谷川俊太郎のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
NHKBSプレミアム「100年インタビュー」の単行本化。
聞き手(石澤典夫アナウンサー)の上手さもあって、谷川俊太郎は、60年以上にわたる長い詩人としての過去を振り返りながら、率直に詩を巡る様々な思いを語っている。
「自分を空っぽにしていると、思いがけない言葉が入ってくる」という。意識に縛られないでいると、意識下にあるものに触れて詩が生まれる。知らない自分、自分ではない誰かが詩を生み出すとも言える。中原中也の詩群は「名辞以前」という場所から誕生したことが想起される。
人類が誕生し、言語が生まれ、やがて意味が生じたという過程を踏まえて、「宇宙っていうのは基本的に無意味なものだって僕は考えていて、それに人間が言語によって意味の衣を着せている」とも。言葉は、事物を<分ける>ことから発達し、過剰とも言える<意味>をまとってきたが、知らないうちに<無意味>を忘れてきたのかも知れない。
青い空の向こうの忘れ物・・・
社会的存在であるために意味という病に冒されつつあることに気付かされる。だから、谷川は、意味に囚われることなく、無意味(ナンセンス)と戯れる。「自分が<社会内存在>であると同時に<宇宙内存在>であるという二重性を生きている」という哲学的とさえ感じられる存在論に触れて、彼の詩を思い出した。
そして私はいつか
どこから来て
不意にこの芝生の上に立っていた
なすべきことはすべて
私の細胞が記憶していた
だから私は人間の形をし
幸せについて語りさえしたのだ
「芝生」
(『夜中に台所でぼくはきみに話しかけたかった』)
詩に何ができるのかという質問に、<詩情(ポエジー)>を持ち出し、「非常に過酷な現実に対しての詩情の力っていうものが、非常に微少な力だけれども、暴力、財力、権力という巨大な力に対抗する、ひとつの<よすが>になると考えているんですけどね」と答えている。この言葉は、現在を生きている詩人の証明のように思われる。そして、夏目漱石の『私の個人主義』という講演を思い出す。今から100年前に生きていた漱石は、学習院の若者に向かって、財力や権力に対抗するためには「自己本位」「個人主義」をもってせよと熱く語りかけていたのだった。
ここまで考えてきて、またひとつフェルナンド・ペソアの言葉も想い出してしまう。
「文学は、他の芸術と同様、人生がそれだけでは十分でないことの告白である」 『不穏の書、断章』 -
Posted by ブクログ
テーマを決めて二人で詩を読みあう。
一夜限りの楽しげな遊びである。
谷川俊太郎さんは詩人である。
言葉が何も見ていない所がすごい。
彼の言葉は、きっと記憶すら届かぬ深部から掬いとったもの。
内藤里永子さんは詩を詠む人である。
その言葉はしっかり「生」を直視している。
ぴったりとくっついた詩をはぎ取る様に詠まれた詩。
お互いが
お互いの透き通った体の向こうにある<遥か>を見据えている。
100年後、きっとこの場に彼らはいない彼らを見捨てて、終わりから放たれた詩は自由奔放に飛び回る。
しかし実は…
>潜んでいる言葉を紙の上に引っ張り出したい!
>ぼんやりとした影でしかない言葉を現像したい!
>光速で飛び回る言葉にタックルしたい!
詩人でさえも、容易に捕まらないのが言葉なんだなぁ~