松浦寿輝のレビュー一覧
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中村文則さんのエッセイを最近読んだので、その繋がりで読みました。
太宰治の人となりについてはほとんど何も知らないので、読む前の勝手なイメージでは「気難しく人嫌い」な人かと思っていましたが、作品を読むと「ユーモアの感覚もあって、実際に話せばあんがい話好きな人だったんじゃないか」という印象を受けました。
個人的に良かったのは富嶽百景の一場面で、天下茶屋の2階に寄宿している主人公が店の人間とも親しくなってきた頃、店の若い女性店員が1人で客の相手をしている時に、わざわざ1階に降りて隅でお茶を飲みながら遠巻きに見守ってあげているところです。
そんなにあからさまな優しさを出す感じの主人公じゃないんで -
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ネタバレ松浦寿輝「名誉と恍惚」(新潮社)は、2016年、話題をさらった作品だが、読み終えて考え込んでしまった。小説を映画化する話はよくある。では、その逆は、映画のように小説を書くということに込められた意味は何だろう、というのがこの長い長い小説を読みながら浮かんできた問いだった。
始まりは1937年、事変直後の上海共同租界。小雨の外白渡橋(ガーデン・ブリッジ)を紺色の背広を着た一人の男が渡っていく。彼がポケットから取り出した折り畳みナイフの刃がきらりと光る。検問所で誰何された男は「工部局警察部芹沢一郎であります。」と日本語で答える。
男はビルの入り口で待っていた軍人に促され、「百老匯大廈(ブロードウ -
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戸籍には記載されない出自として日本の母と朝鮮の父を持ち、日中戦争初期の上海で日本の支那駐屯地と一線を画す上海共同租界の警察官という職業を持つ主人公が、日本が戦争という形で外の世界と軋轢を起こしながら不可逆な道を進んで行く時代に、そのアイデンティティにより不可避な運命に巻き込まれて行く濃厚な日々の物語。いや不可避と言うより、衝動的にプロアクティブに運命に飛び込んで行く物語なのかもしれません。その行動のドライバーが「名誉と恍惚」、書名になっているキーワードです。徹底的に主人公のボーダー性は重ねられていて、性愛についても男女それぞれに向けられているし、芹沢という日本人の名前から沈という中国人の名前に
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「あやめ」の始まりかたが好きだと思う。事故で死んだ木原が立ちあがり死んだことを分かりながらずれた記憶の中を歩いていくところ。隣り合わせの記憶の世界では死者が生者のように動いている。「鰈」は「あやめ」にも出てきた土岐が死者の地下鉄に載って地獄の世界に足を踏み入れていくまでが書いてあった。これはちょっと微妙。明らかな社会的強者と弱者の色分けが苦手なんだと思う。弱者の気持ちを上から書いてあるように読めてしまうのが苦手。性的な弱者も。今後の自分の課題でもあるかも。逃げてばかりじゃダメだ。書けないならせめて読めないとダメだと分かっているから。「ひかがみ」は良かった。真崎が死者を見送って妹を獲る。この妹タ
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三本の短編からなる連作小説。
主人公は多少の違いはあれ生と死の狭間の世界にいる。
「あやめ」は生と死の間に生えているとされる花で、主人公の旧友がママをするスナックの名前でもある。主人公は交通事故にあって死んだはずの男だ。
「鰈」は泥酔して記憶があいまいになりいつ買ったかわからない魚がクーラーボックスに入っているという、これも生と死のモチーフとして描かれている。
「ひかがみ」は膝の裏側のくぼみのことだ。いつ死んだのか、いや元々いたのかもわからない妹の布団からのぞくひかがみは、生(性でもある)のモチーフである。
全編通して時間の知覚をあいまいにすることで、都会の隅で時間が濁っていく描写のその手管が -
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「BB / PP」(松浦寿輝)を読んだ。
短篇集。
表題作の「BB / PP」はかなりグロテスクで、それは私に映画「エクス・マキナ」(監督 : アレックス・ガーランド)を思い出させる。
それ以外はどれもモノクロームの写真を眺めているような静けさを纏い、あるいは色褪せた古い写真を眺めているようなもの悲しさを纏い、読んでいる途中にふと意識が何処か別のところ(かつて自分が通り抜けてきた分かれ道であったり、わずかの間住んだ外国の路地裏であったり)へさまよう。
それほど陰鬱なストーリーではないので眉間に皺は寄らない。(表題作は別!)
なかでも「四人目の男」はけっこうスリリングで良いね。
最後