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「空気」の存在に怯えている人は多い。なぜ「空気」は怖いのか? その正体を探っていくと見えてきたのが、崩れかけた「世間」の姿だった……。人気の脚本・演出家が、阿部謹也、山本七平といった先人の仕事を現代に投影させながら、自分の体験や発見を踏まえた会心作! 「空気」と「世間」を知り、息苦しい現代日本を生きていくための方法を示します。(講談社現代新書)
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Posted by ブクログ
空気は読むけど従わない。 これが今までもこれからも、私のスタンス。 日本人は神を信じていない?無宗教? とんでもない。 日本人は「世間教」の熱狂的な信者だ。 ただ、その宗教は崩壊を始めている。 「世間教」の教義の二つである「長幼の序」と「相互互酬関係」が、年功序列と終身雇用システムの崩壊によって...続きを読む脅かされているからだ。 所与のものとしてありもしないのに臨在感をもって我々の祖先を支配してきた「世間」と、それらが壊れかけた「空気」の支配は、令和の現代において確実に弱まってきている。 人々が、「無条件に世間のルールやしきたりに従うことはおかしい」と気づき始めている。 日本においても「神は死んだ」のである。 そして人々は不安から救済されるために、「推し」に縋るようになった。 特定の「推し」に向けて推し活をしている限り、同じ「推し」を推す者たちとの共同体感覚を感じ、孤立していないという安心感を得られるからだ。 また、「ネトウヨ」も、現世で虐げられている弱者が世間という神の代替として仮想敵を作り、孤独な者同士が団結した存在にすぎない。 これのアメリカ版が、キリスト教福音派である。 「人は不安になると原理原則に立ち帰りたくなる」 この一文には痺れた。 結局誰しもみな不安なのだ。 だからこそ、勇気を持って世間や空気と戦ってみることを、私は強く推奨したい。 なぜなら、私がそうすることで息苦しさから解放されて非常に生きやすくなったからだ。 具体的には、著者が勧めているとおり、複数の共同体に緩やかに所属することが、最適解となる。 自立とは、依存先を複数持つことである。 そして、世間でなく社会で生きることではじめて、自分らしく、自分の本当の人生を生きることができるようになる。 これが非常に痛快なのだ。 ありもしない世間や空気にガチガチにバインドされて苦しそうに生きている人々を横目に、良い意味で自分勝手に自由に振る舞うことの喜びと快適さを一度知ってしまうと、もう戻れない。 一度きりの人生、実態のない呪術に縛られながら生きるなんてクソ喰らえだ。 本書は、そんな毒々しい呪いから若者を解放してくれる清涼な解毒剤である。 すでに年老いてしまった人々に対しては、哀れみの念を禁じ得ない。 彼ら彼女らは呪いのせいで「自分の人生」を生きられなかったのだから。
「世間」「社会」「空気」、 これらの観点から、日本人の行動や考え方分析しているのですが、読んでいて、とても腑に落ちた。良書。 周りが残業しているから帰りにくいとか、まさに「世間」だよなぁと思った。 また、初対面の人に、いきなり馴れ馴れしいタメ口とか、 注意するときに「ですます調」ではなくて、感情的...続きを読むに暴言を放つ人とか、これは「社会」との接し方がわからなくて、すべて「世間」として捉えてしまっているのではないか。「世間」の中で生きている、ゆえに「世間」の言葉を用いる。 逆に、“〜させていただきます”の連発や、過剰な敬語を用いてしまうーーこれは先ほどの人とは違って、「世間」が崩壊している環境で生きてきた人、「世間」というものを知らずに育った人ほど顕著ではないだろうか。関わる他者すべてが、まったく関係のない、遠い距離(「社会」)に生きているのだと思ってしまう。 人見知りの人なんかも、これと関係があるかもしれない。 「社会」もない。 「世間」もない。 かろうじて「空気」、共同体の匂いはまだあるが、それすらもなくなったら、個人はどうなるか。 紐の切れた凧のように、どこかに飛んでいってしまうのではないか(『推し、燃ゆ』の主人公が最後そうなったように)。 いや、そうならないように、日本ではSNSがめちゃくちゃ流行っているんだろうな、と思う。 今の日本にとって、SNSこそが「世間」の代用であり、セーフティネットであり、共同体の匂いである。 「空気」と「世間」。 とてもいい本。周りに薦めたいと思った。
一度でも異国のコミュニティに所属したことがある人は読んでみるとおもしろいかも。作者は、いじめに苦しんでいる人に読んで欲しい、と書いていた。今苦しんでいる人がいたら、この本に届いて欲しいと思った。
以前ここでも感想を書いた阿部謹也氏の『「世間」とは何か』をはじめとした、彼の「世間」にまつわる著作を非常に分かりやすく整理した一冊だ。 著者の鴻上氏は、自分に関係ある世界のことを「世間」、自分に関係のない世界のことを「社会」と位置付け、阿部氏の著作を引用しながら、「世間」の主なルールとして「贈与・互...続きを読む酬の関係」「長幼の序」「共通の時間意識」「差別的で排他的」「神秘性」があると述べ、これらのうちいくつかだけが機能している(鴻上氏は「流動化」と表現している)状態が「空気」だという。 さらに山本七平氏の『「空気」の研究』を引用する形で、「空気」の持つ絶対的な力のありようについて論じ、では我々はこの見えない「空気」にどのように対抗すればいいのかをいくつかの例を挙げて考える、というのが本書の大まかな構成である。 実に面白い。読んでいて腑に落ちる部分がいっぱいあったし、一神教における物事の捉え方についても勉強になった。 一神教については、理屈ではなく「空気」によって物事が決まる日本人はディベートが苦手であるという例を出したうえで、以下のように述べている。 -- 彼らは、神のこと以外は、全て、相対化の視点で語ることができるのです。 神だけが絶対である、すなわち、「人が口にする命題はすべて、対立概念で把握できるし、把握しなければならない」ということが一神教に生きる人たちの命題になるのです。 -- 乱暴にまとめると、日本における「世間」は一神教における「神」に相当するといってもいいのかもしれない。彼らにとって最終的な心のよりどころは神なのだから。 では一神教ではない、八百万の神(やおよろずのかみ)がいる日本で、一神教をベースにした西洋の個人主義を受け入れられるのか?キツいんじゃね?という点は重要な指摘だと思う。 他にも、グローバル化の進展によって、日本古来からの「世間」は徐々に壊れ始めているが、一方でインターネットによって生まれた新たな「世間」が力を付けつつあるとするくだりも興味深い。 ネトウヨを例に挙げ、彼らの「世間」をこう分析してみせる。 --- 常に「反日」的な書き込みに反応し、伝統的な「世間」を否定する人たちを攻撃することによってのみ、 「世間原理主義者」は自分が日本の伝統的な「世間」に所属しているという“幻の”満足を得ることができるのです。 そして、そうすることで、とりあえずの安心と連帯、安らぎを得るのです。 --- 私はこの文章の後で鴻上氏が述べている「古き良き日本」は単なるイメージに過ぎない、というのはちょっと違うと考えるけど、ネトウヨに対してある種の哀れみをも感じさせるこの考察は、確かに一面の真実としてあると思う。 彼らの書き込みを見ていると、体系立てた理屈で相手を説得するのではなく、同じネトウヨからの「いいね」を多く獲得することを目的としたような紋切型で言いっぱなしの文章に出会うことが多々あるからだ。 他の「世間」を攻撃することでしか心の安定を保てないなんて可哀想な人たちだなと思うけど、一方でどの「世間」にも所属しない「個人」として生きられる日本人なんてほとんどいないのではないだろうか。人間は強くないからね。 結局、「社会」でも「世間」でもいいけど、自分に合ったある種の「束縛」を受け入れるしかないのかなと思う。 そういったところに昨今話題の怪しげなカルト団体とかが入り込む余地があるのかもしれないけど、鴻上氏は数多くの共同体にゆるやかに所属することで、「世間」を相対化し、前述したような排他的な「世間」に100%取り込まれるリスクを減らすことができるという考えのようだ。 おおむね同感だが、さっきはネトウヨを皮肉っておいてアレなんだけど、私は「社会」のような「横軸」だけではなく、歴史や伝統といった「縦軸」(ここには「世間」は含めない)も個人を安定させるためには必要になるのではないかと思っている。 このあたりはまた別の機会に考えてみたい。
空気を読むと言う言葉に無駄に敏感になっていました。この本を読むことによって人と人との間にある空気とは何か、世間とは何かこれが幽霊のようなものではなく具体的なものとして理解することができます。何よりも衝撃的だったのは欧米にも12世紀までこの世間というのが存在していたということです。 世間や空気の正体を...続きを読む理解することで、それへの対処法が見えてきます。その方法についても書かれています。
鴻上尚史さんの本はこれが初めてです。 読後、思わずありがとうを言いたくなるような、目を開かされる思いでした。 主題は「世間」と「空気」なのですが、読み進めていくと「世間」と「社会」を対比して述べる内容に展開していきます。 「世間」と「空気」はその場の人間を「長幼の序(=年功序列)」や「共通の時間意...続きを読む識」で縛り上げる「排他的で差別的」な集団のことを指します。平たく言うと、「自分の今と未来に関係してくるであろう人たち」で、会社や学校、近隣住民などの集団を指します。 対して「社会」は「世間」より外側にある集団で、「自分には直接関係がない(と今は思われる)人たち」のことを言います。 日本人は「世間」の人に対しては温情があり、親切で丁寧ですが、一方で「社会」の人に対しては殆ど会話を交わさず、積極的接触をしようとしない、という前提から話は始まります。 今まで違和感を覚えてはいたし、何かがおかしいとは思っていたけれど、どうしてそうなっているのか、何が原因なのか、が今ひとつハッキリしないことをこの本はしっかりとピントを合わせて見せてくれます。 「仲良くもない会社の人との忘年会」や「長年いるだけで全く戦力になっていない役職の人の意見を第一に聞く会社の風潮」、「暗黙のルールを守らないと判断すると、一斉に悪人同然の扱いをする人々」。 こういったことには日本社会における「世間」の意識が関係していたのですね。 「宗教的正しさ」のようなもので物事を「絶対化」する性質にある日本人は、「上司」や「年上の人」を無条件に神聖視しすぎていたのだろうと思います。 そしてそこには(この本では述べられておらず、個人的意見ですが)儒教の名残もあるのでしょう。 この本を読んだ後で改めて考えてみると、現在の若手社員が「時間ぴったりで終業すること」や「飲み会を断ること」は”世間”から”社会”中心の考えにシフトしていく中で、当然の流れだったということに気づきました。 彼らにとって会社は「世間」ではなく、生きていくために仕事をするという場所であって、その考えは限りなく「社会」としての会社。会社を「世間」と捉えている年配の上司たちとは考え方が違っているんですね。 「社会」化が行き着く先が「世間」の全盛期よりも個々人にとって幸せかどうかは人にもよるし、分かりませんが「世間」が機能していた時代はもうとっくに過ぎてしまっていて、今やカタチだけ残っていて機能していない「わずらわしいもの」となってしまっている。でも、そのことに気づいていない(もしくは「世間」が大事だと今も思っている)人たちは「世間」をどうにか存続させようとしている。 これは大変な問題で、そこから本書に述べられているような、さまざまな問題が起こっているのだと思うと、「世間」が必要に迫られていたからとはいえ、長年人々を縛り付けていた弊害について改めて考えなければと感じました。 日本と欧米の比較もされていて、何故日本人に血液型や生まれ、占いなどに拘る人が多いのかも理解できました。 アメリカはアメリカで大変なんですね……。 社会的に不安なとき、「世間」が勢力を盛り返すというのは本当のことで、今、コロナ禍にあって人々が「●●警察」などに傾いてしまっているのを見ると、これって昔の「世間」が復活したみたいだな、と考えていました。その集団にとっての「善悪」が「絶対化」されることで、引っ込みがつかなくなり、悪を打倒するまで止まれない。新たな悲劇が起こらないことを願うばかりです。 最後の方で述べられていた「複数の共同体を持つ」というのはとても大切なことで、これから私もその点を意識していきたいなと思った事柄でした。 かつて、女性は婚姻関係にある男性に悩みの全てを解決してもらおうとしている時期があったように私には思えます。「社会」化した日本では、悩みを相談する相手を複数もち、すべての困りごとをパートナーに託すことなく生活していけるとしたら、パートナーにオールラウンダーな人格や能力を求めなくても良いと思うことが出来る。 絶対的な相手を探すようなことも必要なくなって、自分にとって大切、という一点だけで相手を見つめられるようになるのではないかと思いました。 人生の時々で読み返したくなる本でした。
世間が崩壊しかけているからこそ「空気」という言葉が乱発するようになったという視点は興味深い。空気中心の現代社会を生き抜く提案としての「複数の共同体にゆるやかに所属する」は、平野啓一郎氏が提唱する分人主義にも通底するものがあると感じた。
読書ジャンルのバランスを整える為、あえて自分では絶対に選択しない書籍をチョイス。 屁理屈が書いてあるのでなく、日本民族がなぜ「空気を読む」ようになったのかも非常に興味深い。
歴史学者の阿部謹也さん、評論家の山本七平さんの研究と考察を手掛かりに、私たちが頻繁に耳にする「空気」の正体と「世間」との付き合い方に正面から向き合います。 明治時代の日本に富国強兵を名目に西洋の近代化システムが半ば強引に持ち込まれた結果、私たちはいまこの瞬間も「世間(本音)」と「社会(建前)」のダ...続きを読むブルスタンダードで日常を生きることを余儀なくされています。果たしてそれは正解だったのか?本書はそれを考えるきっかけを与えてくれました。 「西洋にも世間に相当するものが存在していた」の件(くだり)には目から鱗が落ちました。周囲の顔色や場の「空気」を窺うことを優先し自己主張が不得手な日本人、「世間」に生きることにコンプレックスを感じている私たちにとても大きな自信をくれます(著者の鴻上さんも本当に感動的だと述べています)。 本書は息苦しさを感じながら日々の生活を送る人に暖かい言葉を投げ掛けてくれます。辛くなったら逃げてもいい、ひとつのコミュニティの中で生き続けることに固執する必要はないのだと。平易で心に染み込むような文章に、鴻上さんの心遣いと優しさを感じました。
息苦しさの理由がよくわかる。世間の流動化と、その現れとしての「空気」。今は作り損ねた「社会」を作り始める時期か。
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