中野好夫のレビュー一覧
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久しぶりに読んだ「アラビアンナイト」
有名はお話には、昔、何度か絵本や読み聞かせを通して触れていたが
大人になってから改めてゆっくりお話を味わいたいと手に取った。
本書は「シンドバッドの冒険」「アラジンとマ魔法のランプ」そしてペルシアと海の王国の繋がりを描いた「ペルシア王と海の王女」「ベーデル王とジャウワーラ姫」が
収録されている。
シンドバッドは大人が読んでも充分面白いお話でページを繰る手が止まらなかった。
特に彼の視点を変えることのできる頭の良さと実行する勇気には
改めて関心させられる。現代にこそ必要なものが示唆されている、そんなお話だと思う。
アラジンはもっとマイルドな表現になった二次創作しか知らなかったので
こんなお話だったんだと、新鮮な感じで物語に触れた。
進行には関係ないが、魔人は一体どこから食べ物や奴隷たち、建築資材などを
調達してきたのだろうか・・・?しかも願いは3つだけではないんだ。
アラジンの願いがどんどん大きなものになっていくたびに、なんだか人間の欲が深くなっていく様子をみているようで、少し心配にもなった。が、ハッピーエンドでよかった。アラビアンナイトが今も愛される理由は、結末が悲惨ではないからなのだろう。
ペルシアと海の女王の物語は連作になっていて
初めて読んだお話だったけれどもどんどん引き込まれていった。
ベーデル王女や海の眷属のみなさんが一体どれほど美しい姿なのか
想像するだけでもわくわくした。
どちらのペルシア王も一途に王女を愛す姿勢が良いなと思った。
下巻も予約したので、読むのが楽しみだ。 -
Posted by ブクログ
短い本だけど中途半端なところが無い。この斬新な考え方に納得した。
まず、人に自由意志は無く機械にすぎないという主張が明確。そして、人は自由意志でなく「内なる主人」が満足するようにだけ行動していると対案を用意している。さらに、「内なる主人」とは生まれつきの気質、教育(人間関係)、環境のことだと具体的に説明。その上で、人はどう振舞えば良いかの「人類全体向上プラン」まで示しており、自分の理想をひたすら高めるように努めよ、そうすれば自分が満足する行動だけを取るので隣人や社会にも善をなすことになる、と教えている。
いやー良くできているし、わかりやすい。自分の利益を追求して自由に競争をすれば結果的に社会全体が良くなるというアダムスミスの神の見えざる手と似ている。あと「内なる主人」が満足する行動って本人が選ぶという点では自由意志なのでは、とは思った。 -
Posted by ブクログ
映画『地獄の黙示録』の元になった小説ということで。地獄の黙示録とはかなり違うんだけどあれを見返す体力はなかった(^_^;)
以下、かなりネタバレしています。
テムズ川に停泊中の遊覧船で、船主である重役、弁護士、会計士、”私”は潮の変わり目を待っていた。その間に船乗りのマーロウが過去の体験を語り出す。
物語は、マーロウが過去を振り返りつつ、現在の考えを入れたり、聞き手に語りかけたりする。
マーロウは以前、ヨーロッパの貿易会社にアフリカ大陸のコンゴ川を遡り、奥地の出張所に食料などを運び変わりに象牙を集める蒸気船の船長として雇われたことがある。
事前に健康診断を受けた時に医師が「頭蓋骨を見せてくれ。(当時の頭蓋骨学)」という。マーロウが「帰ってからも見るんですか?」と聞くと「いや、変化があるとしたら内部だろうから」という。アフリカ行くと変わるっていうのがこの後の話になる?
このコンゴ川沿いの出張所の役割は、原住民の黒人たちから象牙を集めて他の品物と交換する。しかし原住民たちは鎖で繋がれて働かされて病気になったら打ち捨てられている。出張所も品物を入れた倉庫が焼けたり船が沈んだりも日常茶飯事、象牙を運び込む原住民も「何かが足りなくてここから出発できないが、その何かはいつ届くかわからない」という「巡礼者」のようだった。川沿いには「土民」がいて、マーロウの前の船長は盗みのトラブルで槍で突き殺されたらしい。
ヨーロッパが「未開の地」で会社経営するには「現地の人たちを我々ヨーロッパ文明に導いてやろう」という建前があって、でも実態は「我々白人と彼ら現地人には数千年の隔たりがある」と扱って奴隷経営(これはいろいろな本で読んだ…)。マーロウはある意味冷めていて「綺麗事言ってるけど要するに金儲けが目的ですよ」なんて言っている。
そんな行く先々でマーロウは「クルツ」という奥地出張所の責任者の噂を聞く。彼は何年も奥地から出てこず、しかし送ってよこす象牙は大量で極上品だった。会社では利益をもたらせ、本社に変えれば出世間違い無しなんだが、自ら奥地に引きこもる不気味な男だとして怖れられてもいる。
マーロウはクルツに興味を持つ。
<目の当たりにクルツを見たような気がした。鮮やかな映像だった。独木(まるき)船、土人の漕手、なそして最期には、突如として本部に背き、交代になることを拒み、そしておそらくは家郷の思い出にさえ背いて、あの荒野の奥地、荒涼たる無人の出張所に向かって進んでいく一人の孤独な白人の姿。(P65)>
マーロウの語りは、叢林(ジャングル)を遡っていけばいくほど「既知の世界とは永久に隔離され」ていく様子を深く、静かに描写していく。全てが終わってからの語りなので、時間もあっちへ行ったりこっちへ行ったりという感じもあって、何があったのかを把握するのはなかなか難しい。
会社の白人社員や出張所の支配人たちは「クルツはもう死んでいるのではないか」とも噂している。どうやら彼らはそれを望んでいるようだ。クルツは奥地から報告書?などは送っているらしいが、ヨーロッパの理論とアフリカ叢林(ジャングル)奥地のクルツの理屈はまったく噛み合わなくなっている。さらにクルツが本社に戻れば出世は間違いない、今のところは奥地に引きこもるので自分たちの地位が脅かされる心配は無かったが、どうやらクルツは病気らしく、治療のため引き上げさせなければいけない、するとクルツが治ってしまうと自分の地位が危ない。
マーロウにとってのクルツとは、何かを語る姿で、ただ「声」として存在していたのだ。その彼が語ることを聞けないのは残念だと思った。だがこのあとクルツに会うのだが…。
マーロウと、支配人、使用人の現地「巡礼」たちは、船や徒歩で(途中で蒸気船が沈んだ)奥地へ奥地へと遡る。ある時白人がいたらしい小屋を見つける。後で分かるんだけど、ここは放浪の末に流れ着いたロシア人青年の小屋だった。そこには操舵術の本があり書き込みもある。文明人らしい。そして薪の山には「使っていいよ」とかいうメモも残してある。
蒸気船が直りクルツのいる出張所に近づいた時に、原住民に襲撃された。投げられた矢や槍がマーロウの現地の黒人火夫で操舵士を殺した。この操舵士のことは「ズボンを履いて、羽根帽子を冠り、後足で立った犬芝居そっくり」で「言われたとおりにやらないとボイラーの悪霊に復讐される」と教えられて働いているような扱い。そして原住民は腐った肉だとか、死んだ操舵士だとかの肉を食べたがっている。どうやら本当にあった風習のようだが、これは何か宗教的とか意味があるの??
さらに上流に上ると叢林(ジャングル)から「なにか異様な喚声、限りない荒涼さを思わせるような喚声」が沸き起こり、消える。
ついにマーロウと支配人はクルツのいる奥地の出張所にたどり着く。そして小屋に住んでいた全身パッチワークの道化のような装束のロシア人(ウクライナ)青年と出会いクルツの事を聞く。ロシア人青年はクルツと一晩話をして「ぼくの心をすっかり広げてしまいました」彼を崇拝するようになった。そして昨夜の喚声は原住民たちが、蒸気船はクルツを連れに来たのだと思って嘆きの声だと教える。原住民たちはクルツを神のように思っている。クルツはそんな原住民たちを戦士として略奪させ、その品を貿易会社に送っていたのだ。
ロシア人青年はクルツを崇拝しつつも「私はすっかり帰り道がわからなくなりましたが、自分のことは自分で面倒を見ます。でもクルツを連れ帰って欲しい」とも願う。この青年、自然そのもののジャングルに分け入っていくのにいきなり赤青黄色のツギハギの人工物!で出てくる。クルツに浸透しながら軽さもある。なかなか面白い人だ。
マーロウは出張所の杭の上に丸い装飾のようなものを見たんだけど、よく見たらそれは彼に逆らった現地人の首だった??(「柵」というのはイギリス人が持ち込んだ風習)
そして「とつぜん即席担架を運ぶ一団が現れた」この現地人にかしずかれて戦士たちを従えて担架に乗っているのがクルツ?この小説は大体160ページで、実際にクルツが出てきたのは120ページ!そしてロシア人青年は「彼が死んだら、彼の崇拝者に自分たちも殺されるかも」とか予言する?
支配人とマーロウは小屋でクルツと対面する。この場でも支配人とクルツの間の意思の齟齬が見られる。会社はクルツに「未開拓地に関するレポート」を依頼していた。マーロウが見たそれはかなり知的で有能さを感じるものだったが、「彼ら野獣を根絶せよ」という書き込みがされていた。マーロウは現実での昇格にしか興味がなく白人の綺麗事を述べる支配人よりも、この奥地で人々に神聖視されるクルツに興味を持っている。その彼は死にかけている。「あの人の死後の評判が気がかりです」というロシア人青年に「それは任せておいて欲しい」と請け負う。そして「そろそろ引き上げ時」と、独木船に乗って消えていった。
クルツの死を待つ描写はかなりの圧力。全身を装飾した現地の女がマーロウの船に近づき、そして去る(この女は描写だけの存在だが印象深い)。夜の闇から唱和のような声が立ち起こる、篝火が照らす戦士や影、そしてカモシカの角をつけた悪魔のような形相の魔法使いのクルツ。
夜の叢林(ジャングル)でマーロウはクルツと相対する。自分は大地に立っているのか、中空に浮いているのか。それでもクルツは「一切の関心が自我の上にだけ集中された明晰」な男であって狂気ではない。だがたった一人で荒野に住んで自分の魂を見つめ続けてついに常軌を逸してしまった、自分も自分の魂との格闘をしなくてはならないのだろうか。
<もし、誰か、一つの魂と格闘した者がいたとすれば、それはこの僕だ。(P164)>
マーロウと支配人は瀕死のクルツを船に乗せてコンゴ川を下る。
<「私の象牙、私の婚約者、私の象牙、私の出張所、私の河、わたしの…」一切が彼のものだった。(P100)>
<「地獄だ!地獄だ!」>
そしてクルツは死んだ。
ヨーロッパにいた頃のクルツは、知的で芸術家で政治に出ても成功しそうで、任務についた最初は野蛮なアフリカ人たちを文明に導きたいとも考えていたんだろう。しかし自分が(コンラッドが筆を尽くしたように)叢林(ジャングル)の奥地へ向かい文明から離れると、クルツ自身も文明から離れてしまった。動物としての本能が表に出てきた?
実際に貿易会社本社や、ヨーロッパ本国ではクルツは「アフリカ植民地の原住民に仕事を与え、会社にも利益をもたらせた」人物となっている。(マーロウもクルツの評判を保つ証言に協力する)
マーロウはクルツが国に残した婚約者に会った。そして彼女が望むままに彼への称賛を聞き、「彼の最期の言葉はあなたの名前でしたよ」と嘘を付くのだった。しかしこの、天地がひっくり返るほどの嘘にも天が落ちてくることはない。
こうしてテムズ川の遊覧船でのマーロウの語りは終わる。すっかり暗くなっていた。 -
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本作はユダヤ人の持つ別の特性、どうやらこれも西洋社会におけるユダヤ人への迫害を増す要因の一つになった様だが、「金融」に強いというのが、歴史的必然性を持って生まれたものであるということを教えてくれる。
シャイロック
「さて、どうだか。が、とにかく俺は金銀にも子を産ませる、だが、旦那、いいですかね。」
アントーニオ
「聞いたか、バッサーニオ?悪魔でも聖書を引くことができる、身勝手な目的にな。根性の曲った人間が、聖句を引合いに身をまもるとは、まるであの悪党の見せる作り笑も同然だ、見かけはよいが、心の腐った林檎も同然。ああ、まがい物に限って、立派な外面ときやがる。」
上記において、ユダヤ人高利貸しのシャイロックは聖書における、「ヤコブの報酬」という説話、ヤコブが生まれた羊の子を自らの取り分とする契約を結び、たくさんの子羊を得た話を引き合いにして、金利を正当化している。これに対して、金利を否定するアントーニオは激しく彼を罵っているのであるが、ここにおいて重要なことは「金利」がキリスト教において御法度とされ、よってこの社会においてなくてはならない「金貸」の職業を被差別立場にあったユダヤ人が担ったという歴史である。
この歴史を理解すれば、我々はシャイロックの「金利」をよりにもよってキリスト教の拠り所とする所の聖書を引き合いにして正当化してみせるという高度な皮肉、炸裂するシェイクスピア節を前にして舌を巻かずにはいられないのである。
また、ユダヤ人が金融に強いという特性の真実が歴史の必然であったこと、もっと言えば、キリスト教の都合によったものであった事が明らかになった。
だとすれば、ホロコースト前夜の西洋社会、或いはアメリカの謎のバカな陰謀論を意気揚々と披露する人々の多くが、その批判の内容の遠因が自身の祖先にあることを忘れてしまった愚かな所業であるということもまた、明らかになるのである。 -
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全体的に、幸せな結婚してハッピーエンドが多い印象だった。
・ヘビの妖精と二ひきの黒犬
姉2人が中々困った人たち
・シナの王女
1番好きな話かも。似たもの同士の王子と王女が結ばれる
・魔法の馬
皇帝(サルタン)に王子が「まず相手の気持ちを聞いてみることだな」と言うのが痛快! 強引な人が多くてw
・ものいう鳥
兄2人が結構失敗する。モーセも城から流された子だったような
・アリ・ババと四十人の盗賊
モルジアーナが有能すぎる! 四十人の盗賊はあっさり片付けられた。
・漁師と魔物
漁師と魔物のやりとりで笑った。途中から漁師差し置いて哀れな王たちが主人公になるとは -
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トウェインの晩年のペシミズムの代表作。
サタンと名乗る美少年(彼は天使だという)が村に現れ、人間の文明の軌跡やその愚かさを嘲笑い明らかにする。
善悪とはという問いを起点に、
幸せとは、運命とは、人間とは何なのかという問いに繋がっていく。
サタンが魅せる人間の愚かさのいくつかの描写や緊迫感が見事で、物語に引き込まれた。
いろんな問いがある中で一番刺さったのは、サタンが良心を語るシーン。
人間は良心なんてもので善を選択しているつもりになっているが、カインとアベルから始まり人間の歴史は戦争と殺戮の歴史じゃないか。
ほとんど間違った選択をしている中で正義を振り翳して生きていて、それで得をしているのは一握りの奴らだけ。
良心がなければ善も悪もない。良心なんてクソ食らえだ。
ハックほど切実ではないものの、俯瞰的に捉えられた良心の概念が顕になって、トウェインが人生を通して向き合ってきた題目なのが窺えて面白い。
最終章にあった人間とは思惟、夢なんだというところが完全に意図を汲み取れず、、人間とは何かの方も読んでみたい。
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老人と青年の対話調で綴られた、「人間とは外からの力に反応して作用するだけの機械である」という主張を説明する内容だった。
言い換えると、「すべて人間は、自らの経験学習と気質に従って、自らの精神的満足を充足するための選択をする」ということが主旨だった。
そのため、自由意志などや自己犠牲などは存在せず、一見すると当人にとって損な善行や苦行も、結局は「そうしなければ別の精神的な不満足によって耐えられない」という天秤で選択された行いになる。
相手を小馬鹿にしたような語り口調と、説得に際し用いられる古い事例は少し読みづらいが、一貫した主張は明確に読み取ることができる。 -
Posted by ブクログ
人間は、外部の刺激に反応する機械のようなものだと、老人が青年に論破する会話劇。生物として人間を観察する視点で、他の動物と大差ない生き物だと論破する痛快さもある。良心や、道徳的行動など、人間だからこそもちえてそうな美德はことごとく動物的行動の結果にすぎないと論破されてしまう。
一つのものの見方として、さまざまな角度から思考を巡らす時の視点として持っていても良い考え方だと思う。
あの、トムソーヤを描いた作家というのにも驚かされる。シニカルな視点ももちえた作家だったのですね。人間を冷徹なまでも客観的に観察してきた著者だからこそ、表現できた作品なのだと思った。 -
Posted by ブクログ
「地獄の黙示録」の元ネタとして有名な(?)コンラッドの「闇の奥」。
いろいろなところで言及されたり、分析されたりすることも多いので、なんとなく知っている気になるが、ここは一応読んでおこうということで。
なんで、そんな気になったかというと、ここ数年、全体主義について調べているところなのだが、アーレントの「全体主義の起源」の第二部の「帝国主義」のなかで、「闇の奥」についての分析があったからかな?
という流れなので、読む視点がどうしてもアーレントの読解に引っ張られるわけだが、それにしても、これはなんだかディープな本だった。
設定としては、マーロウという船乗りが、船が停泊しているなかで、仲間に自分の体験を物語るという体裁をとっているのだが、読んでいて、誰が誰だか、わからなくなってしまう複雑さがある。
訳文も1958年のもので、原文をしっかり訳そうとしているのか、かなり読みにくい感じ。なかなか、話の筋がわかりにくい。(もう少し、新しい訳を読めばよかった)
この難しさはたんに訳文のせいだけではないはずで、まさに「暗黒大陸」アフリカの奥にむかって、川を遡行していくにあたって、なにがなんだかわからないことがどんどん起きて、悪夢のなかに迷い込んでいくような物語そのものの構造からやってくるのであろう。
なんだかよくわらないにもかかわらず、かなり衝撃的な本だった。(読みにくかったのには、最近、わたしが小説をほとんど読まないということも関係しているかもしれない)
アフリカの奥地、闇の奥(Heart of Darkness)に入ることによって、理性と非理性の対立、文明と原始との対立が浮かび上がるとともに、人間の心の闇(Heart of Darkness)に分けいっていくことが主題なんですね。
と言っても、これは19世紀のヨーロッパ人の社会的な構築の文明観なんだけど。
アーレントは、「帝国主義」のなかで、ヨーロッパの植民地経営のなかで、人種主義的な暴力が蔓延していったことが、人の命を軽くみてしまう感性を生み出したこと、そして、ヨーロッパで余計ものになったいかがわしい人々が植民地に行って、傍若無人な行為をおこなっていたことが「全体主義」を生み出す一つの要因になったとしているが、まさにそのあたりの分析を裏付ける本だな〜。
「裏付ける」と言っても、これは小説であって、歴史家には、アーレントの論立ては、まったく許し難い論理であろうけど、アーレントは客観的な事実というより、主観的、心理的な経験というところから、全体主義的な暴力の一面を描こうとしていたんだなとあらためて納得した。
もうちょっと新しい翻訳で、再チャレンジしてみたい。