松浦寿輝のレビュー一覧

  • 半島

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    作中で「この世で過ごすほんの束の間の歳月とはいったい何なのか。人生とは畢竟、テーマパークの様々なアトラクションを経巡りながら味わういっときの享楽と、その興奮が冷めた後での底から込み上げてくるうそうそとした寒々しさのことではないのか。」という部分があるけれど、本当にその通りだとおもう。

    個人的に松浦寿輝さんの文章の良さというのは川の水の流れのように動き(うねり、揺らぎ、漂い、揺蕩う)があるところだと思っていて…(1つのお話のバイオリズムと言う点においても、1文個々のベクトルにおいても。)ちなみに、他の作家さんに感じるのは山の稜線をなぞるような起伏。

    特にこの『半島』は川の源流のように流れは少しあるものの水面は穏やかなところから始まり、大河に合流し、最後は(水関係で語ると)海のような、1つ上のレイヤーの存在に抱かれるなり見つめられるなり境地に至るなりする感じが良くわかる。

    思えば『川の光』という川辺の棲みかを追われたネズミ一家が、新天地を求めて旅に出る まるでガンバの冒険か!?みたいなストーリーの児童書?的な小説も書いてはるし、いろんな作品に川や水辺のモチーフは頻出しているし(『人外』、『花腐し』等々)と思っていたら、ミツカン水の文化センターのインタビュー記事で『表現者としての川や水の存在について』語っておられるのがあった。

    そして、相も変わらず、異国料理屋に(東南アジアとかアジア圏多し)行ってカタコトの日本語も喋れる女性に狐に化かされた感が残るからかわれ方もされるwほんと好きねぇと思うw割とどの作品も、女性だけに限らなく、例えば土地そのものやそこで暮らす人々くらいの規模感のものに狐に化かされた感のある箇所が出てくる。
    そこがまた松浦作品の面白いところだと思う。

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    2025年10月15日
  • 幽 花腐し

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    少々難解ですが、ほとんどが心情の描写で構成されていて、個人的には好みの文章でした。奇妙だけれど、わからなくもないような、人間の不思議さのようなものを感じる作品ばかりで、興味深かったです。

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    2025年07月13日
  • 人外

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    「人外(にんがい)」(松浦寿輝)を読んだ。
    
面白い!
    
アラカシの枝の股から滲みだした(神ともけだものともつかない)「それ」が、(何故か過去の記憶に囚われ)探し求める「かれ」とはたして出会えるのかどうか。
    
そして「世界」は滅びようとしている。
    
少し難解なところもあるけれどしだいに物語に惹きつけられていく。
    
印象深い文章をひとつだけ抜きだす。
    
『世界と世界ならざるものとの境界に身を置きその両方に魅了され引っ張られ、しかしどちら側にも身を落ち着けられずにいるものだけが知るせつなさでありやるせなさであるようにおもわれた。』(本文より)
    
〈あゝ、われわれの世界も滅びようとしているのかもしれないな〉と、思う。

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    2023年10月19日
  • 半島

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    中年期の寓話。15年ぶり再読。主人公と同じく中年になったからこそわかる部分あり。様々なからくりのある島の描写が魅力的。仮初か現実か、桃源郷か現実世界か、どちらか一方を選んで終わらないのがもどかしくもあり、可笑しくもあり。

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    2022年06月18日
  • わたしが行ったさびしい町

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    村上春樹ライブラリー階段の本棚にあったのをパラパラめくり、ぜひ読もうと思った一冊。
    名著『名誉と恍惚』の作者による、紀行文…なのかな。

    旅の本が好きなのだが、この本は単なる町の風景や出来事の描写だけでなく、様々な思索やよしなしごと(と本人は仰るだろう)が織り交ぜられた文章が魅力である。

    一番行ってみたいと思ったのは新京=現・長春であるが、そんな感想を持つべき本ではないような気もする。

    「吉田健一にとって余生とは、何かが終わった後の時間である以上に、むしろ何かが始まる時間のことだった」
    「『余生があってそこに文学の境地が開け、人間にいつから文学の仕事ができるかはその余生がいつから始まるかに掛かっている』」

    というような言葉と引用、

    そして早世した私小説作家阿部昭への思いなどが印象に残った。

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    2022年04月17日
  • わたしが行ったさびしい町

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    おそらく、旅に関するエッセイとしては極上の部類に入るのではないか。その旅の細部はほとんど忘れてしまっても、その中でくっきりと記憶に留まっている事柄の記述は、読者があたかも追体験するような錯覚を起こさせる。

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    2022年04月05日
  • 月岡草飛の謎

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    『鴉はその恐ろしい国から俳人のところへやって来た、お迎えの使者、死出の旅路の先導役、まあそういった見立てになろうか。しかしそんなふうに話の筋を通してしまうと、たちまち理に落ちた凡句になってしまうなと月岡は苦笑した』―『人類存続研究所の謎 あるいは動物への生成変化によってホモ・サピエンスははたして幸福になれるのか』

    松浦寿輝は東大でフランス文学を学び、パリ第三大学で博士号を取得、詩人として文壇に登場し、その後評論を認められ、小説では芥川賞も受賞したという絵に描いたような文人。歯に衣着せぬ物言いで人の感情を逆なでるなどという単純なことはしないけれど、持って回ったような高尚な理路で人の不興を買うことはある(例えば村上春樹に対する評のように)。この作家には「川の光」なんていう子供向けのアニメの原作になる作品があったりもするけれど、むしろ世間的には堅物と言われそうな読者向けの作品が多いし、個人的には「そこでゆっくりと死んでいきたい気持をそそる場所」のような暗澹たる雰囲気の漂う作品が好み。本作「月岡草飛の謎」もその「そこで~」と同じくらい面妖な連作短篇集。その意味では好みといえば好みの作風だが、それをスノッブだと評する人もいるかも知れない。

    snobbish(俗物的)という言い方は、紳士を気取っているとかお高くとまっているという意味合いで使われると思うけれど(今風に言えば上から目線というやつか)、本作のような作品を読む限り、松浦寿輝の場合、それをわざとやっているようなところがあると思う。敢えて俗物的な価値観を持つ登場人物を描き、それに嫌悪感を抱かせておいて、読み手の感情もまとめて切りつけるという構図があるのではないかと。そもそも、判り易い理屈を提示しつつ、実はそんなものには意味がないと切り捨てるような捻ったものの見方が主人公の物言いには通底している。作家の価値観の一部が投影されているとも思う(と決めつけることもまた一つの罠か)主人公、月岡草飛の価値観も、一歩引いて見た時、その俗物的な面をあげつらうことが躊躇われる。単純に嫌悪することは天に唾を吐くようなもの、という構図が見えてくるからだ。その思わず胆が冷えるようなところへ読者を連れていく剛腕が、松浦寿輝の特徴であるような気がする。

    例えばこの主人公のショービニズム的ですらある男尊女卑的志向を、旧世代のもの、時代遅れと単純に切り捨てる読者も出てくるだろう。しかしその時、松浦寿輝は「何故そう言い切れるのか」と厳しく問うてくるだろう。何かを評する時、人は自ら問いを立て、自ら答えねばならない。そんな厳しさを、何故か感じずにはいられない作品。

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    2021年05月25日
  • 人外

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    読んでいて、小説ではない一つの世界を紐解いている感覚。
    極端に句点の少ない長文がだんだんと心地良く、ずっと読んでいたいけれども、世界はうつろい、物語も終焉を迎える。
    らせんと円、私・わたしたちと彼、存在と不在、意識と世界。
    これから何度も読み続けたい。

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    2021年01月30日
  • 名誉と恍惚

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    好き。
    大傑作。


    芹沢一郎。


    心理描写が丁寧で、
    「彼の気持はあたしの気持」
    っつーくらい入り込んでくる。

    丁寧に読めたと思う。


    うちの家族全員が、読書しているあたしに向かって、
    「それ辞書?」
    と聞いてきたのも良い思い出。

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    2018年03月09日
  • 名誉と恍惚

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    まあすごい大作です。
    長い小説はその世界観にどっぷり浸かれるかどうかが、読み疲れるかどうかの瀬戸際だが、これはもう上海の雰囲気、匂いまでが伝わってくるのがすごい。
    心理描写や独白はクドイと思われる向きもあるかと思いますが、これらの多用によって夢かうつつかの戦争のなかの混沌というイメージをうまく表現してるとおもいます。

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    2018年02月15日
  • BB/PP

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    好き嫌いがはっきりわかれるだろう、この短編集は。スノッブって言ってしまったらみもふたもないかもしれない。
    でも、年を重ねて過去の記憶と向き合うことって、たとえばあの頃は良かったって思うのはやっぱり、人生は綺麗なだけじゃないし、本当のことは誰にも見えないんだよなっていうことをすごく考えることにつながっているような気がする。意味がよくわからない文章になってしまった。
    とにかく、松浦寿輝先生が好きなのは自分もここにいるような文章と、あとワタシが知っているところを先に先生が歩いている感じがするからかもしれない。

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    2017年12月23日
  • BB/PP

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    『人間って、結局、自分の身の丈相応でしか他人を判断できないんだよね』―『ミステリオーソ』

    例えば村上春樹の小説によく登場する暗い穴。作家はその底をよくよく覗き込んで人の奥底に潜む凶暴な人格を暴き出そうとする。しかし村上春樹の小説で描かれるそれは、所詮(と言ってよければ)カエルくんによって元の暗い地中へ押し戻されるそれであり、散々広げた風呂敷をあっさりアトレーユに託して知らぬふりを決め込んでしまえるそれであるに過ぎない。誰もが持っている知られたくない後ろ暗い思い、あるいは隠された人格のようなものとは、そんな生易しいものではないだろう。それは羞恥心と表裏一体の感情であるからこそ隠しておきたいという力が掛かり、その圧によって増す凶暴で陰湿な裏側の、実在する顔でもある。無かったことには決して出来ない。そこを松浦寿輝は臆するところなく直截に敢えて書く。

    「そこでゆっくりと死んでいきたい気持をそそる場所」という小説に惹かれて以来、松浦寿輝という作家名を時折書棚に求めている自分に気付くことがある。その行為の根本にあるものは、エログロ、あるいは自暴自棄なものと紙一重という感覚はある。しかし口唇期の子供が無性に興奮するように、触れてはいけないものへの興味のようなものを松浦寿輝にはいたく刺激されるのだ。自分の中にもそんな人格が潜んでいることを意識してのことか、あるいは暴力的なまでの非常理に蹂躙されたいという気持ちがあるのか。簡単にその答えには行き当たらない。

    あるいは、単にこの作家が社会から脱落した中年男性を好んで描くことが、その理由なのかも知れない。自分の年齢を意識して残りの時間を計算せさるをえないことが知らぬ間に誘導する思い、これまでにしたことの無いような何かを希求してのことなのかも知れないと、妙にこじつけて考えてみる。所詮、最後は自分一人なのだと開き直ることが松浦寿輝の小説には求められているような気がして、ただそれだけが聞きたくて惹かれているだけなのかも知れない。とは言え松浦寿輝の書くものを何でも好んで読むわけではない。

    この本は同じ趣きのものをまとめたようには見えないが、言いたいことは全て共通している様にも読める。それを敢えて言葉にするなら、飽き、ということなのか。その先に何かが待っているような結末はなく、置き去りにされた思いが常に
    残る。極端に言ってしまえば、描かれるのは訳が解る範囲での訳の判らなさ。人の業の深さを720度スクリューの着地点的に噛みしめる。

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    2017年09月26日
  • 名誉と恍惚

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    権力の中枢にいる者が民間の一事業主に便宜を図る引き換えに何かをさせようと思えば、誰か連絡を取る者が必要となる。下っ端の公務員なら、いざとなれば切り捨てることができるので好都合だ。しかも、真の意図は隠し、国のためを思ってやることだと言い含めて疑念をそらす。ことが露見すれば、上に立つ者は白を切り、実際に動いた者が、蜥蜴の尻尾のようにあっさりと切り捨てられ、名誉どころかその命さえ奪われかねない。

    こう書くとまるで今の日本の現実のようだが、これは小説の中の話。時代は事変から戦争へと拡大し続けている日中戦争のさなか。外灘(バンド)に西洋風建築が競い合うように建ち、多くの国から人々が流れ込む国際都市、魔都と呼ばれる上海の共同租界を舞台に、一人の日朝混血の工部局警官が国家的謀略の渦に巻き込まれ、その人生を大きく変えられてゆく姿を描いた千三百枚の大長編。これだけ力の入った小説を読むのは久しぶりだ。

    芹沢一郎は朝鮮人の父と日本人の母の間に生まれた。十七歳という娘の年齢を慮って、祖父は自分の末子として届を出した。早くに実の両親を亡くした一郎は父親代わりの叔父の世話になり、外国語学校を出た後、警官の道を選ぶ。係累も後ろ盾もない一郎にとって警察機構は、身を守る鎧となるはずだった。四年前東京警視庁から派遣されて上海工部局警察部に赴任し、主に翻訳や検閲、情報収集という机仕事をしている。

    そんな芹沢に軍から呼び出しがかかる。相手は陸軍参謀本部第二部第十一班の嘉山少佐。通称「謀略課」と呼ばれる第十一班はの少佐が何の用かと思えば、青幇(チンパン)の頭目蕭炎彬(ショー・イーピン)に紹介の労を取れという。一介の警官にギャングの首領との仲介がつとまる訳もないと断ると、芹沢と旧知の間柄である憑篤生(フォン・ドスァン)が蕭の伯父であることを告げ、警察には隠している日朝混血という芹沢の出自をちらつかせ隠微に脅しをかけてくる。

    憑は芹沢に蕭と嘉田の会談をまとめる代わりに警察の内部情報を漏らす覚悟はあるのかと聞く。会談は無事行われるが、芹沢の同席を望む蕭とそれを拒む嘉田との間に緊張が走る。結局、芹沢が蕭の代りに第三婦人美雨(メィウ)のお供をすることで決着する。女優だった美雨は阿片のやりすぎと子どもができないことから蕭との仲も冷め切っている。凄艶な美女と三十前の精悍な警官の出会いである。この夜から芹沢の転落が始まる。

    何故か芹沢の情報漏洩や秘事が上司の知るところとなる。秘事とは何か。骨董商憑篤生にはハンス・ベルメールに先駆けて関節を自在に動かせる人形を完成させたアーティストとしての顔があった。ただ、ベルメールと違い、性器まで精緻に作り上げた黒髪裸体の美少女は、上肢と下肢を入れ替えたり、二人の少女が胴体を共有したり、と奇形ともとれる造形がなされていた。芹沢はそれを撮影した写真を秘匿していた。さらにもう一つ悪いことに、白系ロシア人の少年アナトリーと唇を合わせている写真まで盗撮されていた。

    変態と罵られ、朝鮮人との「雑種」を警察内部に置いておくことなどできない、懲戒免職になりたくなければ今すぐ辞表を書けと迫られる。昨日まで法の番人として、いっぱしの正義漢ぶっていた男のみじめな転落である。始末したはずの写真を盗み出すことができたのはアナトリー以外にいないことに気づいた芹沢は少年を追う。そして、その背後にいた意外な人物の存在に驚き、自分をハメた理由を問い詰めた挙句殺してしまう。ここまでが第一部。

    激昂のあまり相手の頭を地面に打ち付け、ぐにゃりとした手触りで殺してしまったことに気づく、その描写がぞくぞくするほど。下手なミステリなど及びもつかない迫真性だ。鉄条網に顔面を押し付けて引きずる場面にしてもそうで、身体性を徹底してリアルに追求している。それは官能的な場面でも通用する。アナトリーとの肉体的な触れ合いが、どれほどの恍惚感をもたらすものだったかを指や爪、といった先端部分でのふれあいによって想起させる技術はさすがだ。

    第二部は殺人犯としての正体が暴露されるのを恐れながら、苦力として働く芹沢の逃亡生活を描く。第一部が紅灯揺らめく魅惑の街上海の表の顔だとすれば、第二部は南京虫や虱の湧く小屋をねぐらに肉体労働で日銭を稼ぐ者らが蠢く上海の裏の顔だ。このキアロスクーロが効いている。ただ、不思議なことに何も考えず単純な肉体労働に励む毎日の方が芹沢にとっては楽なようなのだ。表題にある「恍惚」感に襲われるのもこの場所だ。金を掏られた上、病んだ芹沢は、夢か幻視か、鷗が舞う光景を見る。世界が粒だって見えた、この全能感は一度きりだったが、芹沢の無為な生き方をゆすぶった。

    徴兵忌避者と殺人犯を一緒にはできないが、官憲に追われる孤独な逃亡者の心理を克明に追うところで、丸谷才一の『笹まくら』を思い出した。人目をはばかる逃亡生活の中でも、人は人らしく生きたいという願いを持ち、向日性に憧れる。警察官であった頃の芹沢の日々は、年端もいかない少年との快楽に耽りながら、日々の仕事に何の疑問も抱かない鈍感な男のように見える。芹沢に主人公としての魅力が宿るのは、苦力に身を落としてからだ。

    二進も三進も行かなくなったところを憑によって救出された芹沢は、憑が経営する映画館で住み込みの映写技師として働き始める。美雨との再会があり、洪(オン)という友人もできる。憑ファミリーの一員となり、中国人沈(スン)として生きてゆく覚悟もでき、香港行きが決まったその日、前々から探らせていた嘉田の居所が判明する。何故自分がこんな目に遭わねばならなかったのか。あの会合は本当に国家のためのものだったのか、芹沢にとって、それは自分の「名誉」に係わることだった。美雨を先に港に行かせ、芹沢は独り嘉田のいるホテルに向かう。

    大団円の嘉田との長いダイアローグ。ドストエフスキーの『悪霊』や埴谷雄高の『死霊』を思い出した。国家論であり、戦争論でもある。国家の意思を体現した嘉田が語る確信犯的な議論は、今世情を騒がす国家主義者たちの表には出せない、裏に隠し持った思惑とも合致するだろう。国家、国家といいながら、嘉田が本当に大事にしているのは、自己の欲望の成就だ。馬鹿な大衆も無能な軍人たちも端から見下している。手配中の芹沢が、危険な場に我が身をさらしてまでも問わねばならなかったのは、他でもない自分の行動の倫理的な正当性である。すべてを失ってしまっても、誇りをなくしては男は生きていけない。

    このハードボイルド小説的な対決の決着をつけるのが玉突きというのがシャレている。ナインボールで先に三勝した方が勝ち。芹沢が勝てば無事にホテルを出ていける。実力は嘉田の方が少し上だが、芹沢は、玉のつき方から嘉田の慎重な性格は臆病さの裏返しであることを見抜いていく。このあたりの心理戦の描き方が面白い。ここにきて、急に芹沢がヒーローらしさを発揮する。凡庸な男が苦難の経験を通じて成長を遂げる。ビルドゥングスロマンはこうでなくてはいけない。

    スケールの大きい小説で、上海という蠱惑的な都市を効果的に配し、漢語に英語風の読みのルビ振りをする表記とも相まって、視覚効果は抜群だ。さらには日中戦争が軍部の意図を越えて暴走し始め、抑制が効かなくなった日本軍の南京での虐殺事件にも目を配るなど、歴史的な配慮も行き届いている。何も知らなかった青年が煮え湯を飲まされ、落ちるところまで落ちる。自分を見失い無為な日々を過ごすが、最後に覚醒し、自身の人生を掴み取る賭けに出る、という山あり谷ありのドラマを、終始主人公に寄り添った視点で語る。一人の男の目を通して、勝ち目のない戦争に突っ走っていった時代の狂乱の世相を描いた傑作。この時代だからこそ読みたい。半端ではない厚さだが、一気読みは保証する。

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    2017年03月28日
  • 黄昏客思

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    『皆がその死を悼んで集まってきているその家のあるじは、いま無責任な客のような顔をして無聊を託(かこ)っている、この俺自身なのではないか』―『主客消失』

    定義付けのされた言葉が多く並ぶ。それ故に文章の意味するところは、多少意図的な飛躍はあるものの、論理的である。著者の小説にはない角張った音がする。とても惹かれるところもあるのだが、何故か眉根を寄せずには読み進めることが出来ない。理屈を重ねれば重ねるだけ、読み手を置き去りにするこの語り手は、けれど、簡単に耳を塞いで拒絶して済むものでもない。

    松浦寿輝は自分の中にある何かを内と外の対比によって炙り出そうと試みる。内と外にそれ程の差があるのか無いのか、そのことを先ずは示して見せようとする。それが時に我田引水的な引用になることがあるのはご愛嬌だとして。世界を二分した後、然るべき証拠を指し示しながらその差について、解く。それは科学的な物事の進め方のように、時に単純化された世界に我々が生きているのだという前提を要求するのだが、そのこと自体は理の進め方として充分に受け容れ可能だ。それでは何が引っ掛かるのかと言えば、この著者が饒舌であることそのものなのだろうと思う。

    川村二郎に、本当に著作を仕上げた後に参考にした書籍を処分するのかと問われ、そうすると答えるエピソードが出て来る。その時、川村二郎は、同じように書籍を処分する評論家、恐らく立花隆(文中は伏字だが)を引き合いに出して、非難めいた言葉で、そういう人の書くものは薄っぺらい、と評する。彼我の差を省みずに言うなら、自分の感覚もこれに近い。

    著者の小説の中では言葉が言葉を引き付け、思いもよらない展開を見せる。饒舌さと単純に言ってしまったが、言葉の使い方が適切で、時に古めかしく、時に難解に響く。それこそがこの作家の特徴で、そこに惹かれもする。もちろん言葉遣いだけではなく、薄っすらと暗い部屋の隅を眺めている内に浮かんでくる狂気のようなもの、その底無しの闇に吸い寄せられて行く魅力がある。そして恐らく、その虚構の世界の根底にあるものは原風景の変容に起因するものなのであろうと想像する。その推察に行き当たって、今度は自分自身の暗い部分を覗き込む。松浦寿輝は、巧みな言葉で周囲を固めてはいるが、その内側には少年の幼べなさが巣食っている。そのように虚構の中で発展する防御と基本的に同じ展開が評論の中でも表れているように思えるのだが、小説の場合と異なり、そこから飛翔するものを何故か感じることは出来ないのだ。

    松浦寿輝はシンプルな主題を延々と書き込むことによって、自身の中にあるもやもやとした何かに迫ろうとする。それはスリリングな試みだが、どこまでも個人的な想いに過ぎないとも言える。もちろん全ての読み手が著者の言葉によって啓かれたいと思っている訳ではないと思うが、この文章に救いがない。ここにあるものは、夕暮れの丘に立つ少年の自分の姿ばかりだ。その時の自分と現在の自分の中に見い出し得る共通項を、普遍的なものに昇華させようという試みは、確かに構図としては誰しも一度や二度やってみたことのある試みだが、そこで見い出したものから普遍化した哲学を引きずり出すには、その感情は幼過ぎる。それを無視して言葉を重ねる度に、意図したものは本来の意味を失ってゆく。それが鋭利な言葉であるが故に切り付けた手応えが返って無い、ということなのか。松浦寿輝の昭和の原風景には見覚えがあるだけに寂しいことだと思う。

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    2016年10月04日
  • 松尾芭蕉 おくのほそ道/与謝蕪村/小林一茶/とくとく歌仙

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    芭蕉、蕪村、一茶、余りに有名かつ定番の俳人であるが、本格的に比較して鑑賞したのは恥ずかしながら初めてであった。
    中でも、蕪村は他の2名と比べて写実的、と云われていると思うのだが、どうしてどうして非常に心理描写を巧みに取り入れた作品が多く、あらためて感銘を受けた次第である。俳諧というものは、素人の私が云うのもおこがましいが、深いものだと感じた。

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    2016年07月14日
  • 男性作家が選ぶ太宰治

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    さすがは並みいる男性作家が選んだ作品集である。全部面白い。
    「ちょっとちょっと…」と傍で話しかけられるような親しげな語り口と
    抜群のリズム感が心地いい。特に気に入ったものを少し…。

    「道化の華」
    ラスト3行でいきなり視界がぱあっと広がり、ぞくっと怖くなる。
    視点のトリックで読者を驚かせるのが上手い。
    「彼は昔の彼ならず」
    心の本質が似通った人間が近くにいると、お互いに感応してしまうのだろう。
    口先三寸のペテン師のような男を非難している主人公の男もまた、
    親の遺産で遊び暮らす怠け者。
    才能ある芸術家のパトロンになりたいという、
    彼の下心を見透かしたペテン師の作戦勝ち。

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    2015年06月05日
  • 明治の表象空間

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    萩原朔太郎の詩が好きで、『月に吠える』『青猫』と読み進み、その口語自由詩のたたえるリズムに心地よく酔いしれていたら、突然、『氷島』の詰屈な文語調にぶつかり、いったい朔太郎はどうなってしまったのだろう、などと不審に思いながらも、その独特の韻律に、やはり心を揺さぶられ、序詩「漂泊者の歌」一篇は、当時大学ノートの裏表紙に万年筆で書き写し、暗誦したものである。

    それにしても、口語自由詩の完成者と目される朔太郎が何故転向するかのように文語体で詩を書かねばならなかったのか、という疑問は解決を見なかった。ところが、その謎を解く鍵がこの本のなかにあったのだ。しかも、愛惜措く能わざる「死なない蛸」の精密な解読とともに。レヴィ=ストロースの「冷たい社会」/「熱い社会」の二分法を借りた「冷たい時間」(情報不在の不活性化していた社会)「熱い時間」(交通・通信技術が飛躍的に進化を遂げた明治十年代)という二つの時間を使って。

    「明治の表象空間」について書かれた本のなかに、昭和の朔太郎の話が何故、と思われる向きもあろうかと思う。しかし、題名こそ、「明治」を冠しているが、この本、極めてアクチュアルな問題意識に貫かれている。フーコーが『言葉と物』で取り上げたのが、古典主義時代における生物学、経済学、文法学である。それが今日の精神分析学、文化人類学、言語学にいかに繋がっているか、目の覚めるような分析であった。著者の仕事は、日本版『言葉と物』といっても過褒ではなかろう。ただ、フーコーのそれが、いかにも冷静な記述で驚くべき知見が語られるのに比して、著者の言説は怜悧ではあるが裡に秘めた熱が、その表面を蔽う硬質なエクリチュールに罅割れを生じさせ、時に怒りや焦り、苛立ちが仄見える。たとえば、カントの定言命法を援用した「小さな(傍点以下略)正論」について。

    「以後、近代日本は、小さな正論が猖蕨をきわめる社会として自己を成型し、それら正論群のネットワークを整備してゆく。正不正の判断それ自体が宙に吊られるわけではない。推しつけがましい判断(わたしは正しい)とそれに基づく強圧的な指令(わたしに従え)は、民衆の日常生活のもっとも細かな襞々の中にまで浸透してゆく。問題はそこで人々の精神と身体を縛り上げてゆく言説が、理性の私的使用に基づくものに限られているという点、そして、にもかかわらず、それら小さな正論群がいつの間にか一致団結し、大きな正論の虚像を虚空に描き上げるのに貢献してゆくという点なのである。かくして誇大妄想的な普遍性を僭称する大きな正論が、その発話に関して誰が責任をとるわけでもないまま、自然に生成してゆくことになってしまうのだ。」

    この引用を、明治の初め頃の日本を描いたものとして読めるとすれば、かなり能天気な読者だろう。著者は、知識人の一人として、このような政治状況下にあって、何ができるかを問い詰め、エクリチュールの持つ不可能性を見極めつつ、何故それが、力を持たないか、どうしてそうなったしまったのかを、「明治の表象空間」を分析することで、明らかにしようとしたのだ。だから、風車に挑むドン・キホーテのように鎧兜に身を固め、勝てない戦に打って出たのである。

    明治時代の司法制度、教育勅語の成立過程、福沢諭吉をはじめとする錚々たる顔ぶれの啓蒙的知識人の言説とその変遷、小石川植物園を例にとったシステム論、とどれも読み応えのある論考となっている。中でも、現在の日本語、日本文の基礎となっている言文一致の口語体使用を、一度現象学的括弧に括り、透谷、一葉、露伴の文語体の文章の持つエクリチュールの力を分析して見せた第三部「エクリチュールと近代」が圧倒的に面白かった。特に、一葉の『にごりえ』におけるお力の内的独白をヴァージニア・ウルフの『波』や灯台へ』のそれと比較して見せるあたり目を拓かれた思いがした。

    朔太郎に戻ろう。いかにも時勢に合わせたかのような「日本への回帰」といったタイトルの下に書かれたエッセイの締めくくりの文を著者は引いている。「日本的なものへの回帰!それは僕等の詩人にとって、よるべなき魂の悲しい漂泊者の歌を意味するのだ。誰れか軍隊の凱歌と共に、勇ましい進軍喇叭で歌はれようか。かの声を大きくして、僕等に国粋主義の号令をかけるものよ。暫く我が静かなる周囲を去れ」と。回帰するべき日本(冷たい時間)は荒れ果て、軍靴の音高い日本(熱い時間)に生きることもできない詩人は漂泊者たらんとする。この国内亡命者の姿は、さらに時代を越え、大江健三郎や安部公房の作品に登場する穴に住まう人々と通低する。

    異様なまでに硬質なエクリチュールで身を固めた長篇評論は、フーコー張りの言説的愉楽を湛えたものに見せてはいるが、その下で著者は必死に水を掻いているようだ。射程の長い考察は、これからのこの国を考えるためのヒントに満ちている。とっつきにくい相貌の下に、著者の熱い思いが隠されている。是非、手にとっていただきたい一巻である。

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    2014年09月07日
  • あやめ 鰈 ひかがみ

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    推敲してるんだろうけど、「うまいこと言ってやろう」みたいな変な気負いが感じられず、非常に自然で綺麗な文章。尊敬する。

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    2010年03月14日
  • 名誉と恍惚

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    ネタバレ

    なかなかの鈍器本だったけど、2年間だけど人生が詰まった本だった。
    くやしくてしょうがない、結局真面目が1番損するん?ひどいわ………
    アナトリー、悲しかったな。多分いい奴だったよな。
    最後は名誉を取り戻せたのかどうか。
    最初らへんは、うわ何か読めるかなと思ったけど、途中から面白くなり一気に読めた。
    フォンドスァン、1番謎だったわ。
    とにかく熱い上海での話だった。

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    2026年07月13日
  • 巴

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    ☆3.5 頽廃した性空間
     導入から非日常で、このひとは文章がうまい。主人公のくづ男がひょんなことから昔の知り合ひに出会ひ、とある書家の家に招かれ、一本の映画を見せられる。その映画は老人が自分の孫娘・朋絵(=巴)に撮らせた✕✕✕で……

     内容は作家本人がいってゐるとほり、上田秋成、ジョイス、石川淳を混ぜたやうなどこか幻想風味の頽廃した空間を描いてをり、谷崎めいてゐなくもない。
     一方、ストーリーを丁寧に追へばそこにひろがるのは通俗ドラマの世界だ。性、暴力、頽廃。しかし頽廃は頽廃でも、それは想像上の頽廃であり、西村賢太と比較しては生半可なところがある。
     文章の揺曳した心地よさがありつつ、しかし見合ったストーリーかどうかはわからない。結末は破綻してをり、巴の哲学も紐解かれないまま、形而上の話で終る。竜頭蛇尾である。が、つづきが気になったことは確かだ。

     42歳のときの初長篇でこれだけ書けたのだとしたら大したもので、しかし内容が内容だけに売れはしなかっただらう。著者も自作のなかではいちばん好きだと言ってゐる。

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    2026年04月29日