青木薫のレビュー一覧
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青木薫さん翻訳による先端数学に関するサイエンス・ノンフィクション。青木さんは、ワイルズによるフェルマーの最終定理の証明を描いたサイモン・シン『フェルマーの最終定理』、ペレルマンによるポアンカレ予想の証明を描いたマーシャ・ガッセン『完全なる証明』といった最先端の数学者の物語を描いたサイエンス・ノンフィクションの名著を訳してきた。今回も期待大である。
今回の主人公はエドワード・フレンケル、著者でもある。といってもほんとんどの人はその人が誰だか知らないだろう。自分も知らなかった。フレンケル氏は、十分すぎる数学能力がありながら、ペレストロイカ前のソ連においてユダヤ人であるがゆえにモスクワ大学の入学を許されなかった。しかしながら、その理不尽な事態にもあきらめずに数学の世界に踏みとどまり、自ら動いて道を切り開き、周りの人の目に止まることで、その能力を伸ばすことができた。ついに大学卒業時には、それまでの仕事に目を付けたハーバード大学から客員教授として招かれることになった。
ここまでの経緯を読んで、その道において本当に頭角を現すことができる人というのは、自身が持つ能力に対してものすごく心血を注いでいるし、注ぐことに躊躇がないし、また導きの師を見つける能力とその発揮において秀でているものだと感じ入った。そして、それでいても常に自分のやっていることが無為に終わることの恐怖も感じていることもわかる。特に先端数学という分野ではそうだと思う。
著者の来歴をひとつの軸として、もうひとつの本書の軸が著者も深く関わる「ラングランズ・プログラム」と呼ばれる、数学の調和解析と数論分野の統合である。さらにはそのプロジェクトは量子力学や量子宇宙論と数学理論の統合まで含まれていくこととなる。その内容は、同じ数学関連の書籍でも、先の『フェルマーの最終定理』や『完全なる証明』と比べて万人に向けて面白いというものではない。ただ、このテーマが青木さんの興味のツボにがっつり嵌っているのはわかる。
ガロア群、ブレイド群、多様体、層、圏、ブレーン、リーマン面、はもちろんのこと、カッツ-ムーディ代数、ヒッチン・モジュライ空間、ミラー対称性、保型層、などもはや呪文のような言葉が容赦なく出てくる。著者自身も書いておきながら、「これらすべての名前を覚えようとするだけでも、頭が痛くなってくるかもしれない。しかし信じてほしいが、ここで話した構成法を隅々まで理解している人は、専門家の中にさえ、まずめったにいないのだ」と言う。これを受けてか、青木さんが解説で「たとえ数学者のように理解することはできなくても、数学の魅力はきっと感じ取ってもらえる。そう、彼は確信しているのである」と言う。そうなら先に言ってくれればそういうふうに読むのに。
原題は”Love and Math - The Heart of Hidden Reality” - 愛と数学。著者がなんと「愛の数式」という映画を撮ったというと何なんだそれは、と思うのだけれども、少なくとも数学への偏愛は感じられる。副題にあるように、それをHidden Realityと著者が呼ぶのは、数学の奥深さを端的に示している。それは、著者にとっては、「Love」としか表現できないことなのかもしれない。
「志村-谷村-ヴェイユ予想」の谷山氏や志村氏、脇本氏また広中平祐氏など日本人数学者もちょくちょく出てきて、少しうれしい。出てくる数学理論の中身を理解することはとても難しいを超えて不可能に近いレベルだが、素粒子理論、対称性の破れ、超ひも理論、などと何となくつながっているのだろうなという雰囲気はわかる。誰にでもおすすめというものではないかもしれないが、最新宇宙論にも興味があるという人なら十分に楽しめる。またそんなことよりも、著者の数学者としての人生物語を楽しむべき本なのかもしれない。
いずれにせよ、個人的には青木さん翻訳の本はもう迷いなく購入すべし、と心得ている。その翻訳の上手さ安定感もさることながら、確立された翻訳者としての評価から科学分野の著作の翻訳依頼は、まずは青木さんに持ち込まれ、その中から彼女が面白いと思うものを選ぶような立場になっているのではないのかと想像している。もちろん、青木さんの選択眼も信頼しているので、もうこれは買うしかない。もう、I can't miss it.という感じ。次も期待して待つ。 -
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現代において「地球は宇宙の中心に存在する」と言おうものなら変な宗教でもやってんのかと心配されるが、宇宙の中心でないことを証明できる人は、一体どれだけいるだろうか。
夜空に浮かぶ星に辿り着こうとするなら「光の速さで何年もかかる」ということに疑いを持つ人は少ないが、それを証明できないなら、それは星が遠くにあることを「知っている」でも「わかっている」でもなく、ただそう「信じている」だけだ。
アンドロメダが星雲でなく、90万光年よりも遠くに存在する別の銀河であることが「わかる」までに、どれだけの研鑽が必要だったのか。天文学の軌跡は科学のそれと同じく、予測と観測の共進化であった。
人類は『光る点の動きを追い続ける』ことしか出来ない単純な観測方法を複雑に積み重ね、コペルニクスの地動説はケプラーの方程式とティコの膨大な観測データにより天動説を打ち破り、アインシュタインの相対性理論はエディントンの観測隊によりニュートンの重力理論を飛び越え、膨張宇宙論はハッブルの観測によりアインシュタインの静的宇宙観を破り、ついに星々は距離に比例する速度で遠ざかっていることまで証明された。
こうして星の全てが遠ざかっていることがわかったとき、一つの疑問に辿り着く。『全てが遠ざかり始める前の一地点では、一体何が起こったのか?』宇宙創世の真実への道のりは、下巻に続く。 -
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ネタバレサイモンシンの「宇宙創成」と話が重複する部分があるが、本書で紹介している人間原理は非常に興味深い。
宗教的価値観におちいることを恐れるあまり、偶然の排除と客観性に必要以上に囚われた科学的考え方に対する問題提起。
「この宇宙がこのようにできているのは、そうできたからだ」という、まるで聖書のような文に納得させられる。
我々人間がこの宇宙に存在してこうして宇宙を観測するためには、宇宙の物理法則や定数はこうなる以外になかった、そうでなければ我々は存在し得ないという観点。
”神”はいくつも宇宙を作り、それぞれにでたらめな初期値(=物理法則、定数)を与えたかもしれないが、我々が生まれて観測できるのは「この宇宙」だけだから、この宇宙が人間に都合のいいようできているのは必然。 -
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前作に比べて、代替医療に対する批判色が強い作品ではあったが、いつもながら読者を引き込む作りである。主流医学が幾つもの臨床試験を重ね、科学的根拠に基づいて発展してきたのに比べて、巷の多くの代替医療は、謳っている効能のほとんどが科学的根拠も乏しく、プラシーボ効果以上の効力を持たないことが臨床試験から既に明らかにされている。また、主流医学では、ある一つの治療法が特定の疾病・疾患にターゲットを絞っているのに対し、代替医療では、あれもこれもみんな効きますという万能性を謳っているものが多く、これらも冷静に考えれば、そんな都合のいい話はないと思えるだろう。こういった科学的リテラシーを養うには最適な1冊であった。最後にシン氏が述べていることが印象的だったが、何故効かないと分かっていてもなおこういった代替医療が生き延びるのか?それは問診にほとんど時間をかけず患者の声に耳を傾けない「冷たい主流医学」になりがちな現代ではむしろ、じっくりと話を聞いてくれる代替医療セラピストにすがる患者が増えるのではないか、という意見に賛成である。
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代替医療って、何? タイトルはずばり「民間療法のトリック」とすべきだったと思うが。
鍼(はり)、ホメオパシー(毒を超希釈して服用)、カイロプラクティック、ハーブ(漢方薬以外)の効果の検証の話。一部の限定的な効果を除けば、プラセボ効果、自然治癒でしかないとの結論。プラセボで良くなるならそれでもいいのでは、という考えに対しては、適切な医療を受ける機会を逸することの危険性を指摘。医療行為が長期間の検証を経るのに対し、代替医療は自身の成功体験のみでOKなわけで、しかもそれを盲信するだけに始末が悪い。
翻訳者のあとがきにあるように、医療崩壊で医師は患者と十分に向き合えない。それに対して患者と十分に向き合う代替医療に患者が惹かれ、そこに強いプラセボ効果が表れるのは当然なのかもしれない。 -
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人間原理とはなにか。「宇宙がなぜこのような宇宙であるのかを理解するためには、われわれ人間が現に存在しているという事実を考慮に入れなければならない」という考え方のこと。作者は古代メソポタミアまでさかのぼり、人間原理とはなにか、なぜそんな考え方が生まれたのか、そしてその教訓は何であるのかをあきらかにしていく。
なぜ歴史をたどることが必要なのか? 宇宙論の歴史が、神が世界をどうつくったのか、そのなかで地球がどのような地位にあるのかという問いへの答えとして進化してきたからだ。たとえば本書では地動説を打ち出したコペルニクスが「人間を宇宙の中心から追い出した」犯人ではなく、「人間は特別な存在」だと思っていたことが明かされる。キリスト教的世界観では、天に近いほうがよい場所であり、中心=下の方は地獄であって、コペルニクスは地球をよりよい場所に位置づけたのだ、なんてことは本書を読んで初めて知ったことだ。
第2章から、天の全体像を人間はどう考えてきたのか、宇宙論がなぜ出てきたのかと話がすすんでいく。ニュートンの宇宙では、重力の作用により、宇宙がそのうちひとかたまりになってしまうこと。アインシュタインの宇宙で「宇宙が空間的に閉じている」なら「地の果て」が存在しなくなることになり、ひとつの回答を得たこと。ところがそうした静的な宇宙観を破るビッグバン・モデルが徐々に力を得ていったこと。そうした背景のもと、「人間原理」がなにを提起したのかが描かれる。
「宇宙がなぜこのような宇宙であるのか」という問いは、「各種の物理定数がなぜこのような値を取るのか」と言い換えることができる。しかし、「人間原理」はその問いに意味があるのかどうかを問題にする爆弾のようなものなのだ。
サイモン・シンの一連の著作などの翻訳で、すばらしい仕事をされている著者。自分で書いている本書も、訳文以上に読みやすく、一度で理解できて、さらに読者をぐいぐいと先に引っ張っていく力強さがある文章で書かれている。新書1冊で、これだけまとまりのある、内容のある宇宙論が読めるのは幸せなことだ。 -
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非常に分かりやすい!
分かりやすいんだけど、相変わらず「宇宙」というものは分からない。
人間原理というおよそ科学的ではないと思われていた考え方により、宇宙の起源・有様を考える。
なぜこのような宇宙なのか=たまたま人間が存在しているこの宇宙を、人間が観測しているから
言われてみれば、まぁそうかもしれないと納得。
つまり、宇宙はユニバースではなくマルチバースでありメガバースだった。
たくさんある宇宙の中の1つの宇宙たまたま我々人間が存在しているだけ。
現在では証明不可能のようだけど、いつの日か科学者が明らかにしてくれる日が来るだろう。
ロマンだ! -
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「~にとって美とは何か」と言えば、吉本隆明『言葉にとって美とは何か』を思い浮かべる。著者も真剣に「実験にとって美とは何か」を問う。それは、「深いこと」、「効率的であること」、「決定的であること」としている。『フィジックス・ワールド』の読者アンケートで選ばれた本書で挙げられた10の実験は多かれ少なかれこの条件を満たしていると著者は言う。
まあ、しのごの言わずに科学の進化に何らかの貢献をした有名な実験を背景含めて味わってみるのがよい読み方だろう(アンケートで選ばれただけあって、どの実験も多少は知っている実験だ)。美だけでなく、科学実験についての倫理について思いを馳せるのもよいだろう。
下記が10の実験を年代別に並べらたものである。
・世界を測る - エラトステネスによる地球の外周の長さの測定
・球を落とす - 斜塔の伝説
・アルファ実験 - ガリレオと斜面(加速度の発見)
・決定実験 - ニュートンによるプリズムを使った太陽光の分解
・地球の重さを量る - キャヴェンディッシュの切り詰められた実験(地球の重力の測定)
・光という波 - ヤングの明快なアナロジー(二重スリット実験)
・地球の自転を見る - フーコーの崇高な振り子(自転の可視化)
・電子を見る - ミリカンの油滴実験(電子の荷電量測定)
・わかりはじめることの美しさ - ラザフォードによる原子核の発見
・唯一の謎 - (ファインマンによる)一個の電子の量子干渉
翻訳は定評のある青木薫さんなので安心感がある。ちょっと冗漫だなと思っても原文もそうなんだろうな、とw。 -
購入済み
わかりやすい宇宙論
サイモン・シンの著作の翻訳などで知られる青木さんの宇宙論の本。
とにかくわかりやすい!
まさに入門編といった感じで、
古代から現在までの宇宙論の流れを教えてくれる!
あらためて20世紀から現在も進行中の、物理学のダイナミックな変化は面白い。 -
Posted by ブクログ
素人にも分かるものから取り上げられていて嬉しかった。役立つのが基準ではなくて、「美しい」のが基準。ちなみに一番目は紀元前3世紀、エラトステネスが地球の周径を計った実験。
紀元前三世紀であっても、数学の単純な定理(円周の比、錯角)が分かっていれば、地球という大きなものの周径すら知ることができる、という、美しさ!
夏至にシエネで太陽が真上に来ると、影は消失する(=影は地球の中心に向かってまっすぐ落ちる)。一方アレクサンドリアでも影は同じ方向に落ちるが(=太陽光線は平行であるため)、地球は丸いので影には角度ができる(角度が小さく、影が短ければ、地球の周径は大きい)。錯角が等しいことから、アレクサンドリアの影の角度は、アレクサンドリアとシエネを通り、地球の中心で交わる2本の半径の角度と等しい。同時間に日時計が作る角度と円周の比は、シエネとアレクサンドリアとの距離と地球の周径の比に等しいことから、地球の周径が求められる。
フーコーの振り子だって美しい。大きな大きな振り子、たったそれだけの装置で、地球の自転を証明してしまうんだもの。ため息が出る。 -
Posted by ブクログ
著者が国際的科学雑誌《フジックス・ワールド》誌上で行った「もっとも美しい科学実験」についての読者アンケート調査から生まれた一冊。「もっとも重要な科学実験」ではなく「もっとも美しい科学実験」であるところにとても興味が惹かれました。
「美しい科学実験」とは何か?
著者は本書の中で美しい実験がもつべき要素として以下の3つをあげています。
①【深い】事柄を明らかにし、我々の知識を塗り替えるようなかたちでそれを成し遂げること
②実験を構成する個々の要素が【効率的】に組み合わされていること
③一般化や推論をしなくても、結果がはっきりと示される【決定的】なものであること
これらの視点にもとづいて、本書で選定された10の科学実験一つ一つについて、その時代背景や実験そのものについてとても丁寧に掘り下げられた記述がなされています。
これらの一つ一つの実験についての記述だけでもとても興味深いのですが、本書の一番の特徴は科学的な視点と哲学的な視点の両方の視点が高い次元で融合している点ではないでしょうか。
本書の終章で著者は、プラトンの美に関する主張を引き合いに出しながら、以下のように述べています。少し長いですが、本書を表現するにふさわしいと思いますので、ここに引用させて頂きます。
「古代ギリシャの人々は、美しいものと芸術作品とあいだに特別な結びつきは認めず、美しいものとは、何であれ価値のあるもの、見るに値するもの、それ自体として存在する意味のあるもののことだった。
つまり、美を装飾や華麗さとに関係においてではなく、法則・制度・魂・行為といった模範的なものとの関係において捉えた。
その結果として、「真」と「美」と「善」とに密接な結びつきを認め、それらは互いに絡み合い、共通の根元において分かちがたく結びついていると考えた」
本書は決して読みやすい書とは言えません。文章はとても読みやすくエキサイティングなのですが、読むものに多少の事前知識を要求する書であるからです。
科学・哲学両面での基本的な知識が不足している私には、1回読んだだけでは、まだまだ消化できていないと感じています。
しかし、基礎的な知識を調べたり、学習しながらでも、今後2回・3回と読み返し自分なりに消化したい・・・そう感じさせてくれるテーマと内容を持った貴重な良書であると思います。