鴻上尚史のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
なぜ自殺者が多く、生きづらい世の中なのかが
よく分かる一冊だった
読み出したら止まらなく
あっという間に読み切ってしまった
なぜLINEの既読無視をすると
ハブられてしまうのか
コロナにかかってしまった人が
謝罪をしなければならないのかが
少し分かった気がする
日本人はいかに小さな世間の中で
生きているのかが分かったのと同時に
自分も社会には目を向けられていないと感じた
個人が個人として尊重される社会がない日本
知らずしらずのうちに同調圧力にやられていた
関係のある人たちで成り立っているのが世間
何も関係がない人たちがいる世界が社会
世間という強力な敵をよく知った上で
社会とつながる言葉を獲得する。
同時に弱い世間をできれば複数見つけて参加する
自分自身を生きやすくするためには
大切な考え方だと思った -
Posted by ブクログ
鴻上さん「ほがらか人生相談」の第三弾。あとがきで、鴻上さん自身も触れているように、『似ている内容だと、僕のアドバイスも間違いなくにてくる』ので、
失礼ながら、私自身も、最初の「ほがらか人生相談」を読んだ時と比べると、目から鱗!みたいな驚きや新鮮さは減り。なので、評価★も4つにしてしまった。それでも、第一弾からの【観念的ではなく、理想論でもなく、精神論だけでもなく、具体的で、実行可能な、だけど小さなアドバイスをずっと探してきた】これは、変わっていないと思う。
そして、何より自分でも苦笑いしかないのだが、悩みって1つじゃないよなあと。あまりにも大きく苦しい悩みがある時には、それに心身のほとんどを持っていかれるので、自分はこの大きな問題が解決したら、明るい悩みの無い将来が待っているのではないか、とすら思ってしまうのに、こうして皆さんの悩み相談を読んでいると、毎回必ず、共感してしまう悩みに出会うのだ。
今回、悩みに共感し、鴻上さんの回答を見て、自分のモヤモヤにも答えてもらえた気持ちになった相談が1つ。
悩み自体は自分には当てはまらないものの、鴻上さんの答えにとても納得感と共感があった相談が1つ。
それを残しておこうと思う。
Q.息子は愛せるのに、娘のことをどうしても愛せない
A.じつは、『ほがらか人生相談』では、母親からの「娘を愛せない」という相談はわりとあります。珍しくないのです。「息子を愛せない」という母親の相談はまだ来ていません/自分を嫌いになる代わりに娘さんを嫌いになることで、「自分が嫌いという感情」を処理しているのではないか/息子さんに対して問題ないのは、異性なので、自分と同一視できないからじゃないか
・・・これは、自分が娘の立場として、どうして母親は兄弟のことは愛しているようなのに私のことは愛してくれないのだろうとずっと思ってきた人生だから、自分が鴻上さんに回答をもらった気持ち。そういわれて、母親の言動を振り返ると、なるほどなととても腹落ちするのだ。でもこれを、思い切って友人などに話しても理解されることはなかった。大抵はありきたりに「母親が子供を愛していないはずはない」とか「もちろん、男の子が可愛いという母親の感情は分かるけど、それは娘との接し方が違うだけで嫌いということではないと思うよ」と言う返しばかりだった。でも、自分の中では、勘違いではないと確信を持っている体験をいくつもしているからなのに理解されない、とモヤモヤし、だとしたら、やっぱり母親にそうさせている自分が悪いんだ、と言う苦しみを抱えてきた。でも、鴻上さんの言葉を読んで、もう乗り越えたつもりの悩みだったはずなのに、不覚にもボロボロ泣いてしまった。それは、ああ私だけが悪かったんじゃないんだ、と言う言葉をもらえた気持ちと、母親も多分この相談者さんのように悩んでいたかもしれないな、と思えたからだ。だって、大人になって思い返せば、母親との楽しい思い出も、逆に女の子だから共有できた出来事も、いくつもあるのだから。
Q.娘に何かを伝えるときに、自分の考えがないことに気づいた。大人になって空っぽだと気付いた。
A.空っぽの中に入れるものに、たったひとつの「正解」はないと思ってください。逆に、「これが正解だ。これだけを入れておけばいい」という、あまりにも分かりやすいものには気をつけた方がいいと思います。この複雑化した世の中で、「簡単に答えを教えてくれるもの」「ものすごく分かりやすく世界を説明してくれるもの」「世界を単純に敵と味方に分けてくれるもの」は、信用しない方がいいだろう
・・・これは、ここ数年、自分が感じていたことを非常にすっきりと言語化してもらった気がする。特に、この2年コロナ禍になって、世の中の考え方が、ともすれば二者択一のようになり分断されかけている時に、極端な意見を断言する人や、考えの異なる人をひたすら攻撃する人、攻撃的なことやセンセーショナルことを言う人は、信用してはいけないな、と思ってきたので。これは、何も今のような社会状況の時でなくても、人やコトを見極める時には心に留めておくべき言葉だな、と。 -
Posted by ブクログ
日本とイギリスの教育の違いが、
国民的価値観の違いから生じるのが
分かる本でした。
教育の考え方は、その国民が子供たちにどんな大人になって貰いたいかが問われるものですが、日本はあくまで和(合わない人間でも仲良くする)と現状維持(今も昔も同じ金太郎飴のような「学生」を作りたいのか、何で必要なのか分からない変な校則)だけを望んでるようにしか思われないのが残念でした。
社会に出ても自立精神を持って生きられるような教育を望みます。
個人的に印象に残ったのは、
イギリスの政治の演説が芝居がかってるのは、その役割を演じてるからで
演劇の素養は必要、という話です。
日本人は素面で相手を批判するから
相手も恨みを残したり傷付きやすいけど
演者として批判すれば
あくまでその場限りの内容として
受け止められるし
余裕もユーモアもうまれやすい気がしました。
公の場では演者として発言すれば
自分の意見も伝わりやすいのかもしれません。
少なくとも日本の国会の
あの台本読みの答弁だけは
早く変わって欲しいと思いました。 -
Posted by ブクログ
前から気になっていた本だが、ドキドキするほど心を打たれながら、一気に読み進めた。
■理不尽な権力に反抗するということ。
○岩本がツノを3本から1本にし、また、爆弾を投下できるよう改造した点(p.68)。これを機に、着陸への希望、生への希望が少し現実味を帯びた。
○佐々木の反論「私は必中攻撃でも死ななくてもいいと思います。その代わり、死ぬまで何度でも行って、爆弾を命中させます」(p.109)。
○末尾には、美濃部少佐の反抗も出てきたが、これもまた凄い(P.264)。
■夫婦というもの、命というもの
○岩本の、妻・和子との別れや、その後の和子の悲しみや日記は、読んでいて辛いものがある(p.37,49)。妻を大切にし、そして妻のためにも自分の命を大切にしないと。
○「人間は容易なことで死ぬもんじゃないぞ」という父の言葉(p.81)。
■理不尽な体制
出丸中尉の処刑飛行(p.142)、「年齢も学歴も低い者ほど積極的であった」(p.227)、軍部の批判回避の『神風特別攻撃隊』@1951年、、、。
※逆に、今後読みたいと思ったのは、
『陸軍特別攻撃隊』、『青空に飛ぶ』、『特攻隊振武寮』・・・
(本書自体は特攻の様子を伝える大部分が他の著作からの引用なのだよな、、という点も一応書き留めておく) -
Posted by ブクログ
学校の当たり前は社会の当たり前ではないことが度々ある。本当に今していることは生徒の将来に役に立つのか?何のためにしているのか?本当に必要なのか?常に考えていかなければいけないと思った。
工藤校長曰く「朝の挨拶運動は無駄」
生徒も教員も辛い中朝早く来て行う意味、効果の有無…。当たり前のように良いことと思われてしていることもよく考えれば何のために?が分からないものが多い。
これをしましょう!と上に立つ人が言い、従うことも社会をうまくわたる上である意味大事かもしれないが、何故?本当に必要?と疑いかかる、一度考えてみることはとても大切だと思う。
それがなければ大人としてこれから社会を生きていく上で必要な力を生徒に、なんてとうてい無理だと思った。
委員会活動がミニ先生(先生のやりたいことを生徒が皆の前に立っていかにも生徒主体として行うこと)を作ることなら、意味がない。よく聞く教師の言葉「やる気あるのか!!!」「(生徒の内心)別にやりたいと言ってやってるわけじゃないし…」その通りだな〜。『生徒の自主性』これが大切。 -
Posted by ブクログ
世間信仰・同調圧力に疲れたら、孤独に癒やされよう。
テレビでもお見かけする劇作家・鴻上尚史さんの本を読みました。
舞台人として世に出た鴻上さんですが、「生きづらさ」に関する著作も多く、この作品もタイトルの通りその類です。
孤独とはどういったものか?孤独をどう受け入れて生きていくべきか?を教えてくれる本です。
タイトルに「レッスン」とあるために、そういった自己啓発系のハウトゥーものであるようなイメージがありますが、明らかにそのような本とは質感が違います。
勿論それらの本と似たようなメッセージは書いてありますが、けして学術的なセオリーに沿ったような感じではなく、鴻上さんの体験したことを、鴻上さんの気持ちで、鴻上さんの言葉を使って書かれているのが分かります。この本を通じて読者に語りかけよう、思いを伝えようとする鴻上さんの意思を強く感じます。それゆえにハウトゥー本とはまた別種の説得力に満ちています。
鴻上さんの視点による、あらたな気づきもありました。無宗教である日本人は、「世間」を信仰し、現代ではその世間信仰も半分壊れていると(本文中ではもっと丁寧にページを割いて表現されています)。それゆえ同調圧力によって日本は行きづらい国であると。この考えは鴻上さんの他の著作でもたびたび出てきます。
孤独の中でこそ、じっくりと自分を見つめ、自分の考えや思いを育てることができる。孤独にもそんな希望を孕んたものがあると教えてくれました。いつかこの本をもう一度読み直したくなる時、それはきっと何かしら心が疲れている時だろうと思いますが、この本に寄り添ってもらえればまた少しずつ自分を取り戻せることと思います。 -
Posted by ブクログ
作家であり演出家である著者による、演劇についての話。小説、テレビドラマ、映画、演劇の違いについての考え方が面白い。小説がいちばん描写が細かく、テレビドラマ、映画、演劇の順で、いいかげんになっていく。見ている人は、小説では作家の思いどおりに内容が伝わり、テレビドラマでもナレーションが入ったりして、誤解しないようになっている。映画は、そこまではないが、人の動きや表情のアップなどを細かく差し込むことで、監督の意図する内容を観客に伝える。演劇では、必ずしも観客が同じところを見ているとは限らないし、ひとつの演技を見ても観客により感じ方が変わったりする。実際の人間社会の出来事は、演劇にいちばん近いので、ここから学ぶべきことが多いと思う。「生きることは演じること」と表題にも書かれているが、人間社会と近い関係にある演劇について知ることができ、勉強になった。
「演劇的な手法を、授業やビジネスや治療に使うことも、予想を超えて楽しい」p4
「(普段立派に見えた先輩)教室で、椅子や机をどけて舞台の代わりとして空けられた空間に立つ先輩は、じつに貧弱に見えました。演技が下手ということではなく、迫力不足で、とても薄っぺらい身体に感じてしまったのです。別の先輩の場合は、全く逆でした。(話が下手で、たいしたことないと思っていた)先輩が、セリフを言いながら動き出した瞬間、ものすごく魅力的に感じたのです。そのギャップは衝撃でした」p5
「どうも、演劇には人間を一皮むく力があるんじゃないか。その人の隠れていた本質を引き出したり、拡大したり、あらわにする能力があるんじゃないか。そう考えて、僕はいきなり、演劇というメディアに夢中になりました」p6
「演劇を知っていると、生活に役立つことが多い」p7
「本やCDなどの売り上げが毎年、落ち続けている中、ライブ・パフォーマンスの観客は、世界的に伸び続けています。日本では、2019年までの20年間で、観客数も約3倍になったというデータがあります。人々は、ライブで生身の人間を見たいのだと思います」p9
「「心の中で思ってさえいれば伝わる」というのは大きな誤解です。伝えるためには日常生活でも演劇・映像でも、テクニックが必要です。演劇や映像では、それを「演技力」と言うのです」p47
「通常、プロの演劇の稽古は1か月から2か月、週1の休みをとりながら、1日6時間から8時間、稽古を続けます」p53
「役者が緊張しているとき、緊張は観客に伝わります。そこで、「俳優は緊張しているが、観客には説得力があるように伝わる」なんて奇跡は起こりません」p56
「映像は、感情の生々しさを弱めます。舞台の稽古をしているときに、自分の演技を映像で撮って、後から見返すという人がいます。間違いなく、稽古場や劇場での演技より「冷たい演技」として映像には映ります。感情の生々しさが薄れるので、弱く感じるのです。結果として、その映像を見て落ち込む人が多いので、僕はあまり信用しないようにと言います」p57
「舞台は俳優のもの、映画は監督のもの、テレビドラマはプロデューサーのものと言われる」p67
「(観客によって状況は変わる。)どんな場所でもウケる「鉄板のジョーク」というものはありません。特定の集団のその瞬間の空気を吸って、その場をともに生きた時に、ジョークの言い方が、いちばんふさわしいものに変化するのです」p72
「緊張していたり、慣れてない時に、鉄板だと思ったジョークが滑るのは、オチの言い方がその場と対話できていないからです。その場の空気を感じないで、ただ、覚えた言葉を機械的に繰り返した結果、失敗するのです。スピーチやプレゼン、授業などでぶつかる問題は、俳優が向き合う問題とまったく同じなのです」p72
「観客のあくびひとつで、未熟な俳優は動揺します。それ以降の演技がメタメタになる、なんて悲劇が起こります」p80
「劇場で見る演劇体験を100%とすると、DVDで見る作品は、迫力も感動も50%以下だと僕は思っています」p96
「演劇は、小説と比べて情報量としては圧倒的ですが、伝える意味としては曖昧なのです。その時、その瞬間、登場人物の正確な内面は、演劇ではわからないのです」p103
「演劇は、情報量において膨大で、意味において曖昧なのです。そして、この演劇の特性は「人生そのもの」と似ています」p104
「(別役実)「演劇が演劇として、正しく情報伝達を行うためには、劇場は300人から500人を収容するものまでに限る、と考えている。収容能力がそれ以上の劇場になると、「等身大の人間から等身大へ」という、その基本的な構図が損なわれ、演劇とは言えなくなる、と考えている。セリフと言われる、仕草を伴う「音声言語」の到達限界を、私は300人までと考えている。劇場を500人までとしたのは、残りの200人について、濃密に体験した300人の、「増幅作用」のようなものを期待しているからにほかならない」p121
「ミュージカルが経済的に成立するためには、1200人から1500人の劇場が必要です」p123
「俳優が成長するためにはじっくり時間をかける必要があること。頭で「発声のメカニズム」がわかっていても、それを身体が理解するまでには時間がかかること。頭では「こう動いたらいい」とわかっていても、身体が納得するまでには時間がかかること。これらを教えてくれるのが演劇なのです」p128
「稽古場は安心して自分の恥ずかしい部分を差し出せる場所、失敗が許される場所でなければいけないのです(練習が終わった後、恋人役をやった俳優に「お前、いつもあんな風に恋人といちゃついているの?」とニヤニヤしながら近づいた人間がいたら、「もう来なくていい」と告げます)」p161
「近年、演劇系大学の卒業生に対する一般企業の評価が高まっています(理由①あいさつができる。理由②コミュニケーション能力が高い)」p201
「演劇と映画の違いは、「演劇は間違う」ということです。ベテランの俳優でも、30ステージあれば、セリフを飛ばしたり、かんだり、出トチリ(出るタイミングを間違えること)することがあります。まして、未熟な俳優は1回だけの公演でもセリフを間違えたり、つっかえたりします。大切なことは、間違った後、どう立ち直るか、ということです。未熟な俳優は、芝居の冒頭、セリフをトチッたりすると、もうその日はボロボロになります。けれど、ベテランの俳優はそこから立ち直ります」p211
「「どうしたら演技が上達しますか」とよく聞かれます。僕は「場数です」と答えます。スピーチが上手くなるのも、話し上手になるのも、同じです。「何回バッターボックスに立ったか」です」p256