濱野大道のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ぼくが考えた最強の民主主義の実現について。
ちょっと揶揄する言い方で申し訳ないが、民主主義とはこうあるべきで、その民主主義を阻害するしているのはこれだという。
民主主義、それも、多民族民主主義が絶対正しくて、そのシステムによって生み出されるものについては一切評価していない。
言ってるのは、アメリカの民主主義。
理想に燃えた野蛮人による深みのない人工実験国家として成立したアメリカ。
その、世界最初の成文憲法であり、最初の民主主義とか吠えとるが、要は理想と妥協の産物。
彼らがやりたかったのは政治ではなく政局。権力を握るためには握らせないためには何でもする。そんな感じやん。
なんでこいつら、「公平」という名のルールが好きなんか。しかもその「公平」のルールを、自分たちに有利になるようにしたがる。何が公平か。
なんでこいつら、そんなに差別が好きなんか。差別好きなくせに、認めようとしないんか。そもそも、1965年になるまで、ろくな選挙もできなかった国が、何が民主主義の優等生なんか。
大統領選挙だけ見ても、変なことやっとるなと思っていたのだが、基本的に変な国なのだと改めて認識。
白人だけが優等な国にしたければそうすれば良かったのに。ハナから矛盾を抱え込み、綺麗事を言おうとして、自己崩壊してる感じがした。
決して、「公平」な本とは思いませんでした。 -
Posted by ブクログ
酷いモンだね。知ってたけど。
一九八四の世界が、まさにIT技術の進化によって実現されつつある。しかも、こいつ犯罪起こす確率高いから、拘束される世界。
まあ、まじにやると、このお国がまず隔離されるはずなんだがな。
なんでここまでやるのかと思うんだが、おそらく、盗賊が易姓革命と正当化してきた文化なのだからではないかと思う。
正当化であって「正統」でないことを判ってるんだろう。
油断すれば、ひっくり返される「正当性」。
俺たちは正しい。なぜなら、「勝った」から。
正しいゆえに、従わないことは、「悪」である。
異論は認めない。
異論は悪であり、正当を脅かすものだから。
幸せは、個々人にあるものでなく、「正当」の下でこそ実現される「べき」ことなのである。
だからおそらく、ウイグルに対する行動も、本気なのだろう。
怖いんだ。「正当性」が脅かされるのが。
理論理屈は関係ない。自分たちが正しければ、他人からそう評価されていれば、それでいい。
異なる文化から見れば実にアホな理屈だと思うんだが、ここに、金と権力が入り、金と権力が好きな人は他の文化にも当然いて、これが力を持ってるので、面倒臭い。
自分たちが、金と権力の側にいつまでもいれると思ってるからではないか。
そこに入れば、それが「正義」だと思っているのではないか。
世界中がそうあるべしと行動していることが怖い。
筆者が、「AI」による監視の怖さを強調してるのがちょっと違和感。怖いのは、「正当性」による支配のような気がして。「AI」はただの道具。 -
Posted by ブクログ
すごく重く深い本でした。
アメリカで白人警察官が黒人女性を路上で逮捕するという2015年に起きた事件を元に、数々の実在の犯罪や事件を取り上げて検証していきます。
スパイやテロ犯罪など日本で普通に生きている私とかけ離れたことも多く、悲惨な事例もあり読み進めるのがつらかったりしましたが、それを取り上げることで最初にあげた事件の真実を考えることにつながるという納得の展開でした。
「私たちの予想どおりに相手が行動しないこと」と思い込みから生まれる誤解や悲劇。
日常生活にもあることだと思います。
「見ず知らずの相手とコミュニケーションを取ることのむずかしさ」
最近社会での他者への批判や誹謗中傷がひどくなっているようにみえますが、やはり原因はこのような、自分は正しい、相手がこうしないのはおかしいと思い込んでしまうことなのではないかなと感じました。
「私たちは、見ず知らずの相手の心の内を読み解く能力に限界があることを受け容れなくてはいけない。」
「われわれに必要なのは抑制と謙虚さだ。」
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Posted by ブクログ
世界的企業での潜入ルポ。
内容としては、徹底したコスト管理の上で、世間的弱者にあたる移民をゼロ時間契約で搾取するなど、差し詰め現代版の奴隷のような図式にも捉えられる内容が赤裸々に語られていた。
そして本著は「人生とは、必然的にどちらか一方が他方の上に立とうとする、拮抗する力のあいだのせめぎ合いなのだ」と、締めくくられた。
最後のこのフレーズ、なんかすごい考えさせられるなー。
確かに、人生って常に選択の繰り返しだよね。だけど出来れば第三者の思惑の中で上下の優位を決めるような選択ではなく、一個人の想いの中で並列に選択できる環境でありたいよねって、自問自答してみる。 -
Posted by ブクログ
【感想】
この本を読んでいるとき、通信傍受に関する事件が日本国内でも発生していた。
LINE株式会社が自社のサーバーを中国に置いており、LINEに登録されている日本人の個人情報やプライベートな会話を、システム管理を委託していた中国企業の技術者が閲覧可能な状態にあった。その後同社は中国からのアクセスを完全に遮断し、サーバーを日本国内に移すことを発表している。
このニュースを見て、私は、「今さらなんだ」という感想を抱いてしまった。LINEが個人情報を外国に流していることなど周知の事実であり、それを割り切りながらサービスを使っていたのではなかったのか、と考えてしまったのである。
そして同時に、スノーデンが抱いていた「プライバシー保護への意志」が、私の中に根付いていないことを知り、悲しくなってしまった。
スノーデンが暴露を行ってから8年近く経とうとも、NSAの責任が追及されることはない。それどころかアメリカは中国をますます「スパイ国家」と認定し、中国製電子機器の締め出しを強化している。アメリカの首脳陣も、NSAの幹部も、自国が構築した監視網は棚に上げ、彼らは罰則を受けることなく今日まで存在しつづけている。
もうこれは、割り切るしかないのだと思う。今さらインターネットを捨てることはできず、したがってアメリカが構築した監視網から逃れるすべはない。
全てが覗かれている世界の中で、少なくとも自分だけは誠実なふるまいをし、火の粉が降りかからないよう生きていくしかない。政府への抗議活動や反対運動を起こそうと思っても、自分だけは捕まらないように注意して行動するしかない。そんな諦めの気持ちが、自分の中に芽生えてしまっている。
スノーデンの「大規模監視システムが存続すべきかどうかを人々に問いたい」という思いは、宙ぶらりんのまま潰えようとしている。悲しいことに、アメリカはあの事件から全く前に進んでいないのだ。
【本書の概要】
NSAが日常的に世界中の通話記録とメールを収集・定量化していたことを、元NSA職員であるスノーデンが暴露した。
NSAと主要ウェブサービス会社、連邦政府は蜜月の関係にあり、「テロから自国を守る」ことを口実に、世界の国々に対して大規模な通信傍受をおこなっていた。
NSAが監視プログラムに対して、「監視しようとしているのは、悪い人間から悪い人間に対する通信だ。いかなる違法活動にも携わっていないアメリカ国民は、何も恐れることはない」と言う。しかし、他者の視線を感じている時に人が考慮できる選択肢の幅は、プライベートな領域での行動時よりもはるかに限られてしまう。「監視されている」という事実自体が行動を歪めてしまうのだ。
スノーデンの暴露に対して、政府よりのメディア、ジャーナリストから誹謗中傷が届いた。
ジャーナリズムの世界に身を置く多くの者にとって、政府から「責任ある」報道というお墨付きをもらうこと(足並みをそろえること)が名誉の証となっている。
アメリカのジャーナリズムは堕落している。
【本書の詳細】
1 スノーデンとの初接触
郵便物の検閲、電話の傍受といったように、歴史上起こってきた大量監視はいずれも、反対派を抑圧し従順を強制することが目的であった。
アメリカの指導者は、テロへの対策という名目で大量監視を擁護し、極端すぎる政策を正当化してきた。
かつてのスパイ・システムはすべて限定された用途に用いられたものであり、望めば回避することも可能であったが、インターネットは違う。インターネットが大量監視システムに変貌してしまえば、人間のほとんどすべてのやりとり、計画、思考まで国家の眼にさらされてしまうのだ。
元NSA職員であるスノーデンから、秘匿回線を通じて送られてきた文章は衝撃的なものだった。
連邦裁判所が、ベライゾンビジネス社(アメリカの大手通信業者)に、
(1)アメリカと海外とのあいだでの通信、(2)アメリカ全土の詳細な通話記録のすべて をNSAに提出するよう命じていた。眼に見えない国家の監視システムがいつでもどこでも、そのシステムを監督する者もチェックする者もいない状態で、秘密裏に何千万人のアメリカ人の通話記録を収集していたのだ。
同時に、こうしたアメリカ人の通話記録の大規模な収集活動は、愛国者法第215条(9.11テロにより制定された対テロ法)により認められていると明記されてもいた。
スノーデンが筆者に情報提供を持ちかけた理由は次の通りである。
「プライバシーやインターネットの自由、国家による監視の持つ危険性について、世界中で議論するようになってほしいのです」。
そのためにスノーデンは、自分の実名を公表することを決意した。例え情報漏洩の罪で刑罰を受けることになろうとも。
2 スノーデンの略歴と彼へのインタビュー
スノーデンは若くしてCIAの請け負いという立場からフルタイムのスタッフになり、2007-2009年まで、外交官に偽装してスイスのジュネーヴに駐在していた。CIAを離れてNSAに戻ると、2009年には日本のNSAで勤務するようになる。
スノーデンは上級サイバー工作員となるべく訓練を受けていた。上級サイバー工作員とは、他国の軍隊や民間のシステムに侵入し、情報を盗んだり、攻撃準備を整えたりするスタッフのことである。
各国の監視業の高度なアクセス権限を得て目にしたのは、合衆国政府が広範囲にわたって人々を盗聴しているさまだった。NSAの目的は、世界中のあらゆるプライバシーを消滅させ、すべての電子通信をNSAに掌握させることだったのだ。
こうした監視は倫理的に問題である、と上司に訴えても、即座に「お前の権限ではない」と言われ、目をつぶるように促された。上層部において権力と説明責任を切り離すのはとても容易なのだ。こうした現状を変えるべく、スノーデンは機密情報をNSA内部から盗み出し逃亡をはかった。
彼が自分のキャリアのすべてを犠牲にし、重罪犯として扱われる危険を冒してまで暴露した理由は、道義的責任と使命感によるものだった。
彼は次のとおり語る。「人間のほんとうの価値は、その人が言ったことや信じるものによって測られるべきではありません。ほんとうの尺度になるのは行動です。自らの信念を守るために何をするか。もし自分の信念のために行動しないなら、その信念はおそらく本物ではありません」
「プライバシーも自由も存在しない世界には住みたくありません。インターネット独自の価値が奪われた世界には」
「そうしたシステムを破壊したいわけではありません。ただ、そのシステムが存続すべきかどうかを人々に問いたい」
また、彼は自らの身に起こりうることを予想しこう語っている。
「1917年のスパイ活動法に違反する、と政府は主張するでしょう。なるべく刑務所には行かずにすませたいが、政府からどんな仕打ちを受けようとも、私は耐えて生き続ける。しばらく前にそう決めたんです。何もせずにただ黙って生きることはできません」。
自分の身に起こること、そしてアメリカを敵に回すことへの覚悟を、驚くほど冷静に語っていた。
そんな彼の姿勢に、筆者は強く心を打たれた。
3 リーク記事の発表
スノーデンのリーク記事の第一報はガーディアン紙から発表された。
「NSAがベライゾン加入者数千万人の通信履歴を収集」
この記事への反響は凄まじい規模であった。
政府は「通話履歴収集プログラムは、国をテロリストの脅威から守るために不可欠なツールだった」との声明を発表するが、賛同はほぼ皆無だった。
第二報はPRISM計画の暴露である。
マイクロソフト、Google、Yahoo!、Facebook、Appleなど、9つのウェブサービスを対象に、ユーザーの電子メールや文書、写真、利用記録、通話など、多岐に渡るサービスの情報をNSAが自由に獲得できる計画の全貌である。これによりNSAは「いかなる外国人」も監視することが可能になり、外国人と連絡を取ろうとするアメリカ人の情報も、容疑の証明無しに取得することができる。
前回同様、反応は爆発的であった。しかも今回はインターネット企業という地球規模にまたがる会社の情報だったため、反応も世界規模だった。
さらに「バウンドレス・インフォーマント・プログラム」の記事が発表される。これはインターネットや電話回線を傍受して得たメタデータの量を国ごとに表示し、分析するためのソフトウェアである。
また、NSAが日常的に世界中の通話記録とメールを収集・定量化していたことを指し示す記事も発表された。NSAは、外国の情報のみに集中すると法的に定義していたはずなのに、外国の通信システム利用者のみならず、アメリカ国民も同様にNSAのターゲットにされていた事実をこの資料が証明していた。
4 NSAと民間企業の提携
4本目のリーク記事の後、ついにスノーデン自身にインタビューする12分の動画が、ガーディアンのウェブサイトにアップされた。スノーデンが潜伏していた香港のホテルに記者が殺到する。合衆国政府はすでに、香港政府にスノーデンの逮捕と身柄引き渡しを要求していた。
NSAと民間企業は蜜月の関係にあった。
NSAは正式には公的機関であるものの、民間企業と幅広くパートナーシップ契約を結び、主力業務の多くを外部委託している。アメリカの諜報予算の70%は民間企業に支払われていると言われており、インターネット企業や電話会社と協力して、顧客情報を入手しているのだ。
PRISMプログラムの運用により、フェイスブックやスカイプ等のやりとりの履歴が政府に渡されていたことが発覚する。
特に政府と蜜月だったのはマイクロソフトだ。同社は、顧客に提供している自前の暗号化システム――プライバシー保護のために不可欠だとうたったシステム――を回避するシステムを、NSAと協働で構築してしまっていた。
これは何もマイクロソフトだけではない。ツイッター以外の会社は、政府機関が情報を入手しやすいシステムを構築することに協力していたのだ。
しかも、情報の収集基準は、「合法的な外国の情報収集の助けになるかどうか」という一点のみであり、例えアメリカ人同士の会話を誤って収集していたとしても、全面的許可が与えられることが慣例となっている。
5 諸外国との関係
NSAと諸外国の関係には3つのカテゴリーが存在する。
A層がオーストラリア、カナダ、ニュージーランド、イギリスで構成される「ファイブ・アイズ」と呼ばれる国で、NSAとの通信傍受に関して技術協力や提携を行う密接な国である。
B層が限定的協力国であり、特定の活動に協力する国であると同時に、求めてもいない監視をされている国でもある。A層以外の多くの先進国(日本やドイツ、ギリシャ、イタリア、韓国など)が当てはまる。
第3層がアメリカが日常的に監視し、協力関係がほとんどない国で構成される。先進国でいえば中国やロシアなどが当てはまる。
かつてアメリカは、「バックドアが仕込まれている」という口実(確証を得ていたわけではない)をもとに、ファーウェイとZTEの機器やサービスの禁輸措置を行っていた。
しかし、NSAは国外に輸出されるルーター、サーバー、その他のネットワーク機器を定期的に受領、応酬し、それらの機器にバックドアを仕込んで出荷していることが分かっている。中国機器に監視機器が埋め込まれている可能性はおおいに考えられるが、アメリカもまさに同じことをしているのだ。
中国製品に対する合衆国政府の非難の背景には、中国が監視をおこなっているという事実について世界に警告を発したいという思いがあったのだろう。しかし、中国製品にアメリカ製機器のシェアを奪われてしまえば、NSAの監視網が弱まってしまうというのも大きな動機としてあったはずだ。
2007年、NSAのサーバーとシステムの増強、そして新しいプログラム「XKeyscore」が開発された。これらを使えば、Eメールアドレスさえわかればどんな人間でも監視できることが明らかになった。XKeyscoreによって30日間で収集されたデータの量は、SSO部門だけで400億件を超えている。
世界中のあらゆるものをスパイできるシステムは、外交操作を可能にし、経済における優位性を獲得できるだけでなく、世界そのものを把握し続けられる。アメリカがあらゆる存在の行動、発言、思考、計画をすべて把握できるようになったとき、アメリカから誰も逃れられず、アメリカを誰も監視できなくなる。いかなる透明性も説明責任も無い、無限の権力の誕生である。
6 プライバシーについて
プライバシーを保護したいという願望は、人間が人間らしく生きるために必要不可欠なものとして、われわれ全員が共有する願望だ。
個人的な領域とは、他者の判断基準に左右されない場所であり。逆に、他者の視線を感じている時に人が考慮できる選択肢の幅は、プライベートな領域での行動時よりもはるかに限られる。つまり、プライバシーの否定は、人の選択の自由を著しく制限する作用がある。
監視は人々を委縮させ、人々の被害妄想と正当な警戒心の境界はますます曖昧なものになっていく。言い換えれば、国による大量監視は、弾圧へとつながるのだ。
大規模監視のリークに対する合衆国の言い分は次のとおりである。
「監視しようとしているのは、悪い人間から悪い人間に対する通信だ。いかなる違法活動にも携わっていないアメリカ国民は、何も恐れることはない」
しかし、権力組織にとっての悪い事の中には、違法行為や暴力活動、テロ計画だけではなく、重要な反対行動や純粋な抵抗活動も含まれる。単純な抗議運動を不正行為あるいは脅威と同一視するのは、権力側のさじ加減である。
「権力の拡大によって影響を受けるのは特定の個別グループだけだ」と政府が国民を説得し、自分たちの抑圧的な行為には眼をつぶるように国民を言いくるめている。
政府に同調する市民はこう言う。
「彼らが私を探す動機はなく、大量のデータから私を見つけ出すことも困難である。そのため、市民の自由に対する脅威は(個人レベルでは)大したものではない」
しかしながら、社会の自由をはかる本当の尺度は、その社会が反対派やマイノリティをどう扱っているかにあるのであって、「善良な」信奉者をどう扱っているのかということにあるのではない。
また、NSAの監視プログラムは過剰な量の情報を傍受しているため、本物のテロリストが企てている本物の計画を目立たなくし、国家をかえって脆弱にしているとの指摘もある。
7 メディアの堕落
スノーデンの暴露後、一部のジャーナリストやメディアがスノーデンと筆者を売国奴や犯罪者とみなし攻撃した。
「機密情報のリークは、国家の安全をおびやかす行為だ」という理由である。
同様の理由から、司法省がFOXニュースのワシントン支局長であるローゼンの行為を犯罪視した。しかしながら、ローゼンの行為はすべて伝統的なニュース番組の範疇に収まるものであった。言い換えれば、オバマ政権はジャーナリズムそのものを犯罪視したのだ。
政府とメディアは反対派の人間を人格障害と結びつけ、攻撃した。誹謗者の中にはニューヨーク・タイムズといった政府寄りの一流新聞社も含まれていた。
大企業の構造の中で生きる者は、組織の秩序を乱そうとせず、組織におもねるようになる。こうして彼らは組織の力を自らと同一視し、それと戦うのではなく、服従するすべを身に着けるようになってしまうのだ。
今日、ジャーナリズムの世界に身を置く多くの者にとって、政府から「責任ある」報道というお墨付きをもらうこと(足並みをそろえること)が名誉の証となっている。そしてそれが、アメリカのジャーナリズムが不正を監視する姿勢をどれだけ失ってしまったかを如実に物語っている。 -
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イギリス人から見た日本におけるスポーツの立ち位置、在り方を通じて日本人論としても読める一冊。学生やアマチュアにおいてはスポーツとは人間形成の一環であり、努力、忍耐が必要とされ、和を尊び「チームの為に」目標とする箱根駅伝で燃え尽きる長距離ランナーの現状。
なぜ日本でここまで駅伝人気があるのか、半年間の日本滞在でよく考察されていて非常に面白かった。
駒澤大学の大八木監督も登場するが、駅伝名物「男だろー!」の発破は西洋人から見ると翻訳できない日本独特の観念だろう。
この本が書かれた2014年からは科学的根拠に基づいたトレーニングや調整方法が取り入れられ変わってきている部分も多いけど、スポーツとは愉しむものではなく教育である日本の根幹は変わっていないことを痛感した。 -
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著者は2009年オバマ大統領に任命され、2017年にトランプ大統領に罷免されるまで、連邦検事としてインサイダー取引、麻薬取引、武器売買、ギャング・組織犯罪、サイバー犯罪、マネーロンダリングなど、ニューヨーク州における刑事・民事事件の捜査・訴訟において指揮をとってきた。格差と分断がひろがる社会のリアル人間模様にみる現代の「罪と罰」を通して、司法の立場から、ひとりの人間として「正義とは何か」「正義はどこへ向かうのか」と真摯に読者に問いかける。
かなり厚みがあり読み終えるまでに結構時間を費やしました。正直アメリカと日本では裁判制度も量刑の重さも全く異なる(そもそも日本では銃犯罪はほとんどないし)ので簡単に比較できない部分はありますが、仕事をこなす裁判官・検事として考える前に、彼らも人間であり過ちをおかすことも冷静に考えるのが難しいこともあるんだなという当たり前のことだけれど忘れがちなことを認識させられる。医者もある意味似たような仕事だから刺さる部分もあった。正義をつくるのは法律ではなく人だ、という信念はアニメPHYCHO-PASSの朱の言葉が思い出されます。 -
Posted by ブクログ
イングランド北西部、湖水地方の羊飼いの暮らしがどういったものであるかを回顧録的に綴ってくれている一冊。
自身、だいぶ昔に湖水地方でないがイギリスを旅したときの電車からの風景、透き通った青空の下、木々の少ない一面牧草地の広大な丘があってそこに沢山の羊が放牧されていた風景をふと思い出しました。
私は日本の畜産農家の下で生活したことがないので、完全に想像の域であるが、日々の生活や人間関係など、日本のそれと結構近いものがあるんじゃないかなって想像してしまった。
コントロールできない自然現象との戦いに泥臭い人間関係、でも都会の生活より圧倒的に人間らしさを感じれる、そんなことを読んで思い考えました。 -
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原題が「Chasing Phil」なので、するすると間一髪でたくみに逃げていく詐欺師をFBIが追うという、プリ夫さんの映画「キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン」みたいな話かな?と思っていたら、まったく逆だった。FBI捜査官が詐欺師にあっちこっち連れまわされて飲まされまくるという話だった。
タイトルは、chasing っていうより dragged by の方が正しいんでは?
この事件の捜査が行われたのは1970年~80年初頭、ってことで、先に読んだ「花殺し月の殺人」の頃の、カウボーイの延長のようなFBI(1920年代)と比べれば、もう十分に「現代」だな、と思って読み始めたけれど、二人の捜査官が使うツールや手法は今の常識から考えると驚くほど洗練されておらず、計画もバックアップもほぼ無に等しい。なのに本名を使って「潜入捜査」をしている状況が、もう見事に危なっかしくて、読んでいて、ハラハラを通り越してストレスがたまった。
ひとえに、二人の捜査官の若さと精神力と柔軟性により捜査継続できていた、という感じ。
捜査対象だった詐欺師、キッツァーがいきなり「今からフランクフルトに行こう!」なんて言い出すたび、小心者の私は「ひえーもうやだー家に帰らせてー」と思った。
二人の捜査官、ほんとエライわ。
潜入中、息つく暇もなく次々と世界を飛び回る様子が描かれていたので、私は5年分くらいの捜査かと思って読んでいたけれど、最後に潜入期間は1年と2日間だった、と書かれていて、感覚よりずいぶん短くて驚いた。
潜入捜査というのは非常に過酷なもので、トラウマになったり、薬物中毒になったりと、心身両方への影響が非常に大きくかつ危険なため、捜査を行うには捜査官の性格的な適正が重視され、更に、期間の上限も厳密に決められていると聞くが、実際、期間の規定はどれくらいなんだろう。私はこの1年の記録を「読む」だけでへとへとになった。これ以上は無理、と思ったが・・・
キッツァーの罪については、彼に対する処罰は私にはずいぶん生ぬるく思えた。この著者や捜査官が考えているよりも彼のしたことは重いと思う(保険金詐欺は特にひどい)。それに、読んでいて、この本が言うほど彼の人柄が魅力的には思えず、最後まで嫌悪感しか感じなかった。でも、彼のものの見方は興味深かった。
たとえば、金融詐欺については、「お金を持っている人」を狙うんじゃなくて、「支払いに追われ、切羽詰まった状況に陥り、お金をかき集めることに必死になっている人」を狙う。なるほどなぁ、と思った。
印象的だったのはマンハッタンでのシーン。
『三番街のバーを飲み歩いていたとき、高層ビル群をはじめて見るかのようにキッツァーが空を見上げた。建物のほとんどは、誰かが何百万ドルもの金を借りるという賭けに出たから完成したのだと彼は言った。ある意味、建物は "信頼" を象徴するものなのだと。銀行、建設会社、保険会社といった見知らぬ会社や人々の集団が危険なゲームに参加し、互いを信じ、計画を信じなければいけない。多くの正直者が集まり、建設が実現する。キッツァーにしてみれば、それは奇跡的なことだった。』
確かに、この本を読むまで考えたこともなかったけれど、今の自分の生活は多くの見知らぬ人への無意識の信頼関係で成り立っている。
その全員が「正直者」かどうかなんて、誰にも分からないじゃないか、相手が見せる預金通帳の数字が本当かどうかなんて、何人かを抱き込めば君には分かりようがないだろう?と言われれば確かにそうかも。
ましてや、高層ビル建設なんていう、巨額の資金が動いて何百人もの人間が絡む事業で誰も嘘をつかないと考えるなんて、それはある種の「賭け」なんだよ、と言われると・・・私には返す言葉もない。 -
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広島県三原市 冷たい手を掖に挟み、校舎の壁際で時間を潰しているよりはずっと愉しそうだった。 参加者としてではなく、見学者としてレースを見ていると、いつも同じ思いが頭をよぎる。何故、自分は参加していないんだろう? 誰もその牙城を崩し崩すことことは出来ない 上尾シティハーフマラソン 拙速な判断は避けたかったが 世界で最も深いバイカル湖の湖畔に坐ってアイスクリームを崩し食べたり ウラジオストク到着時間までのカウントダウンが始まっていた 未知の場所を探索する方法としてランニングを愉しんだものだ どんな事にも効果覿面だと話す彼は うやうや恭しくお辞儀し 促した 夜のしじまが一層増した気がした すうけい崇敬の念 比叡山延暦寺 宿場で別の飛脚に書簡を渡し この制度に想を得て生まれたスポーツが 京都中心部の三条大橋には 京田辺市 ねじまき鳥クロニクル 遵法精神 出る杭は打たれる 集団の協調を示す「和」という概念があった 川上哲治 ミツバチも同じなんだ 羽を振動させて温度を上昇させ、発生する二酸化炭素で巣を満たしていく。花が咲く ブルーミング 必ずサプライズがあるんです 滋賀県草津市の立命館大のキャンパスに到着すると 柏原竜二 東洋大学 ラドクリフやケニア人選手のように驚異的な記録を出す為には 千日回峰行 満行したのは僅か四十七人 走ること自体に存在理由レーゾンデートルがあるのだ アイデンティティや責任というあらゆる世俗的な奥底に潜む何か もっと原始的な深い場所まで走り込み しかし、実際は血が。心の奥底では、そんなのは見せかけだと知っている。本当に欲しているのは、これまでに組み立てられた僕の人生のシステム、複雑さ、カオスのすべてから逃げ出し、あらゆる物事の下に潜む、生まれたままのシンプルな人間と繋がることなのだ。グレイハウンドのような長身痩躯 ケニアの元オリンピック・マラソン金メダリストの故サムエル・ワンジル 怠け癖こそが目標達成を阻む イギリス女子マラソン歴代二位のタイムを持つマーラ・ヤマウチ 人の指示を盲目的に受け入れることのできる性格じゃない。何をするにしても、その行動の理由が知りたい性質なんです 森下広一 バルセロナオリンピックの銀メダリスト 龍安寺りょうあんじ 枯山水の岩庭が有名だ 裸の王様 うやうやしく恭しく 「無になると何かが弾け、それが空間を満たしていく」と言って"弾ける泡''を手振りで示した。「その何かは、日常の経験という枠を超えた、我々の生命下に潜む膨大な意識であり、宇宙と一体になる感覚なんです」 韋駄天 アライメント(骨や関節の形状)を意識して ウィルソン・キプサングにでもなった気分だった 将来を嘱望される村山謙太 ハイレ・ゲブレシラシエ(エチオピア)の身長は一六五センチ 動物が疲れ果て、倒れて死ぬまで走って追いかけた ベアフット・シューズ(裸足の靴) ミニマリスト・シューズ サックスビー曰く、僕は典型的な「動物園の人間」らしい。その愉快な造語は、現代社会で靴を履いて育ち、一日の殆どの時間を身体に悪い設計の椅子に坐って過ごす人間を指すものだった。 しゃがむ能力 草履 地下足袋 踵着地は良くない 高岡としなり寿成 形態は機能に従う 一朝一夕に 灰色の荒波に揉まれる黄色いブイだった 頭を上げ、首を真っ直ぐに保つ事に集中したほうがいい ここにまだ別のハンドブレーキが残っていた 脹脛の痛みも収まった 踵を後ろに蹴り上げ 惨憺たる それぞれの学習ニーズは大きく異なった いざな誘う 静かな充足感に包まれる感覚 悟りとは全てが停止する場所ではない。遂にやり遂げたと自覚し、永久の至福という名の光背に包まれる場所などではない。違う。悟りとは生き物のようなものだ。それは毎日僕等の背中を押し、あるひとつの場所に戻ってくるように呼び止めてくれる何かだ。 剃髪 檜笠 元旦の朝早くに目を覚ましてニューイヤー駅伝を観戦することは 佐藤悠基 早稲田大学の大迫すぐる傑と契約を交わしたしたばかりだった 名伯楽 すべては通るだけの道となる ドラッグの陶酔感に似ているかもしれない 苦痛、脚の痛み。それでもひたすら走り続けると、大声で笑いたくなる瞬間がやってくる。そんな時、僕等は自分の脚を見下ろし、「もっと走りたい?」と問いかける。そして、さらに走り続けるのだ。 「周りの景色を眺めながら、風に舞う木の葉のように漂うこと」から「自身の魂の奥底を探る旅」に変わるのだ。 井戸の底では無駄なものが根こそぎにされる もはや伝統行事のようなものなのだ 彼等は茫然自失の体で突っ立ち 村澤明伸 みんな長野県佐久長聖高校の出身だった クロスカントリー用のトレイル オフロード練習のメリット かんばしく芳しく 少なからず演技が含まれているような気がした フリーキックを狙って大袈裟に転ぶサッカー選手のようなものかもしれない 東洋大学の設楽啓太は満面の笑みを浮かべてゴールし 武士道 新渡戸稲造 ゴール地点の芦ノ湖の奥には富士山が見えた それは長距離走における格闘技であり、壮大な叙事詩エピックだった。 それでも前進する為には、身体の奥深くから湧き出てくる意志力を頼りにするしかない。まさにマハトマ・ガンジーの言う通り、「強さとは身体能力ではなく、不屈の精神から生まれるもの」なのだ。 競争は熾烈を極め 奏功した