頭木弘樹のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
自分が抱えている痛みについて、みんなが理解して共感してくれたらどんなに楽だろうと思う
何にでも言えることかもしれないけど、痛みという緊急性の高いものに対しては特に
「自分は分からない」という自覚が大事なんだなと思う
わからないけど、わかろうとする、その上で相手が言っていることを尊重する
これは難しいけどすごく大切なこと
短期的な痛みと長期的な痛みについての、高齢者や肥満、聴力低下などの疑似体験をした人が「わかった気」になりやすいという話
すっごくわかる……
わたしも「生理痛体験」みたいなのやったことある人に「思ってたより……」とかなんとか言われた時、じゃあこれ1週間耐えてみろや泣とキレそうになったことある
自分はわかってるって態度が何よりも傲慢に思うんだろうな……
「痛さ」って、わかったようでわかってなかったんだと気付かされた -
Posted by ブクログ
文学と哲学の交錯と融合が示される"はじめに"で、早くもわくわくが高まる。
なるほど、オートエスノグラフィーは当事者の確かな違和感から始まるのだということが、よく分かる。
外部からの観察のみによるラベリングだけはもちろん不充分かつ不正確というのは間違いなく、そこに当事者の分析が統合されることで高まる学究的な価値はとても大きいだろう。
病跡学なる分野があることを初めて知り、また、発達障害や精神疾患に関する診断において、白か黒ではないスペクトラムという捉え方が広く敷衍していることも不勉強ながら本書で教えられたが、実情に即した合理的な考えで、非常に良いことだと思った。
私はかねて、理系・文系で人のタイプをざっくり分けたり行動を分析したりすることを甚だナンセンスだと感じているが、本書で言及されているカントやニュートン、ライプニッツといった近代科学の礎を築いた巨人たちの名を見て、またプラトンやアリストテレスが生きた古代に思いを馳せ、人の思弁はそのように峻別できるものではないと、改めて思いを強くする。
時代が下るごとに分業化が進んでしまっているだけで、文学も哲学も物理学も医学も、突き詰めた先の到達点は同じところなのではないか。
この本の真骨頂は、横道誠氏と各人との対談パートにある。
何気なく交わされる彼らの言葉の中に、深い気付きに至る金言がどれだけ溢れていることか。
私も診断こそ受けていないが、きっとASDでありADHDであるだろう、と自認して50年以上生きてきたが、本書を読んで「うーんまだまだ甘いかも…」と変に自信喪失(?)してしまった。
苦言ということでもないが、石原真衣氏との対談で横道氏は"文化人類学はまず難解な議論を先出しし、後から読み物がやってくるという構成が衒学的だ"と批判されているが、「えっ、この本こそ…」と突っ込んでしまったのは私だけだろうか?
「どうしていい歳をした大人が、『読書感想文』を粉飾したような作品内在解釈にいそしんでいるんでしょう、それが『高級』だという価値観を維持してるんでしょう。」
「ASDがあると凝り性になって、ADHDがあると飽き性の傾向になるんですよね。」
「自分を研究や観察の対象として見つめて、必要があれば他者と共有していいんだという考え方に、すごく大きな扉が開かれた気がしました。」
「最近は認知科学が進んできて、多くの定型発達者でも、疲れたり不調だったりすると、衝動性が増したり、鬱っぽくなったりして、発達障害的なグラデーションの中を生きていることがわかってきました。発達障害者はある部分の特性が強烈に出ているだけで、相対的な違いに過ぎない。」
「分刻みでアポ取って動いている人なんか誰もいない。一時間ぐらい遅刻しても誰も何も言わないし、みんなで車で出かけて三十分走ったころに「忘れ物した!」と言っても、「ああそうか」って平然と取りに帰ってくれる。そういう世界って、楽ですよね。」
「とにかく自分を信用しちゃいけないというのは合言葉ですね。」
「自分は自分を裏切りますからね。体も心も裏切りますからね。」
「子どもの頃の価値観からあまり変わってないんですよね、自閉スペクトラム症(ASD)の「同一性保持」という特性です。
文学にとって、賢くない人たちを描く世界は未開の地で、そこに可能性がいっぱいあると思います。」
「ASD者は身体的にも精神的にも成熟してなお幼児のような印象を与えることが知られている。」 -
Posted by ブクログ
本書は、著者自身の闘病体験や文学作品を通して、病気や障害、そして人が抱える「痛み」や「生きづらさ」について深く洞察したエッセイ集です。
最近、頭痛・口内炎・腰痛・捻挫と痛みの四重奏に苦しむことがあり、痛みについて関心が湧いて手に取りました。
特に心に残ったのは、いじめの文脈などでよく言われる「自分がされたらどんなに辛いか考えなさい」という言葉への違和感と、その先にある視点でした。本質は「自分にとっては痛くも痒くもない些細なことでも、相手にとっては耐えがたい辛さかもしれない。自分と他人の感受性は全く違う。」ということ、その前提を忘れてはいけないのだと気づかされます。
痛みは本当の意味で共有できない…という点は本書を読んで得られた大きな気づきでした。類似体験がなければ想像すら難しく、仮に似た経験があっても「わかる!」と自分のフレームで分かった気になってしまう怖さがあります。だからこそ、「他人の辛さや痛みを理解するのは簡単ではない」と知っておくだけでも、相手との向き合い方は大きく変わるはずです。
分かり合えないからこそ一歩立ち止まり、想像力を働かせる大切さを教えてくれる一冊でした。 -
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ネタバレ六人部屋の十三年間
病室で出会った忘れられない人たち
著者:頭木弘樹
発行:2026年5月25日
晶文社
著者の肩書きは「文学紹介者」。何冊も本を出していて、カフカの研究家でもある。同時に指定難病「潰瘍性大腸炎」に長年苦しみ、その生活ぶりを綴った「食べることと出すこと」(医学書院)を6年前に読んだ。また、エッセイ「口の立つやつが勝つってことでいいのか」(青土社)も一昨年読んだが面白かった。読むのは、これで3冊目。
筑波大学3年、20歳のときに発症し、大学病院に入院するのは嫌だったので、近くの中堅規模病院に入った。やがて大学病院に移るのだが、ある種の手術をするまでの13年間、闘病生活を送った。ずっと入院していたわけではないようだが、検査をして結果を見てまた入院。不安との闘いでもあったようである。手術後は普通に近い生活が送れるようになったらしいが、完治したわけではない12年間を過ごしているらしい。
入院生活は個室から始まった。1日に20回ほど血便が出て、熱も高かったため、医師の判断で個室に。病院都合なので差額ベッド料金はなし。少し良くなるとそれが発生するということで、複数人の部屋へ。いきなり6人部屋には抵抗があったため、少し差額ベッド料金が発生する2人部屋に取り敢えず入ることになったが、それが間違いだった。
もう一人がバリバリのやくざだったのだ。上半身を脱げば入れ墨、いつも何故かベッドの上に立って着替える。下っ端が隠し持ってきた一升瓶を渡すと、その時もベッドの上に立ってラッパ呑み。ところが、下っ端が帰ると酒を捨てにいくのである。肝臓が完全にやられていて、酒を受け付けないのであろう。一方で、親分と思われるような人物が来ると、ベッドに正座して話を聞いていた。
そのやくざに代わって入ってきたのが、納豆おじさんだった。納豆だけは絶対に食べてはいけませんよ、と看護師に強く言われている。茨城の方言がきつくて聞き取れない。ある夜、寝ているとカーテンの向こうから黒い液体がこちらに大量に流れてくる。もしかして血?灯りをつけると赤い。慌ててナースコール。どうやら納豆を食べたらしい。納豆を食べたでしょ!と怒られている。しかも、出血したのはこれが初めてではないようだった。
そんなドタバタがあり、差額ベッドが払えないとの口実で六人部屋へ。そこからいろんなドラマが始まる。なにせカーテン1枚、声がまる聞こえで、見舞いに来る家族などとの会話がよく分かるのである。入院患者は、見舞いに来た家族とほとんどが喧嘩をするらしい。6人中の5人は50代と思われる人。著者は20代。そんな著者が何組もの離婚を止めたという。なぜ50代が20代の独身の著者に相談に来るのか。これも面白い話である。同じように、大学の同級生が就職相談にやってくるのだそうである。終活どころか20歳のときから社会に接したことがない著者のところに、どうして相談に来るのか?
いろいろな人間模様を、入院患者独自の視点かもしれないが、著者が観察し、分析していく。この人の論には、いつも納得させられるし、勉強になることが多い。とても面白く価値のある一冊だった。
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廊下にいるお年寄りの患者が「若い物はいいね」と羨ましそうにいう。若いから元気もあるし治りもいいだろうというのだ。これには腹が立った。向こうは年をとって初めて病気になっている、こっちは20歳でなっている。向こうが20歳のころは元気でピンピンしていたのだ。うらやましいなどと言われる覚えはない!
一人、着物のおじいさんが六人部屋に入院してきた。作業着のおじさんもいる部屋。きっと着物の人はお金持ち、作業着の人は貧乏なのだろうと思ったが、実際は逆だった。着物の人は、親友の借金の保証人になって逃げられ、返済に追われる人生を送ってきた。かなりの額だった。見舞いに来た妻から「あなたはいつもそやって、おひとよしなんだから」と涙ながらになじられていたから分かった。
作業着姿は、いつも孫娘が1人だけ着て看病していた。他は誰もこない。この人は同室のみんなに大声で説明した。息子も娘もたくさんいるが、財産はすべてこの孫に譲ることになっている、そのかわり、こいつは大学にも行かず、仕事もせず、結婚もせず、友達づきあいもせず、私の面倒だけを見るんです。
大学の同級生が就職活動の相談に来る理由を分析。大して友人でなかた者までなぜ相談に来る?
1.病人、特に入院患者は、見舞いに行けば必ずそこにいるから
2.重い病気をした人間は人生のレースから脱落していて、ライバルではないから何でも話せる
3.病人に秘密を話しても、他に漏れる心配が少ない
4.重い病気をした人間の言葉には重みが感じられるから(本当にそうかどうかは分からないが聞く方が勝手にそう感じる)
5.病人は弱いから自分も弱みを見せやすい
6.病院は話をじっくり聞いてくれる。なにしろベッドに寝ている。
7.相談する人の多くはアドバイスを求めていない、聞いてもらうだけでいいから
同室の50代夫婦。夫からも、室外で妻からも、相談を受けた。妻は泣きながら。双方の気持ちを聞き、伝えてあげる。結局、離婚は回避された。それぞれからお礼を貰う。妻がくれた高級そうなチョコレートは食べられなかったが。
親子での喧嘩もある。父親はエリート会社員だったが、上り詰める直前で病気のため挫折。息子に託したが、高校生の息子はもっと自由に生きたい。病室で喧嘩になり、以後、息子は来なくなった。
理解は多くの場合に於て、融合を生まずして離反を生むからだ。
種田山頭火「砕けた瓦」
「がんばっているね」と言われると、褒められて嬉しいと思えない。好きで病気になったわけでもなければ、好きで闘病しているわけでもない。それでも、「がんばっているね」だけならまだいい。さらに褒めようとして「私だったらとても無理」と付け加えられると、言い返したくなる。
体にたくさん管がつながっていたり、極端な食事制限の様子を見て、「私だったら、とても耐えられない」「オレだったら、死んだ方がましだな」などと言い出す人もいる。自身の心の中に、そういうことになっていない自分に対する喜びが湧いているのではと思えてしまう。
忙しい人にとって、1日中パジャマでベッドでごろごろしているのは夢。「うらやましい」と感じ、口らかそれがこぼれてしまう。しかし、入院患者からすると、何日か休むのはいいが、長期間になるとだんだん辛くなる。ましてや、大部分の時間をベッドの上で寝ていなければいけないとなると。段々体がいたくなり、不思議なこりが発生し、身の置き所がない感じに。すでに横になって休んでいるのだから、これ以上、休みようがない。本当に辛い。忙しく働いていて横になるから楽なのだ。
田舎の友達が送ってくれた段ボールに入った漫画本。看護師から邪魔だと叱られ、読んでも何の感慨もない。迷惑だったが、その中に、漏らす漫画があった。電車の中で大を漏らす。自分も病気で漏らしてしまい、ひどくショックだったときだから、これには心が動いた。それをきっかけに漫画が読めるようになり、そこから本を読むようになり、本を書くという今の仕事につながった。運命を変えたお見舞いの品と言っていい。
病気をすると宗教の勧誘の人たちが群がる。特に西洋医学ではなかなか治らない病気の人にはかなりしつこくやってくる。著者の病室にも、田舎の同じ高校という男が見舞いに来た。入院中だとたまたま耳にしたからだという。親しくしていた相手で、名前も顔もしらなかった。同じ大学にいることさえ知らなかった。おどろいていると、宗教の勧誘を始めた。「帰ってくれ!」。それに慣れているらしく、次は集団で来るのではと不安だったが、集団で来たのは親戚の方だった。
ようやく外泊許可が出て、一時的に部屋に戻ったとき、親から電話があって東京にいる親戚がお見舞いに行きたいそうだと言われた。遠い親戚で、一度会ったことがある程度の同い年。それがわざわざ東京からつくばまで。断りたかったが断り切れず。すぐその日に来た。ドアを開けてびっくり。その親戚1人ではなく、後ろに住人以上の男女が並んでいる。宗教の勧誘だった。親戚の体を手で押しのけ、なんとかドアを閉めた。チャイムを鳴らし続け、ドアを叩いたり、猫なで声を出したりしたが、やがて帰っていった。
最初に退院した日、いきなり電話が鳴った。「お墓を買いませんか?」という勧誘の電話だった。次の電話は宗教の勧誘だった。まったく知らない人から。どうして電話番号を知っているんですかと聞いても、答えない。相手はこちらが難病だと知っている様子。その日は、お墓や宗教の電話が、いろんなところからかかってきた。どうやら、病院からそういう情報が漏れているらしい。リストを売っている人がいるという。
疑われて怒る医師は、たいがい腕がよくない。著者は大人になってから水疱瘡になったことがあるが、ある大きな病院でただの風邪だと診断された。もう水ぶくれができていたので「こういうのが出来ているのですが・・・」と改めて言うと、医師が怒りだした。あとから看護師に「あの先生はすごい先生なんだから、逆らったらダメよ。診てもらえるのはありがたいことなんだから」とさとされた。すぐに別の大きな病院にいくと、たちまち水疱瘡と診断された。なお、その怒った医師は、その後、何かの大きなミスをしたらしくk、患者から訴えられて新聞記事にもなっていた。
【歯科医での経験】
歯の詰め物がとれて大学病院に行った(大病の際の経験によりそうした)。親知らずが横倒しに生えていて、隣の歯と接しているところが虫歯になっている。ほんの少ししか出ていない親知らずを抜くため、切開手術をすることになった。レントゲンを撮ると近くに神経があり、下手をすると手術で神経に触れてしまうことがあり、麻痺が残る場合がある。口をちゃんと綴じられなくなってよだれが出たり味が分からなくなったりすることも。一生そのままということもある。そう言われた。また、歯を抜く時に使う器具は先が尖っていて、時に顎を突き抜いてしまうことがある。そういう場合も含めて同意書へのサインを求められた。
手術を後日にし、そんな話を出版社の編集者にしていると、神の手と呼ばれる歯科医のメールアドレスを教えてくれた。メールすると、偉そうにすることも一切なく、気軽にやりとりしてくれ、診てもらえることになった。行くとき、レントゲンをもらってきてないので大学病院から、その神の手のいる大学病院に送ってもらえるように手配した。しかし、神の手の先生はレントゲンなんて入らない、外から見たら分かるという。大丈夫です、じゃあ、抜きましょうね。とその場で親知らずを抜いてくれた。切開手術なんてしなくても大丈夫です、と。
なお、「私は虫歯の治療は苦手だから、させないほうがいいですよ」と言い、他の医師を紹介してくれた。 -
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おもしろかった。発達障害当事者の横道さんと20歳で病気になり、13年ものあいだ闘病していた頭木さんとの往復インタビュー。
インタビューなのでしゃべり言葉ですべて収録されており、心の面、身体の面の不調や唱題を語っていく。ふたりとも全く違う生活をしてきたのに、通じるものがあったり、全く通じず、お互いにそれぞれの文化を教え合う場面もあり、とても楽しく読めた
この世の中は健康体や健常者ばかりではなく、はみ出している人をさらに制度からはじき出さないような社会にしていきたいと思うし、こういう本のような違う分野からの語り合いというのももっと共有されていけばいいと思う -
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「痛いところから見えるもの」で、作者の持病がかなり重症であることを知ったが、今回はその闘病中の入院生活についてのエッセイ。
見舞い客の章が一番沁みた。
自分も子どもの付き添いで一年間入院していたことがあり、そこで見た見舞客のことが次々と思い出された。
「あなたはがんばっているね、私だったら無理」
この常套句を何度聞かされたことか。「ムリ」という言葉の突き放した冷たさ。励ましでも何でもない、蔑みだなと痛烈に感じた。
でも、頭木さんは、それでも「傷つく言葉リスト」には反対だという。気にしない人はそんなリスト、はなから気にしないが、気にする人が萎縮して見舞いを躊躇してしまうから。
そして誰しも間違えてしまうことはあるから。
確かに、自分も傷つけてしまった見舞いもあるだろうなと思う。
頭木さん、苦労のせいで、こんな境地に達してる。
とはいえ、宗教の勧誘は許し難い。病気の人の元には、宗教は入り込みやすい。これは頭木さんもダメだと断言。
人間味溢れる医師(いい意味でも悪い意味でも)の話も興味深い。持病を持つと、医師との付き合いも長くなる。人間観察が面白かった。 -
Posted by ブクログ
たんたらたらたんたらたらと
雨滴が
痛むあたまにひびくかなしさ
/石川啄木
石川啄木がまたまた登場してくれた。
私の推しのクズ男。
昔の私なら、石川啄木の詩から「痛みの孤独を感じとりました」とか何とか感想を抱きそうだけれど、今は、うっかり「またまた〜、上手に盛ってますね〜」と思ってしまう。
石川啄木の人となりを知ってしまうとね。
大事な時に、共感を得たいなら、普段の自らの行いに気をつけないといけないな。
身体的な痛みも、心の痛みも、共感して欲しいけれど、共感してもらうのって難しいからね。
石川啄木くらい、心に訴えてかける詩が書ければいいのにと思う。その詩を読んだ多くの人は、「さぞかし辛いのだろう」と手を差し伸べるに違いない。
自己表現が上手い人は、あらゆる面で生きやすいのかもしれない。
結局、「痛み」という個人的な現象ですら、人間関係が関わるのか。
文学の中には、自分の言葉にできない感情が表現されていることが多く、今まで、もどかしいと思っていたことを、むしろ自分でも気がついていなかった気持ちを、言語化して代弁してくれていることに感動することがよくある。
『痛いところから見えるもの』では、痛みの辛さが見事に言語化されている。多くの人にとって、この本は救いになるのではないだろうか。
文学は、ときに孤独を引き受けてくれる。 -
Posted by ブクログ
創元社の「あいだで考える」シリーズが大好きで、ほぼ全巻持っています(積読もあり)。そのなかで、創刊の一冊であるこの本はなかなか手に取れていなかったのですが、読めてよかった!
あまり自分が自分でいることに疑問を持たないタイプなので合わないかもなぁと思っていたのですが、この本が扱っているのは「こころ」と「からだ」の間。ロボット操縦を例にしたカラダがこころに与える影響の話などはハッとする視点だったし、シリーズ始めということもあるのか、「あいだ」を考えることをより実感を持たせる内容になっていました。分けない、という視点は今の世の中で結構大事な気がする。グラデーションを意識しながらいろいろなことを考えられると良いなぁと思うなど。