谷川俊太郎のレビュー一覧
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谷川俊太郎の詩作のすべてから新たに編んだ21世紀初のアンソロジー。編集は東北大学で教鞭を取る、中国の詩人、田原(Tian Yuan)。私は長男に俊太郎と名前をつけようとしたぐらい、昔から私淑し、よく読んでいる方だと思います。第1巻のカラー付録には、初版装幀選があり、何冊かは私の手許にもありますが、中には見たことないものも...また第2巻の解説を書いておられる高橋源一郎さんにいたっては、過去にも現在にもたくさんの詩人がいて、
たくさんの詩が存在しているが、谷川俊太郎は、たくさんの詩人のひとりではなくて、たったひとりの詩人であると
今年からはじめた、大学での読み方と書き方の授業通して、生徒の目で言い切っています。 -
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何気なく目に映りゆく存在でも、この詩人というものによって、生まれ変わるような気がする。
書きたくて書いたり、何かが伝えたくて書くのではなく、そんな風にみえてしまったから、書かずにはいられない、彼の生み出す詩はそういうものだ。ことば以前の世界へ、ことばで挑む。哲学者なら戻って来れなくなってしまうような、そんな場所。
リルケはそんな場所から胸をうって叫ぶ。中原中也はただ泣いた。ランボーは飛び込んでいったきり戻ってこない。ボードレールはおぞましい淫靡なその世界へ唾を吐きかけた。宮沢賢治はその世界の明滅に身体を投げ出しひれ伏した。
では、この谷川俊太郎は?自身は一輪の野花だと言っている。咲く場所を問わずに咲き、ただその命を散らす。一輪の野花にも宇宙が宿っている。
まるで風のようだと感じた。風が吹き続けることはない。風は生まれどこかへ消えていく。同じ風は決してなく、でも世界の至る所でそれは吹いている。その風の中には無限の交響楽がある。
そんな世界に浸るとき、まるで死を望んでいるような虚無がぽっかりと空いているがように思えるが、そんな投げやりなものでは決してない。彼の詩が挑んでいるのは、そんな死の虚無を虚無たらしめているそういう深い深い闇だから。そんなところへ辿りついてしまうと、もう力なく笑っているよりほかないのかもしれない。
しりあがり寿さんのイラストの彼からは、そんな彼の姿が浮かんでくる。 -
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ちょうちょとちょうちょはせんそうしない
きんぎょときんぎょもせんそうしない
こどもとこどももせんそうしない
けんかはするけどせんそうしない
男の子と女の子が海へかけていく、そんな場面場面が谷川さんの詩とマッチしていく…
日常の中にある大きなテーマ。
せんそうが身近に、自分と関係あるものに感じられる。
それでいて説教のようではない。
当たり前のことがただ淡々と語られているから、すーっと自分の中に入ってきて、自分の問題になる。
水彩の絵が淡く、優しく、きれい。
こんな世界が当たり前でなくなるのか。
守りたい、と思った。
子供にも大人にもわかりやすく、
それぞれがせんそうについて思いを馳せられるような絵本だと思う。
8月、終戦記念日などに思い出して毎年読んで考えてみたい絵本。 -
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2010年6月24日 NHK BS-hiにて放送された「100年インタビュー/詩人・谷川俊太郎」をもとに単行本化されたもの。聞き手は石澤典夫アナウンサー。
とにかく、読んでいて心地いい。谷川さんは心の奥深くを自由にしてくれる。癒された、とも違う、開放感。自由とはこういうことなのかな。
谷川さんのざっくばらんな語り口や自分に素直で正直な受け答えがどの質疑応答にも表れているからかな。本当に気持ちがいい。時に触れて、谷川さんの本を読みたいと改めて思った。
美しく、快くありたいという言葉も心に残った。
言葉を信用していないという谷川さんの考えが少し理解できた気がした。言葉は不自由、言葉に頼りすぎると苦しくなる。この世は意味と無意味の世界が補充し合ってる。ノンセンスや音楽が人間の体に直接訴える力。「わかる」とは「わける」ということ。そうなると矛盾やわからないことがこの世にはたくさんあるのに、怖くなったり無意味はダメみたいになっちゃう…泉谷さんの「普通がいいという病」で扱われた頭の役割のような部分と共通するものを感じてドキドキ。(まだまとまらないけれど、たくさんの気付き)
詩を書く時「自分が他の人と結びつきたい、つまり社会の中で何かしらの役割を持ちたい」という気持ちが強かった。だから「面白いもの、美しいものを書かなきゃ」というふうに思っていたとのこと。いいなぁ、そうありたいなぁと思った。
詩人としてのこれまで、生い立ち、詩の作り方、有名人やスタジオの聴衆との楽しい質疑応答、音楽と詩のコラボ、言葉や人間という大きなテーマについて…様々な話題を扱っていながらも、気負わないインタビュースタイルが楽しく読みやすく、さーっと読めてしまう。(けれど、とりこぼしたくないようなことが散りばめられていて、大切に読みたい一冊)また読みたい。
朗読した詩で心に残った詩
「生きる」…改めていい。生きたくなる。毎回魅かれる部分が違うが、やはり最後がいい。
「自己紹介」(70歳バージョン)…いつか私にも、こんな風に自分をさらけ出して気取らずに書ける日が来るのだろうか。自分を客観的にみる滑稽さ。悲しみより愛着がわく。韻を踏んでいて楽しく読んでしまう。
「昨日のしみ」…希望は自分でさがすだけ、の繰り返しにあぁとため息が漏れました。いい詩。
「さようなら」…この詩を自分が死ぬまでに本当に理解していたい。体と頭と心を考えるヒントになった。言葉なきものたちの仲間になろう、と死を抱きしめられるようになりたい。 -
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ホスピス「野の花診療所」で人の死と向き合う医師の徳永進さんと、詩人の谷川俊太郎さんとの往復書簡。
悲壮な本、ではありません。
終末は時にユーモラスに、時に哲学的に語られる。
死は穢れでもなく、特別なものではない、と思われてくる。
たとえば、宇宙は遠い空の上の上、成層圏の彼方、そんなふうに思いがちだけれど、今、自分のいる地球は実は宇宙の中に浮かんでいるでしょう?
遠いと思っている所、実はそこは自分のいる場所でもある、そんな意味のお話でした。
徳永さんの文章は何だか面白く、谷川さんの文章は美しい。
内容は、「文庫版によせて」にあった、『軽みにひそむ重み、(あるいは重みにひそむ軽み)』が感じられる。
何度も読み返したい本。