青木薫のレビュー一覧
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傑作『フェルマーの最終定理』の著者サイモン・シン氏による暗号解読に関するドキュメンタリー。
暗号発生の歴史から現代の暗号の状況まで数々のエピソードがちりばめられている。
上巻は暗号の歴史から第二次世界大戦中、最強の暗号作成機として名高かったドイツの『エニグマ』を解読した連合軍の苦労話が秀逸。
コンピューターの先駆けを作った英国のチューリング博士の話が興味深い。
下巻は、コンピューター時代の暗号の話。
今我々がコンピューターを使うとき、例えばメールを送ったり、ネットショッピングをしたりという時には、自然と暗号化がされているが、その暗号とはどういったものなのかが説明されている。
『フェルマーの最終定理』でもそうであったが、本書の文系読者にも非常にわかりやすく描かれている。
ここまで理系の本であるのに多くの読者をひきつけるのは、サイモン・シン氏が多くの人々の苦労の道筋を本として書いているからなのだろう。
非常に知的好奇心を満足させる本である。 -
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面白かった!物理の理論はほとんどさっぱりだったけれど、そこが分からなくても十分、刺激を受けられる。
ALS嘱託殺人があって以降、患者の方々の思いや現状をメディアが取り上げることが多くなった。それをきっかけに本書を読んでみた。ALS患者の1人でありながら当代随一の宇宙物理学者となったホーキング博士の生き方や考え方に何か考えるヒントがないかと思ったからだ。結果、ALSのことはあまり意識に登らずに読み切ってしまった。むしろ、人間の知的営みのすごさを知った。やっぱり、骨太な知性は前向きだ。未来にも、人生にも。ハラリさんやマルクスさんにも感じた理性、しなやかさ、そしてユーモアをホーキング博士の言葉にも感じる。
本当に学問をしている人は、ヘイトには走らない。彼らはトランプや緊縮財政、全体主義への危機感は共通して抱いているけれど、それは危機感であって憎悪ではない。相手と議論する気がないヘイトと違って、彼らは危機感の表明をすることで議論の準備が出来ていることを相手に示している。本を書いているから、売れているから、メディアへの露出が多いから。そんなのが知性のバロメータになるわけない。けれど、書店の売り上げランキングを見ると、そこを履き違えている人がたくさんいることを思い知らされる。
さて、モヤモヤはこれくらいにしといて、中身の感想。
①若者の科学離れって、日本だけの現象じゃないんだ!!ってびっくりした。文科省が大騒ぎしてるから、てっきり、日本だけが置いてけぼり食らってるのかと思ってた。イギリスも緊縮財政の影響で、基礎研究の予算がバサバサに削られて、そのせいで若者の科学への興味関心もダダ下がりしているらしい。なんてこった!ニュートンが草葉の陰で泣いてるぞ!!!「ムーンショット・プロジェクト」やらが文科省の肝煎りで始まるって朝日新聞に書いてあったけど、それ読んだときは「はぁ?」ってなった。でも、イギリスの現状とかホーキング博士の幼少期のこととかを知ると、案外、まともな策なのかもしれない。とりあえず、もう一回、萩尾望都の『スター・レッド』読みたくなった。
②ホーキング博士はAIのシンギュラリティは…有ります!派だった。そっかー。今まで無し派の本ばっかり読んでたので、刺激になった。人間がAIの電源切ろうとしたら、AIが雷落として電源ショートさせて切れなくする、っていう小話はなるほど、ありそうと思った。星新一みたい。けど、それ以上に、AIにも一種の人権を認めるべきではないのか、っていう議論が既に始まっていたことを知って、驚いた。『ヒトの言葉機械の言葉』を読んだ時に感じた危機感というか疑問が、既に現実のものとして議論の対象になっていた。でも、機械はいくらでもコピー可能だし、機械だから不老不死だし、根本的に人間とは違うから、「権利」と言ったって、何をどう認めるんだろうか??後でそれ関係の何かを読んでみたい。
③やっぱり、ブラックホールは面白い。小学生の時にNHKスペシャル(オデッセイの旅、だったっけな?)を見て、その解説本を読んでから、ずーっとブラックホール関連の話はちょこちょこ追っかけてきた。物理も数学もさっぱりなので理論的なことは分からないけれど、現象としての面白さに惹かれてきた。その分野を牽引されてきたホーキング博士の死が、今更ながらに痛ましい。もっと早く、読んでればよかった。もっと色んな話を聞きたかった。読みたかった。
宇宙は有限の過去から始まった。人間は有限の時間を過ごして去っていく。ホーキング博士もまた、人間として有限の時間を過ごした。けれど、その問いは無限の未来に向けて照射されている。肉体の制約を離れて人間が「生きる」可能性があるとすれば、それは「答え」を与えることよりは、答えがあるのかないのかわからないくらいの大きな「問い」を遺して逝くことにあるのかもしれない。
ともあれ、合掌。 -
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ネタバレ原書名「Trick or Treatment?」とは、なんとも秀逸なタイトルだ。サイモン・シン氏の過去の著書と今回の内容を比較すると、方向性が異なるため落胆する人も少なくないだろうが、本書では彼のジャーナリストらしい一面を見ることが出来て、大変興味深く楽しめる1冊である。青木薫氏の翻訳も相変わらず読みやすく、特に文庫版訳者あとがきは必読だ。本書刊行後、シン氏は英国カイロプラクティック協会から名誉毀損で訴えられている。本来罰すべきはシン氏ではないだろうと疑問に思うところだが、これにより本書も注目され、代替医療の有効性と危険性について、より多くの人々に知ってもらえる機会になったのではないだろうか。シン氏が次にどんな本を書かれるのか、青木氏の翻訳とともに非常に楽しみである。
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上巻の最後で鳥肌が立った。本書はまさに人類の夢と苦闘を描き出した大傑作である。中盤では、アルベルト・アインシュタイン氏が輝きを放ち、終盤はエドウィン・ハッブル氏が自身を開花させ、ビッグバンが仮説ではない証拠を見つけ出す。要所要所に計算式が出てくるが、親切に要訳してくれており、計算式のすべてを理解しなくても十分楽しめる。寝る前に宇宙の彼方を想像しては、ワクワクし過ぎて寝付けなかった。
以下、本書よりお気に入りの箇所を抜粋。
「『オッカムの剃刀』は、2つの競合する理論があるならば、よりシンプルなもののほうが正しい可能性が高いというものである」
「聖書は天国への行き方を教えるものであって、天の仕組みを教えるものではありません」ガリレオ
「理論の良し悪しを判定するとき、私はこう自問します。もしも私が神だったなら、世界をこんなふうに作るだろうかと」アインシュタイン -
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代替医療が本当に医療効果があり、費用と見合ったものなのかを、正しい臨床評価を基に検証したものです。正しい評価とは、「科学的根拠にもとづく医療」の事で、通常ランダム化臨床試験で得られた根拠の事です。
医療の歴史を紐解きながら、医療の素人でもわかりやすく理解できるよう努められており、そこからも筆者達の誠実な姿勢を感じます。また歴史の部分は読み物としても優れており、楽しませてくれました。
巷に溢れる代替医療のうち、その規模や浸透度の大きさから、下記の4つについて、多くのページが割かれています。
①鍼
②ホメオパシー
③カイロプラクティック
④ハーブ療法
結論から言うと、プラセボ効果以上のものは殆ど確認出来ないのが実情です。特にホメオパシーについては、治療ではなく信仰と言い換えたくなりました。
それでも人は効果のない代替医療に多額の費用をかけるのか、そこにも言及しています。
最初に訳者あとがき(文庫本版訳者あとがきではない)を読まれると、全体のサマリーになっている事が分かります。その後本文を読み始めてもいいかと思います。
医療に限らず、事実にもとづいて判断をしていく事の大切さと難しさを感じました。事実を事実として受け入れながら、批判精神を持ち続ける柔軟な態度を持ちたいと思いました。
作者はイギリスの医師と医療ジャーナリストによる共著で、最後までとても読みやすく非常に為になりました。 -
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『無限』について、どんな種類があるか。
その証明方法がエレガントです。
直感に反するので、騙されてるような気がするのですが・・・
◇整数と有理数では、どちらが数が多いか。
考えるまでもなく有理数だと思うのですが
何と、整数と有理数では"同じだけ"あるのですね。
工夫すれば、全ての有理数は、整数と一対一の対応付けができますので。
「整数の無限」と「有理数の無限」は、同じだけなのです。
これは、とっても不思議な感じがしますね。
◇無限+無限=無限
無限×無限=無限
ということですね。
結局、無限とは1種類なのか?
というと、そうではないです。
有理数より無理数の方が、数が多いです。
(当たり前のような気がしますが、証明できることがスゴイ)
◇さて、有理数より無理数の方がどれだけ多いか?
こんなことがわかってしまうのが驚きです。
無理数の数=2の∞乗なのですね。
10の∞乗と言っても同じことなのですが。。。
(有理数の数を"∞"で表してます)
指数演算を使えば、無限は次の階層に到達する
ということですね。
◇ここまでで、無限にも2種類あることがわかりました。
同様にして、もっと大きなサイズの無限は、どこまででも
無限に増やしていけます。
しかし、この2種類の無限の間に、中間サイズの無限があるのか?
「有理数の無限」と「無理数の無限」の間に、
中間サイズの無限は存在しない
というのが、"連続体仮説"というものですね。
◇本書は、その"連続体仮説"に挑んだ数学者達(といっても2名かな)
の物語です。
この難問に挑んだ数学者は皆(といっても2名)、精神を病んでしまうのですね。。。
◇結局、"連続体仮説"は今の数学体系の中では決定不可能、
正しいとも正しくないとも証明できないことが知られています。
こんなところで、不完全性定理と関連してくるとは -
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ネタバレ既に海外ノンフィクション部門のゴールデンコンビとなっているサイモン・シンと青木薫のタッグは宇宙論という分野にも確かな爪痕を残しました。
うまい早い安いが吉牛なら、うまい、わかりやすい、ためになるがこのコンビの特徴です。
サイモン・シンの展開する科学的な知見をスムーズに理解するには、読んでいてストレスを感じさせない日本語訳があってこそです。
その内容は、科学者や天文学者、さらには物理学者や数学者などを総動員した知の格闘による新たな発見のアウフヘーベン(ある解釈を否定して、さらに高みを目指す思考方法)の蓄積の歴史です。
そして天文学とは我々の存在理由をも決定するという科学的な哲学だということがよくわかります。
我々もよく知る偉人の名前と業績が手際よく紹介され、その後の新たな事実によって否定され、より真実に近づいていくプロセスは簡にして要を得る見事な筆さばきです。
現在では、本命とされるビッグバンモデルも、つい最近まで定常宇宙モデルと激しい主導権争いが繰り返されていたことやその論争の歴史の中で新たな発見があるたびに両者の客観的評価をまとめた表を都度掲載することで、難解な理論の変遷をわかりやすくしています。
「ビッグバンから1秒の内に超高温だった宇宙は膨張して劇的に冷え、温度は数兆度から数十億度まで下がった。その頃の宇宙は、主として陽子と中性子と電子からなり、すべては光の海に浸されていた。それから数分の内に、陽子は他の粒子と反応して、ヘリウムなどの軽い原子核を形成した。この最初の数分間で、宇宙に存在する水素とヘリウムの比率はほぼ決定され、その値は今日観測されるものとよく一致している。宇宙はその後も膨張して冷え続けた。このころの宇宙には、簡単な原子核とエネルギッシュに飛び回る電子と、膨大な光が存在しそれらが互いにぶつかり合って跳ね飛ばされていた。そして、およそ30万年が経過したとき、温度が十分に下がり電子の速度が落ちて原子核につかまり原子が形成された。この時以降光はほぼ何にも邪魔されずに宇宙をまっすぐ進めるようになった。こうして生じた自由な光こそ宇宙マイクロ波背景放射で、これは光によるビッグバンのこだまなのだ」(P298下巻)
さて、ここでビッグバンモデルと旧約聖書の出だしとの類似性に気づきます。
創世記曰く、初めに、神は天地を創造された。地は混とんであって、闇が深淵の面にあり、神の魂が水の面を動いていた。神は言われた、光あれ、こうして光があった。・・
聖書では神は7日間ですべてを創造したわけですが、ビッグバンモデルでは最初の1秒と数分で宇宙の原型ができたという大きな時間的な差異はありますが、秒や分という概念がない時代を考慮すればむしろ光が主役だという点に注目すべきでしょう。
もちろん、本書でも教会と科学との対立と受容の歴史にも触れています。
宇宙はどのように始まったのか?という真相に近づくにつれ、では我々が住む地球が生命体にとってかくも理想な形で成り立っているのはがなぜだろうという次の疑問が湧いてくるのは当然です。
そして、マーティン・ルースは6つの数値(重力、核力、宇宙密度、反重力、重力と静止エネルギー比、次元数)が宇宙の形を決定しており、6つの中の1つでも今と違った数値だったなら、宇宙の進化自体に深刻な影響がでていたという理由で人間中心原理に行きついたのも興味深い。(P316下巻)
最後に、訳者の青木薫は2006年に単行本のあとがきで、「本書は宇宙のことをよく知らない読者のために書かれた」と記し、内容は専門的だがわかりやすい点を強調していましたが、2008年の文庫本のあとがきでは「宇宙論についての最新の知見を紹介することよりも、科学的方法の喜びを味わってほしいために書かれた本」という言い直しをしていますが、まさに詰め込みの学校教育では味わえないアカデミックな知的興奮を味わえる1冊となっています。
やはり、宇宙には深遠な魅力、いや魔力があるようです。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ本書は、「いいと思う」「効くと思う」「効くはずだ」といった主観的な判断だけで価値があるとされてきた代替医療にメスを当てて、通常医療と同じ土俵に載せた評価を整理した資料である。
現在認められている通常医療は、もはや二重盲検という医者も患者も目隠しした上で行う臨床試験で効果を示した者のみが認められている。この臨床試験は、きびすぎるがゆえに高コストであることが問題になっているぐらいである。
一方、それ以外のいわゆるヘルスケア(日本では医療という訳語は不適と思うのでヘルスケアとした)は、自主的な試験は行なっているが、科学的な評価を経ることなく、効能がうたわれている実態がある。
そのため、およそほとんどの代替医療においては、通常医療と同じ次元で評価すると効果がない、という結論になってしまった。では、なぜ代替医療はなくならないのだろうか?
1つは、絶対的に正しいこと、というのは、あまり面白くない事による。マーケティングの世界でも、物事を理解する上で背景情報、いわゆるストーリーが大切と問われている。絶対的な正しさはストーリーの入る余地がない。科学的に効くということは、商品を売る世界では基本的に受け付けられないのである。
また、代替医療の存在には、歴史的文化的背景があることも忘れてはならない。もはや生活に溶け込んでしまっているものもある。これらを科学的に証明できないという言葉だけで駆逐しようとすれば、反発を招くだけであろう。
代替医療は、あくまで治療というよりも生き方、生き様を表すものともいえよう。消費者は自分で正しい、信じられる情報を集め、考えて生きていくことが求められているということだと思う。 -
Posted by ブクログ
サイモン・シンさん。
とにかく自分には絶対知りえることも触れることも考えることもなかったであろうテーマについて、本にしてくれて読ませてくれる。
それだけで、読めるだけで、機会を得るだけで、何か嬉しくなってます。笑
文中の、
「二千四百年間にわたり、患者たちは、医者は自分のためになることをしてくれているものと信じていた。そのうち二千三百年間は患者たちは間違っていた」。言い換えると、人間の歴史のほとんどにおいて、大半の医療はほぼすべての病気について、効果のある治療ができなかったということだ。実際、かつての医者の大半は、私たちの先祖の病気を治すのではなく、むしろ害をなしていたのである。
胸に残りました。