中野好夫のレビュー一覧
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ネタバレこの本に登場する人物は2人。1人の青年と1人の老人。物語は、人間について老人が自身の考えを語り、それに対して青年が疑問をぶつけていく形式で進行していく。
著者マーク・トウェインの死後、本書を読んだ彼の妻がひどく泣いたというエピソードからも理解できるように、本書の内容はそう簡単に受け入れられるものではない。
以下、内容をあとから想起するため、岩波書店HPから要約文を引用する。
「人生に幻滅している老人は,青年に向かって,人間の自由意志を否定し,人間は完全に環境に支配されながら自己中心の欲望で動く機械にすぎないことを論証する」
老人は「人間機械論」を唱え、人間は所詮外部から受けた影響をもとに行動する機械でしかないと説く。このような、人間の自由意志を否定する論調は馴染みのないものであり、現代人からは大きな反感を買うことが容易に想像できるが、それでも本書が長く読み続けられている理由は、この主張が人間の一側面を鮮やかに描き出しているからであろう。個人的には、この考え方は受け入れられないが、一方で完全に無視することもできない。
ただ、あえてこの主張に反論すると、これは「反証不可能」な主張である可能性が高い。つまり、人間の行動を理解する際、それがどんな行動であろうと「その原因は外部環境から受けた影響にある」と言ってしまうと、とたんに誰も反証ができなくなってしまう。なぜなら、外部環境を受けない人間などいないのだから。一般的に、反証不可能な知識はその後の議論につながらず、相対的な価値が低いと言われるため、反論をすることは可能である。
ただしかし、やはり人間が外部の影響を多分に受ける存在であるという主張もまた真理なのだろう。問題は、影響を受けながらも、自身の人生の指針を定め、そこに向かって努力を続けることができるか。本書の中で、老人が「せっせと君たちの理想を向上させるように努めることさ。そしてみずからがまず満足すると同時にだな、そうすれば、必ず君たちの隣人、そしてまた社会をも益するはずだから、そうした行為に確信をもって最大の喜びが感じられるところまで、いまも言った理想をますます高く推し進めて行くことだな。」(p.105)と語っているように、どれだけ理想を追求できるかが問題であると思う。自分は外部の環境からの影響を多分に受けるということを念頭に置きつつ、その環境すらも好きなように変えていけるような、緩やかな意志を持って生きたいものだ。 -
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難しい。難しいけど面白かった。最近なぜか古典を読みたくなって前から名言などでよく名前を見かけて気になっていたマークトウェインの本を読んだ。全般に渡ってペシミズム(悲観主義)で全面的に賛同するというわけではないが、完全に否定することは出来ないなという感じ。確かに自分も何も考えようとしなくても勝手に何か考えついていつのまにかその考えが頭を支配している。ただでも100%そうかと言われると…ンンンとなってしまう。この辺りはまた時間を置いて改めて読んでみたときの為にとっておきたい。とにかく今は読み終えて面白かった。というのとマークトウェインってどんな顔してるんやろということとハックルベリーフィンの冒険も読んでみようということ。100年前に書かれたとは思えないほど現代的な文章、訳し方によるのかもやけど。
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(01)
人類学的な,ゆえに探検的な地誌を装った宗教経済小説(*02)として読むことは可能だろうか.
大航海時代を終え,西欧によって大陸は海岸から発見されていった.本書の書かれた19世紀の終末期には,まだいくらか大陸の内陸は残されていたし,南極北極や高地が目指されると,ヴェルヌやウェルズらのSFもとらえた深海や宇宙が目指される.水平から垂直への探検の志向の転換期に省みられた「奥」が本書の問題である.なお,原題は"Heart of Darkness"であり,「心奥」あるいは「中心」とも訳すことができるのかもしれない.
象牙経済とカリスマ的な支配の中心にいる,あるいは語り手マーロウ(*03)の人類学的な罪悪感の心裡に潜む,クルツという存在はとても創造的である.クルツの意志や能力は,クルツの所有になく,奥地に居座るクルツを取り巻く環境の側にある.つまり,クルツを創造したのは蛮人,叢林,森林の総体であって,クルツ自身ではない,というところが肝になる.闇の側には,クルツに経済的で宗教的な存在としてぜひとも支配してもらいたいという人類学的な事情があった.
ゆえに,クルツは死んでのちに闇から運び出されたのではなく,闇から運び出されたために死んだのである.
(02)
「巡礼」という隠語がこのあたりの事情を端的に表している.
(03)
クルツに対してマーロウとは何者か.合理的な思考の下では,クルツの存在について語るクルツの紹介者,そして伝道師のようでもある.
が,「俺の知り合いが」で始まる騙りが,「俺」自身の経験であることが日常的でもあるように,マーロウは,クルツへの憧憬を語ると同時に,クルツ自身である己を告白している.このように読んだときに,タイムリープな時系列が現れる.
冒頭のテムズ河での船上の待機は,すべての経験を終えたのちのマーロウの状態であるという合理的な読みの裏側には,すべての始まりの前,マーロウのクルツを求める旅程どころか,クルツ自身の旅のはじまりを予感させていることも読み込める.海を川を辿り,ところどころの中継地を経由し,奥へ奥へと進むこの道行を何度となく何人もいった,すべての同類たちの経験と予感でもあった. -
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『トム・ソーヤーの冒険』などの作品で知られるアメリカの作家、マーク・トウェイン。
少年時代にこの方の小説世界に触れて、ミシシッピー川という川の名前を知った、という記憶があります。
そのマーク・トウェインが、『人間とは何か』という題名で、人間の本質について書いた文章を残していると知り、書店で探して読んでみることにしました。
老人と青年が対話する形で、書かれています。
その老人が教え諭す話というのが、人間とはどのような存在なのか、ということ。
自分なりの理解を、以下に要約します。
・人間は自分自身の安心感を求めて行動する
・人間の考え、行動は、それまでに得た情報、経験により左右される
・上記のような理由で、人間は他の動物たちと比べて大きな差はない
そのような老人の主張に対して若者が反論しますが、老人によりことごとく論破されてしまう、という内容になっています。
訳者による”あとがき”によると、本書はマーク・トウェインが60歳前後に書いた、作品のようです。
人生の終盤をむかえ悲しい出来事が続いたことにより、悲観的な人生観を持つようになった、という背景があるとのこと。
ただこの作品で書かれていることは、人間の本質を理解する上で、重要な視点だなあと、感じました。
このような考え方があると知っていることによって、逆に、他人の行動、振る舞いに対する怒りを抑えられるかもしれないなと、感じました。
著者のイメージが変わるという意味で刺激は強い作品ですが、人間とは何か、自分はどのような行動原理で生きているか、考えさせてもらえた一冊でした。
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人間とは何かという仰々しいタイトルに反して対話形式でとても読み易く、それでいて人間の本質を突いている。
老人の主張は一貫している。
「人は自分の良心を安定させるためにのみ行動する」また「人の良心は、生来の気質と後天的な教育、訓練から得た知識や印象、感情の断片の集合体であり、人はこの主に従う出力機でしかない」というもの。
これは僕自身も常々感じていたことだ。青年は終始それでは人間の価値が下がってしまう、救いがないということを言うが、全くナンセンスだ。価値が下がると感じるのは、ホモサピエンスという少しばかり賢い猿を実際より過大に評価していたにすぎない。著者はまた、偉大な人間、誇り高い人間は嘘の衣装を自慢しているだけだと貶める。つまり銅人間も炭素人間も金人間も、己の生得の原石を磨こうと理想をもち、訓練なり努力なりをしている限りにおいては、人はみな等価値である。そう主張しているのではないか。
この老人は人間を貶める、冷たく、嫌な人間では決してない。長年の観察と検証から発見した事実を言っているのだ。その事実は、確かにある面では残酷で、批判的かもしれない。だがまたある面ではとても公平であり、人を勇気づける代物なのだ。
本書は、少なくとも僕にとっては希望の書であり、ある種の救いとなった。
ありがとうトウェイン。
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マークトウェインが考える人間の本質をストレートに表現したこの作品。
衝撃的な内容!ではなくなったのは時代のせいでだろうか。最近ではこの手の本はよく見かけるし、”嫌われる勇気”もシンプルに本質的なことをストレートに伝え、それを青年と老人が議論していくという表現の仕方は非常に似ていたな(いわゆるソクラテス式問答)と読みながら思った。
とても理解しやすかったし、思い当たる反論もないので、素直に受け入れるべき内容なのかなと思ってしまった。
特に人間の欲=精神欲を満たすために行動しているという点で、今の時代、これまでの物質面重視から精神面重視に移り変わろうとしているけど、結局は精神欲を満たそうとしているだけなんだなと。
人間の欲を満たすため、精神面に重きを置いてそれを楽しむ人生もあり、またお金や物への物質的欲を満たしながら精神欲を満たす人生もあり。決してどちらがどうこうという問題ではない。その点は理解しておいたほうがよさそうだ。社会の中では、欲の満たし方が違うグループ同士は、お互いにあまり尊敬はしてなさそうだけど、やっていることは一緒という点。この理解はみんな持っておくべきかなと思う。
また人間の本質はシンプルかもしれないが、人間それ自身や、人間が住む社会はもう少し複雑だ。シンプルな本質を理解したからといって、シンプルに行動するのは大変危険。こういったシンプルな考えが人間の行動の根幹にある(可能性がある)というは知識として持っておき、その上で複雑な社会の中で自分らしく生きていくことが大切なんだろうと思う。
あとは、その上で”せっせと自らの理想を向上するように努める”だけかなと。 -
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生きているだけで人間は幸せだ、という傲慢さは筆者にはない。筆者は悪人である。人間の善意や純情は信じていない。悪人が持つグラマーというべき法則を信じている。良心も、その人の総合的な体験からできるものだ、と考えている。そうであれば、無垢に人間の幸せを願う宗教にも懐疑的になるのだ。
氏の根本には、戦争を生き延びたという体験がある。生きているだけでまるもうけなのだ。しかし、それですべてのことがなんでもいいどうでもいいという発想にはならない。人間存在は地球の大きな生命の流れの中の一部でしかないという認識がある。
つまるところ、謙虚なのだ。悪人を礼賛しつつも、それは他人との協働生活の中でお互いの利害を尊重するという思考であるし、その背景には人間は多様な生命のごく一部という考えがある。私、他人という二項対立的なスタンスから、生命全体というスケールで物事を見ている。近代合理主義的な思考から離れ、筆者のような思考を持てば、煩雑な人生の問題にも違う見方ができるのではないだろうか。 -
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ネタバレThe Mysterious Stranger, A Romance (1916)
サタンがみせる人間の愚かさや醜さは凄まじい。語り手のテオドールはサタンに対して怖れと尊敬を抱いているようだ。人の死に対して私たちは、悲しみを抱くがサタンはそうでない。例えば、若くして死ぬことによってその後に待っていた苦しみを免れたのだという。私は、機械的運命論に基づいたこの思想には賛成できない。仮に、生まれた瞬間から自身の運命が既に決まっていたとしても、生きている瞬間のうちに感じる様々な感情とそれに基づく自身の行動を大事にしたい。一度は、サタンを説得しようとした主人公テオドールのように。