あらすじ
ピエロの父、曲芸師の母、踊り子のわたし。祖国を逃れ放浪生活を送る、サーカス一家末娘の無垢の物語。39歳で非業の死を遂げた伝説の作家による自伝的傑作。シャミッソー賞・ベルリン芸術賞受賞。
「地獄は天国の裏にある。」
祖国ルーマニアの圧政を逃れ、サーカス団を転々としながら放浪生活を送る、一家の末っ子であるわたし。ピエロの父さんに叩かれながら、曲芸師の母さんが演技中に転落死してしまうのではないかといつも心配している。そんな時に姉さんが話してくれるのが、「おかゆのなかで煮えている子ども」のメルヒェン。やがて優しいシュナイダーおじさんがやってきて、わたしと姉さんは山奥の施設へと連れて行かれるのだったが――。
世界16カ国で翻訳、伝説の作家が唯一残した自伝的傑作が、ついに邦訳!
ドイツ文学史上最も強烈な個性。ーー南ドイツ新聞
まさに綱渡り芸を、息をのんで下から見守っているかのよう。ーーペーター・ビクセル
感情タグBEST3
Posted by ブクログ
独裁者によって生活ができなくなった主人公の家族が、国外へ脱出しサーカスの団員として生活をする半生を書いたもの。
社会的な弾圧と家族の中での個々との共存、サーカスという世界、信仰によって造らせた精神がとても危ういと感じる。
子どもという狭い世界での知識による外と内との折り合いの付け方がアンバランスすぎて、環境のせいではあるものの崩れることをこんなにも予感させることはない。
家族をものとして扱う父親や、恐怖で支配し自分で作った世界に押し込める母親、対になる姉、存在することで自分の価値だと思い込むペット、今でいう毒親に育てられ大きく育った主人公の、願いなどなくやっぱりねとなる終わりに向けて読むことを止められない。
Posted by ブクログ
残酷な環境を少女の純粋で明るい語りで伝えられるので心をグサグサ刺される。
物語の終わはあまりすっきりしない。何故かというと、本当のラストはあとがきで伝えられる作者の早すぎる最期だから。
「地獄の裏に天国がある」
生まれる国が違うだけでここまで境遇の違いがあっていいのだろうか。
文字数も少なく読みやすいのに、読後に色々考えさせられる。この作品に出会えてよかった。
Posted by ブクログ
ふしぎな書物。まるでわたしが主人公になったみたい。
父さんと母さんと姉さんと、ほかの人たち。
ところどころ、絶叫したり、余白をもたせたり、繰り返したり。
少女の肉声が絶えず語りかけてくるようだった。
Posted by ブクログ
どれが実体験でどれが小説なのかは分からないけれど、小説であって欲しいところが全て実体験のような気がする。両親がルーマニアを出たことは良かったのかも知れない。ずっと不幸の霧の中を生き抜いていくわけだけど、一度も食べるものがないとか衣服靴がないなどの描写はない。とはいえ食料や衣服があれば幸せかといえば、おおむねそうではあるけれど絶対ではない。
ルーマニアからの避難民、サーカスで各国を転々とする毎日。これだけでも子供にとって安心出来る場所はない。その上に母親が死と隣り合わせの曲芸を毎日やっているとなると子供が不安定な精神状態になるのは当たり前。その様子はロリコンだけでなく全ての男達にとって好都合だったことだろう。
子供は欲しくないと書き続けられたページ。
後にも自身を処女だと断言しているが父親がスカートの中に手を入れる描写があまりにもリアル。(性犯罪者の反応というのはどれも似たり寄ったりですね。まるで苦労してようやく代償を得たような。喜びではなく当然、むしろ少し足りないとで言いたげなあの表情。)
息苦しい。逃げようとした先は更なる深み。男も女も誰も信用なんてできない。勿論両親も自分も。
あとがきによれば原作は文字が大きくなっているそう。(日本語版ではただの太文字)
ページ数を考慮して太字で妥協したんだろうけど、そこは大文字で印刷しないと作者の叫び声が聞こえなくなってしまう。
決して小説の中の彼女が世界で一番不幸なわけではない。毎日の食事や水に欠く人達、幼くしてテロリストやカルトに誘拐された人達、事故病気、重い障害に苦しむ人達。彼女のおかゆをぬるま湯だ甘えだと言い切れる人達は世界に数億人はいるだろう。だが想像するだけで十分におそろしい。
一生涯のうちここは安全だこの時間は安心だと思えるものがないのだから。
私は日本以外の国に生まれたらおそらく早々に殺されてバラバラにされ臓器として世界に散っているだろう。人間の善意には天井があるけれど(しかも低い)底なしですよね。悪意は。人間の得意分野だから。
周りの男達は勿論実の母親でさえも、誰も私を愛していない。まさにタイトル通り。
Posted by ブクログ
サーカス団に入って移動している移民家族。その娘のどこか危うい成長。ゆるやかに、あるいは突然に崩れる文体が彼女の精神状態のようで目が離せなせずひりひりする。
Posted by ブクログ
どこまでが自伝で、どこまで妄想なのか創作なのか、よくわからない不思議な世界に連れ込まれる。
元靴職人と揶揄されるチャウシェスク政権下のルーマニアでの悲惨な生活は繰り返し語られ、豊かな生活を求めて西側に脱出しても旅回りサーカスの一員であるロマでは難民の暮らししかできない。
にもかかわらずルーマニアに残った親戚縁者からは西側で富裕な生活をしていると信じ込まれて繰り返し支援を求められる。
父母は離婚し、映画スターになる夢も実現しない。
という陰々滅々な世界が延々と続いて、後半では少々うんざりする。
この本の訳者あとがきで驚いたのは、韓国文学の紹介で八面六臂の活躍をされている斉藤真理子さんが翻訳されたペ・スア「遠きにありて、ウルは遅れるだろう」のあとがきで、ペ・スアがこの本の著者ヴェテラニーに触れていたことが、今回翻訳される契機になったということ。
この本の不思議な世界と「遠きにありて、ウルは遅れるだろう」を読んで感じた世界との共通する何かを、ここでやっと気づいた。
しかし、韓国文学がこの本を見つけ出し、早々と韓国語で翻訳出版している目配りに感心するし、底力の強さに驚かされる。
なお原題「Warum das Kind in der Polenta kocht」のPolenta というのは、とうもろこしの粉で作る粗末な粥のことらしい。
Posted by ブクログ
ひと目見ていま読むべき作品だと手に取って読んだものの、衝撃すぎてなかなか感想がまとまらなかった。
抽象画を言葉にしたらこうなるのではないかという、散文詩のような形式でつづられていくのは、時代と、場所と、家族に翻弄された一人の少女の内側からの視点。
読んでいる方が、おかゆの中で煮られているような感覚を覚えていく。
どこからどこまでが作者の投影なのかはわからないものの、まだ若くして亡くなられたということにどこか納得してしまった。
キャンバスに叩きつけるような言葉を吐き出す感性の持ち主が、このような世界で生きていかざるをえなかった人生の激しさを思わずにいられなかった。
Posted by ブクログ
社会主義国ルーマニアから亡命してきた一家。
ロクデナシでピエロの父。曲芸師の母。父に溺愛され、その関係は家族を超えている姉。そして踊り子の私の一家が、放浪生活をしながらサーカスで何とかお金を稼いでいく。
作者のアグラヤ・ヴァテラニーは39歳で亡くなっており、本作は37歳のときに出版された作品。
作者自身がルーマニア生まれで5歳のときに亡命して、77年にスイスのチューリッヒに定住するまでサーカスの興行をしながら生活していたらしい。
余白が多く、作品自体とても短い。だが、読むのは結構苦しかった。
タイトルからすでに何だこれ、となるのだが常に不穏な気配がずっと張りついている作品で、ときには禍々しささえ感じるほど。
どこまでが実体験で、どこまでが創作かわからないが、暗黒寓話のようにも見えた。
この作品も含めて、作者がその一点に向かって収束していくような暗さを感じてしまった。
Posted by ブクログ
もっと小説ではなく散文詩として捉えて、そういう製本をするべきだったのでは?ソローキンじゃないんだから。
内容自体は評価できる。太字はチープだ。
最後を描きたかったんだな。良い本は光り輝く(本当に目が潰れるくらいの光が)瞬間が一つある。もっと薄い本になれば、その時また読み返したい。
Posted by ブクログ
39歳で非業の死を遂げた作家の自伝的小説。
ルーマニアのサーカス一家に生まれた彼女が、子どもの視点から「母さん」「父さん」「姉さん」「おばさん」について語る。
短文なので感情がそのままに伝わってくる。
怖さや驚きや悲しみや表せない感情をこれでもか、と浴びせてくる。
常に危険を感じて生きているようで苦しさばかりを感じてしまう。
悲しいと、年をとる。 これは辛いな…
そして、子どもはほしくない。の言葉が延々と3ページに渡り続く。
タイトルにも何かを感じてほしいと投げかけているようで…何を思っても正解などないような気がした。