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科学の面白い所って、人間っていうものを重要視してない所なんだよね。人によってはそれが嫌だって言うのかもしれないけど、私からするとここが面白くて堪らないポイントだな。だって文系分野とか宗教って絶対人間がデーんってあってそれ以外は矮小化されてるじゃん。でも科学にとって人間は空気の粒子のひとつとかその辺に舞ってる埃とかと価値が等しいんだよね。そのものの見方が面白すぎてやめられない。そんなヤバイものの見方してるやつ居たら頭おかしすぎて友達になりたいもん。
青木薫
1956年、山形県生まれ。京都大学理学部卒業、同大学院博士課程修了。理学博士。専門は理論物理学。翻訳家。サイモン・シンの一連の著作『フェルマーの最終定理』『暗号解読』『宇宙創成』(以上、新潮社)をはじめ、ブライアン・グリーン『宇宙を織りなすもの』(草思社)、マーシャ・ガッセン『完全なる証明』(文藝春秋)、マンジット・クマール『量子革命』(新潮社)など、数学・物理学系の一般向けの書籍から専門書まで幅広く手がける。数学の普及への貢献により2007年度日本数学会出版賞受賞。本書は初の書き下ろしとなる。
宇宙はなぜこのような宇宙なのか 人間原理と宇宙論 (講談社現代新書)
by 青木薫
古代ギリシャの数学は、紀元前六世紀ごろに活躍したピュタゴラスに始まり、彼が設立した教団とその流れを汲む人たちが、ひとつ、またひとつと幾何学の定理を証明するうちに徐々に成果が蓄積されて、紀元前三世紀に、エウクレイデス(ユークリッド) の『原論』(ギリシャ語で「ストイケイア」、基本命題集というほどの意味) としてひとつの頂点に達した──というのが、長らく定説だった。今もたいていの本にはそう書いてあるので、きっとみなさんもそのように記憶しているだろう。
古代地中海世界で生まれた二つ目の宇宙像は、今度こそほぼまちがいなくピュタゴラスに発し、プラトンからアリストテレスへと引き継がれた、有限な「コスモス」像である。コスモスという言葉通り、それは秩序ある宇宙だった。 もともとピュタゴラスは、「大地は球形をしており、他の天体とともに、宇宙の中心火のまわりに円を描いて運動している」と考えていたと伝えられている。つまりは、一種の地動説である。
たとえば、若き日のマキャベリは、『ものの本性について』をまるまる一冊、自ら書写し、所有していたことが現代の研究により明らかになっているし、前章で登場した知識人モンテーニュは『随想録』の中で、ルクレティウスの文章を百ヵ所以上も字句通りに引用している。こうして、古代の原子論と無限宇宙の考え方はよみがえり、知識人のあいだにじりじりと支持を広げていった。
では、その物質世界を、神はどのようなものとして創造したのだろうか? ニュートンはその点に関して、『プリンキピア』を書き上げたころを境に考えを変えたようである。『プリンキピア』とは、正式名称を『自然哲学の数学的諸原理』といい、古典力学を確立し、ニュートンの重力理論(いわゆる万有引力の法則)を打ち出した、近代自然科学の歴史上おそらくはもっとも重要な著作である。
絶対空間と絶対時間にもとづくニュートンの古典力学体系は絶大な成功を収め、ニュートンの無限宇宙は、それから二百五十年にわたり科学的宇宙像であり続けた。しかしその宇宙は、神がたえず介入していなければ重力崩壊する宇宙だったのである。
ニュートンの無限宇宙に潜んでいたこの深刻な問題に立ち向かったのが、二十世紀が誇る知の巨人、アルベルト・アインシュタインである。 一九〇五年にアインシュタインはまず、ニュートンの絶対空間と絶対時間を解体し、新たに「時空」という概念をもたらすことになる特殊相対性理論を発表した。それからおよそ十年後の一九一六年、彼はその特殊相対性理論に重力を取り込んだ一般相対性理論を発表する──それはニュートンの重力理論を包含する、アインシュタイン版の重力理論だった。
だがリーマンの登場により、そんな状況が変わりはじめる。リーマンは、幾何学的な空間のいたるところで、空間が自由に伸び縮みできるような幾何学──リーマン幾何学(微分幾何学) ──を創始したのである。
宇宙が「誕生した」というからには、宇宙を誕生させた何者かが存在するにちがいなく、その何者かは「神」ということになりそうだった。そんなあからさまに宗教臭い説を、カトリックの司祭だというルメートルが唱えたとあって、ほとんどの物理学者は激しく反発した。アインシュタインもルメートルに面と向かって、「あなたの数学は正しいかもしれないが、あなたの物理学は忌まわしい」と言ったというから、相当なものである。じっさい、その当時は多くの物理学者が、宇宙には始まりがあるというその説を、キリスト教の逆襲だと受け止めたのだった。
アウグスティヌスはキリスト教の歴史上、もっとも尊敬される人物のひとりであり、その魂の遍歴をつづった著作『告白』は、今日なお世界中で読み継がれている。わたしがはじめてアウグスティヌスの『告白』を読んだのは、一九八〇年代の後半のことだった。彼の半生の回想に当たる前半部分(岩波文庫『告白』上巻) を読み終え、有名なアウグスティヌスの時間論が含まれる後半(下巻) に進んだとき、わたしは「えっ!」と驚いた。アウグスティヌスが、神の全知全能性にもとづいて論証する時間と空間の創造が、ビッグバン・モデルが描き出す宇宙誕生の考え方に酷似していたからである。
そこでわたしは当然のごとく、こう考えた。カトリックの司祭だったというルメートルの膨張宇宙説は、キリスト教神学に根ざしていたとみてまずまちがいないだろう。キリスト教文化圏である西欧でビッグバン理論がすんなり受け入れられたのは、そんな宗教的な土壌があったからなのだ、と。
しかし、その後知ったことだが、わたしのその考えは、偏見にもとづくありがちな思い込みだった。「ビッグバン理論はキリスト教思想から生まれたのだろう」というのも、「欧米にはキリスト教の土壌があるから、ビッグバン理論はすんなり受け入…
現実には、ルメートルは信仰と科学という二つの道を切り離しておくことに心を用い、なおかつその両方を生涯追求した希有な人物だったし、キリスト教神学との類似性は、ビッグバン理論にとって大きなハンデにはなっても、何の得にもならなかったのである。キリスト教文化圏の物理学者たちは、ビッグバン・モデルを歓迎するどころか、科学に宗教を持ち込むものだとして…
ボンディはその『宇宙論』の中で、まずはじめに「原理的な諸問題」をいくつか取り上げた。当然というべきか、そこには有名な「コペルニクスの原理」も含まれている。というよりむしろ、「コペルニクス」の名前と「原理」という言葉とを結びつけて、「コペルニクスの原理」という言葉を作ったのは、じつはボンディなのである。彼は、「論理に飛躍もあり、中途半端で不完全ではあるが」としながら、「コペルニクスの原理とでも呼ぶべきものがある」として、「地球は特別に恵まれた場所に位置しているわけではない」という考え方がそれだと説明した。
二十一世紀の今日から振り返ってみれば、二十世紀の後半は、たしかにボンディが説いた通り、ミクロなスケールの物理学と宇宙スケールの物理学との深いつながりが明らかになった時代だったといえる。そんな状況の象徴として物理学者がよく持ち出すのが、自分の尻尾に嚙みつくヘビ、ウロボロスのイメージだ(図3‐1)。
もうひとり、コインシデンスの問題に深く関心を寄せたのが、二十世紀の物理学に華麗な足跡を残した天才、ポール・ディラックである。
しかし、そんな人間中心主義的な考えは到底受け入れられない、とディラックは考えた。そして彼はその代わりに、宇宙の年齢が大きくなるにつれ(つまり、時間が経過するにつれ)、重力の強さが変化するのではないかと考えたのである。初期宇宙では重力が強く、その後だんだん弱まったのだとすれば、この関係はあらゆる時刻で成り立つ関係となり、われわれ人間の存在するこの時代を、何か特権的な時代と考えなくてもよくなるからだ。
ここには人間の自己中心主義に対するディラックの警戒心が見てとれ、それ自体として興味深い。ディラックは、そんな人間中心の考えを受け入れるよりは、物理定数はじつは定数ではなく、時間とともに変化するという、大胆な説を取るほうを選んだのである。
科学は、われわれ人間のありようとは関係なく、その外側に広がる宇宙を理解しようとしてきたのではなかったのか? カーターは、ボンディの言う完全宇宙原理の代わりに、何を受け入れなければならないと言っているのだろうか?
じつを言えば、宇宙の年齢に一定の制約があるということに気づいたのは、カーターが最初ではなかった。カーターの発表よりも十年ほど早い一九六一年に、ロバート・ディッケ(宇宙マイクロ波背景放射の検出で遅れをとり、ノーベル賞を逃したあのディッケ)が、そのことを指摘していたのである。
この世界を理解する方法のひとつとして、「目的」という考え方を体系的に打ち出したのは、やはりと言うべきか、万学の祖アリストテレスだった。 彼は、「ものごとは、なぜそうなっているのか?」という問いに対しては、原因を示して答えなければならないと考えた。ものごとは多面的なので、ひとつの原因だけで説明できてしまうということはなく、探究にはいくつものアプローチがあり、それに対応していくつもの原因があるというのは当然のことだろう。 しかし基本的な型は四つだ、とアリストテレスは考え、それらを「質料因」「形相因」「動力因」「目的因」と呼んだ。
物理学者は、この「起こりうることはかならず起こる、何度でも起こる」という考え方を、空気のように吸い込んで物理学者になっている。それはいわば物理の世界の暗黙の了解、一種の常識なのである。しかしそれは量子的な世界での常識なので、日常的な古典物理学にもとづく常識からすると、なぜそんなことが言えるのかと不思議に思われるかもしれない。これはけっこう重要なポイントなので、簡単に説明しておこう。
──「なぜ自分は今の今まで、 λ はゼロだと決め込んでいたのだろう」と。 たとえば、ポルチンスキーという著名なひも理論家は、「 λ がゼロでないという観測結果が出たら、自分は物理学をやめる」と言っていたそうだ。しかしそのポルチンスキーも目から鱗が落ちたらしく、前言を撤回し、今も活発な研究を行っている。
物理学者は学生のころから、数式をいじって出てきた結果を鵜吞みにせず、その物理的意味をしっかり考えるという態度を叩き込まれる。そんなわけで、数学的な理論から導き出されたものに対しては、物理学者はちょっと意外なほど慎重なところがある。 もちろん、理論から出てきたものに対して慎重なのは健全な態度というべきだろう。しかし、物理学の歴史を振り返ってみれば、物理学者よりも自然のほうが大胆だったということが、たびたび起こったのも事実なのである。物理学者が「単なる数学だ」と言ってしりぞけた奇想天外なアイディアを、自然がちゃっかり採用しているということが度重なったのだ。スティーヴン・ワインバーグは、そんな物理学者たちの過度の慎重さに警鐘を鳴らして、「物理学者は理論を信じすぎるのではない。信じ方が足りないのだ」と述べた。
しかし、本当にそうなのだろうか? 本当に科学は、白黒はっきりさせられるものなのだろうか? わたしはその考えに懐疑的である。というのも、科学においては、何かが絶対に白であることを保証してくれるような、疑うべからざる真理──宗教なら啓示に相当するようなもの──は存在しないからである。 どこまでいっても白黒確定せず、それぞれの結果はどの程度信用できるのか、どんな根拠に裏づけられているのかと、たえず足元を確認し続けなければならないのが科学なのだと思う。その意味で、科学はつねにグレーの階調の中にあると言えよう。むしろ、足元を確かめながら知識を更新していけることこそが、科学の本領であり、強みなのではないだろうか。 原子やクォークやブラックホールの実在性は、今ではほとんど白に近いといえる。それにくらべると多宇宙ヴィジョンは、はるかにグレーの色味が濃い。それでも多宇宙ヴィジョンはすでに、更新可能な科学的知識という領域の中に入り込んでいるように思われるのである。
つまるところ、人は誰しも、自分が生きる時代の文化と手を切ることはできない。科学者とて、それに関してはほかのどの分野の人たちともなんら変わるところはない。それどころか、もしも科学者が時代と完全に切り離されていたとしたら、まともな仕事はできないだろう。科学者はその時代その時代に、今、何が重要な問題なのだろうかと知恵を絞り、手持ちの道具を使って、目の前の問題に立ち向かうしかないのだから。
後世から見れば的外れだったり、トンデモだったりするような問題意識に駆り立てられていたとしても、それぞれの時代の深い問題に立ち向かうことで、科学者は知識の更新に貢献することができる。過去の巨人たちがどんな色眼鏡をかけていたとしても、続く世代の科学者たちはその肩の上に立ち上がり、新たな眼差しで少し遠くまで見ることができるのである──現代の科学者たちもまた、この時代に特有な色眼鏡をかけているにしても。