです。
そうではない幸せの形が、この小説の中にあります。
こんな人生を歩んだ人のモデルになった中澤有美子さん、ラジオで声を聞いたことしかありませんが、とても素敵な女性です。ラジオもぜひ聴いてみてほしいです。
Posted by ブクログ
姫野カオルコさんの本はどの本も大好きですが、この本は、ちょっといつもの姫野カオルコさんの作品とはちょっと違う感じがしました。
主人公・泉さんの個性的なところは姫野さんって感じなのですが、お話自体が、おお、、、こういう終わり方のお話もアリなのか、姫野さん!!っていう感じでした。
編集者が取材していくというスタイルで、いろんな切り口から泉さんのことが語られていて、、、そして切なかったです。
確かに、シンデレラの話って、自分のことをコケにしてきた意地悪な継母とその娘達への復讐に満ちていて、本当にそんな嫌な奴がシンデレラ?という考え方もあるのかもしれません。私はそこまで考えたこともなかったので、それも新鮮に思いました。
逆に、なんだかそういう性格の悪いシンデレラに対してスッキリする、という気分だったように思います。
この小説が書かれたきっかけっぽく始まっているところもまたよかったです。
とてもオススメです!
Posted by ブクログ
童話「シンデレラ」について調べていた編集プロダクションのライターが、「シンデレラは幸せになったのか」と疑問を持つことに端を発する物語です。
この疑問に意気投合したプロダクションの社長から、知り合いの女性「倉島泉」を紹介され、取材を始めます。
「幸せになったシンデレラ」とは、本当はこのような人の事を言うのではないか。
物語は、倉島泉の半生を描いています。
諏訪湖のほとりの料理屋兼温泉宿(現代風に言えばオーベルジュ)の<たから>に昭和二十五年に生まれた女の子が倉島泉(くらしません)=本書の主人公です。
さて、倉島泉は、シンデレラになれたのでしょうか。
読み終えた直後にぼくは、考えました。
「倉島泉は幸せだったのか。」「幸せになったシンデレラと言って良いのか。」と考えました。
先ずは、このように、しみじみと考えるところが、本書の味わいだと思います。
以下は、徐々に内容に踏み込みます。
何故、読後にしみじみと考えたか、と言うと、僕が今まで漠然と考えていた幸せ=生活に困らない収入があり、結婚をして、子どもを設け、とりたてて裕福でなくても良いから、子どもが健康に育っている状態など=を基準にすると、倉島泉が幸せを得たとは考えられなかったからです。
倉島泉が幸せだったとすれば、彼女の幸せは、僕が今まで考えていたタイプの幸せとは、異なるタイプの幸せであるはずです。
それは、どのような幸せなのか。
これに結論を出す前に、僕は「彼女は幸せだったはずだ。」と前提を置いています。
それは、著者の作品を読破しているヘビーな姫野ファンだから、と言うのもあるのですが、著者の作品を好む理由=よく知らない人を、思いこみで哀れんだり、非難したりするのは迷惑だ。と言う僕の性質に馴染む理由からです。
例えば職場の昼休み、節電のために照明が落とされた事務所で、食後のおじさん二人が世間話をしていたと思ってください。
「今の若者は、車に興味が無いんだってさ。」
「俺たちの時には、学生時代にアルバイトをして、食費を削っても車を手に入れたもんだよな。」
「俺は、割りのいいバイトにありつけなかったから、就職してから、せっせと頭金を貯めて、ローンで4WDのクーペを買ったよ。」
「今は不景気だから、若者は車を買う夢が見られないのかね。」
「そうだな。俺たちは、なんだかんだ言っても、バブル景気を経験しているからな。」
「今の若者はそう言う意味ではかわいそうだよな。」
昼休みに聞こえてきそうな例を考えました。
車に興味のない若者は、かわいそうか。
景気さえ良ければ、今の若者でも車に興味を持つのか。
あえて、「それは違うよ。」と言うほどの事でも無いと思いますが、僕はこのように、自分と価値観が違う人たちに対して、思いこみで哀れみを持つ人に違和感を覚えます。
ですから、本書を読み終わった瞬間に、僕が漠然と考えていたタイプの幸せをつかんでいないと言う理由で、倉島泉を不幸だった。かわいそうだった。と結論づけるワケにはいかなかったのです。
また、著者のエッセイで印象深い、良寛(1758~1831:曹洞宗の僧侶)と貞心尼の交流の考察に、類希な説得力を感じたからです。出所:「ほんとに「いい」と思ってる?」(2002/9/25角川文庫 第一章 ブランドの烙印/ハーブティーが好きな人が「いいな」と思うような関係)
恋愛を含めて、幸福感と言うものは、僕が知り得ているものだけでは無い。
それでは、倉島泉の幸福とは、どのようなものだったのだろうか。
それを考えました。
以下は、本書の核心部分について、僕の答えを述べます。
本書を読み終えたころに、タイミングよくTV番組の解説で、カント(イマヌエル・カント Immanuel Kant 普1724~1804)の言う道徳的価値を持つ自由な行動を知りました。
「これだ。」と思いました。
倉島泉の幸福は、イマヌエル・カントの言う、自由意志による行動がもたらす幸福感なのではないでしょうか。
お金で買える幸福感は、欲望を満たすものであり、満たされた欲望は、自分の自由意志で得たものでは無く、逆に欲望の奴隷として行動した結果です。
自分の家族を得て、子どもが順調に育つのを見守ることからも幸福感が得られますが、その幸福感は、どんな生物にも共通の本能的な欲望に従っているものだと思います。
一方、倉島泉が得た幸せは、自分で願った行動規範に従った結果(物語では貂に願った三つの願いから)得られる幸福感であり、これは、つまり、カントの言う、自由意志による行動がもたらす幸福感だと思います。
それは、人間だけが持つ理性による幸福感であり、
好景気の折りに、金で買ったものから得られる幸福や、
不景気でも家族と一緒にいられる幸福とは別の次元のものです。
現在の日本は、残念ながら不景気です。
そして、周囲の国では、戦争が起こりそうな不安があります。
でも、それらとは全く無関係に、僕たちは、幸せになる事が出来る。
リアル・シンデレラ=倉島泉の一生から、僕はその真実を学んだように思いました。
ところで、僕は、努力しても倉島泉のように生きることは出来そうもありません。
それほど、彼女は善人を通り越して聖人のように見えるほどですが、
彼女が得た幸福のように、景気が良くても、悪くても、健康でいても、病んでいても、
幸せになる事は出来るのだ。
この小説から学んだ事は、僕にも幸福感をもたらしたように思います。
幸せは、自分の中にありました。
Posted by ブクログ
読んでみて、いや、読み始めてすぐに
「これは好きな感じ」と夢中になりました
泉(セン)ちゃんの小さな頃の不遇には
いたたまれない思いをしたりしながらも
その考え方、受け止め方に、心が震えました
そして、ずっと心を震わせ、静かに読み終えました
がっかりすることは、正直に生きている者には
必ずあるから、そのときは、気配を消せばいい
泉(セン)ちゃんの周りにいた人たちの
告白を元に作られた小説ですが
周りの人たちの、傲慢さも優しさもみんなみんな
一生懸命に生きているからだと思える
ただ、どうしても泉(セン)ちゃんがいじらしくて
仕方がない気持ちを捨てきれないわたしは傲慢だ
だって、泉(セン)ちゃんは、とても幸せなんだから
いまは、何をしているのだろう
どこかで静かに笑っている筈だと信じている
すごく思い入れてしまう小説に出会ってしまいました
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小説・文芸
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