【感想・ネタバレ】「空気」と「世間」のレビュー

あらすじ

「空気」の存在に怯えている人は多い。なぜ「空気」は怖いのか? その正体を探っていくと見えてきたのが、崩れかけた「世間」の姿だった……。人気の脚本・演出家が、阿部謹也、山本七平といった先人の仕事を現代に投影させながら、自分の体験や発見を踏まえた会心作! 「空気」と「世間」を知り、息苦しい現代日本を生きていくための方法を示します。(講談社現代新書)

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Posted by ブクログ

ネタバレ

名著。
学者的に少々難しく書かれている。若干古さも感じる。
世間と空気。なるほどと思わされつつ、そうかなあとも思う。
世間が壊れつつある現代だけど人との繋がりを無くしては生きていけない。少しづづ、緩く、社会に参加する。

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2025年10月04日

Posted by ブクログ

空気は読むけど従わない。
これが今までもこれからも、私のスタンス。

日本人は神を信じていない?無宗教?
とんでもない。
日本人は「世間教」の熱狂的な信者だ。

ただ、その宗教は崩壊を始めている。
「世間教」の教義の二つである「長幼の序」と「相互互酬関係」が、年功序列と終身雇用システムの崩壊によって脅かされているからだ。

所与のものとしてありもしないのに臨在感をもって我々の祖先を支配してきた「世間」と、それらが壊れかけた「空気」の支配は、令和の現代において確実に弱まってきている。

人々が、「無条件に世間のルールやしきたりに従うことはおかしい」と気づき始めている。

日本においても「神は死んだ」のである。

そして人々は不安から救済されるために、「推し」に縋るようになった。
特定の「推し」に向けて推し活をしている限り、同じ「推し」を推す者たちとの共同体感覚を感じ、孤立していないという安心感を得られるからだ。

また、「ネトウヨ」も、現世で虐げられている弱者が世間という神の代替として仮想敵を作り、孤独な者同士が団結した存在にすぎない。
これのアメリカ版が、キリスト教福音派である。

「人は不安になると原理原則に立ち帰りたくなる」
この一文には痺れた。

結局誰しもみな不安なのだ。

だからこそ、勇気を持って世間や空気と戦ってみることを、私は強く推奨したい。

なぜなら、私がそうすることで息苦しさから解放されて非常に生きやすくなったからだ。

具体的には、著者が勧めているとおり、複数の共同体に緩やかに所属することが、最適解となる。

自立とは、依存先を複数持つことである。

そして、世間でなく社会で生きることではじめて、自分らしく、自分の本当の人生を生きることができるようになる。

これが非常に痛快なのだ。

ありもしない世間や空気にガチガチにバインドされて苦しそうに生きている人々を横目に、良い意味で自分勝手に自由に振る舞うことの喜びと快適さを一度知ってしまうと、もう戻れない。

一度きりの人生、実態のない呪術に縛られながら生きるなんてクソ喰らえだ。

本書は、そんな毒々しい呪いから若者を解放してくれる清涼な解毒剤である。

すでに年老いてしまった人々に対しては、哀れみの念を禁じ得ない。
彼ら彼女らは呪いのせいで「自分の人生」を生きられなかったのだから。

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2025年04月30日

Posted by ブクログ

「世間」「社会」「空気」、
これらの観点から、日本人の行動や考え方分析しているのですが、読んでいて、とても腑に落ちた。良書。

周りが残業しているから帰りにくいとか、まさに「世間」だよなぁと思った。
また、初対面の人に、いきなり馴れ馴れしいタメ口とか、
注意するときに「ですます調」ではなくて、感情的に暴言を放つ人とか、これは「社会」との接し方がわからなくて、すべて「世間」として捉えてしまっているのではないか。「世間」の中で生きている、ゆえに「世間」の言葉を用いる。

逆に、“〜させていただきます”の連発や、過剰な敬語を用いてしまうーーこれは先ほどの人とは違って、「世間」が崩壊している環境で生きてきた人、「世間」というものを知らずに育った人ほど顕著ではないだろうか。関わる他者すべてが、まったく関係のない、遠い距離(「社会」)に生きているのだと思ってしまう。
人見知りの人なんかも、これと関係があるかもしれない。

「社会」もない。
「世間」もない。
かろうじて「空気」、共同体の匂いはまだあるが、それすらもなくなったら、個人はどうなるか。
紐の切れた凧のように、どこかに飛んでいってしまうのではないか(『推し、燃ゆ』の主人公が最後そうなったように)。
いや、そうならないように、日本ではSNSがめちゃくちゃ流行っているんだろうな、と思う。
今の日本にとって、SNSこそが「世間」の代用であり、セーフティネットであり、共同体の匂いである。

「空気」と「世間」。
とてもいい本。周りに薦めたいと思った。

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2024年09月08日

Posted by ブクログ

一度でも異国のコミュニティに所属したことがある人は読んでみるとおもしろいかも。作者は、いじめに苦しんでいる人に読んで欲しい、と書いていた。今苦しんでいる人がいたら、この本に届いて欲しいと思った。

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2024年01月28日

Posted by ブクログ

以前ここでも感想を書いた阿部謹也氏の『「世間」とは何か』をはじめとした、彼の「世間」にまつわる著作を非常に分かりやすく整理した一冊だ。
著者の鴻上氏は、自分に関係ある世界のことを「世間」、自分に関係のない世界のことを「社会」と位置付け、阿部氏の著作を引用しながら、「世間」の主なルールとして「贈与・互酬の関係」「長幼の序」「共通の時間意識」「差別的で排他的」「神秘性」があると述べ、これらのうちいくつかだけが機能している(鴻上氏は「流動化」と表現している)状態が「空気」だという。
さらに山本七平氏の『「空気」の研究』を引用する形で、「空気」の持つ絶対的な力のありようについて論じ、では我々はこの見えない「空気」にどのように対抗すればいいのかをいくつかの例を挙げて考える、というのが本書の大まかな構成である。

実に面白い。読んでいて腑に落ちる部分がいっぱいあったし、一神教における物事の捉え方についても勉強になった。
一神教については、理屈ではなく「空気」によって物事が決まる日本人はディベートが苦手であるという例を出したうえで、以下のように述べている。
--
彼らは、神のこと以外は、全て、相対化の視点で語ることができるのです。
神だけが絶対である、すなわち、「人が口にする命題はすべて、対立概念で把握できるし、把握しなければならない」ということが一神教に生きる人たちの命題になるのです。
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乱暴にまとめると、日本における「世間」は一神教における「神」に相当するといってもいいのかもしれない。彼らにとって最終的な心のよりどころは神なのだから。
では一神教ではない、八百万の神(やおよろずのかみ)がいる日本で、一神教をベースにした西洋の個人主義を受け入れられるのか?キツいんじゃね?という点は重要な指摘だと思う。

他にも、グローバル化の進展によって、日本古来からの「世間」は徐々に壊れ始めているが、一方でインターネットによって生まれた新たな「世間」が力を付けつつあるとするくだりも興味深い。
ネトウヨを例に挙げ、彼らの「世間」をこう分析してみせる。
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常に「反日」的な書き込みに反応し、伝統的な「世間」を否定する人たちを攻撃することによってのみ、
「世間原理主義者」は自分が日本の伝統的な「世間」に所属しているという“幻の”満足を得ることができるのです。
そして、そうすることで、とりあえずの安心と連帯、安らぎを得るのです。
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私はこの文章の後で鴻上氏が述べている「古き良き日本」は単なるイメージに過ぎない、というのはちょっと違うと考えるけど、ネトウヨに対してある種の哀れみをも感じさせるこの考察は、確かに一面の真実としてあると思う。
彼らの書き込みを見ていると、体系立てた理屈で相手を説得するのではなく、同じネトウヨからの「いいね」を多く獲得することを目的としたような紋切型で言いっぱなしの文章に出会うことが多々あるからだ。

他の「世間」を攻撃することでしか心の安定を保てないなんて可哀想な人たちだなと思うけど、一方でどの「世間」にも所属しない「個人」として生きられる日本人なんてほとんどいないのではないだろうか。人間は強くないからね。
結局、「社会」でも「世間」でもいいけど、自分に合ったある種の「束縛」を受け入れるしかないのかなと思う。
そういったところに昨今話題の怪しげなカルト団体とかが入り込む余地があるのかもしれないけど、鴻上氏は数多くの共同体にゆるやかに所属することで、「世間」を相対化し、前述したような排他的な「世間」に100%取り込まれるリスクを減らすことができるという考えのようだ。
おおむね同感だが、さっきはネトウヨを皮肉っておいてアレなんだけど、私は「社会」のような「横軸」だけではなく、歴史や伝統といった「縦軸」(ここには「世間」は含めない)も個人を安定させるためには必要になるのではないかと思っている。
このあたりはまた別の機会に考えてみたい。

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2022年09月19日

Posted by ブクログ

空気を読むと言う言葉に無駄に敏感になっていました。この本を読むことによって人と人との間にある空気とは何か、世間とは何かこれが幽霊のようなものではなく具体的なものとして理解することができます。何よりも衝撃的だったのは欧米にも12世紀までこの世間というのが存在していたということです。
世間や空気の正体を理解することで、それへの対処法が見えてきます。その方法についても書かれています。

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2021年08月02日

Posted by ブクログ

鴻上尚史さんの本はこれが初めてです。
読後、思わずありがとうを言いたくなるような、目を開かされる思いでした。
主題は「世間」と「空気」なのですが、読み進めていくと「世間」と「社会」を対比して述べる内容に展開していきます。

「世間」と「空気」はその場の人間を「長幼の序(=年功序列)」や「共通の時間意識」で縛り上げる「排他的で差別的」な集団のことを指します。平たく言うと、「自分の今と未来に関係してくるであろう人たち」で、会社や学校、近隣住民などの集団を指します。
対して「社会」は「世間」より外側にある集団で、「自分には直接関係がない(と今は思われる)人たち」のことを言います。
日本人は「世間」の人に対しては温情があり、親切で丁寧ですが、一方で「社会」の人に対しては殆ど会話を交わさず、積極的接触をしようとしない、という前提から話は始まります。

今まで違和感を覚えてはいたし、何かがおかしいとは思っていたけれど、どうしてそうなっているのか、何が原因なのか、が今ひとつハッキリしないことをこの本はしっかりとピントを合わせて見せてくれます。

「仲良くもない会社の人との忘年会」や「長年いるだけで全く戦力になっていない役職の人の意見を第一に聞く会社の風潮」、「暗黙のルールを守らないと判断すると、一斉に悪人同然の扱いをする人々」。
こういったことには日本社会における「世間」の意識が関係していたのですね。
「宗教的正しさ」のようなもので物事を「絶対化」する性質にある日本人は、「上司」や「年上の人」を無条件に神聖視しすぎていたのだろうと思います。
そしてそこには(この本では述べられておらず、個人的意見ですが)儒教の名残もあるのでしょう。

この本を読んだ後で改めて考えてみると、現在の若手社員が「時間ぴったりで終業すること」や「飲み会を断ること」は”世間”から”社会”中心の考えにシフトしていく中で、当然の流れだったということに気づきました。
彼らにとって会社は「世間」ではなく、生きていくために仕事をするという場所であって、その考えは限りなく「社会」としての会社。会社を「世間」と捉えている年配の上司たちとは考え方が違っているんですね。

「社会」化が行き着く先が「世間」の全盛期よりも個々人にとって幸せかどうかは人にもよるし、分かりませんが「世間」が機能していた時代はもうとっくに過ぎてしまっていて、今やカタチだけ残っていて機能していない「わずらわしいもの」となってしまっている。でも、そのことに気づいていない(もしくは「世間」が大事だと今も思っている)人たちは「世間」をどうにか存続させようとしている。
これは大変な問題で、そこから本書に述べられているような、さまざまな問題が起こっているのだと思うと、「世間」が必要に迫られていたからとはいえ、長年人々を縛り付けていた弊害について改めて考えなければと感じました。

日本と欧米の比較もされていて、何故日本人に血液型や生まれ、占いなどに拘る人が多いのかも理解できました。
アメリカはアメリカで大変なんですね……。

社会的に不安なとき、「世間」が勢力を盛り返すというのは本当のことで、今、コロナ禍にあって人々が「●●警察」などに傾いてしまっているのを見ると、これって昔の「世間」が復活したみたいだな、と考えていました。その集団にとっての「善悪」が「絶対化」されることで、引っ込みがつかなくなり、悪を打倒するまで止まれない。新たな悲劇が起こらないことを願うばかりです。

最後の方で述べられていた「複数の共同体を持つ」というのはとても大切なことで、これから私もその点を意識していきたいなと思った事柄でした。

かつて、女性は婚姻関係にある男性に悩みの全てを解決してもらおうとしている時期があったように私には思えます。「社会」化した日本では、悩みを相談する相手を複数もち、すべての困りごとをパートナーに託すことなく生活していけるとしたら、パートナーにオールラウンダーな人格や能力を求めなくても良いと思うことが出来る。
絶対的な相手を探すようなことも必要なくなって、自分にとって大切、という一点だけで相手を見つめられるようになるのではないかと思いました。

人生の時々で読み返したくなる本でした。

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2021年02月06日

Posted by ブクログ

世間が崩壊しかけているからこそ「空気」という言葉が乱発するようになったという視点は興味深い。空気中心の現代社会を生き抜く提案としての「複数の共同体にゆるやかに所属する」は、平野啓一郎氏が提唱する分人主義にも通底するものがあると感じた。

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2020年01月03日

Posted by ブクログ

読書ジャンルのバランスを整える為、あえて自分では絶対に選択しない書籍をチョイス。 屁理屈が書いてあるのでなく、日本民族がなぜ「空気を読む」ようになったのかも非常に興味深い。

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2019年11月25日

Posted by ブクログ

歴史学者の阿部謹也さん、評論家の山本七平さんの研究と考察を手掛かりに、私たちが頻繁に耳にする「空気」の正体と「世間」との付き合い方に正面から向き合います。

明治時代の日本に富国強兵を名目に西洋の近代化システムが半ば強引に持ち込まれた結果、私たちはいまこの瞬間も「世間(本音)」と「社会(建前)」のダブルスタンダードで日常を生きることを余儀なくされています。果たしてそれは正解だったのか?本書はそれを考えるきっかけを与えてくれました。

「西洋にも世間に相当するものが存在していた」の件(くだり)には目から鱗が落ちました。周囲の顔色や場の「空気」を窺うことを優先し自己主張が不得手な日本人、「世間」に生きることにコンプレックスを感じている私たちにとても大きな自信をくれます(著者の鴻上さんも本当に感動的だと述べています)。

本書は息苦しさを感じながら日々の生活を送る人に暖かい言葉を投げ掛けてくれます。辛くなったら逃げてもいい、ひとつのコミュニティの中で生き続けることに固執する必要はないのだと。平易で心に染み込むような文章に、鴻上さんの心遣いと優しさを感じました。

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2019年09月05日

Posted by ブクログ

息苦しさの理由がよくわかる。世間の流動化と、その現れとしての「空気」。今は作り損ねた「社会」を作り始める時期か。

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2018年11月02日

Posted by ブクログ

・自分に関係のある世界のことを、「世間」と呼び、自分に関係のない世界のことを、「社会」と呼ぶ
・欧米人は、神との関係が問題であり、日本人は世間との関係が問題
・西洋にも昔、世間があった。キリスト教が世間を廃絶し、社会を形成した。
・人は不安になった時、原理原則に戻る。不安になればなるほど。

非常に良い本だった。
是非、購入するべきである。

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2018年11月25日

Posted by ブクログ

2009年に第一刷が発行され、その後も発行され続けて、もう少しで第二〇刷が発行されようとしている。
内容こそ、当時の時事ネタを挙げながら平易に解説している本書だが、
発行から15年が過ぎた今でも、いや、今だからこそ、
信頼できる「生きかたの指南書」として多くの人たちに読まれ続けているだろうことは
易に想像できる。

山本七平『「空気」の研究』、
阿部謹也『「世間」とは何か』、
また、阿部さんの仕事を受け継ぎ「世間学」というアプローチをされている佐藤直樹さんの著書
『「世間」の現象学』
などを参照しつつ、「世間」の正体をつぶさに観察し、浮き彫りにした一冊。
曰く、世間のルールがいくつかあり、
世間のルール1 贈与・互酬の関係、
世間のルール2 長幼の序、
世間のルール3 共通の時間意識、
世間のルール4 差別的で排他的、
世間のルール5 神秘性、
の5つを挙げていて、
必ずしもこの5つだけに限らない、
としている。

実際、読み進めていくと、
「いじめに苦しんでいる中学生に届いて欲しい」
という著者の眼差しが真っ直ぐに伝わって来る。
すべての世代の人たちに向けて書かれた一冊
とも言える、と感じた。

著者は、さまざまな具体例を挙げながら、
「空気」とは、「世間」として確立されていない、
いわば「世間」が流動化したものである、
ということを紐解いていく。

また、「世間」と「社会」の違いを示し、
現代日本人にとっての「社会」や「個人」について、
“明治十年(一八七七)頃に societyの訳語としてつくられた言葉社会という言葉がつくられた。そして同十七年頃にindividualの訳語として個人という言葉が定着した。それ以前にはわが国には社会という言葉も個人という言葉もなかったのである。ということは、わが国にはそれ以前には、現在のような意味の社会という概念も個人という概念もなかったことを意味している。(40ページより)”
と、そのルーツを紹介し、
明治維新後の西洋化の過程で半ば強引に輸入された概念であると説明している。
それ以前の日本に定着していたのは、もっぱら「世間」のほうであったらしい。

そのため、「個人」がつくる「社会」という感覚は
いまだに日本には定着せず、
建前としての「個人」「社会」と、本音としての「世間」
という、ダブルスタンダード状態で日本の経済も政治も動いてきたことを筆者は解き明かしていく。

西洋でも、キリスト教が絶対的な影響力を持つまでは「世間」が存在していたことも明かしている。
人あるいは人々は、放っておけば自然に「世間」をつくり出す。
それを一神教の名の下に強く禁じたのがキリスト教であり、
西洋人はキリスト教を絶対視することによって、キリスト教以外のあらゆる概念を相対視できるようになった、と説明する。
日本では、絶対視できる一神教のような概念はしない代わりに「世間」がその役割を果たしてきた、という著者の指摘は極めて鋭い。

私自身、これまでにモヤモヤと感じていたことが
厚紙を剥ぐように一気に氷解した。
本書の内容は学術論文ではないけれども、
こうして個人的に納得感が得られることは私個人にとって非常に大きい。

「古き良き日本」というのも「世間」である、と
著者は喝破していく。
生きにくい日本を生き抜く方法として、万能薬は無いとしつつも、
“ほんの少し「個人」がしっかりした人は、同じことを言うことに意味がないと思って、幻の「空気」がそこにあっても、自分の言いたいことを言います。
これぐらいの「個人」の強さは、必要だと思っています。それは、その方が快適だからです。(214ページ)”
と勧めている。

日本語文化圏の特徴や、
社会的であることの意味、
セーフティネットとして「複数の『共同体』にゆるやかに所属すること」の有効性、
などをわかりやすく説明した上で、

“たった一つの「共同体」に対して頼っているだけだったり、支えを求めているだけだったりしたら、いくらゆるやかに支えてもらおうと思っても、「共同体」の方からあなたを放り出すでしょう。
複数の「共同体」とゆるやかな関係を作りながら、あなたもまた、その「共同体」の人たちを支えるという気持ちを持つのです。(250ページ)”
と、
ひとつの処方箋を提示している。

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2024年12月19日

Posted by ブクログ

「空気が読めない」などの空気とは、所謂、世間を形づけるルールに合致した状態の様な強固なもので無く、流動性が高い状態の事を言う。
要するに、この先何かの事情で状況が変わる可能性(流動性)が高い場合に用いられる。さらに「空気」には潜在的に畏怖や圧力を感じる何かが存在しており、これらは人を拘束する。日本人は「空気」に目に見えない畏怖するものを感じている。
実は「空気」がルール化させると「世間」へと変貌する。ここで「世間」と「社会」の違いは何かと問われると世間とは自身のコミュニティに近い場合であり、社会とはその以外である。
例えば、近所の行きつけのお店(世間)の人への態度とコンビニ店員(社会)への態度では日本人はあからさまに態度、距離感が違う。これは欧米人からすると異様に映るようで、欧米人は逆に「世間」と「社会」の境界線があまり無く上記の様な場合特に差は見られない。「社会」に対する対応方法を歴史的に習得しているからだ。
さて、本書ではこの「空気」を打開するための方法を筆者は提供している。
一つは「空気」を相対化する事で、反論、疑問視、攻撃できる様にする事だ。先ほど述べた様に「空気」はある種絶対的なもので皆そこに何かしらの圧力及び畏怖を感じている状態である。それらを打開するためにも、比較検討できる状態にすることが望ましい。
二つ目は「水を差す」ことだ。あるグループ数人が全員で旅行に行くことになっている「空気」の場合、「でも、お金ないからなー」と言うことが水を差すと言うこと。これが「空気」が壊れた瞬間である。
昨今は「世間」よりも「空気」を大事にする傾向にある。それはなぜか。一昔前は「世間」は経済的セーフティネット(農業社会)であったが、近年は都市化、経済的精神的グローバル化が進み同質化が保てなくなり、「世間」が崩壊してきている。昔無かったモノが現代にはある。現代の人はそれがあることを基準に物事を判断するのだから変わることは当たり前である。

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2024年06月02日

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世間と社会を対比させ、日本と欧米を比べることで両者の違いを分かりやすく書いている。
特に欧米が優れていて、日本はそれを真似るべきだという安易な主張ではなく、それぞれの背景の違い(キリスト教と世間)から冷静に分析しており非常に理解しやすかった。

現在(2024年)は本書の執筆時点(2009年)と比べてリアルな「世間」はますます崩壊している一方で、インターネット上の主にSNSを中心とした仮想の世間や空気の力は増していると感じる。

複数のコミュニティに緩く参加する、というのは自分自身も実践していることであり、それにより各コミュニティへの依存度が下がり気持ちが楽になる実感をもっているだけに、非常に納得感があった。

これから多様性がより尊重されていくことが予想される中、同一性を強制する世間ではなく、各々違った個人が生きる社会に適用していくべきだと感じた。

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2024年03月08日

Posted by ブクログ

日本人における、状況の関係性を社会と世間に分けて捉えることに感銘を受けた。空気は世間が流動化したものであり、世間の条件の通りに年功序列制度や終身雇用制度が当てはまることにも驚きを感じた。私たちは世間に対しては、無条件の慈悲や愛を尽くすが、社会に対しては全くの無関心であるという点に共感を覚えた。

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2022年02月22日

Posted by ブクログ

「空気を読む」の「空気」
「世間知らず」の「世間」

これらの正体とは?なんで息苦しくさせてるの?そのあたりについて、「中学生でも理解できるように」わかりやすく分析されてる著書でした

「世間」は日本では「所与的」なもので、問答無用で与えられるもの、逃れられないものであることを、理由とともに述べられているところがとても印象的で、合点できる内容でした

また、「世間」とは、そういったものであるから、日本にいる限り免れることは難しいので、うまく付き合って行かなければならないこと、そうするにはどう対処すれば良いのか、と言った内容もまとめられています

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2021年06月18日

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日本人にとって、「世間」は、欧米人にとっての「神」…。恥ずかしながら、目からウロコでした。なにをよりどころに生きて行くか。色々なことが書いてあって内容濃いです。
鴻上さんの本は初めてでしたが、大変真っ当なことを言う頭の良い思いやりのある人と思う。

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2021年02月13日

Posted by ブクログ

・自分を精神的に支えているものは何なのか考え直すきっかけとなった。
・単なる国民性の優劣ではなく、欧米と日本の歴史的・文化的な違いからの考察は説得力がある。
・日常生活に活かしたいので、もう一度くらい読み直して内容を自分の中に落とし込みたい。
・著者が参考にした書籍が本文中で複数紹介されているので読んでみたい。

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2020年03月29日

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先達の文献を引用しつつ、「空気」「世間」そして「社会」について独自の考察を加える。日本の「世間」とアメリカのキリスト教の比較が興味深い。これからは「世間」とのつき合い方を模索しながらそれに代わるよりどころを自分で見つけ維持する必要があるのだ。

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2019年10月22日

Posted by ブクログ

欧米では1000年前に世間から社会へとシフトしたという話だが、近年のコミュニティ論や(非論理的行動を説明する)行動経済の動きを見ると、世間の再発見と言えるのかも。

「世間から社会へ」、これは別の言葉で言うと「伽藍からバザールへ」と同義なのかも。

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2019年06月25日

Posted by ブクログ

ネタバレ

欧米の社会と言う言葉は本来個人が作る社会を意味しており、個人が限定であった。しかし我が国では個人と言う概念は訳語としてできたものの、その内容は欧米の個人とは似てもにつかないものであった
日本人は社会党政権を使い分けながら、いわば、ダブルスタンダードの世界で生きてきたのです
自分も世間ではなく社会に属している倒れている人に、簡単には声をかけられないのです
格差社会の激しい国、アメリカはキリスト教に支えられて成立している国なのです
何が迷惑なのかわかっているのは、世間です。けれど、グローバル化が進めば、自分の活動や欲望が、相手の迷惑になるかどうかは、実際にぶつかってみないとわからないのです

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2019年06月25日

Posted by ブクログ

自分たちが今縛られていると感じているものが、こんなにも形が無く曖昧なものだったんだということを、論理立ててとてもわかりやすく説明してくれていると思った。
読んだ後、いつ気まぐれにその中身を変えるともしれない空気に脅かされ続けるのは馬鹿馬鹿しいなあと、率直に感じた。

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2019年05月10日

Posted by ブクログ

KYとかいう言葉を日経アソシエで見て、いったいなんのことだろうと思ってから、このかた空気というのはわかるようなわからないような存在であった。この本で、疑問に思っていたことが、かなり解消された。
日本は、世間で構成されている国であり、1000年前にキリスト教によって世間を解消した欧米とは違うのだ。どちらが良いということではなく、単純に違うのだ。欧米から取り入れた制度が、日本でうまく定着しないのも当たりまえで、アメリカがやっているから、ドイツがやっているから、日本もうまくいくはずだという議論は、この本を読んで後では、単なる考えの浅さを露呈しているか、いや、むしろ、うまいこと言って、利益を得ようとする、ハイエナの発言と思ったほうが良いだろう。いじめの仕組み、太平洋戦争に負けた理由など、世間と空気で見事に説明されている。

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2018年11月12日

Posted by ブクログ

冗長に感じてしまうところも多かったが、「おわりに」で中高生にも届けたくて…という説明があり納得。
本筋からすこし逸れてしまうが、欧米でなぜ個人が生まれたのか、日本語の過剰な性能、の話が面白かった。

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2024年01月14日

Posted by ブクログ

ネタバレ

う〜む。。
「世間」壊れかけてるから、そんなもん置いて「社会」にスイッチしよう!
そして、思いやりより交渉力を鍛えよう!
……いや、交渉力もなにも、今の世の中は他人に無関心な人だらけだから交渉にも発展しないんじゃ……?
この本が書かれた当時は「世間」がまだ機能していたからこそ、交渉力を!と、言えるのでは?
と、思った。
どんな世の中でも思いやりは大事だと思う。
そして、まとめでは、結局「世間」と「社会」と行ったり来たりすればいい。
って、最初は「社会」に生きよう!から始まったにもかかわらず、最後には「社会」「世間」どっちもしかも複数行ったり来たりするといいって、なんだか矛盾を感じた。
私の見ている「世間」や「社会」と、著者の「世間」や「社会」にズレがある気がする……。

強烈な「世間」の中に生きている、がんじがらめになってる人にはおすすめかも。

私は「社会」の方が生きづらいのだけどもね。。

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2023年09月13日

Posted by ブクログ

感想
世間の残滓。個人主義が礼賛されている昨今でも人は繋がりを求めてしまう。本来的に孤独に耐えられないから。そこに空気がヌルッと入り込む。

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2023年08月24日

Posted by ブクログ

「空気」を読んでも従わないを読んで、その大人版とも言われる本書を読んでみることにした。
改めて基本となる「世間」の考え方を理解。「世間」には5つのルールがあり、その中の何かが崩れたものが「空気」と呼ばれるものになる。
「世間」の方がより強固なものであり自分の力ではなかなか崩せないものではあるが、より正体がわからない、不安定という意味では「空気」の方が厄介なものという感じもした。
また、「空気」を読んでも…の中では、あまり触れられなかった話題として「宗教」という視点での考察がされていた。これが非常に興味深いものであった。
日本人にとっては、基本「世間」が絶対的なもの、唯一信じられるものであるのに対して、西洋ではこの「世間」にあたるものが神、つまり宗教にあたるのではないか。
人は結局何かすがるものがなくては生きていけない。日本人はそれが「世間」「空気」であるから、その呪縛からなかなか逃れられない。西洋では「世間」はない。神のみぞ信じるものであるという意識があるから、日本人のように周囲の人を気にすることはない。
これまで神、宗教というものが自分にとっては得体の知れないものに正直感じていたが、この本を読んでその存在の意味が少しだけだがわかった気がした。
最後に、「空気」を読んでも…にもあったが、改めて一つの「世間」、共同体に属することの危険性、リスクを感じた。ゆるやかに、複数の共同体に所属する。何だかんだでほぼ仕事でのつながりしかない現在の自分を反省し、何かしらの行動に移していきたい。

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2022年08月07日

Posted by ブクログ

メルカリ売却
スジの通った理論が、空気を読めで、実行できないこと。これが日本人。
その意味がわからないのがアメリカ人。

スジが通らなくても、そこを何とか って言って、無理やる通すのが日本人。
スジが通らないから、通さないがアメリカ人。

アメリカ資本の会社に勤務できて良かったと、つくづく思った。

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2021年05月06日

Posted by ブクログ

世間と社会の違いを論じる。
世間は、多分に情緒的で、排他的で、共有する時間があり、神秘的。

この辺、甘えの構造とか、タテ社会の人間関係などと通じる。

宗教に背中を守られる個人からなる西洋社会と異なり、日本人はそも、世間との関わりでしか自分がないのだが、この世間が失われていく中で、空気、というものが捉えられる。
そもそも、日本語が、極めて世間に立脚した言語であるし。

まあ、なるほどと思わせる内容だが、保守、ネトウヨを、世間原理主義とぶった切るのは辟易。
リベラルが別段、理知的というわけではないし。

ま、10年以上前の本出し、その頃はそうだったのかな。

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2020年07月12日

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