中野好夫のレビュー一覧
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7篇の短編集
それぞれの短編の最初の発表年代が1839年〜1845年。
ということは、今から約180年前の作品ってことかぁ〜。
人間のどうしょうもない心理って変わらないものだなぁと感じた。
訳の古さで難解なところが多く、ギブアップしようかと思いながらも、四苦八苦しながら読み進めると、話の先が気になって、読みきってしまった。
うろ覚えですが、、、
昔読んだ本に、本を読むと、その題名を聞くだけで、その本を読んだ者同士は、本一冊分の内容をお互いが理解し、説明を省いて会話ができるという、濃密な共通言語が得られる。とあった。(気がする)
史上初の推理小説「モルグ街の殺人」という共通言語を手に入れたのが嬉しい。
そして話したい「犯人、まじかー」と。 -
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ネタバレマーク・トウェインといえば、『トム・ソーヤーの冒険』などの少年文学の巨匠という印象しかなかったのですが、本作のようなパンチの効いた論評本も書かれていたんですね。
対話形式で書かれた作品で、とても読みやすく面白かったです。
内容は、「人間とは機械であると主張する老人」vs「人間の良心を信じる若者」の問答集となっています。
老人が、「人間、それは単なる機械である!なぜなら・・・。」と主張していき、若者が、「いやいや、そうはいうものの人間には良心や愛が・・・。」と反問していくカタチです。
作品からの例証や実体験をいくつか挙げたりして論じていく老人に、半ば若者はたじたじです(笑)
話題が「機械」から、「気質」や「鍛錬」や「善悪」やらと流れていきますが、老人がバッタバッタと「良心」や「道徳観」や「愛」を切り倒していく様はなかなか胸がすきます。
本書は、考え方を説いたフィロソフィー本なのか、はたまた事実を暴いたドキュメンタリー本なのか。
読まれる皆さんの感想が気になります・・・!
主題とは逸れるのですが、私は、第六章「本能と思考」が白眉だと思います。
「本能」の定義、「思考」のホントの意味、「自由意志」の有無について、物質的価値と精神的価値について、「わたし」はたくさんあるということ、人間と他の動物は平等であるということなどなど。
いまもって悩ましかったりする問題や、日本に遅れて入ってきている問題などがたくさんここにはあると思います。
トウェインが亡くなる4年前に出た作品(1906年)ということもあり、老人ロールはトウェイン自身でしょうか。
それにしても、20世紀の初頭ですでにこういった世界観を持っていたトウェインに脱帽しました。 -
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18世紀アイルランドの作家ジョナサン・スウィフト(1667-1745)による風刺小説、初版1726年。デフォー『ロビンソン・クルーソー』(1719年)の流れをくむ空想旅行記であり、今日のSF(空想科学小説)の源流のひとつであるといえる。異世界との邂逅を契機として、同時代英国の政治、社会、文化を批判し、ついには人間そのものに対する深い絶望が語られるにいたる。そこでスウィフトは、人間観の更新を試みようとしていたのではないかと思う。
第一篇 リリパット(小人国)渡航記
第二篇 ブロブディンナグ(大人国)渡航記
第三篇 ラピュタ、バルニバービ、グラブダブドリッブ、ラグナグおよび日本渡航記
第四篇 フウイヌム国渡航記
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人間は、自分が属する身体や文化共同体を介した経験を通して、世界に対して適切なスケールを用いて座標軸を設定しさらにそれに基づいて座標空間を構築していく。そして、その座標空間の内部にさまざまな事象を位置づけることによって、森羅万象に意味を付与していく。この点で、人間諸個人には否応なく自己中心主義の傾向が備わってしまうのであり、さらに類としての「人間」という観念が意識されるようになって以降は、そうした個人的な自己中心主義はより類的な人間中心主義へと拡大強化されてしまうだろう(尤も、この類としての「人間」という観念が、生物学上の種としての人類を全て平等に包含しているとは限らないが)。
本書には、人間界の代表たるガリヴァが、さまざまな異世界と接触するなかで、人間が自己を自己以外から区別し自己自身を世界の中に位置づける上で基本となる尺度(大/小)や二項対立(理性/獣性)を揺さぶられ、自分がその対比のどちらに属するのだったか、自分の本来の位置がどこであるのだったか、そうした分別を見失ってしまうという描写がいくつかある。そこでは異世界との邂逅をとおして人間中心主義が揺さぶられ相対化されているのであり、人間の無根拠で無自覚な傲りに対して反省を促しているように感じられた。
「大小は要するに比較の問題だと哲学者は言うが、まことにもってそのとおり。運命という奴は、あるいは何処かでリリパット人に、さらに彼らよりも小さい、ちょうど彼らが我輩に対してそうだったと同じような、小っぽけな人間を発見させるという、そんな悪戯をしないとも限らない。と同時に、この膨大な種族〔ブロブディンナグ人〕といえども、あるいはどこかわれわれのまだ知らない世界の果てで、同じようにてんで問題にもならないという超巨大の怪物に出くわさないとはだれが保証できよう。」(p104-105)
「そこでいよいよ我輩も、実は船を造るのはみんな我輩同様の動物だ、しかもわが国ばかりではない、現に我輩の旅行したどこの国でも、それを支配する唯一の理性的動物というのは常にわれわれなのである。この国へ来てみて非常に驚いたことは、フウイヌムがまるで理性的動物のごとく行動していることだった、それはちょうど貴方や貴方のお友達が、いわゆるヤフーと呼んでいられる人間に、理性らしいものを見つけて仰天しておられるのと同じことである。」(p310-311)
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人間は理性と野蛮(獣性)を二分し、自分たちは理性で以て自らの内なる野蛮を制圧しようと努めてきたという物語によって自己理解しがちであるが、実はそれは自己欺瞞であって、実際のところは理性と野蛮は密かに結託し、かつてはただ剥き出しの野蛮であっただけのものが、現代では、口数の多い理性のもっともらしいお喋りによって粉飾され、いかにも文明的に洗練された行儀作法に則って、しかしかつて以上に暴力的に、遂行されているのではないか。単純に野蛮であるだけのフウイヌム国のヤフーよりも、理性によって自らは野蛮から区別されると嘯きながらその裏では理性が野蛮を強化してしまっている文明国の人間のほうが、より深刻に悪辣だ。スウィフトの徹底した人間批判は、現代にも届いている。
「だがそれにしても、いやしくも理性的動物をもって任じているものに、かような恐るべき極悪の所業が可能だとすれば、理性の堕落は、あるいは獣性よりもかえって恐ろしいのではないかということを、彼は惧れたのだ。だからして彼は、われわれはむしろ理性の代わりに、なにか生来の悪を助長するような特質だけをもっているものに相違ない、〔略〕、と独り思いこんでしまったらしかった。」(p324)
「だがそれによると、其方どもは、どういう風の吹廻しか、偶然にも爪の垢ほどの理性を与えられた一種の動物であるらしい。ところが其方どもは、ただ生来の背徳を助長するばかりか、自然が与えてもいない、さらに新しい悪徳まで学ぶために、それをただ悪用するばかりである。せっかく自然の与えてくれたなけなしの能力は、これを捨てて顧みず、もとからの欠陥を、ますます増大することだけは天晴れな腕前だ、そして一生わざわざ骨を折っては、欠点を殖やす工夫発明を凝らしているようなものである。」(p341)
「我輩は、自分の家族、友人、同胞、あるいは人類一般といったものを反省してみると、どうもその形態からみても、性質からみても、まぎれもなくヤフーに相違ないように思えるのである。ただほんの少しばかり開けていて、言葉を話す能力を持っているとはいうものの、理性はかえって悪徳を助長、倍加することに悪用されるだけで、その点では、自然が与えただけの悪徳を、ただそのままでもっているこの国のヤフーどもの方が、まだましなくらいであった。」(p371) -
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ネタバレ下巻は知らない話が多い。知っていたのは「アリ・ババと40人の盗賊」だけ。巻末解説によれば、上巻の「シンドバッド」と下巻の「アリ・ババ」という有名な2つの物語は原本にはなかったそうだ。
「ヘビの妖精と2ひきの黒犬」
拝火教(マギ)の町。バグダッドの教主(カリフ)。
「シナの王女」
恋煩いの故に配下をボコボコに殴る王子と王女、王女の恋煩いを治せない占い師を100人以上も殺す王。最後は王子と王女が結婚し、ハッピーエンドということになっているが、今の感覚で読むと王族の身勝手さという印象が強い。
「魔法の馬」
ペルシア、ベンガル、カシミールの王族が絡む結婚の話。
「ものいう鳥」
ペルシアの皇帝と3人の子どもの話。
「アリ・ババと40人の盗賊」
ペルシアの話。アリ・ババとカシムの兄弟は、音の響き的にもアベルとカインっぽい。カシムがアリ・ババの話を聞いて妬んで自分も宝を取りに行きひどい目に遭うという展開は、おむすびころりんなどの日本の昔話にも通じる。カシムの四つ裂き死体を縫い付けたのはイスラムの土葬のため?盗賊の頭がアリ・ババを殺そうとしているため塩を食べないというのはどういうことかよく分からなかった。賢い女奴隷モルジアーナ。娘がの保育園の発表会でこの話の劇をやったのが懐かしい。
「漁師と魔物」
ソロモン王に封印された魔物の話。 -
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チェコの作家、カレルチャペック氏の中編小説集。
カレルチャペックは装丁が可愛くて、大学生の頃気に入っていてちょこっと読んでいました。
こちらも装丁が可愛くて、手に取ってみることに。
装丁デザインは和田誠さん。さすがですね。
挿絵を手がけたのは兄のヨゼフチャペック氏。
古さを感じさせないとってもお洒落なイラスト。才能のある兄弟ですね。
(ちなみにこのカレルチャペック氏、「ロボット」ということばを作った人らしいです)
タイトルの「長い長い郵便屋さんのお話」を含む、9つの物語。
大体は自由奔放でハチャメチャ。といった雰囲気。
郵便局やカレル広場の小人の話、お巡りさんが竜を退治する話、チェコの川に住むカッパの話、山に住む魔法使いと医者の話、森や野原にいる妖精たちの話…
など、ファンタジー要素もあるんだけど、キラキラした雰囲気ではなく、ユーモアと皮肉、イタズラ心が効いた物語ばかり。
少し理屈っぽさもあり、子供が読んだらちょっと小難しいかな。
「長い長い郵便屋さんのお話」が好きかな。お手紙を触ったその温度で、送った人の感情やそのお手紙の大切さがわかるという小人が愛らしい。
たまに海外小説もまた読んでいこうと思います♬
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ネタバレヴェニスの商人・アントーニオ、ユダヤの金貸・シャイロックとのいわゆる「人肉裁判」で有名な喜劇作品。
正直あんまり面白くはなかった。まずSSのような台詞形式であるため、風景や場面などが浮かびづらい。気づいたら退場していた、なんてことがままある。また、(これは現代人だからかも知れないが)シャイロックへの扱いが理不尽に感じた。きつく当たっていた人物(アントーニオ)がその本人に恨まれるのは当然じゃね…?と。従って一番の見せ場となる裁判の結果も、スッと入ってこなかった。
それでも訳者の解説は必見。「実はシェイクスピアは素材、原話は他人任せであること」・「1290〜1650年の間、ロンドンではユダヤ人が殆どおらず、しばしば嘲笑の対象とされていたこと」・「(この作品が描かれた)エリザベス期は金貸の黄金時代であったこと」など。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ読む年代により感想が大きく分かれると思う。
10代、20代の方がこの本を読んで感じられるのは虚無感だと思う。
まさに作品中に出てくる青年の心情が投写される気がする。
ただ、年齢を重ねた方が読めば作品に書かれていることは一種の免罪符になり得る。
人は形成するものは産まれ持った気質と教育であり自由意志など持たないと言う事実を延々と突きつける形で進んでいく。
ただ、その事実に対する著者の成否や判断は作品中一切行われず読者に委ねられる。唯一、著者の心情を表してそうなのは最後の一文のみである。
事実を提示するのみで、論理展開が行われないため単調な進行となり、読む人によってはつまらないと言った感想抱くと思う。
人は自由意志を持たない、これをどう捉えるかによって作品の感想が大きく変わる。
若い方は否定的になるであろうし、ある程度経験の積んだ方なら、なるべくしてなった心配するなと言う思いを感じるのではなかろうか。
千差万別あると思いますが、ある一つの価値観に触れる機会を与えてくれる名著だと思います。