頭木弘樹のレビュー一覧
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痛いことは、人に本当には理解してもらえない。自分の1番つらいことが、誰にもわかってもらえないなんて、本当に孤独だ。わからなくとも、せめて傷に塩を塗るような言葉をかけないために、この本を読む価値がある。
p91
相手がありきたりな型にはめようとしてくること以上にこわいのが、自分からありきたりな型にはまっていこうとしてしまうことだ。
たとえば、私のような難病患者は、「難病になって、さんざんつらい思いをしたけれども、そのおかげでいろいろな人とも出会い、精神的にも成長し、結果的にはよかったです。今の自分があるのは病気のおかげだと前向きにとらえています」というような、不幸克服物語、おわりよければすべてよし物語を、周囲から求められる。しかし実際にはそんなことはほとんどない。一しかし、そういう物語に自分をあてはめて難病体験を語る患者はとても多い。一なぜそんなことをしてしまうのか?それは孤独だからだ。話を聞いてほしいからだ。そして、こういう物語にはまっていれば、人から好かれる。「良き難病患者」と見なしてもらえる、名誉白人ならぬ「名誉健常者」としてあつかってもらえる。そのために「代償を払う」のだ。
p169
苦痛に苦しむ人間を、周囲がいやがるのは、やはりおそろしいからだ。ー「明日は我が身かもしれない」と、心のどこかに不安を潜ませているからこそ、嫌悪するのだ、差別するのだ。自分はそっち側でないんだと、自分自身にも言い聞かせるために。本当に幸福で満たされていて、将来にも何の不安もない人なら、差別も排除もしないだろう。
痛がる人間がいやなのは、自分もいつかそんな痛みに襲われる可能性があるからだ。泣き叫ばれたりしたら、こっちまで不安になってしまう。そんなとき、痛くても笑顔でいる人がいたらどうだろう。不安を減らしてくれる、そういう人をほめそやしたくなるだろう。 -
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作者は、潰瘍性大腸炎という難病の闘病生活を13年経験した方。
痛い人と痛くない人(痛い人のそばにいて、その痛みをわかってあげたいと思っている人)のあいだで役立つ本を目指しているそうです。
「痛い痛い」とずっと言っていると、人が離れていきがちだ。難病になって性格が変わった、変わらないほうがおかしい、という話など。
決して無理にポジティブにせず、心のままに伝えてくれているのにどこか明るくて、くすっと笑えたりして、癒やされます。
無理に立ち直らなくていいんだなあ。変わって当たり前で、変わったところから見えることもあるなあ、と。
最後までほとんど一気に読みました。読んで良かった!! -
Posted by ブクログ
少しわかる。残りはわからない。
そういう感覚が連続する、ごく短い文章を詰め込んだ巾着袋のような一冊。
わからない、ということについて、編訳者解説のなかで全面的に肯定されます。そして、作者も友人に出した手紙の中で以下のように残しているそうです。
“自分の城の中にある、自分でもまだ知らない広間。それを開く鍵のような働きが、多くの本にはある。”
“ぼくらはそもそも、自分を咬んだり刺したりする本だけを読むべきではないだろうか。
ぼくらが読んでいる本が、頭をガツンと一撃して、ぼくらを目覚めさせてくれないなら、いったい何のために、ぼくらは本を読むのか?
本とは、ぼくらの内の氷結した海を砕く斧でなければならない。”
心の中の不安定な部分をくっきりとさせておいて、そのあとまたそれを、後ろ足で砂をかけて隠してしまうような、詩なのか随想なのかわからない小作品の数々でした。 -
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ネタバレ痛みについてそんなに考えたことはなかったけれど、確かに場所によって痛みの質は違うし人に伝えるのは案外難しいし、状況や場所によっては伝えること自体恥ずかしかったり軽んじられたりする。
痛みに苦しみ抜いてきた人の重みのある話ばかりで「そんなふうに考えたことなかった」や「そんなふうに思ったり感じたりしてしまうものなのか」などの驚きや恐怖がたくさんありました。
けれど知りたくないということはなく、恐ろしいけども知らないよりは知っていたいと自分は思う方なので興味に引っ張られて読み進め、付箋だらけになってしまった。
「どんな体験をした人にも、それゆえに見える景色や立てる地平がある(p7)」本当に経験しなくてはわからない知ることができない理解できないことというのは必ずあるといつも自分も思っていました。
p62に親しくもなくどちらかと言えばあまり関わりたくなかったような相手なのに、他の人には理解してもらえなかった痛みを理解してもらいお互いに通じ合ったことで、もう会うことがなくても孤独を感じた時の支えとして心のなかにとどまり続けているおじさんの話も、これはそういう経験をした人でなければ実感としてわからないことだろうと思いました。
でも、平時なら(頭木さんも普通に世間で出会ったら、と書いてるけど)絶対関わるようなことがなかったような相手と特殊な事情や状況から一時触れ合って、ものすごく支えられるということは珍しいことではあるけれどあるんじゃないかなと思いました。
関わりの長さとか深さなどとは関係なく、理解し合えたということがお互いに伝わったことでそれが一生の支えになるということはあると思います(そこまで深くはないけど自分も似たようなことがありました。その時のことは心に残っています)
それも体験したゆえに見える景色の一つ、というものかもしれないとも思いました。
とは言え、体験することが返って理解を妨げることがあるというのも言われてみるととても頷けた。(p144)障害者や高齢者の大変さを疑似体験装具を使ってバーチャルリアリティとして一時的に体験することで「こういうものか」と分かってもらうことが、その苦難に対しての理解度をそこまでに留めてしまってそれ以上理解を深めることを困難にすることがあるというような内容だった(体験した結果「思ってたより大変じゃなかった」というような)それはあるかもしれないとちょっと目からウロコ感だった。
体験しないよりはしたほうがいいような気もする。けれども、一時的にこういうものかと感じるのと恒常的にその困難を抱えて暮らすのでは全く違う体験であるのは当然なのに、そこまで考えられなくなってしまうということだ。
痛みについてずっと書かれているけれども、他人に自分の苦しみや辛さを理解してもらうというのは本当に難しいなと考えさせられるエピソードでした。
全12章で各章の扉にエピグラムがあるのだけれど特に2章の遠藤周作先生のエピグラムが沁みました。遠藤先生も若い頃から大病をされて痛みに苦しまれてきたので「不幸や苦痛はどんな種類のものであれ、人間に孤独感を同時に与えるものだ」という言葉には重い実感が込められていると感じました。
p71出産時の痛みについて考えたことはなかったけれど、確かに種の存続のために大切なのだから痛みがなくもっとスムーズに行われるようになっていいはずなのに何故そうならなかったのかという考察がとても興味深かった。
出産の痛みはあって当たり前とか痛みを乗り越えて産んでこそ立派みたいな話を昔はよく聞いたけど今考えたらとんでもないこと言ってるなと思う。このことはもっと考えられても良いんじゃないかなと思いましたね。
10代の頃に人並に自殺を考えたこともあったが、それは元気だったからこその破壊衝動のようなもので、病気になって以降、自分が自殺することはないと思っている。いつも溺れかけているわけで、生きることに息をすることに必死だからだ。(p164)ここを読んで自分の兄弟が病気で死にかけて手術して回復した後「死にかけてから死にたいと思わなくなった」と言ったことを思い出しました。
苦痛に苦しむ人間を、周囲が嫌がるのは、やはりおそろしいからだ。(略)自分はそっち側ではないんだと、自分に言い聞かせるために(p169)
これは犯罪被害者が差別される構造に似ているなと思いました。
不安や恐怖に関わりたくない避けたいという気持ち。
心の辛さを逸らすために体を傷つけてしまう自傷について他書からの引用で(p245)自分で自分を助けようと自傷する、という言葉が出てきます。とても重い。でも自傷してしまう人の真実なのだなぁとも思いました。
傷つけたかったり死にたかったりするわけではなく(苦しむ心を)助けたくて(体を)傷つけてしまうということなのだなと。
心の傷は見えないけれど肉体の傷は見える(人に傷を見つけてもらえる)ということもあるのか、とその壮絶さに言葉を失います。
p276脳のエラーの話も興味深かった。脳のエラーを修整するリハビリをしていったら痛みが消えていった、という話は衝撃的です。そんなことかあるのか!と人間の脳の不思議さをとても感じました。幻肢痛についても触れられていますが、幻肢痛が「ある」ことを思うと脳のエラーで痛みが出るなんてことがあるのだなととても納得できます。
この脳のエラーをリハビリする話は幻肢痛や原因不明とされている痛みを回復するためのヒントになる話なのではと感じました。誰かそういう研究をする科学者はいないかなぁ?
本書はたくさんの文学作品などからの引用がかなり盛り込まれていて(頭木著書の特徴?文学紹介者という肩書だし)ガイドブック的にも読めます。実際読んでみたいなとか読んだなと思う本も出てきました。
さらには次に読もうと手元においてた本も出てきてびっくり。本書と相互引用的に次読みたいと思います。
歌人で早世された笹井宏之さんの短歌もちょっと紹介されていて、自分は好きで何冊か本も持っていますが本書で紹介された作品は知りませんでした。
たくさん驚かされ考えさせられ、新たな本との出会いの手がかりも得られた良い読書でした。
最後に覚えておきたい言葉。
「絶望したときには本が命綱になる」
読むことで命を繋いできた頭木さんだからこその実感のある言葉。
立ち直れたなら、本はいらない。立ち直ることができずに、ずっと絶望状態が続くことがある。しかし、倒れたままでも生きていかなければならない。そういうときに読むことをすすめているのだ(p131) -
Posted by ブクログ
落ち込んでいるときに「希望を捨てずがんばれ!」「前向きになれ!」と(言ってくれる人がいるのはありがたいけど)言われるとしんどい時もある。過度にポジティブにこだわるのは、それ自体結局ネガティブなことじゃないか……
この本は、「ネガティブな思いを持っても大丈夫だよ」「人間だから常に前向きにはいられないよね」と、寄り添ってくれる言葉やエピソードが紹介されています。解説がとってもおもしろい!人間あるあるを見ている気分になります。ときには、自分を鼓舞して前に進むことも大切ですが、まだその気力が湧いてこないあいだは、倒れたまま少しゆっくりしてもいいなと思わされる本です。 -
Posted by ブクログ
ありそうでなかった「痛い人と痛くない人の間にある本」。
どんなに好きあっていても、親しい間柄でも、痛みは移植できない。
今痛みを感じていて、それを軽んじられて悲しい人。
痛みをかんじているひとのそばにいる人。
そして、わたしのように、すぐに他者の痛みを、わかった気分になってしまいがちな人におすすめ。
反省しました。
他者の痛みは直に感じられることはなく、自分の過去の痛みから類推しているだけだ、というような、ヴァージニア・ウルフの言葉にはハッとした。
文学紹介者の頭木弘樹さんらしく、たくさんの「痛み」の本も紹介されている。
自分の身体の痛みも、他者の体の痛みも、軽視しないようにしたい。
そしてそんな社会になればいい、いや、していきたい。
せめて自分の周りだけでも。 -
Posted by ブクログ
痛みについて、総合的に書かれた本。
体の痛みのある世界の人が何を感じているか。痛みのない人との間にどんな溝があるか。
ネガティブなものを、全てポジティブ転換できるものばかりではない、ということを学ぶ。ポジティブ変換すべき、という価値観の中に生きていたことを思い知る。
痛い人とそうでない人の間には大きな断絶。痛い人に対して、わからないことを前提に関心を持つこと。自分の痛みは、同じ痛みを持つ人と分かち合うこと。
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●痛みと孤独
・痛みには孤独がもれなくついてくる
・心の痛みを(人には聞いてもらえないので)馬に聞いてもらう
・自分だけがガタガタと震えているのに、周りはみんな平気。痛い人はそんな立場にいつもいる。
●痛みによって結びつく
・「この人は本当にあの痛みをわかっている」
・2人で、おいおいと泣いた
・私の気持ちは、ずいぶん晴れた
・村上春樹:人の心と人の心は調和だけで結びついているのではない。それはむしろ傷と傷によって深く結びついているのだ。痛みと痛みによって、もさもさによって繋がっているのだ
・世界母親大会(出産の痛みによって結びつく)
●お前なんかにはわからないと言わない、言われないために
・経験していない痛みはわからない。
・ありきたりな型にはめられる
・山田太一:災害にしろ、病気にしろ、経験した人としない人とではものすごい差がある。一生懸命想像はするけれど、届かないものがあると言うことを忘れてはいけないと思う。
・痛みの言語化は不可能。それでも、痛みがある人は、精神状態(つらい、悲しい)で語るのではなく、身体五感と言う次元で表現する方が相手に理解される
●痛みとマッチョイズム
・我慢が求められる。暗に明に。
・人は痛みを嫌悪し差別する。周囲が苦痛に苦しむ人間を嫌がるのは、やはり恐ろしいからだ
・我慢はあまり続けていると、もう無理と言う限界に達してしまう
・コントロール感を持てれば少し楽になる。
●痛くない人が言うべきこと
・どこが痛いですか?
・どんなふうに言いたいですか?
・どんなことを感じていますか?
・どんなことを考えていますか?
●痛みのある世界から見えるもの
・療養短歌と療養俳句:廃品になって、初めて本当の空を映せるのだね、テレビは。 -
Posted by ブクログ
激しく同意しました。
カフカの人生論の著者。他の作品もと手にした本書。
心と体の話し。
20歳の時に難病にかかり13年間にわたる闘病生活を送った経験を持つ著者。なかなかヘビーな経験です。
その間に読み、体感して感じた個人的経験を文学、哲学、生物学等のフィルターを通して、見事なまでにアイデア提起をしてくれた。(特に文学)
論理的でもあり、感覚的でもあり。
生きるための柔軟性を得ることができる名著でした。
はじめに から引用(こんな人にオススメ)
自分でいることに、疲れを感じたことはないだろうか?
たとえば、自分の性格が好きではないとか。
自分の体に不満があるとか。
「どうして自分はこうなのだろう・・••・・」と悩んでしまう。
それなのに、その性格や体でずつと生きていかなければならない。
気に入らないなあと思いながら、24時間365日、なんとか折り合いをつけながらやっていくのだから、これは疲れないほうがおかしい。
別人になってみたいと願ったことのない人は、少ないのでは?
自分が好きな場合でも、ずっと同じ自分でいるというのは、退屈と言えば退屈だ。
いつも自分の目線で世の中を見て、自分に起きることだけを体験して、自分の人生を生きていく。
ずっと同じ主人公の映画を見続けているようなもので、うんざりしてきてもおかしくない。
中略
では、「自分」とは何なのか?
そう問われると、よくわからない。哲学的な問題に聞こえる。
自分とは、よくわかっているものであると同時に、よくわからないものだ。
とりあえず、この体、これは自分だ。
そして、この心、これも自分だ。
では、心と体が自分なのか。
自分とは、心と体なのか?
後略
本書の前半では、心と体を分離して、どちらが自分なのかを考察していきます。分けたほうが考えやすいからです。
この命題は、未だ発展途上。難題です。
自分とは心なのか
自分とは体なのか
分けて考えたほうが考えやすいから分けたが、最後の章では、まとめて考えていく。
そこで重要なのが
「あいだ」
である。
物事には、「あいだ」、「グラデーション」がある。
ここをうまく受け入れたいが一番の著者の主張。
心と体をひとつと捉え、一連のものとする。
消化器官も、一連で、どこかに問題があると食べたものをうまく排泄できない。
繋がっている。
全てのものは、繋がっている。
そして、グラデーションで繋がっている。
「曖昧さ耐性」と言う言葉があるらしい。
本書で初めて知り学んだ言葉でした。
これは相当重要だと思いました。
「曖昧さ耐性」が低い人は生きづらい。
白黒つけたがる人。生きづらい。
やっぱり「あいだ」があるのです。
「自分」の中にも
あいだがあり、グラデーションであり、行ったり来たりの曖昧な存在だ。
自分ですら曖昧なのだ。
この考え方は、とても、楽にしてくれる。
とても自由だ。
グラデーションで繋がっていく自分。
グラデーションで繋がっていく世界。
今までの自分。
幼少期の、小学校、中学校、高校、大学、20代、30代、40代……その先も
いろんな自分がいて、今の自分は、その全てを含んでいる。
経てきた時代の自分、いろんな自分を、たくさんいる自分を含んでいる、今の自分。
生きてきた自分は、みんなえらい。
この、今までが繋がった自分という感覚。
大切にしたいと感じました。
この人の作品は、勇気をくれる。 -
Posted by ブクログ
カフカ…
超人的な絶望家。
超絶ネガティヴ。
あまりのネガティヴ過ぎにかえって笑えてくる。
著者の言う通りだ。
読むと不思議と元気にさせられる。
これは、なかなかの名著だぞ。
超訳「ニーチェの言葉」のカフカ版と言ったところか。
カフカの言葉と解説がワンセットになった86作品。
目次を記す
1.将来に、絶望した!
2.世の中に、絶望した!
3.自分の身体に、絶望した!
4.自分の心の弱さに、絶望した!
5.親に、絶望した!
6.学校に、絶望した!
7.仕事に、絶望した!
8.夢に、絶望した!
9.結婚に、絶望した絶望した!
10.子供を作ることに、絶望した!
11.人づきあいに、絶望した!
12.真実に、絶望した!
13.食べることに、絶望した!
14不眠に、絶望した!
15.病気に
絶望‥‥‥していない!
絶望しまくってます
若い頃に、
「絶望的な状況なんてない。
絶望だと思う心があるだけだ。」
って言う言葉を聞き知った時、「確かに」と心のあり様で、いかようにでも考えられることを学んだことを思い出した。
それにしても、カフカ…
この絶望っぷりは、もはやユーモアだよ。
絶望してるのに、なんて、魅力的なんだろ…
絶望してるのに、なんで、魅力的なんだろ…
読んでいて、
カフカがチャーミングに思えて仕方がなかった。
飛び越えずして、飛び越えた稀有な人。カフカ。
超絶神経質。神経質の神。カフカ。
こんなに勇気を与えてくれるとは…
訳者の解説も、すさまじくわかりやすく良い。
自分に自信、確信が持てない人に、
ぜひ手に取ってもらいたい作品だ。
「絶望」がこんなにも人間性を浮き彫りにするものか…
絶望を知ることが、「生きる糧」になるのかもしれない。
今で言うところの、夢想家。ニート。宇宙人。
のような人。
カフカのXがあれば、フォロワーめちゃくちゃ多いと思う。
作品をフォローしようと思うのでした。 -
Posted by ブクログ
頭木さんのこのタイトルの本が出ると知って発売と同時に購入した。タイトルどおり「痛み(痒みについても少し)」について余すところなく語られていた。過去に筆舌に尽くしがたい原因不明の痛みを24時間×一週間経験したことがある。その後も色々な痛みに見舞われているがいつもあの時よりましと自分を慰めることができるほどだった。もちろん体の記憶は失われているが今でも時々思い返してみることがある。(不幸なことに猛烈な痒みの経験もある。)果てしなく続く痛みに耐えながらこれをどう表現したらわかってもらえるかと考えたことも思い出した。痛い人の孤独を理解し寄り添ってくれるこの本があれば多少なりとも救われる人がいると思った。今痛くない人にも読んでほしい。死ぬときにはどうか痛みだけは与えないでほしいと切に願っている。
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Posted by ブクログ
絶望を表現するにしては淡々とした文体。でも読みやすくて良い。最初の3篇連続で末尾が「いや、〜〜さえ〜ない」で笑った。あまりに無力。
好きなのは〔道に迷う〕、〔夏だった〕。私は常に「ずっと倒れたままでいたい……」「このまま寝かせておいてほしい。ずっとこのまま……」と思っているので……
〔道に迷う〕は「うっそうとした暗い森だが、道の上にはわずかな空も見える。それでもわたしは、果てしなく、絶望的に、道に迷う」という言葉も突き刺さった。仕事に迷走し転職を繰り返していた時、どの職場でも全部自分のせいにしてなんとかしようとして空回って更に自己嫌悪して。その時は自覚もなかったけど今思うと〔なにが?〕のように気づかないまま自分で自分を苦しめてたんだなあ。
〔灌木〕にあるように、荒地に植えられても「わたしにその価値がない」のではなく「わたしほど豊かに茂る灌木は他にないのだから」と思えてたら良かったのにと、今更ながら思う。
他にも面白い篇がたくさんあるけどこれ以上感想書くと個人史というか黒歴史を開陳することになってしまうのでやめますが!でも誰が読んでも心に刺さる篇があるはず。面白い。さすがカフカ。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ名言集を読むよりも先に普通に作品を読むべきか、とも思いつつ読み始めたが、第1回のカフカの回で早速引き込まれてしまった。辛かった時の感情を思い出してあの時にこの本またはカフカに出会いたかったなと思ったり、今の気持ちを表現してくれる名言に出会えて救われた気持ちになったり、もっと作品に触れてみたい作家・作曲家と出会えたり、読んでよかった。
辛い時にはポジティブな言葉よりも絶望名言の方が沁みたり救いになることがある。若い時に13年間の闘病生活をしていた頭木さんが共感したり救われた名言とその背景、人物の紹介をしていくラジオを書籍化したもの。
カフカ、ドストエフスキー、ゲーテ、太宰治、芥川龍之介、シェークスピア、中島敦、ベートーヴェン、向田邦子、川端康成、ゴッホ、どれもよかった。
彼らや頭木さんほどではないが、自分も思い描いていた人生の道から外れたときや寝たきりで過ごすしかない苦しい時期があって、だからこそ世界がそれまでとは違うように見えたり、良くも悪くも諦めを覚えたりして。10年前だったら味わいきれなかった名言たちだなと感じた。
カフカの絶望名言より
「生きることは、たえずわき道にそれていくことだ。本当はどこに向かうはずだったのか、振り返ってみることさえ許されない」