あらすじ
この本は「コミュニケイションは技術」という視点から、どうやったら、あなたのコミュニケイションのレベルが向上するかを伝え、練習方法をアドバイスした本です。30年間、演出家をやりながら、ずっとコミュニケイションに関して考え、実践してきたことを書きました。
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Posted by ブクログ
コミュニケイションは技術だと定義し、また社会、世間、独り言におけるコミュニケイションにその考え方を分類しており、非常に明快。今までなんだかコミュニケイションに心地悪さを感じていた原因がわかって、すっかりした。あとは、本書のとおり、話す、聞く、交渉するを実践してみたいと思う。
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オーソドックスなコミュニケーションスキルを一通り紹介しています。コーチングを一通り勉強した者にとっては、当たり前のことばかりです。
しかし、全く飽きることなく、いえ、むしろ大変面白く読ませて頂きました。人との関わりのなかで、「どういう言い方をしたらいいんだろう」という場面に出っくわすことはよくあることです。そのような時にどのような気持ちや態度で人と向き合うか、具体的で示唆に富んでいます。
演出家の著者が体験を基に、有用なコミュニケイションの方法をまさにご自身の言葉でまとめていますので、大変説得力があります。
この「伝え方」もとても勉強になりました。
我が身を振り返り、足りないなー、意識しないといけないなー、と思ったのは「交渉する」の節です。感情的にならずに交渉できるようになりたいものです。
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「社会」と「世間」という切り口はとても有効だと思う。コミュニケイションがうまくできるようになれば、議論も進むし、無意味な対立も減らせるだろう。できるだけ多くの人に読んでもらえるといいと思う。
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サラリーマンから主婦、学生、多感な10代まで。人間関係にひりひりしている人たちは絶対に読んだ方がいいかもしれない本。コミュニケーションを丁寧に解体して懇切丁寧に解説。迷った時にはこれしかない!
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満遍なく人との関わりについて学べるようでとてもよかったです。
いろんなアサーションにまつわる本を読んでいたので、その手前や、少し角度の違う部分をさわれたように思います。
もう少しポイントの中に深く入れるものも欲しくなり、それは本書の中で紹介されていた他の本にあるような気がするので、他の本も読みたくなりました。
Posted by ブクログ
演出家の鴻上さんの本。
常に新しい俳優やスタッフと出会う演出家。
コミュニケィションは、聞く、話す、だけでなく交渉する
「世間」自分が所属している集団やグループ
「社会」他人、知らない人、群衆
欧米は、世間が存在せず全てが社会
日本人は社会との付き合い方が得意じゃない
ひとりごと
あなたと話す言葉
みんなと話す言葉
自分の言葉のレベルを変えることがコミュニケィションの技術
コミュニケィションが下手なのでなく、挨拶が下手な人が多い
集団が議論を続けるのは、ひとつにまとまるためではない。
メンバー一人一人が具体的にどう違うかを明確にするため。
ネットに書き込むことで、語りたい思いを発散するが、伝える技術を磨くチャンスを減らしている。
迷惑か、お互い様か。
人は人を説得する方法で、説得されやすい。
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情報と感情の両方を伝える
社会話を始めよう
集団が議論を続けるのは、一つにまとまるためではありません。メンバー一人一人が具体的にどう違うことを思っているのかを明確にするためです。
相手が求めているものを気軽に聞けて提供できるのがホスピタリティー
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・欧米ではすべてが「社会」であるのに対して、日本には「社会」と「世間」がある。
・「世間」には、年功序列、共通の時間意識、贈与互酬の関係、差別的で排他的、神秘性という5つの特性があり、濃密な関係である。
・反対に、「社会」は関係がないので、日本人はよく「社会」の人に挨拶しなかったり、電車で席を譲らなかったり、ドアを押してあげなかったり、ベビーカーを無視したりする。
・日本には、壊れかけた「世間」が多数存在しているため、コミュニケイションのトラブルが起きやすい。
他にも、相手の話を聞くとき、話すとき、交渉するときの有効なアドバイスが書かれていて、とても面白かったです。
緊張したときは体重心を下へ持ってくる、というアドバイスは、実践してみたら効果ありました!
鴻上さんは『Cool Japan!』の司会で知ったのですが、演出家の経験から書かれた内容が面白く分かりやすくて、著書を色々読んでます。
Posted by ブクログ
偉い人に会う時や重要な会議の前はゆっくりと深呼吸する。
一呼吸ごとに、空気が身体の下、ヘソの下(おへそから指四本分下の丹田)あたりに入っていくイメージを持つ
空気が入る場所が下になるイメージをもてば、身体の重心も自然と下になる←緊張してると上に上にいっちゃう
コミュニケイションが苦手だと思っている人は、自分からは「社会」に住む人達には話しかけません。けれど、話しかけられれば一応話します。
*・*・*・
世間と社会という考え方がわかりやすい。わたしたちは、壊れた世間に住んでいる。
むかしの世間世間した空間にいたかったなー。
感情を冷静に伝える、っていうのがおもしろいと思った。
営業に配属されたら、またちゃんと読もう。
Posted by ブクログ
鴻上さんの著書は、実ははじめて。今まで興味はあったのですが。
本書はタイトルで惹かれました。コミュニケーション論は好きなので。
よくわからんけど、「コミュニケイション」という言葉も、どこかいい。
鴻上さんの考えている「世間」と「社会」という言葉を軸に、コミュニケーションの技がまとめられている。よくもここまで体系的にまとめられたものだろうと、驚きました。
演劇をやっている分、コミュニケーションを身体性という観点から考えているのは、馴染みやすかった。
『「空気」と「世間」』、ぜひ読みたい。
Posted by ブクログ
前半が好き!
特に、世間と社会の話や、聞く、話すのところは「そういう考え方もあるんだ!!!」って思うことが多くて、早速色々心掛けてみたいなあって思わせてくれた。
作者だからこそいえること。
作者だから、っていう要素がなんていうんだろう、言葉にそんなに特徴があるわけでもないのにすごくあって、格好いい。
毎日、ちょっとずつの積み重ね。
交渉じゃないけど、心は熱く、手は冷たく。冷静に客観的に、でも心は素直にできる能力身につけたい。
というわけで!
重心を低く持って、レビュー書いてます(笑)
Posted by ブクログ
書店の平積みから手に取り、ぱらぱらめくってドキッとした文章。
コミュニケイションが下手なことは、自分の人格が劣っているかのような錯覚を持ってしまいがちです。とある。
以下引用
コミュニケイションが下手なのは、野球が下手なことと同じです。野球が下手な人は、そもそも、野球を(まったくか少ししか)やったことがありません。野球をやったことがないのに、野球が下手だと悩むのはバカバカしいことです。
野球やサッカーが下手なことは、それだけのことです。そのことはあなたの人格とは何の関係もありません。野球やサッカーが下手だから、人格的に問題があるなんてことはありません。コミュニケイションもまた同じです。コミュニケイションが下手なことは、それだけのことです。あなたの人格とは何の関係もありません。
この言葉に励まされる。
著者が30年間、演出家をやりながら、ずっとコミュニケイションに関して考え、実践してきたことを書いたというこの本。
コミュニケイションは純粋に技術の問題であり、大切なことは「コミュニケイションが下手なこと」と、「コミュニケイションに怯え、コミュニケイションを避けること」を区別することだという。
レッスンという形式でわかりやすく書かれていて面白く、感心しきりでありました。
五十路の坂に差し掛かり、こんなふうに教えてもらえるということが有り難いです。
そして「技術」のアドバイスばかりだけでなく、日本人独特の「世間」の歴史から現代の「中途半端に壊れてる世間」と「社会」の違いなど、なるほど〜と思うことばかりでおもしろい。世間と社会を見分けたら、人との関わりの交通整理が出来たようで気が楽になります。
「聞く」「話す」「交渉する」の技術、わかりやすい例が用いられ、大変に役に立つ一冊だと思いました。
実践については、さぁどうだろう?(^ ^;)
少しでも向上することを目指そうと思う。
『おわりに』では著者のあたたかい言葉が…。
人間はゆっくりとしか変われないのです。
けれど、ゆっくりでも確実に変わります。
何度も何度も実生活で使っていくうちに、ゆっくりとあなたは変わるのです。
何度も何度も「伝える技術」を探っていくことで、あなたはゆっくりと確実に変わるのです。…と。
あー読んでよかった!
Posted by ブクログ
日本人ならではのコミュニケーションの特徴を、様々な視点から挙げながら
主に心構えや考え方が述べられています。
言われてみればそうだな~と思うことも多々あり、自分のコミュニケーションの仕方を見直すヒントにはなりました。
ですが、具体的なスキルについてはそんなに目新しいものは書かれていなかったです。
自分のコミュケーションや考え方のルーツは親だというのは、ちょうど自分の中でタイムリーだったので、課題として明確になったのは収穫でした。
Posted by ブクログ
評価がよい割には、それほど有益な内容ではないかなと思ったのが率直な印象です。文芸としての価値を高めようとしたのか分かりませんが、やや堅苦しい記載のようにも思われます。ただし、演出家として、コミュニケイションの経験を積んできた著者の談話は傾聴に値します。
Posted by ブクログ
鴻上さんが、コミュニケーションということに対して深い洞察を持っているから劇団の演出をやっていたのか、それとも、演出を通じて多くの人間と深く接した結果、コミュニケーションについて理解をしたのか、いずれかはわからないけれど、鴻上さんの話しは、思わず唸ってしまうほど、的確に本質を捉えた考察が多い。なかなか言葉で表現しにくい、心理の機微を、上手に言葉にしている感じだ。
コミュニケーション能力は時に、命にも関わってくる問題になる。心底悩んだ時に、誰に相談することも出来ずに、みずから命を断ってしまう人も、世の中にはたくさんいる。鴻上さんの言葉は、そのような人に届いた時、命を救う最後の綱になる可能性が高いと思う。
田舎の人が都会でだまされやすいと言われるのは、田舎の人が純朴だからというより、田舎の人が田舎という比較的壊れてない「世間」に生きているからです。田舎の人は、自分に対して、マイナスなことを言うかもしれない「社会」の人と会話することに慣れてないのです。(p.58)
カウンターのような横並びの構図は、相手の顔や目を見る回数が少なくなるので、深刻な話や言いにくい話、親密な話に向いています。相手が「言いにくい話」をしたがっていると感じたら、横並びの構図に座るのがいいでしょう。(p.81)
人間には「教育欲」というものがあります。「人を教育したい」という欲望です。夜の飲み屋を覗くと、中年男性が若者にいろいろと教えています。演劇の世界でも同じことが起こります。この時、言葉は悪いですが、売れてない人ほど熱心に若者に教える傾向があります。
本当に売れていて、周りから尊敬されている俳優やスタッフは、あまり熱心には酒の席では語りません。それは、その人が黙っていても、周りはその人の発言や行動を気にして、お手本にしようとしていると分かっているからです。つまり、この時点で、売れている俳優やスタッフは自分の教育欲を満足させているのです。
あなたの話し相手がよっぽど売れていたり、社会的地位が高かったりしない限り、「教育欲」を満足させてないはずです。ですから、「質問する」ことは相手にとって迷惑なことではないのです。(p.105)
若者達は、自分と趣味の合う人達とだけ話します。「私はコミュニケイション障害っぽいです」と冗談めかして話す若者達も、気に入った相手とは熱烈に話します。人間全てが苦手という人は少ないです。
それは、気に入った相手は「世間」であり、「世間」の相手には気を使わなくても話せるからです。そして、自分と関係のない人達を「社会」として切り捨てるのです。(p.122)
とても基本的なことをひとつ。
自分のことをコミュニケイションが下手と思っている人で、単純に「挨拶をしない」だけで、事態を複雑にしている人が多いと僕は感じます。
コミュニケイションが下手なのではなく、挨拶が下手なことでコミュニケイションが広がるきっかけを失っている人達です。
人づきあいのうまい俳優さんは、朝、稽古場に来ると、先輩俳優や演出家の所まで気軽に近寄って、「おはようございます」とふんわり挨拶します。これで、その日一日、先輩俳優や演出家と口をきく機会がなくても大丈夫なのです。
自分から先に挨拶すること。こんなに簡単なことが、「私はあなたとコミュニケイションしたいと思っているんです」というサインになるのです。
出会った時に自分から挨拶しなかったり、目があった瞬間、無表情でいれば、それは「あなたとはコミュニケイションしない」というサインになるのです。(p.181)
「ここで休憩をとらさせていただきます」ではなく、「ここで休憩をとります」または「ここで休憩です」と言うべきだと、声を限りに叫びたいと僕は思っています。「〜させていただく」の連呼は日本語の恥だと僕は本気で思っています。(p.193)
もし、あなたが薄い「世間」に生きているのなら、苦しい時に苦しいと言う時、あなたのできる範囲でポジティブに語ることが重要です。微笑みながら言う必要はありません。ただ、相手をただの「痰壺」や「感情の便所」にしないために、あなたができるギリギリのポジティブな言い方や表情で、苦しいと語ることが大切なのです。
生きていることが辛いと、それでも前を向きながら語ること。なんとかしたいと思いながら悲鳴を上げること。そうすれば、相手は、薄い「世間」や「社会」に生きていても、あなたの苦しみを聞いてくれる可能性が高くなります。(p.216)
「世間」の人から声をかけられてエネルギーをもらうことはもちろんあります。
けれど、相手が「社会」に住む人だからこそ、エネルギーをもらうこともあるのです。それが「社会話」の魅力です。見知らぬ人に声をかけられて嬉しいことがあるのなら、お互いさまであなたも見知らぬ人に声をかけあうことが素敵だと、僕は思っているのです。(p.216)