谷崎由依のレビュー一覧
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文庫本で320ページです、1200ページくらい必要ではと思うほど詰まっています。絵子の脚本も1本きりではなく、南総里見八犬伝みたいな好きな小説を元にしたものを書けたに違いありません。朝子もまい子ももっとやりたいことができたに違いありません。つらい話ばかりではなく、笑える話も出てきたでしょう。
女性が主な登場人物ですが、男性の登場人物では桜井興産社長の桜井三郎とえびす屋支配人の鍋川新吉が目立っていました。桜井はわかりやすいクズ野郎で鍋川は一言でいうと変態でこの2人のエピソードももっと読みたかったです。
なぜ戦争が起こってしまうのかわからないですが、どの国民も考えの違いがあるとはいえこころの何処かで早く終われと思っていたのがよくわかりました。 -
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19世紀アメリカ。現実にあった〈地下鉄道〉という黒人奴隷解放支援組織を実際の鉄道に置き換えてジョージアの奴隷少女コーラの逃亡劇を描いたフィクション。ファンタジーのような設定だがそんな甘い話ではない。逃げるコーラを追いかける奴隷狩人リッジウェイ。コーラと共に逃げる仲間は捕まり、彼女を助けた白人も殺され、コーラも捕まり、しかしまた地下鉄道に乗って逃げる。希望を感じさせるラストだが当時の黒人に真の希望はあったのか。どこまで行けば逃げ切れるのか?トンネルの中を逃げるように、漠然と北部に逃げるしかないのだ。しかしそれでも時代から逃げないと本当の安心はできないのだ。ユダヤ人にとってのホロコーストと同じではないか。
黒人を奴隷化した暗黒の時代を真摯に受け止めながらもその過去を消してしまいたいという作者の想いが伝わってくる。子供の頃に、アレックスヘイリーの「ルーツ」で受けた衝撃を思い出す -
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ゴールのないマラソンの話。
19世紀のアメリカで黒人奴隷の亡命を手助けした組織『地下鉄道』が、組織名や逃亡路ではなく実際に"地下鉄道"だったら、という虚構を一つ入れるだけで広がる世界と現実感。
黒人奴隷を題材にしてるので当たり前に残酷な事が再三起こるけど、エンターテイメント性もありさらりとした文章で、翻訳本としての読みにくさも感じなかった。
「真実とは目抜き通りのショーウインドウのようなものだ。
目を逸した隙に並べ替えられ、うっとりと魅力的だが手は届かない。」
「自身を束縛する手足の鎖に不完全な部分を見つけ出すのだ。ひとつひとつを見ていけば鎖の各部はちいさなものだ。
でも周囲の者と繋がると、各部の弱さにもかかわらず全体としての鉄の輪は強く、数百の人間を服従させる。」
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大傑作。
南部奴隷を逃す組織を「地下鉄道」と呼んだそうだが、それが本当に地下を走る機関車だったら?というアイデアを挿入、あとはかなり史実に忠実に描かれた、少女の逃亡譚。
『風と共に去りぬ』が正当な注釈がつくまで配信停止となったとき、ファンの私は「いやー、オハラ農園に仕えたマミーをはじめとする人々のように、奴隷だって(比較的)幸せな人生もあったのでは?」とか思ったけど、奴隷制をまるで理解してなかった。奴隷が何かをわかってなかった。ひとが何もかも奪われて生きる地獄を。
それでもこうして、どんな残酷な罰が待とうと、自由と尊厳を求める勇気を大勢が奮い、死んでいったことを知ろうとしていなかった。
教えてくれてありがとう。
そして物語としても、感情を排した語り口、美しい描写、テンポよき進行、実によくできちょる。 -
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芥川賞や直木賞なんて世界の文学賞のうちに入るのだろうか?日本の作家が書いた日本語の小説しか対象になっていないのに。なんてことを思ったけれども、読んでみました。今年も話題になっているのは、もちろんノーベル文学賞。村上春樹さんがとるかどうか、メディアで騒がれました。この本を読むとわかるのですが、その根拠になっているのがカフカ賞。この賞をとった人が二人、ノーベル文学賞をダブル受賞しているんだそうで、まだ受賞してないのが村上春樹なんだそうです。カフカ賞はチェコ語の翻訳が一冊は出ていないと受賞できないそうで、村上春樹がとった2006年は『海辺のカフカ』が翻訳された年。タイトルがよかった?
そのノーベル文学賞。世界的に開かれているような気しますが、実はヨーロッパの主要言語しか読めない人が選考委員なので、そうした言語で書くか翻訳版が優秀であること、北欧諸国出身だとさらに有利、とのこと。タイトル関連でいうなら『ノルウェイの森』に分がありそうなものだが、どうなっているんでしょう。それはさておき、8大文学賞として取り上げているのは次の賞です(開始年)。ちなみに、受賞対象が作品になっているのが、*のついている賞で、何もついていないのが、作家に与えられる賞です。<>内が本書で取り上げている作家名。
ノーベル文学賞(1901年)<アリス・マンロー、オルハン・パムク、V.S.ナイポール>
ゴンクール賞(1903年)*<マルグリット・デュラス、ミシェル・ウェルベック、パトリック・モディアノ>
ピュリツアー賞(1918年)<ジュンパ・ラヒリ、スティーヴン・ミルハウザー、E・P・ジョーンズ>
芥川賞(1935年)*<黒田夏子、小野正嗣、目取真俊>
直木賞(1935年)*<東山彰良、船戸与一、車谷長吉>
エルサレム賞(1963年)<J・M・クッツェー、イアン・マキューアン、イスマイル・カダレ>
ブッカー賞(1968年)*<ジョン・バンヴィル、マーガレット・アトウッド、ヒラリー・マンテル>
カフカ賞(2001年)<フィリップ・ロス、閻連科、エドュアルド・メンドサ>
この本は、都甲幸治さんを中心に、「小説家や書評家、翻訳家など本にまつわる様々な職業の人々に、一つの賞につき一冊ずつ、合計二四冊読んでもらい、全てを読んだ上、鼎談の形で論じてみたもの」。談話形式なので、口調がくだけていてとても読みやすい。鼎談の間には、都甲さんと、僕が翻訳本を選ぶ時の目安にしている翻訳家のひとりの藤井光さんのコラムもある。外国文学って、よく分からないけど、どんな本があるのだろうと考えている人には役に立ちそう。
で、はなから外国文学好きの人たちには、もっと面白いんじゃないかな。というのも、それぞれの賞の特徴についてふれたあと、その賞の受賞者たちの小説について三人が語るんだけれど、選ばれている作家の顔ぶれが、いいんです。今までにたくさんの人が受賞しているはずだけれど、この人たちを選んでくるあたりがすごいな。本当に本のことがよく分かっていて好きなんだなあ、と思います。
それぞれの賞につけたタイトルが、その賞の特徴を表していると思うので、下手に解説するより、それを紹介します(日本の賞は省略)。「これを獲ったら世界一?」(ノーベル賞)、「当たり作品の宝庫」(ブッカー賞)、「写真のように本を読む」(ゴンクール賞)、「アメリカとは何かを考える」(ピュリツアー賞)、「チェコの地元賞から世界の賞へ」(カフカ賞)、「理解するということについて」(エルサレム賞)。
今年ノーベル文学賞の受賞者に選ばれたボブ・ディランから音沙汰がないので、財団はさぞ気を揉んでいることだろうと思います。それもこれも、この賞の選考基準としていちばん全面に押し出しているのが「人類にとっての理想を目指す、世界でも傑出した文学者」というものだからです。「最近の受賞者の傾向を考えると、どうやらこの「人類にとっての理想」というのは、「人権擁護」や「国内で迫害されている人を描く」という意味」らしい。で、ボブ・ディランなわけです。そんなノーベル文学賞ですが、都甲さんがこう言っています。
今回紹介する三人はある意味「間違って獲っちゃった」人たちです(笑)。マンローはカナダのド田舎に住んでる普通のおばさんだし、パムクは『無垢の博物館』(早川書房、全二巻)のように変態的な話を面白く書く人だし、ナイポールはそもそもどの国の作家だと言いきれない。ノーベル文学賞を獲った立派な国民文学作家について国別対抗で語り合うんじゃなくて、「ノーベル文学賞獲ったにも関わらず、別の理由でいい作家です」という人たちを紹介したいです。
すべてにおいてこの調子。マンローもパムクもナイポールも、けっこう読んでいるので、都甲さんの言いたいことはよく分かる。特にマンローはすごい。「短篇一本を読んだだけで、長篇を一冊読み切ったくらいの気持ちにさせてくれる」(都甲)という評がすべてを語ってくれています。本当にその通り。パムクについて訳者の宮下遼さんがいう「それだけで短篇、中篇になりそうな話を、一つの長篇のなかに惜しげもなくいくつも投入していく気前のよさが、僕は好きです。こんなに西欧風な人間のくせに、そこだけトルコ的な御大気質を感じてしまって。ディテールの作り込まれた奇想こそが、物語の要諦だと思います」というのもまさにその通り。
この調子で紹介していると引用だらけになりそうなので、このへんでやめますが、ブッカー賞のところで、ジョン・バンヴィルの文章についていい話があります。毎日九時から一八時までオフィスで執筆に専念し、一日英語で二百語書けたらその日は成功だというのです。「バンヴィルはベンジャミン・ブラックという別名でミステリーも書いていますが、その時はパソコンを使って書くそうです。そのときは筆が速いらしい。バンヴィル名義は手書きで、極端に遅くなる」(都甲)。このこだわりがあの美しい文章を生むのですね。ブラック名義でチャンドラーの名作の続編を書いた『黒い瞳のブロンド』。チャンドラーには及びもつかないけど、ミステリとしてはけっこういけますよ。 -
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生理に始まり、子宮の病気、妊娠、流産、早産、出産…といった女性性そのものを描いているので、立場によっては難しかったりわけがわからなかったりするかもしれない。しかし、そのいくつかを経験している自分としては、月の満ち欠けのごとく、寄せては返す海の満ち引きのごとく、一定のリズム感で読み進むことができた。出産とは神々しくもありドロリとした悪露のようでもあり、母になるとは晴れやかでもあり、不穏でもあり。いつの世も普遍的な女という性を、はるかいにしえの描写だけでなく、筆者の故郷の福井にも残る産屋の風習や、曽祖母の様相、実家の間取りなど、筆者にとっては身近で土着的なあれこれも登場させながら描いているのが興味深かった。
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ネタバレ出産までの過酷な100日が実体験とそこに舞い込む幻想とで交互に文が進んでいく。途中でそれが重なり合う。だからこそ読みにくさは正直相当あった。幻想の部分はよくわからないところも多かったが、簡単に言えば悪夢を見ているようなそんな感じだった。総じて不気味さとそれが故の出産の過酷さを感じる作品だった。
以下、抜粋文
疲弊してもう死ぬかもと、大袈裟でなく感じているのに、わたしを困らせるその生命体と一緒にいることによってのみ、わたしのいのちは潤うことができるのだった。
逃げることも帰ることもせず、ただそこに突っ立っていた。あらゆる意味でそのとき、世界の外にいた。世界にはまったく、何ひとつも、意味というものがなかった。意味を感じる機能が、長年をかけて身につけて、けっして脱ぐことのない肌着のような、そうした社会性が、入院と、出産とによって、わたしから剝ぎ取られていた。 わたしは、産まれなおしたのだった。
きっと時間が早すぎたのだ。そうしたことを、データとして、記憶から引き出すことはできた。でも、知らなかった。まったく馴染みのない景色だった。三ヵ月。たった三ヵ月だ。けれども苦行のような日々は、へいぜいであるなら日常と思われている景色から、意味を剝落させてしまうに充分な期間だった