池澤夏樹のレビュー一覧
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池澤夏樹編集の日本文学全集を何冊か読んだので、気になって買いました。
『古事記』『日本霊異記』辺りは、男女の……とレビューでは言えないようなワード満載で、初っ端からこの勢いか!とビックリする。
でも、そんな赤裸々な『古事記』が日本のどこか源に流れているような気がして、ちょっと好き。
森見登美彦『竹取物語』も、読んだけれど、後から考えるとまだ大人しい。
かぐや姫の「地球に対するツン」発言は笑った。
どんな業を背負っているかは、地球人ごときが知る由もないこと、という解釈の仕方(ごめん、ごときとは仰ってませんが)は割とマトモで好き。
輪廻転生、盲点でした。
からの、町田康『宇治拾遺物語』!
そりゃ、なんや真面目に訳してもたわ、と嫉妬もされるくらい、色んな意味でヤバい。
自分でコメディー担当と言うくらいに面白い。
何よ、「これも、ルルル、昔のこと」とは。
質疑応答の巧妙なズレ感に、なぜか爆笑してしまった自分が少し恥ずかしい。
とりあえず、ここでクライマックスを迎える。
からの、『百人一首』。
はい、落ち着きましたー。良かった。
「奥山に紅葉踏み分け鳴く鹿の」
の静けさに、とっぷり戻ってくることが出来ました。ありがとうございます。
和歌を現代詩にどう訳すかって面白い。
あくまで解釈を基にして。
でもこういう試みが出来たらいいなあー。
あっという間に読めてしまって、笑った。
今は『平家物語』をこのまま読み進めるか、町田康『宇治拾遺物語』をフライングして読んじゃうか、悩み中。
いやー。卑怯やわ。 -
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作家で詩人の著者による知の活かし方。いろいろ情報が飛び交い何が真実で何がフェイクニュース(うそのニュース)か分からない今という時代を生き抜くための参考にと思って読んでみた。
池上彰も述べているが、ネットのニュースだけでは不十分で紙の新聞も読むことを説いている。インターネットはそれぞれのニュースを素早くとらえるのには向いているが、全体像をつかむのには新聞のほうがよいと述べている。
本の手放しかたと言う1章があるのが印象に残った。本を買って読むとたまっていく一方で預金と違って利子がつくわけではなく、ただ部屋が狭くなっていくだけ。ストックの読書とフローの読書と言う考え方を示している。ストックは、買った本は売らずに取って置く。フローは読んで次の読者にわたる。何を残して何を話すかはそれぞれの興味による。
もう一つ、印象に残ったのが非社交的人間のコミュニケーションと言う1章。「対談は自分ではなく、相互のため」というように、自分のためだけに誰かの話を聞くということをしてこなかったと述べている。
仕事術と言うタイトルはついているがもっと幅広いことが書かれている。 -
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ネタバレ題名に“仕事術”とあるが、著者は小説家なので、本書の個々のノウハウが一般的かといえばそうとは言えないかもしれない。
しかし、「情報、知識、(それから思想も)」をいかにして獲得し日々更新していくかについての著者が取り組み方に、自分ももっと日々の生活と仕事のやり方に工夫を凝らさねばと刺激される。
新聞を読んで今の世界がどのようになっているか世界の見取り図を自らの頭の中に作る、乗り物での移動中はスマホを見ずに本を読む、などの基本姿勢に共感したり反省したり。また、本の手放し方にルールを決める、などはこれまであまり考えたことがなかったので、そう思って日々の生活と仕事のやり方を点検すれば工夫は無限大に思えてきた。 -
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「ティオの夜の旅」(合唱曲)と関係があるのかなーと思って今更ながら読みました。
ティオはでてくるけどそんなに密接な関係はないみたい。
どうやら詩が先にできたらしいですね。
小説にはフェアリ・メイも出てこないしローラ・ビーチもありません。
合唱曲の詩のほうがなかなかに電波……なので、小説はどんな感じなのかと思いましたが優しいすこし・ふしぎなお話ばかりでした。
短編集だから一気読みもできますけど、そうはせずにちょっとずつ読み進めていきたい本でした。
電車に乗ってるときとか、こたつにはいってもぞもぞしてるときとか、そういうときにちょっと手に取りたい本ってありますよね。 -
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この本のおかげで、週末を幸せな気持ちで過ごせました。
ひとたびページを開くと、南の島にひとっ飛び。
魔法が、精霊が息づく、どこか懐かしい10編の物語です。
きっと、昔はどこもこんな風に見えないものが信じられていたんでしょうね。
文明が発展して便利になる一方で、失われてしまったものもたくさんあったのだと思います。神様がいて、精霊の声を聴く人がいて、生命の息吹を感じられる。魔法だって信じられる。そんな世界の存在自体が、こんなにも自分を癒してくれるなんて。
「絵はがき屋さん」
受け取った人は、必ず来たくなる。
そんな魔法のような絵はがき。ものすごく、わくわくしませんか?
ピップさんが語る渡り歩いた世界の話もわくわくするし、思わず旅先から絵はがきを出したくなりますね。
「草色の空への水路」
ちょっといたずら好きな、すこし子どもっぽい神様の存在が感じられるお話です。
今でも神様に挨拶をしたり、お伺いを立てたりする風習は世界中で残っていますよね。神様が見せたあまりにも幻想的な風景にもうっとり。
「十字路に埋めた宝物」
幸せの連鎖って、あるんだろうな。
そう思わせてくれる、いいお話。責める前に、耳を傾ける姿勢も、独り占めしない姿勢も、とても大切ですね。
「帰りたくなかった二人」
どうしてもその土地に惹かれて仕方がない、ということは、あるのかもしれないですね。
仲良しな二人と冒険のような日々に心が温かくなります。
「星が透けて見える大きな身体」
これもまた幻想的なお話です。
美しい子は神様に愛される、幼い頃に命を落とした子は神様が呼んだからだ、なんて言いますよね。
大事な友達を取り戻すための勇気のお話。暗に親では呼び戻せないと示されてるのが実は切ない。
「エミリオの出発」
失われゆくものを大事に慈しむエミリオ。
周りに流されることなく、自分がすべきことを見つめる強さに惚れ惚れします。
楽をしようと思えばいくらでも楽ができるのに、そうしなかった彼の真摯さがすばらしい。
ひたひたと心を満たす幸せな余韻。あとがきもとても素敵なんですよ。
疲れた週末の読書におすすめの1冊でした。 -
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両親がマチネ・ポエティックの詩人(福永武彦と原條あき子)であり、自身詩人でもある小説家が、岩波文庫の中に収められた詩を材にとって、気ままに想像の翼を広げ、そこから思いつく異なる時代、異郷の詩人の詩との思いがけない出会いを綴ったもの。詩の鑑賞の手引きであり、批評であり、詩にまつわるエッセイでもある。こういう本は、小説なんぞとはちがって、読み終わった、などといいたくない。手元に置き、折にふれて読みかえすことこそふさわしい。
そういえば、福永武彦には『芸術の慰め』という、西欧の絵画、画家について論じた一書がある。その巻頭で福永は、「題名は如何にも物々しくて、ボエティウスの『哲学の慰め』とかジョルジュ・デュアメルの『音楽の慰め』とかに似ているが、わたしは向こうを張ってこんな題名をつけたわけではない」と弁明しているが、息子の方は、おそらく父の向こうを張ったにちがいない。というのも、池澤もまた福永がいうところの「聯想的方法」を採用しているからだ。
父は病を得てサナトリウムに起き伏すうち画集を眺め心を癒したという。そのときこれに面白い文章がついていたら、と思いついたのが前掲書を書くきっかけだったと述べている。息子の方は東北の震災を受けとめるにあたって、『古今和歌集』の「深草の野辺の桜し心あらば今年ばかりは墨染めに咲け」の歌に指針を与えられたと書いている。危機に際し、誰もが自分の置かれた境遇に打ちのめされるが、芸術(この場合は詩)に触れることで、それが今の自分に一回限りのことでなく、すでにその思いを抱き、それに処した人びとのあることを知り、力づけられたり、共感したりすることで再び前を向けることがある。「なぐさめ」という言葉はそれを指しているのだろう。
岩波の『図書』に連載した文章を集めたもので、一時に書かれたものではない。敬愛する丸谷才一の死に接した折には、それについて書き、『古事記』を訳している時には、そのことを、と折にふれ、自分の日常から連想されることを詩と結びつけて自在に語るというスタイルである。優れた詩の紹介というのなら、今までに数多くの類書が書かれてきた。しかし、父の顰に倣ってか、子もまた詩歌の大海の中に自分を錨として沈めることで、他の誰にも書けないであろう種類の本を書くことができた。
自分を錨として沈める、という比喩は、ただただ彼方此方を漁って名詩を摘んでくるというやり方とはちがって、ほかの誰でもない一人の人間としての自分を基点にしているということだ。その自分とは何か。はるかな沖合いを泳ぐ魚に似たシェイクスピアに比べ、岸に放り出されて喘いでいる魚に自分たちを喩えたイェイツの詩を引きながら「人は感情は自ら湧くものだと思っているが、実際には与えられえたパターンの中から選んで身にまとっているのではないだろうか。(略)つまり、我々の感情さえも実は引用の原理の上に成り立っていると言える」とはなから言ってのける。
文学から文学を作るというのは、古今東西の文人、詩人がやってきたことであるから、洋の東西を問わず、広く詩を渉猟すれば、時を超え、空間を越えて、詩は詩と結びつき、響きあう。自分だけの感情と思えるものでさえ、きっとすでに誰かがもっと上手に表現しているにちがいない。だから、詩人は、自分の目にとまった一篇の詩を素材に、古くギリシャ、ペルシャの詩人を訪ね、六朝、唐の詩人を引いてくる。しかし、選ぶのは自分の眼である。だから、師事した丸谷や、全集編纂に携わった日夏耿之介、吉田健一、それにいつになく父に対する言及が多くなる。堀辰雄の書庫で読んだリルケの詩の話や、マチネ・ポエティックを批判した三好達治の話等々。
詩のいい点は、全篇の引用が可能なことだ。訳詩にしても、漢詩なら、白文、読み下し、現代訳と自在に載せられる。これが小説だとそうはいかない。その意味で、この一冊は名詩のアンソロジーの観を呈す。漢詩についてはしばらく措く。吉田健一訳のシェイクスピアの十四行詩、ディラン・トマスの「ロンドンで一人の子供が火災で死んだのを悼むことに対する拒絶」。ネルーダの『ニクソン殺しの勧めとチリの革命賛歌』と中野重治の『新聞にのった写真』といった苛烈極まりない詩などは、他の詩の鑑賞本ではおそらく読むことは叶わないのではないか。
こんな時代だから、詩について書いていても時局に対する批判めいた口吻が混じるのは致し方ないとは思うものの、マヤコフスキーの「見たことがありますか、/殴る人間の手を犬がペロぺロ舐めるのを」という詩を引いて、「この場面はついつい今の日本の某与党(もちろん小さい方)のふるまいに重なって見える。平和を標榜していたはずのあなたたちはどうしてそこまで変貌したのですか。標榜から変貌へ。政権党という餌はそんなにおいしいですか」と書いてしまうのは、少々レトリックが不足していやしまいか。気持ちはじゅうぶん分かるのだが、焦りや怒りをそのまま表出したのでは、それはもう文学を語る言葉ではない気がする。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ池澤夏樹氏の「古事記」です。
本当は積読リストに、人気作家三浦しをんさんのお父様である国文学者の三浦佑之氏の「口語訳古事記」が先にあったのですが、パラパラめくったら躊躇してしまい、池澤版を先に読んでしまいました・・・(本書の解題を書いていてびっくり)
これまでも何冊か超訳的なものや紀記合わせた解説本を読んできたこともあり、意外とすんなり世界に入ることは出来ました。
とはいえ、きっちり最初から最後まで古事記だけを訳されたものを読むのは初めてだったので、新たな発見があり楽しめました!
まず、もともと古事記は帝紀としての役割があり、多くの氏族の祖先としてたくさんの神を設定し、天皇を中心とする権力のネットワークに有力者を組み込むためにつくられたと言われています。
通読して、それをすごーく実感しました。
物語中に「これは吉野の首(おびと)の祖先」とかこれは「膳(かしわで)の臣(おみ)の祖先」などの記載が多々あるところとか、物語が時系列になっていなく、いろいろなエピソードの羅列になっている部分があったりとか、いかにも地方の豪族たちが受け継いだ神話の寄せ集めっぽいんですよね。
解説に、「古事記全体を貫くのは混乱から秩序へという流れ」という記述があり、まさにそんな印象でした。
それと、池澤古事記は神の名前を漢字とカタカナに使い分けられて、さらに改行などで読み易くされていました。
私、(読めないけど)漢字表記が美しくて好きなんです。
例えば簡単で有名どころで言うと
月読命ーツクヨミノミコト
とか素敵な字面と響きだと思いませんか?!
ヒメなんて、比売とか日売とか毘売とかあるんですよ~
このあたりはみてるだけで楽しめました。
また、注釈が時々とてもよくて、例えば高い山に登って、の注釈が、
「前にもあった「国見」だが、ここには登った山の名も見えた土地の名もない。「聖帝」像のための抽象的な国見なのだ。あるいはもう見ることの予祝の力が信じられなくなった時代の、つまりは呪力ではなく政治の時代の始まりということか。古事記の下巻はこういう世界である。 」
という具合。いい解説でしょ。
あとは、文章のリズム感。
原文のリズム感を意識しているんだろうなーというのも伝わってきました。
他の解説本でヤマタノオロチのモデルとなった川の解説が印象的でしたが本書にはそれについては一切触れられておらず、やっぱり本によっていろいろあるなあ、とあらためて感じました。
そのあたりをこだわり始めると別の訳本も読みたくなるんですが、結構脳みそを使って読んだので、しばらくはおやすみします。。