松永美穂のレビュー一覧
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優等生の少年ハンスの苦悩と破滅が描かれた小説だが、本筋以外にも様々な楽しみ方ができる。一粒で何度も美味しいタイプの本。
第1,2章は神学校の試験に向けた勉強と受験本番、そして受験後の解放というハンスの心情の移り変わりが秀逸。情景や周辺人物の描写も、ともすれば必要以上なほどに詳細ですぐに作品世界に入り込めた。ぼく自身の受験時代を思い返し、これでもかと感情移入してしんどくなりつつ、それでも眩しかった。
そして第3,4章は青春小説。同じくドイツの『飛ぶ教室』のごとき、少年たちの若さと美しさに目が潰れそうになる。特にハイルナーとハンスの友情はもはやブロマンスの域を超えており、かといって同性愛でもなく、異性への興味に目覚める前の少年だけに許された尊い関係性としか言いようがない。
仲直りの際のハンスの言葉はグッと来た。「許してくれなきゃダメだよ、ハイルナー!こうやってきみの周りをうろうろするくらいなら、むしろ最下位になりたいんだ。きみさえよければまた友だちになろうよ。そして他の奴らに、他人はお呼びでないと見せつけてやろう」。名訳だと思う。
そして第5,6,7章で、ハンスの苦悩が最高潮に達する。その過程もリアルで、挫折の後しばらくの放心状態を経て絶望に陥り、そして一時の小康状態、更に深い絶望というのを繰り返す。
ここまで散々ハンスに感情移入してきた身としては救いのある終わり方を望んでしまうところだが、個人的には考えうる限り最悪のバッドエンドだった。それでいて悔しいほどに美しい。古代ギリシアやシェイクスピアにいう悲劇の魅力を垣間見たように思う。
枝葉の話にはなるが、既訳の多くはタイトルを『車輪の下』としている。そもそも「車輪の下」とはドイツ語の表現で落ちぶれる、といった意味らしいが、本作で描かれているのは車輪の下「で」どう振る舞うかであり、光文社古典新訳文庫版のタイトルの方が内容に適切な気がする。 -
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最近、ワシリー・カンディンスキーの愛人、ガブリエレ・ミュンターについて知ったが、完全に『才女の運命』案件だった。カンディンスキーはミュンターから影響を受けた時期さえあったが、長年の愛人関係の末、カンディンスキーは国外移動後すぐに他の女性と結婚してミュンターとの関係を切っている。この本を読んだ後だったので、これも才能ある女性が搾取され、捨てられて、才能を吹き返すことなく次世代にその才能を残すこともできないという一例であり、何ら特殊な事例ではないということが分かった。
歴史に名を残す男性が多くいる一方で、傍で埋められてきた女性がたくさんいることを認識し、少なくとも実績が残っている女性については再評価の流れができているのは良いことだ… -
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ネタバレヘッセの2作目。自伝的小説。
日本で第1作目の「ペーター・カーメンツィント」より売れている理由は、鬱屈した締め付け型の学校教育・競争受験社会への共感かららしい。
純粋で繊細で不器用な少年ハンスが周囲の期待=圧力からどんどん身のうちに虚栄心を育てていき、虚栄心が自分のエネルギーを食い尽くして、最後は干からびた身体と魂ですっと消えていく。ハンスを見守ってくれていた親方が埋葬時に父親に語る言葉でハンスが少しでも救われてほしい。「あそこに行く紳士方も」「ハンスが破滅するのに手を貸したんですよ」「いえ、これ以上はやめましょう。あなたとわたし、我々も、あの子に色々としてやれたことを怠ったのではありませんかな?」
豊かな森、素朴な生活の情景描写にうっとりする。 -
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伝記が出ているレベルの偉人の裏にいた、才女たちの生涯を静かな筆致で描いた本。まず、”偉人”になっている男性(ドストエフスキー、マルクス、アインシュタイン・・・)の方は知っていたが、その妻、また妻やその他女性とどう接していたかに関しては全く知らなったことに気付かされた。才気あふれる彼女たちの記録(日記、手紙など)は少ないが、著者の調査によってあぶりだされた才女たちの人生は、あくまで”偉人”たる男性を支えるサポーター役に収まらせようとする圧力によって潰されてしまっていた。また多産によって気力が吸い取られているケースも多い。
このあたりの描写は、なぜか結婚すると「主人と奥さん」という言葉で描写されるようになったり、経口避妊薬が今だ承認されない現代日本と無縁ではないと思う。
女性を吸血鬼のように吸い取って犠牲にしないと作れない男の作品やアート、業績をどう受け止めたらいいのだろうか?ロダンのブロンズ像は素晴らしいけれど、その像はカミーユ・クローデルを「活用して」作られたのだということも記しておかなければいけない。 -
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『オルガは一九五〇年代の初めにあちこち走り回って、失われた書類や破壊された記録を見つ出し、プロイセンでかつて勤めた国民学校教師として、自分に権利のあったちょっとした年金をもらえるようになった。それからは、ぼくたちの家でだけ、縫い物をするようになった』―『第一部』
ドイツの起こした戦争を背景に物語を描くベルンハルト・シュリンクは多くを語らないことで善悪の色彩を物語に鮮明に付さないままに描く。戦争の悲惨さを敢えて正面から描写しないことは、市井の人々にとっての戦争が如何なるものであったかを深く語り得る大きな力なのだが、時として戦争そのものを直視するのを避けるように描かれるのには何か良からぬ思想を肯定している意図があるかのようにも見え、例えばハンナ・アーレントのような批評の目には責任を回避しているとも捉えられかねないと思ってみたりもする。そして、その不穏さに気圧される感じが新作を手にすることを、時に躊躇わせることもある。
「オルガ」でも、戦争そのものは描かれないままに、第一次世界大戦前から第二次世界大戦後までの時間の流れの中を生きた一人の女性(オルガ)と、三人の世代の異なる男性(ヘルベルト、アイク、フェルディナント)との交流が描かれる。特に幼い少年と主人公オルガの交流は「朗読者」の構図を思い出させるが、その構図の導入は見事な仕掛けによって為され、効果的に記される一人称の代名詞によってそれまで描かれていた二十五の断章の意味はがらりと変化するのを目の当たりにする。その変化を認識して初めて、短く素っ気なく細切れに描写されたオルガの六十余年の人生譚が、伝え聞いた話を繋げたものから成っていたのだと判り、はっと胸を突かれたような感慨に浸ることになるのだ。
そこから始まる第二部は、一人称のフェルディナント自身の思い出の中のオルガの生き生きとそた描写。しかし、主人公にとってオルガとの思い出が如何に何ものにも代え難いものであるのかが訥々と語られても、不幸な事故によってオルガの人生に終止符が打たれたことが告げられた後は、急に物語の重力の中心が失われてしまったかのような印象が(それもまた作家の張り巡らせた伏線の一つなのだが)生まれる。不幸な環境に生まれ育ち自分自身の力で困難な時を生き抜いた女性ではあることは確かに伝わってくるが、そこからはむしろフェルディナント自身の不幸な身の上話に話が移っていくかのような展開。オルガのことは何処へ?と思わず問うてしまう仕組みがそこにはある。しかしその先に「朗読者」と同じように過去の歴史への探索と埋もれていた謎についての再認識、という展開が待ち受けている。
訳者あとがきでも述べられているように、最終章である第三部で待っているのは、物語の中心にありながら多くを語らない女性というシュリンクの小説の定番を覆して、自らの心情を書き連ねた言葉の洪水。その中で明かされる幾つもの真実。時間と共に変化することとしないこと。読む者は、それを既に語られた時間の経過と照らし合わせて読むことで、物語の流れを再び辿り、幾つもの伏線を(もしかしたらそれは、過剰に、と言うべきかも知れない)紐解いていくことになる。
例えば木内昇の時代小説が決して歴史の因果関係を語らないと感じるように、ベルンハルト・シュリンクもまた決まり切った歴史観に批評されるような物語を描かない。一人ひとりの人生の中に地政学的な歴史の必然という法則の入り込む余地は無いこと、その抗し難い時代の律動を背景にした個人の生活だけがどこまでも現実として存在すること、そんなことにこの作家は拘っているのかも知れない。 -
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今年、様々な書評で見かけた一冊。
クリスマスキャロルに匹敵するような、心が暖かくなる物語。
まず、表題の「みずうみ」。これは、自分の初恋回顧のお話。言ってしまえばそれだけなのだけれど何故かみずみずしさと切なさと、それからちょっぴりの後悔とが心を惹き付けます。色鮮やかな情景が目の前に広がるような繊細で素敵な文章です。
「人形使いのポーレ」
人形使い。なかなか身近な職人ではないが何故かまるで身近でお話を見ているような臨場感がある。時代の流れは残酷ではあるが身近な人を大切に思う心は美しく、そんな心を持ち続けたいと思わされる。
過去に読んだ古典文学の中でも、かなり心捕まれた一冊。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ19世期から20世紀の激動のドイツを生きたひとりの女性オルガ。
身分や性別、戦争によって翻弄されながらも常に姿勢を正して毅然と生きる彼女の半生が淡々と語られる第一部。
中年になった彼女が裁縫師として雇われた牧師一家の末息子「ぼく」によって、晩年のオルガについて語られる第二部。
そして第三部は書簡小説。1913年から1971年までにオルガが書き残した手紙によって全てが明かされて行く。
私のうすっぺらな言語能力ではこの物語の素晴らしさは到底伝えきれないから、ひとつだけ。
気丈で、賢く、自分を貫いて生きた強いオルガが望んでいた幸せのささやかさを知って胸が苦しかった。
堪えきれず嗚咽した箇所を、外出先で読んでいる時でなくて幸いでした。