中野好夫のレビュー一覧
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【本の内容】
アフリカの奥地に象牙採集をする人々の上に起こった事件を作者自身の体験にもとづいて書いた作品。
『颱風』『青春』と共にコンラッドの中短篇の代表作であるが、作品の芸術的根強さにおいて他の二つを凌ぐ。
ここには作者の原始に対する驚異と文明に対する呪詛とが熱病のような激しさであらわされている。
[ 目次 ]
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時間がかかった・普通・一気に読んだ)
[ 関連図書 ]
[ 参考となる書評 ] -
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ネタバレ人間は自己を満足させるために生きている。
「人間とは何か」、このシンプルなタイトルとBOOKOFFで100円だったので購入。
登場人物は青年と老人の二人だけで、彼らの会話が描かれている。青年は人間には意思決定をする力があると信じている、対して老人は人間は自己を満足させるために生きていると信じている。青年は、老人の「人間は自己を満足させるために生きている」という考えを打破するために試行錯誤するが、決して破ることが出来なかった。
私自身、この老人の考えに納得せざる得ない。「人間は自己を満足させるために生きている」という理論は、言い換えると全ての人間の行動原理は自己満足であり、自己犠牲すら自己満足のためなのだ。そして、自己満足は当人の気質や性質からなっており教育や訓練はそれらに若干の影響しか与えることができない。こういった考えを知って正直今、反応に困っている。なぜなら、私は読書から生きるために役に立つことを学ぼういう姿勢で臨んでいる、しかしこの本から得られたものはなんだろうかと感じている。この読書から何を学べたかは今後わかってくると思う。 -
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「人間とは何か」に続いて、マークトウェインを読むのは二冊目。
これも彼が絶望的・悲観的視点で書いた著書。その中には人間の愚かさや無知さなどが露呈されている。
この中に出てくるサタンという不思議な少年は子供たちにその人間の愚かさを説明していくが、しかし、唯一人間が持つ能力を肯定的に捉える。それは「笑い」だという。
つまり、人間はどうしようもなく絶望的な状況になるが、その境遇を笑い飛ばす事ができる強さを持っているという。この部分には深く共感する。というのは、自分もちょうど同様のことを考えていたからだ。
失敗したりしても、それをネタにして、笑い飛ばせることってすごく大事な事だと思う。失敗し、そこから必要最低限学び取って、その失敗を繰り返さないように努めればあとは笑い飛ばせばいいと思う。そしたらもっと楽観的に生きられるだろうと。
ちなみに、最後のオチはこの人間世界そのものが夢であるというものであり、なかなか面白いがちょっとあっけない感じがした。 -
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「人生そのものが幻じゃないか」
「あるものは君だけなんだ」
人生や世界が自分自身がつくりだした幻にすぎないとして、それならどうして自分の人生の中身に喜びだけでなく悲しみなどの負の感情が多いのか。そのようなことは決して望んでいないはずだ。もしかしたら、悲しみは決して否定的な要素ではなく、あくまでも喜びを相対化させるために存するだけの要素なのかもしれない。そうすれば自分の作り出した自分の世界の悲しみにも何か積極的な意味を見出せるのかもしれない。というようにあっさりと最終的に自己を肯定してしまって完結していいとは思えず、肯定も否定も全てひっくるめて幻の人生であり、独我論なんだろう。そもそも独我論というカテゴライズされる話ではないという感想もよぎるが、やはりこの小説の最後の主題はキリスト教的な倫理観と鋭く対立する個々の主体を考えさせる独我論だと思った。 -
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物語というものは、あたかも自律した生命体のように、作者の意図を無視して、勝手に読み手に感銘を与えることがあるらしい。チェーホフは戯曲『桜の園』を喜劇のつもりで書いたが、役者たちはしばしばそれを悲劇と解釈して演じてしまい、作者を苛立たせたという。
『ヴェニスの商人』も、そういう作品のひとつである。シェイクスピアはこれを勧善懲悪の喜劇として書き、観客も当初は喜劇として楽しんだ。キリスト教の神がすべてを支配する中世西欧において、ユダヤ教徒の高利貸しシャイロックが駆逐されるべき「悪」であることは自明であり、ほとんど真理に等しかったのだろう。その「真理」に異議が申し立てられるのは19世紀。被差別民という「悲劇の人」としてシャイロックが解釈され始めたのは、西欧において神の絶対性が否定され始めたのと、ほぼ同時である。そして第二次世界大戦という真の悲劇を経て、受難者としてのシャイロック像は、いっそう現実味を帯びて定着することになる。
とはいえ実際に読んでみると、同情や哀れみの涙を寄せるには、シャイロックというキャラクターはあまりに骨太すぎるように、私には思われる。「嫌いならば殺してしまう、それが人間のすることか?」と問われて「憎けりゃ殺す、それが人間ってもんじゃないのかね?」とすかさず言い返すふてぶてしさも、「罰はこの身で引き受けるまで!」と開きなおる潔いほどの傲岸さも、どこか中世という枠に収まりきらないエネルギーを感じさせる。それは、むしろ近代以降のものであろう。中世のキリスト教的価値観を体現するアントーニオやバッサーニオが、まったくと言っていいほど生彩に欠けるのとは対照的だ。
シェイクスピアは、別に歴史を予感していたわけではないだろう。にも関わらず、その卓越した人間観察力は、結果として正しく「神に刃向かう者」を――ニーチェやマルクス、あるいはカミュなどを連想させる近代的自我を――描写しているようにみえる。ここにいたっては、もう喜劇も悲劇もない。ただ「劇」があるばかりである。作者の手綱を振り切った、生きた物語があるばかりである。 -
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ネタバレ主人公が第一章から第四章まで、それぞれ小人国、大人国、ラピュタ、フウイヌムの国を巡る話。
旅行記として、小人や巨人や空飛ぶ島などが登場し、それらの国での一風変わった生活も面白かったが、それよりも主人公にとって全くの異国で、人間の悪徳に貶められそうになったり、ことさら人間の悪い部分が強調されているのが印象的だった。
特に第四章ではフウイヌムという美徳のみを備えた生き物が登場し、それらと共に生活することによって主人公が人間への嫌悪感を強めていく様は強烈だった。
最後の解説には、作者は「この本は人を怒らせるために書いたのである」という旨の事を手紙に書いているとある。
一方で、作者は主人公ガリヴァに、この本によってほんの少しでも人間の悪弊が改善されることを期待するという旨の事を言わせている。ただ改善される様子は依然見られず失望している様子が書かれているので、作者は人間の悪徳は改善の余地のないものと考えていたのだろうか。 -
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いわゆる良心や、宗教的価値観(著者はカソリック教会の価値観に対して述べている)、正義や善といったものが、いかに残酷にひとの命を奪ってきたか、不幸の種となってきかたを描きだしている。
人間社会にとって、良心は不要であり、むしろ害となるのだという論理は、一面では正しいが、他方では現に人間社会にはルールや規範が必要であり、それなくして集団生活は円滑に営み得ないという現実が軽視されているようにも思える。
著者の人間に対する絶望は、痛いほど伝わってくる。
救いはないが、忘れてはならない大切な事実を、著者は教えてくれている。正義では世界は救えない。 -
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【あらすじ】
ニコラウス、セピ、テオドールの3人の少年は、16世紀のオーストリアの小さな村に暮らしていた。そこにある日不思議な少年が現れた。一見感じの良い美少年の正体はなんと天使だった。その上彼の名前はサタン。3人の少年たちは、サタンの巧みな語り口、魅力的な魔法に誘われ不思議な世界へと惹きこまれていく……人間とは、良心とは何か。善悪、幸福は存在するのか。運命とはどのように決まるのか。人はなぜ戦争をするのか。ニコラウスは天使サタンと過ごすうちに、このような疑問にぶつかる。はたしてその答えは――
【解説】
作者は、『トム・ソーヤの冒険』、『ハックルベリー・フィンの冒険』などの著作で知られるマーク・トウェイン。アメリカの楽天主義を代表する作家だといわれているが、晩年に書かれたこの作品では彼の異なった一面、人間不信とペシミズムが色濃く出ている。ひどく悲観的な物語はしかし奇妙に人を惹きつけて離さない。中野好夫訳。亀井俊介解説。
【感想】
私は、同じくマーク・トウェイン晩年の代表作『人間とは何か』を読み、そのあとがきに本書のことが紹介されており興味をもったのでこの本を手にとった。どちらの本も訴えるメッセージは似たようなものである。『人間とは何か』が青年と老人の問答が終始続くのに対して、本書は構成されたストーリーになっている。